第4話 はじめてのしゅうしょくかつどう(4)
――どこからかパンっという大きな音が聞こえた。
その音が聞こえた直後、体が硬直し始めた。
一瞬、何が起きたかわからずに混乱する。
だが、すぐにこの感覚が何であるのか、一つの答えに思い至る。
原因がわかってしまうと驚きもなくなり、むしろこの不思議な感覚に懐かしさすら込み上げてきた。
――世界の全てが静止している。
壁にかけられている時計の針が16時10分で停止。奥の部屋へと向かっていたアスナさんは右足を前に踏み出そうしたところで固まってしまっている。
どうやら、アスナさんも外から聞こえた大きな音に気づいていたらしい。顔から上は音が聞こえた方を向いている。
もちろん、俺の体もアスナさんと同様にぴくりとも動かない。
だが、思考だけは、静止した世界から自由のままであり、いくらでも考えをめぐらせることができる。
まず、落ち着いて現状を把握しよう。
確実に言えるのは、世界が突然静止したこと。
ここから導き出される可能性を検討する。
俺の今までの経験上、この不思議現象が起きるときの可能性は3つ。
①俺が世界の静止を望んだ場合
②俺が誰かに意図して傷つけられようとしているが、俺自身がそのことに無自覚の場合
③俺以外に時間を止められる能力を持つ者がいる場合
今回、俺は世界の静止を望んでいなかった。
だから、①は確実に除外できる。
では、②はどうか。
②の条件を満たすには、2つの事象が必要だ。
1、俺が誰かに傷つけられようとしていること。
2、俺が傷つけられようとしていることに無自覚なこと
一つ目については、確証が得られない。
可能性は十分にあるが、全く動くことのできない今の状況では確かめようがない。体が動かせないだけでなく、眼球すらも動かせないので目視できる範囲すら限られていて、得られる情報は少ない。だから、現状を正確にとらえることなど不可能に近い。
だが、思い当たる節がないわけではない。世界が静止する直前に聞いた「パンッ」という大きな音。実際は、世界が停止してるので、今もずっと聞こえ続けているこの音……。どこかで聞いたことがあるような……?
そうか。この音はあの災厄で聞き慣れたあの音に非常に似ている。
――銃弾が発射された音。
もし仮に、あの音が銃声であるならば、アスナさんか俺のどちらかが狙われたと考えて間違いない。そして、さらに、俺が銃で撃たれたのだとすれば、まさしく「俺が誰かに傷つけられようとしている」という状況に当てはまることになる。
じゃあ、2つ目の事象、「俺が傷つけられようとしていることに無自覚なこと」はどうだろうか。
これは、確実に満たしている。
俺は、誰かから攻撃を受けるなんて全く考えもしていなかったのだから。
以上を踏まえると、②の条件、「俺が誰かに意図して傷つけられようとしているが、俺自身がそのことに無自覚の場合」が満たされていたとしても何ら不思議ではない。となると、これから俺が痛い思いをすることが確定事項となるので、正直なところ、この選択肢であって欲しくないんだけど……。
では③の可能性は?
否定はできないが、俺の周りで、世界が静止したのだから、①と②の選択肢よりもずっと可能性は低いと見るべきだろう。
なぜなら、同じような能力者が偶然同じ人材紹介所に同時刻に来るという確率は天文学的に低いはずだから。俺の災厄時の戦闘経験から言っても、時間を止める系の能力は、レアリティがかなり高めで遭遇率はかなり低かったと記憶している。
だが、誰かがそのような状況を狙ってつくったというなら別だ。
でも、その可能性を一度考えて、それも難しいことに気づく。
今日の朝まで俺はここに来るつもりもなかったし、誰も俺がここに来ることを知らないのだ。だから、誰かがそんな厄介な計画をあらかじめ企てておくなんて土台無理なのだ。それができるとしたら、俺にこの人材紹介所を教えてくれたロザリオのマスターぐらいだ。
実はマスターが俺を殺そうと目論んでいて、俺に対抗するために、似たような能力者の殺し屋を差し向けたという筋書きならいけるかもしれない。
まぁ、ちょっとは考えてみたけど、それもありえないな。
まず、マスターが俺を殺す理由に心当たりがない。それに、彼の実力ならいつだって俺のことを人知れずに殺すことができるのだ。こんな回りくどいことをする必要がない。
よって、ただの状況判断でしかないけれども、②の「俺が誰かに意図して傷つけられようとしているが、俺自身がそのことに無自覚の場合」が99%ぐらいの確率で正解だろう。
で、次に考えるべきは、なぜ俺が狙われているかだ。
まぁ、災厄の際、いろいろと荒らしいことに手を染めたし、一人や2人ぐらい誰かに強烈に恨まれていたとしても仕方がないだろう。それだけのことはやったわけだし……。
思い当たる節がありすぎて、わからん。それに、誰でもいいから殺したいという無差別殺人鬼みたいな人に狙われているという可能性も捨てきれないしな。
とにかく、この疑問については、これ以上考えることに意味はない。敵の正体と狙われた理由の特定は諦めよう。
で、最後に考えるべきは、自分が取るべき行動だ。
敵からの攻撃を避けられるかどうかを検討しよう。
銃弾を遮えぎることのできる物は周囲にたくさんある。
先ほど腰掛けていたソファに、受付のカウンター、植木鉢、就職関係の本がたくさん並んだ本棚……、エトセトラ。
それらのどれかに身を隠せば、相手の銃弾を躱せるだろうか。
しかし、すぐに残酷な現実に気づいて、こんなことを考えても無駄であると思い知る。
――銃声は聞こえてしまったのだ。
銃弾の速度は音速を超える。
つまり、銃声が届いたということは、もうすでに被弾していることを示している。
銃の発射音よりも、銃弾の方が速いのだから。
だから、例えば、某映画のように銃声がしてから、イナバウアーして弾を避けるなんて、物理法則をねじ曲げない限り不可能な話なのだ。
あっ、でも、銃が発射される際に銃口の光を見て、発射されたのを確認したのちに、超人的な身体能力を発揮すれば、避けることも不可能ではないのか……。さすがに銃弾の速度は光の速さよりは遅いし。でも、残念ながら、俺にはそんな芸当はできないから考えても仕方ないんだけど。
まぁ、結局、何が言いたいかというと、たいていの場合、パンと音が鳴ってしまったら、すでに手遅れなのだ。
まだ痛みを感じていないけど、もし俺が撃たれてたなら、痛みが脳に伝達されてないだけで、もうすでに体のどこかに当たってるのかな……。つらみしかない。
だから、時間を停止させている能力を解除した時点で俺の命運は決する。
アスナさんには申し訳ないが、狙われたのが俺ではなくアスナさんであるか銃を撃ってきた敵が素人で見事外してくれることを祈るしかない。
まぁ、仕方ない。「死んだら死んだでどうしようもない」と心を決めて、一か八か能力を解除する。
「
能力の解除と同時に、肩に鋭い痛みが広がる。
「いたっ」
思わず声に出して叫んでしまうほど、痛みがひどい。肩からはどくどくと血が流れ続けている。
このままでは、敵が近くに潜んでいるにもかかわらず、出血多量で気を失って行動不能に陥ってしまう。そんなことになったら確実に息の根を止められてしまうだろう。
まぁ、でも、自分で能力を解除できたということは、今回の時間停止はやはり俺の能力が②の条件を満たして自動的に発生したと考えて間違いない。それがわかっただけでも儲け物だ。これなら、たとえ銃弾は避けられなかったとしても、俺に実行できる次善の策はある。
「
小声で呟くと、銃弾が当たった肩からの出血が止まった。
だが、決して怪我が治ったわけではない。
肩の周囲の時を止めただけなのだから。
出血は止まっても、痛みは止まず、常時感じ続ける。
だけど、これぐらいならまだ動ける。
脳やら心臓やらに当たって即死亡とはならなかっただけ、ついているというものだ。
懸念事項は、この能力が無限時間、行使できるわけではないということ。なぜなら、能力を使うには
ふらりと立ち上がると、窓の方から、パリンとガラスが割れる音がした。
窓の方に目を向けると、ハンドガンを右手に持ったおじさんが、銃をこちらに向けたまま、
「ヘーイ、おにーさん。その怪我で動けるなんて、もしかして治癒師? あんた、マジハンパねぇ。負けそうで、ガン萎え。」
ラッパー風に空中で左手でディスクを動かしているような動作をしながら、テンポの良いリズムに乗って、話しかけてきた。
日に焼けたような焦げ茶色の顔にドレッドヘアー。腕には、リング状の金色のブレスレットをジャラジャラ音が鳴るほどつけ、首には、ドクロのモチーフのネックレス。ダメージジンズに、アメリカ風のワッペンのついて緑のジャンパー。いかにもラッパーっぽい。
でも、この若者風のファッションに反して、顔つきから40歳台ぐらいに見える。額に多くの横ジワが走っているのが、老けて見えてしまっている原因だろう。
「えーと、はじめまして、おじさん。僕はムメイと言います。あなたはどちら様ですか?」
「おじさんは、ひどくない? オレ泣いちゃうよ、CRYクライ! こう見えても
おっさんはテンションアゲアゲ。
対して、俺のテンションはサゲサゲ。
実際に時が静止してた時よりも、時間が止まっているかのように錯覚してしまうほど、寒い空気が漂っていた。
異世界人の就職事情(仮) 春夜戀 @haruyokoi
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