第3話
家に戻った緋色は、さっきの出来事、あの山で龍吾に言われたことを思い出していた。
「早めに諦めた方が身のためだぞ」
そんなこと、言われなくとも十分わかってる。自分が一番よくわかってるんだ。
初めてキセキを使った時、当時4歳だった緋色は、致死量ギリギリの電圧を自分の体に流してしまい、三日間もの間、意識不明の重体となり、昏睡状態に陥ってしまっていた。
医者からは初めて自分の能力を使った子にならよくあることだと言われたが、その後、緋色は何度も救急車で運ばれ、今まで一度も能力をまともにコントロールできたためしがない。
しかも、電気を使う能力者なんてものはこの世に何人もいるし大して珍しくもない能力。
それなのに緋色は他の電気を使う能力者と違い、自分の身体から電気を放つことができない。
他の電気系能力の下位互換でしかなかった。
緋色は自分の部屋に戻り、このやるせない気持ちを押し殺しながら、自分の勉強机に額をぶつけた。
緋色が家に帰ってから1時間ほど経過した頃、母親が、夕飯ができたことを階段の一階から呼びかける。
緋色は、気が沈んでいたということもあって、母の呼びかけに返事をするのが嫌で、無言で立ち上がり、部屋のドアノブに手をかけて回す。食卓のあるリビンは一階にあるため、階段を降りなくてはいけない。いつもなら、軽い足取りで駆け降りる階段も、今日だけはそういう気分になれなかった。
階段を降りてリビングのある一階に着いた緋色はリビングのドアを開こうとドアノブに手を掛けようとした瞬間、一瞬早くドアノブが回り、ドアが開いた。
すると、緋色の目の前には、長い髪を後ろで束ねアップしボリューム感のある髪形をした少女が緋色の行く手を阻んでいた。
この少女は緋色の妹、鹿島葵(かしまあおい)小学3年生。緋色より2つ年下の妹。
葵は緋色と違って、何でもできて、キセキも【座標変更(テレポート)】というとても便利な能力を持っている
あまりにも緋色と性格や才能が違うため、緋色は一度、母に「葵は本当に僕の妹なの?」と聞いたことがあった。さらに、葵は兄のくせに自分より何もできない自分のことを見下し、嫌っているように緋色は感じていた。母は「嫌っているどころかすごく緋色になついている」と言っていたが、あれは絶対に嘘だと緋色は確信している。兄妹の仲がこれ以上悪化しないために言った方便だと思っている。
緋色がそう思う理由は、いつもの葵の態度がそれを物語っている。ほんとは自分の妹じゃなくて周波の妹なんじゃないかと緋色は内心すごく思っているほどだ。
その証拠に、なぜだか今も緋色の行く手を遮り邪魔をしている。
緋色の目の前にいる妹の葵は腰に手を当て、不機嫌そうに頬を膨らませている。さながら関所の門番のように緋色の行く手を阻んで仁王立ちで立っている。
「ちょっと、お兄ちゃん。ママが呼んだのに何で返事しなかったの」
「いや、ごめん。ちょっとあんまし夕飯って気分じゃなくて、あんまり大きい声で返事したくなかっただけだよ」
緋色は妹の問に答えて、ドアを通ろうとしたが葵は微動だにせず、まだ通してくれない。
「えっと、まだ何かあるの?」
「お兄ちゃん今日どこ行ってたの!何で元気ないの!」
葵は道を譲るどころか、前のめりになってさっきよりも増してグイグイと圧力をかけてくる。
「な、なんでもないよ」
「嘘!なんでもないのに元気ないわけないじゃん!」
緋色は半ば強引に行く手を阻む妹を両手で押しのけ、食卓に着いた。
「ちょっとお兄ちゃん聞いてる」
「葵、お兄ちゃん今日は疲れてるみたいだから、そっとしておいてあげなさい」
「は~い」
まだ少し納得しきれていない様子の葵だったが、キッチンから緋色たちの会話を聞いていた母親が、葵を宥めてくれたおかげで葵も自分の席であるテーブルの僕の向かい側に座った。
鹿島音色(かしまねいろ)。緋色と葵の母親で、とても優しくおしとやかな感じの専業主婦だ。
音色が、夕食を並べ終え席に着くと、それとほぼ同じタイミングで緋色の父親がリビングのドアを開けて部屋に入ると、そのままいつもの自分の席に着いた。
「それじゃ、みんな揃ったし。いただきます」
「「「いただきます」」」
音色の合掌に合わせて、緋色たちも手を合わせた。
緋色の家庭では、食事中、基本的に会話はしないことなっている。
これは父親である鹿島学斗(かしまがくと)がいつも言っていることだ。
いただきますと口にした後、全部食べ切らずに口を開くというのは、すごく行儀の悪いことだと昔からよく言い聞かされている。
学斗は、高校の教師をしている所為か、そう言った教育に関しては他の家庭より少々口うるさい面があった。この程度ならいいが、ゲームは一切禁止、お小遣いの使い道も全て学斗に報告するように言われている。だから、食事中は会話をしない、別に家族が不仲というわけではない。
だけど、この日に限っては、いつも食事中は「黙って食べなさい」と口うるさく言っている学斗の方から食事の手を止め、先に口を開いた。
「緋色。さっき葛葉さんのお宅から電話をもらって、今日お前たちが何をしていたか全部聞いた」
「っ!」
学斗の言葉を聞いた瞬間、緋色の表情は一気に青ざめた。
全身から、汗がにじみ出してくるのがわかった。
この時の緋色は、心臓を鷲掴みにされているような気分だった。
しかし、そのことを知らない、音色と葵は全く何の話をしているかわかっていないということもあり、頭に?マークを浮かべてはいるものの食事の手は止めない。
「どうした、緋色。何か言いたいことはあるか」
緋色は恐怖で学斗の顔が見れずにいた。普段、些細なことでも口うるさい学斗が、今日、緋色たちが山でしていたことを知ってしまっていると思うと、今すぐここから立ち去りたい思いでいっぱいになり、頭の中は真っ白になっていった。
体が震えて、まったくいうことを聞かなかった。
「お前はいつも俺の顔に泥を塗ってくれるな」
ため息交じりに言う学斗。
きっと父さんにとって僕は邪魔者でしかないんだろう。今思い返してみれば僕が父さんに褒められたことのある記憶は一度だってなかった。だからか僕はこれまで、父親というのは僕の中で、守ってくれる存在、保護者という言い方があまりしっくりこなかった。僕は周君と龍君以外友達はいなかったから、あまり他の家のお父さんがどういう人物なのかは知らない。
龍君のお父さんの龍吾さんは、すごく厳しくて怖い僕の父さんと近い印象があるし、周君のお父さんやお母さんは一度も会ったことがないからわからない。だから僕が知っている父親のイメージというのは敵に近い存在だった。と緋色は思っていた。
「ちょっとあなたそんな言い方」
「音色、お前は黙っていろ」
音色は緋色を庇おうとしたが、いつも以上に真剣な学斗の剣幕に気圧され口をつぐんだ。
「緋色、お前が葛葉さんの家の子たちとしていたことが、なぜ子ども同士でやってはいけないかわかっているな」
「うん」
緋色は素直にそれを知っていたと認めるしかなかった。
ここで、嘘をつくほど緋色は間抜けじゃない。
「確かに、お前ぐらいの年の子どもなら、神の子に憧れるのはわかる。実際、今俺が務めている高校の生徒の多くも神の子を目指していた。俺も教師だかそいつらの夢を応援して、夢を叶えるために支えてやらないといかんと思っている」
学斗はとても仕事熱心で真面目なため、神の子を目指す緋色たち若者の気持はある程度理解してくれていると思う。実際、自分がまだキセキを使えていた頃は、周りの友人たちや同世代の人たちの多くが神の子に憧れていたに違いない。
しかし、学斗はその言葉の後に「だがな」と続けた。
「あいつらも、いつまでも夢ばかり見させておくわけにもいかない。早ければ高校に入学する前にその夢を諦めさせ、将来自分の進みたい道に進めるようしてやらないといけない。特にお前のような、下級能力の奴にはな」
「あなた、いい加減にしてください。緋色はまだ小学5年生ですよ。まだ、夢ぐらい見させてあげたっていいじゃないですか」
「もう小学五年だ!こいつは勉強こそ、そこそこにできても葵のようなキセキの才能はない。それどころか、キセキの所為で死にかけたことだってあった。こいつには最初から使える能力などなかったと、きっぱり諦めさせるべきなのだ。それが、こいつのためでもある」
「緋色のため?自分のためなんじゃないですか?」
「なに?」
「自分が昔、なれなかったからってあなたと緋色を重ねないでください」
「・・・」
今、音色が学斗に対し、なれなかったといったのは言うまでもなく、神の子のことだろう。だが、緋色は今までそんな話を父親である学斗から一度たりとも聞いたことはなかった。
というより、学斗が緋色にキセキについての話してくれたことはこれまで一度もないし、ましてや学斗も神の子を目指していたことなど、緋色は夢にも思っていなかった。
「それとこれとは、関係ない」
学斗は音色の言った言葉を払拭するように否定した。
「緋色、今日お前たちが行っていたことで幸い怪我人は出ていないし、葛葉さんのお宅の子とは今後一切関わらせないようにするということで話をつけた」
「なんで、そんなこと勝手に決めちゃうんだよ」
「勝手ではない、葛葉さんからも直接言われたはずだ」
「そんな、だからって」
「いい加減、夢を見るのはやめて現実を見ろ。お前にはその夢を目指すだけの力も資格もない」
緋色が言いかけた言葉を薙ぎ払うように学斗はそう告げた。
この時の緋色は、学斗の圧に負けて何も言うことができず、逃げるように自分の部屋へと戻り、勢いよく自分の部屋のベッドにダイブし掛け布団にくるまった。こうすると周りの世界から完全に遮断され、守られているような気がしたからだ。
そうしているうちに緋色の意識はだんだんと薄れ、いつの間にか寝てしまっていた。
しばらくして、緋色の部屋のドアが開いたことに気付いて目を覚ました。
部屋のドアの隙間ら射し込む暖かい光。ドアの向こうからゆっくりと慎重に近づいて来る足に反応し、緋色の意識も徐々に覚醒する。
近づいてきた足音が緋色のベッドのすぐ隣まで来ると、今度はずっしりとしたものが緋色のベッドの上に置かれる。
モソモソと布団から顔だけを出すと、ベッドのわきに音色が座って優しい笑顔を緋色に向けてくれていた。
「ごめんね、起こしちゃった」
音色は掛け布団から顔だけ覗かせている緋色の頭をゆっくり撫でてくれて、「さっき、お父さんがひどいこと言ってごめんね」と自分は全く悪くないのに代わりに謝ってくれた。
音色の手は暖かくそしてすべすべして柔らかかった。緋色はこの優しい感触の手が大好きだった。触れられていると、とても安心した気持ちになるからだ。
「でもね、正直なところ。お母さんもあんまり危ないことしてほしくないの」
そう言った音色の顔はいつのように優しい顔ではあったが、同時にすごく悲しい顔をしているようにも見えた。
「神様の子になるのはすごいことだし、母さんもかっこいいって思うよ。それでも、緋色も知ってると思うけど毎回何人かの人は大けがするし、前には死んじゃった人がいるぐらい危険なことなの。だから母さんさっきお父さんが言ったことちゃんと最後まで否定しきれなかった。だから本当は母さん緋色には神の子を目指してほしくないの・・・。これ以上、緋色が傷つくとこ見たくないの」
ごめんなさい、お母さん。わかってる。僕が今までに何度もお母さんに心配させたか。その度に何度、僕のために涙を流してくれたか。いやってくらい知ってるし、わかってるんだ。
僕が神の子になるために考えた必殺技や神の子になったら神様に叶えてもらう願いをどうしようか話すたびにお母さんが辛そうな顔してたのも、全部ほんとは気づいてたんだ。だけど僕、それでも・・・。
母親に対し、今まで申し訳なく思いつつも、自分の夢を諦めきれずに母を苦しめていた後ろめたさのような気持ちが一気にこみあげてくる。
繰り返し母に頭を優しく撫でられるたび、その思いは次第に大きく募ってゆく。
以前から何度も、母を心配させてまで夢を追い続けたいのか、自問自答を繰り返していた。
その度に、緋色はやっぱりどうしても、神の子にはなりたい、という答えにたどり着いてしまっていた。何度考え直しても、結局同じ答えに行きついてしまう。変わらない答え。
その事実が、より緋色自信を傷つけていた。
そのことを知るはずもない、音色、優しい声音で話を続けた。
「でもね、母さん緋色が夢を諦めて、落ち込むところはもっと見たくないの」
緋色はその言葉を聞き、ゆっくりと音色の顔を覗くと目が合う。
音色はそのまま、緋色の潤んだ瞳をまっすぐ見つめて話を続けた。
「私はいつも夢に向かって頑張ってるあなたの笑顔が大好きなの。何度失敗したって諦めずに、また挑戦し続けるあなたの前向きさが、私の支えになってくれているの、だからお願い夢を叶えたかっこいい緋色の姿、母さん信じてるから」
「うん」
緋色にとってその言葉は、今まで言われたどんな言葉よりも嬉しく、一粒の水滴が緋色の瞳から零れ落ち、ベッドのシーツを滲ませた。
「きっと、母さん以外にも緋色のことをちゃんと認めてくれる人が現れるから、もし、そういった人が緋色の近くに現れたらちゃんとその人の期待に応えられるようになるんだよ」
同じくその日の夜。二人の親子は道場中央で向き合っていた。道場に明かりはついておらず、扉から差し込んだ月明かりでほんの少し照らされているだけでお互いはっきりと顔を見ることはできない。そのわずかに入ってきていた月の光も、もう時期雲の陰に隠れてしまう。
静寂しきった二人の間を空きに破り口を開いたのは父親である。葛葉龍吾だった。
龍吾は不機嫌そうな面持ちのまま口を開いた。
「龍馬、最後にもう一度だけ問う。先ほど言った言葉を取り消す気はないのだな」
向かい合った龍吾の言葉はとても冷たく聞こえ、二人しかいない道場の冷たい空気に拍車をかけている。凍てつくような声とはまさに龍吾のためにあるような言葉だ。
龍馬は覚悟を決めた己の双眸を向かい合っている父に向け、「取り消すつもりはないよ」と標榜した。
その答えを聞いた龍吾は、呆れたようにため息をつき、
「まったく愚かな奴だ」
と口にし、一度道場の外へと視線を送った。その先には、物静かな庭に生える松の木が一本飢えられている。
「龍馬よ、私は今までお前には何不自由はさせていなかったつもりだ。道場についても高学年に上がるまではそれほど厳しく言っていたつもりはない。だが、もうお前もわがままを無条件で聞いてもらえる歳でないのだ。お前には、これからあの二人とは別の学校に通わせるつもりだ」
「は?なんだよ、それ。意味わかんねぇよ」
「私もいい加減お前の駄々に付き合ってやる暇はない」
「ふざけんなクソ親父。無茶苦茶言ってんのはあんたの方だろ」
あまりに理不尽すぎる、父の言動に声を大きく荒げ反抗する少年。
その際、道場の床が鈍い音を鳴らし、軋む。
右手が大きく振り上げられる。
その瞬間、龍馬の苦痛に満ちた悲鳴。その声は静寂に包まれた薄暗い道場に響いた。
想像を絶する焼けるような痛み。幼い小学生の少年には身に余る仕置きであった。
龍馬は道場の床の上でうずくまって切られた左腕を抑える。乱れる呼吸。歪む視界。今まで感じたことのないほどの恐怖。痛みは徐々に感じなくなっていったものの、その代わりに頭の中がぼーっとし、思考が回らなくなっていくのがわかった。
少年は遠のく意識の中、自分の命がこれで尽きてしまうかもしれないと悟る。
道場の床には少年の赤い血がまき散らされ、紅い絨毯が敷かれた。鼻に突く、嫌な鉄の匂い。噴き出した血は少年の体に纏わり付き、生暖かさを感じさせる。
苦痛に湯が増した息子の表情。しかし、龍吾は一切表情を変えることなく、ただただ冷酷なまなざしを向けていた。
「双龍よ、居るか」
「はい、ここにおります」
龍吾に呼ばれ、道場の陰からサッと姿を現したのは、父葛葉龍吾の息子であり、葛葉龍馬の兄である葛葉 双龍(くずは そうりゅう)。龍馬とは七つ年が離れており、龍吾同様キセキに恵まれなかったため、幼い頃より葛葉流剣術を当主である龍吾により、叩き込まされている。外見の印象は清潔感のある真面目そうな若者といった感じだ。
「双龍、お前に龍馬をしばらく預ける。どんな手を使ってでもこいつのバカげた考えを改めさせておけ。それともうあの学校には行かないように私が転校の手続きしておく、あんな連中といつまでもつるんでいては、いつまたバカげた考えに毒されるか分かったものではない」
「はい、わかりました。では、僕が必ず弟の目を覚まさせて見せます」
「待てよ。なに勝手なこと言ってんだよ。俺はあいつらと」
龍馬の言葉を遮るように、背後から双龍に手刀の先を相手の首筋に突き意識を刈り取る葛葉流七の奥義の一つ、朏(ミカヅキ)をくらわされ、糸の切られた操り人形のように意識を失う。
「ふぅ、まったく手のかかる弟だ」
言って、双龍は「あっ、そうだ」と何かを思い出したように呟き、竜吾を呼び止める。
「そう言えば、父さん。薬はちゃんと飲んでる?」
「ああ、言われた通り飲んでいる」
「そう。それで体の調子はどう?」
「調子はかなりいい。これなら、お前に道場を継がせるのはもう少し先でもいいかもしれんな」
竜吾は己の手刀を眺め、夜空に翳す。それはまだ自分が武道かとして、刀として生きていけるかを見定めるように。
「それはよかった」
月光に口元を照らされ、口角を上げて笑みを浮かべる双龍。しかし、それは肉親である父の体調が好調である事を喜んでいる息子としての笑みではなく、もっと別の嗜虐的な笑みだった。
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