第4話

翌日、緋色は昨日のことを思い出し憂鬱な気持ちになりながら、学校へと向かう。教室に入ると、いつものようにクラスメイトがそれぞれのグループになって、雑談をしていた。「昨日、のテレビ見た?」とか「俺今日、帰ったら父さんと一緒プロ野球身に行くんだとか」とか「学校終わったら、みんなであの子の家行かない?」とか、そんな日常的な会話を無邪気に楽しんでいた。

だがそんな楽しいクラスの空間に龍馬の姿はどこにも見当たらなかった。

教室の窓からはどんよりとした曇天が、はっきり動いていると目で見て分かるぐらいの速度で流れていた。

教室の壁にかけられた時計を見ると、時計の針は熱心に自分の仕事を全うしながら、秒針を等間隔で動かしている。8時20分。それが、時計が緋色に告げた現在の時間だ。

緋色は自分の席にたどり着くとランドセルを机の上に置き、椅子に座った。

HRまでもう時間はあまりないが、教室に龍馬の姿が見えないということは、まだ登校してないのだろうと思い、窓の外を眺める緋色に後ろから声をかけてきたのは周波だった。

「緋色お前、今朝龍馬のこと見たか?」

 声を掛けられた緋色は、一度窓から視線を外し、振り向く。そこに立っていたのは周波だった。龍馬のことが心配で昨日はあまりよく寝れてないのか、目の下にクマが見える。

周波のことが好きな女な女の子たちのグループも緋色たちの方、というより、周波を見て、「どうしたんだろ。あんまり元気ないね」と話し合っている。

「僕も今朝はまだ見てない」

「そうか、あいつにしては珍しいな。やっぱりあの後、あのクソ親父にこっぴどく叱られちまったのかもしれないな」

「そうだね。龍吾さんすごく厳しいし、昨日は特に怒ってたみたいだし」

 もしかしたら、一週間ほど外出禁止なんかを言い渡されて学校にすら行かせてもらえないのかもしれない。あの龍吾だ。そのくらいの罰は十分に考えられる。

ホームルームの始まりを知らせるチャイムが学校中に響き渡り、教室のドアのがらっという音と共に教室に担任の先生が険しい顔をして入ってきた。いつもなら、気だるそうに「ほーら、お前たち席に着きなさい」とかあくびをしながら入ってくるようなタイプの先生だが、こんな真剣な顔は見たことがなかった。そのことには他のクラスメイトも何かを察知したらしく、「先生どうしたんだろ」とひそひそと話し始めていた。

先生は教卓の後ろに立つと、とても言いにくそうに暗い表情で重たい口を開いた。

「え~、とても悲しい知らせですが、今朝葛葉さんのお宅から連絡が来て、葛葉龍馬君は急遽他の全寮制の小学校に転校することとなりました」

「え?」

 緋色は先生の言っていることが理解できず、そのまま頭の中が真っ白になった。

 そしてクラスの中は一斉にざわつき始めた。

それもそうだろう。昨日までそんな話一切聞いていない。急すぎる。納得できないほど突然のこと。クラスで発生した不安はウイルスのように人から人へと伝染し、自然と不穏な空気が包み込んだ。

 バンッ、という椅子が倒れる音を聞いた緋色はようやく我に返り、音のした方を見るとそこには今まで見たこともないほど動揺し茫然と立ち尽くす周波の姿があった。クラスの視線も周波の方へと一か所に集められる。

「どうした、神元」

 担任がそう声をかけると、周波は血相を変え、教室のドアを乱暴に開いて、教室を飛び出して行き、それを見た緋色も慌てて周波のことを追いかける。

「待って、周君。僕も」

 周波の行こうとしている目的地は、当然、龍馬の家しかない。でも、行って何をするんだ。緋色たちに何かできることはあるんだろうか?問題の元凶である緋色たちが行ったところで逆効果なんじゃないか?

 纏まらない思考に加え、頭の中をいくつかの嫌な考えが過る。

「こら、お前たち待ちなさい」

 二人は先生の制止を振り切り、足を止めることはなく上履きのまま校舎を飛び出した。

校庭に出ると風はさっきよりも勢いを増し、向かい風になり緋色たちの走るペースを落としにかかるが、二人はお構いなしに力走する。風も緋色たちを龍馬の下へは行かせまいと阻止しているように思える。

鬱陶しい風に対する怒りを力に変えながら、緋色はなんとか周波との距離を離されないように必死に食らいつく。

 校門を通り過ぎ、学校の敷地を抜け出し、自分の後を追ってくる緋色に気付いた周波は顔だけ振り返り横目で緋色のことを見ながら、緋色だけでも学校に戻るように勧めてきた。

「おい、緋色お前はついてくんな。あのクソ親父に文句言いに行くのは俺一人で十分だ」

「いやだ、友達が困ってる時に何もしないなんて」

「ふっ、足手纏いにはなんなよ」

 周波の声は、言葉に比べるとまんざらでもなさそうだった。

緋色は「うん」と頷き、二人は龍馬の家へと行く足を速めた。


 小学校を飛び出した二人は閑静な住宅街にある大きな庭と道場を囲う塀がある屋敷の門の前までたどり着き、門の奥から漂う不穏な気配が二人に立ち去るように告げていた。

 ただ友達の家の前に立っているだけのことが、まるでこれから魔王城に足を踏み入れなくてはならない村人の気分だと緋色は一瞬、のんきなことを考えてしまったが、今はそんなファンタジー感溢れる冗談を考えているわけにはいかない。

「いくぞぉ」

「うん」

 緋色たちは乱れる息を整えなおすこともせず、目前にある門の扉を叩いた。

 門を叩いてしばらくすると「はい」という声とともに門の端にある小さな扉から一人の中年のおばさんが出てきた。

 以前にもあったことがある葛葉家の家政婦の方で、確か名前は佐藤さんだったはずだ。この人は以前もあったことがあるが無機質な表情で愛想がなく、人間味を感じなかった。

「あの、龍君はどこにいるんですか?転校なんて嘘ですよね?」

「いえ、龍馬お坊ちゃまは今朝お荷物をおまとめになり、全寮制の学校へと先ほど車で向かわれました」

 家政婦は淡々と答えた。何の感情も出すこともなくあくまで事務的な受け答え。

「その全寮制の学校ってどこにあるんですか?」

「お答えできません」

「じゃあ、あのおっさんはどこだよ。どうせあいつが嫌がる龍馬を無理やり車に押し込んだんだろ!」

「いえ、お坊ちゃまは自分から望んで車にお乗りになり、出ていかれたのです」

家政婦は一切表情を変えることなく緋色たちの質問に平然と答えていく。あらかじめ決められたプログラムをこなすように。

「おい、ババァ。適当なこと抜かしてんじゃねぇぞ。あいつが、何も言わず俺らの前からいなくなるわけねぇだろーが」

 周波の失礼な物言いにも、全く動じない家政婦。一切表情が変わらない上、声のトーンも全く変化がない。

 不気味な谷現象というものを前に一度どこかで聞いたことがある。それは、緋色たちがよく知るロボットが人間に近づけば近づくほど、不気味に気持ち悪く見えてしまう現象のことだ。目の前のこの人を見ていると、それと似た感覚を覚える。不気味や気持ち悪いとまでは言わないまでも、恐怖の感情がわいてくる。ロボットが人間に近づくのではなく、人が感情を表情に出さずロボットに近づくと恐怖心が生まれるのだと、緋色は理解した。

 すると、門の奥から、一人分の足音が近づいて来る。カランカランという下駄の音だ。

緋色はその足音が誰のものかはすぐに予想できた。

「騒がしいな」

 門の向こうから聞こえた声の主の正体は、思ったと通り緋色たちがここに来た元凶を作った張本人、葛葉龍吾だった。

 龍吾の姿を見た周波の眼は更に鋭く尖った刃物のように彼を睨みつけた。

「これは旦那様、申し訳ありません。すぐにお帰りになっていただきます」

 門の扉から出てきた龍吾に道を作るため、一歩左にずれ頭を下げる家政婦。

「構わん。こやつらが用があるのは私のようだからな」

「てめぇ。龍馬に何しやがった」

「私はあれに神のキセキなどという忌々しいものに現を抜かさず、いい加減現実を見ろと伝えただけだ。それからはあれが自分で考え自分の意志で出て行ったのだ」

氷柱のように冷たく鋭く突き刺さる無慈悲な言葉。

緋色はそのとても親とは思えない言葉を聞き、本気で龍吾に怒りを覚えた。

「あんた、自分の子どもをあれ呼ばわりするなんて、それでも親の言う台詞かよ」

「あれは私の息子で、この道場のためだけに、私が妻にあれを生ませた。あれは私にとって葛葉流を後世に残すための手段であり、それ以上でもそれ以下でもない」

「なっ、なんてこというんだ」

あまりにひどすぎる。龍吾のいいように緋色が殴りかかろうとしたその時、緋色よりも先に一瞬早く動いたのは周波だった。

思いっきり殴りかかった周波の拳をさらりとかわす龍吾。その光景はあまりに緩やかな動きだったため、緋色にはその光景がスローモーションに見えるほどだった。

周波の拳を交わした龍吾は、かわされた勢いでバランスを崩した周波に対し、そのまま手刀で首を叩いた。マンガやアニメなどでは、手刀で首を叩くと言ったら軽くすとんと当てるだけで相手の意識を刈り取るものだが、現実はそんなに優しくなく、龍吾もそんなにあまくなかった。

龍吾の手刀はかなり力強いもので、すとんではなく、ドスという鈍い音を発した。その見事な手刀を入れられた周波は地面に叩きつけられ、意識を失ってしまった。

その光景を目にした緋色は恐怖心よりも先に、ある疑問が湧いた。

なんでだよ、周君。君の能力なら全方位に攻撃が可能な、昨日見せたあの音の衝撃波があったじゃないか。なのに、なんでそれをしなかったの。それさえすれば、龍吾さんに絶対に攻撃が当たっていたし、もし仮にカウンターを打たれても、さすがに常人が音より速く動けるなんてことはないはずなのに。

しかしこの瞬間、緋色は気づいてしまった。自分の犯してしまっていた。過ちに。それは、緋色がこの場で犯したことではなく、そもそも、緋色がこの場にいること自体が、過ちといえるものだった。

 僕の所為だ。僕が周君の近くにいた所為で、周君は衝撃波を出せなかったんだ。いくら周君がある程度は音を飛ばす範囲を絞れるからって、大の大人を倒すほどの爆音を打てば至近距離にいる僕にもその攻撃をくらってしまうから。

「足手纏いにはなんなよ」

周君に言われてたはずなのに、これじゃあ、本当にただの足手まといじゃないか。

「クソ」

緋色がこんなにも他人と自分に対して怒りを覚え、その怒りに身を任せ、人に殴りかかったのは生まれて初めてのことだった。

緋色は能力を発動させ、自分の身体全身に常人ならば気絶するほどの電気を流した。これなら、もし仮に拳がかわされて今の周波のように手刀でカウンターを入れられても、緋色の身体に触れた瞬間、電流が一気に龍吾へと流れていき、一矢報いることができる。

 予想通り、緋色の攻撃は呆気なくかわされた。しかし、本当の狙いはここからカウンターをわざともらうことにある。

 緋色はさらりとかわす龍吾を横目で追いつつ、いつカウンターが来てもいいように全身に力を入れて、待ち構える。

 いつでも来い。あなたにも僕たちの心の痛みの百分の一くらいは味わってもらう。

「電気か」

 緋色は龍吾に手刀を入れられることなく、能力で体が感電しているため体の自由もきかず、そのまま門に体を思いっきり激突させ倒れた。

 今の緋色が最大出力で出せる時間の10秒が経過し、龍吾は緋色のことをまるで野良犬でも見るような冷たい視線を向ける。

「君もあれに負けず劣らず、愚か者だな。いいかげん現実を見たまえ」

 言うと龍吾はアスファルトに横たわった緋色と周波を蔑んだ瞳を向け、また門の端にある小さな扉をくぐり、そしてその後を家政婦も後を追うように屋敷の中に消えていった。

 自分の能力で感電してしまっている緋色は、しばらく指一本も動かすこともできず、門の前で地に伏していることしかできなかった。

 残された緋色と周波に追い打ちをかけるように、灰色の雲から冷たい水滴が零れ落ちる。

 空には雨雲が覆い始め、徐々に雨粒が落ち始める。何も身動きが取れず意識だけがある緋色にはその雨粒がまるで地に付している緋色たちを嘲笑っているかのようにすら思えた。

 少しずつ、痺れがなくなり始めた緋色は、悔しさのあまり倒れたまま右手でアスファルトの地面に爪を立てながら、拳を握った。

 雨で濡れたアスファルトには、緋色の指先から出た血が滲んでいたが、それほど痛みなどは感じなかった。今の緋色には、そんな些細な痛みを感じるほどの余裕はなく、ただひたすらに自分自身の弱さを呪った。

「何やってんだよ、鹿島緋色。お前は友達一人救えないのか」

 自分の弱さが憎く、アスファルトの地面を殴りつけ八つ当たりをする。だが、こんなことをしても状況は何も変わらないことは緋色にもわかっている。わかっているが、そうやらずにはいられなかった。

 僕は、僕を救ってくれた友達に恩を返すことさえ叶わないのか。力のない人間には、そんなことすらも許されないのか。

「ねえ、神様。もし、あなたが作ったこの世界が間違っていると少しでも思っているのなら、たった一度の僕の願いを聞いてよ。友達がさ、苦しんでるんだ。きっと助けを求めて待ってるんだ。だから、その友達を助けるだけの力をたった一度でいいから僕にください」

 そう心の底から懇願したが、今この瞬間何かが変わるわけでもなく、雨は降り続いた。

 ほどなくして、ようやくまともに体に力が入るようになった緋色は這いつくばりながら、倒れている周波のところまで行った。

「周君、大丈夫?」

声を掛けながら、周波の身体を軽く揺らすと若干うなされながらもゆっくりと目を開け、自分の力だけで上半身を起こす周波。

「う、うぅ・・・。緋色か。あのクソ親父はどこ行った」

「屋敷の中に戻って行ったよ」

「そうか・・・」

 周波は寝返りをうち、雨を降らし続ける灰色の空を仰ぐと、自分の左腕で目の前を覆い緋色と同じように自分への辟易とした感情と悔しさを吐露した。

「クソ、勝てなかった。あんなおっさん一人相手に、手も足も出なかった。友達が、龍馬が、あいつらになんかひどい目に遭わされてるかもしれないのに。どうして俺はこんなところで倒れてんだよ。ふざけんな。ふざけんな。ふざけんなぁ!」

 周波はその悔しさを空に向かって吐き出したが、その声はすぐに雨音にかき消された。

その後しばらくお互いに無言のまま起き上がれるまで休み、立ち上がっても一言も話さないまま葛葉家の屋敷の前を後にした。

緋色たちは、学校へ戻る道には行かず互いの自宅がある道へと自然と足を運んだ。

今、学校に戻っても、まともに授業を受けれるとは到底思えはしないし、周波とは今日一日気まずい雰囲気になるだけだと思ったのだ。

途中までは同じ道を通るため、帰路がわかれるまで互いに口を閉ざしたまま、重々しい空気がしばらくの間続いた。

僕の所為で周君は全力で力を使うことができなかった。もし、僕が周君に学校に戻るように促された時に戻っていたら、こんな結果にはならなかったかもしれない。

そんな考えが頭の中にふつふつと湧いてきたが、過ぎてしまったことは変わらない。

しばらく雨の中を二人で歩いていると、互いの帰路がわかれる交差点に着いた。

そこで小さく口を開いたのは周波の方だ。

「緋色。今日で俺たちが今まで続きていたごっこ遊びはもうやめよう」

「何言ってるの。周君」

 緋色は周波の口から出たごっこ遊びという信じられない言葉に驚き、周波の肩を掴んだ。

「待ってよ、周君。確かに、僕たちより年上の神の子を目指す人たちからすれば、僕たちがしていったことはごっこ遊びみたいなものだったかもしれないけど、本気で神の子を目指そうとしてた君が・・・、ごっこ遊びとか言わないでよ」

 憧れだった周波が自分達のしてきた事を卑下するような現実を受け入れたくなく、気付くと緋色の頬には降り続いている雨に混ざり、熱い涙が流れていた。

「うるせぇな。お前に俺の何がわかんだよ」

 緋色に肩を掴まれた周波は強引にその手を振り払い、少し振り返って横目で緋色をにらみつけていた。その目は周波が龍吾に向けたものと全く同一のものだった。

「俺もいい加減お前らみたいな弱っちぃ奴らと特訓してても意味ねぇって思ってたんだよ。だからいい機会だと思ってな、俺はこれから先一人で本格的な特訓をする。お前とはもう金輪際つるむことはねぇ」

「じょ、冗談だよね?」

「ハハ、冗談。お前今俺が言ったことが冗談に聞こえたのか?どんだけ、お前の頭の中はお花畑なんだよ。いいか、俺とお前じゃそもそも才能が違うんだよ。だから、同じ修行してても意味ねぇんだよ。それがわかったら、さっさと失せろ」

 言いきられ、緋色は周波の顔から目を逸らし、歯を食いしばって無我夢中で走り出した。

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万年最下位のボクだけど 江間夜菖蒲 @kareeen

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