第3話 はじめてのしゅうしょくかつどう(3)
スーツに着替えたアンナさんが俺の方に向かってくる。
「お前が客か?」
「は、はい、そうです。うん?」
あれっ? アンナさん、急に口調がきつくなってない? しかも、俺のこと忘れてる?
「アンナさん、別の人を連れてくるって言ってましたけど、その方はどうしたんですか?」
「あぁん? 俺のことアンナだと勘違いしてるのか? 確かに見た目はそっくりだけど、俺はアンナじゃねぇよ。今度間違えたら、ぶっ殺すぞ。で、お前は、誰なんだよ?」
お客に殺すって言っちゃったよ、この人。アンナさんじゃないってことは、顔がすごく似ているから、姉妹とか双子ってことかな?
「私はムメイと言います。あなたこそ、誰なんですか?」
「へぇー、ムメイねー。漢字表記にするなら、『無名』ってところか? 中身のなさそうなお前にはぴったりの名前だな。あぁ、そうそう、俺の名前はアスナな。まぁ、よろしく」
初対面なのに、なんでここまで酷いことを言われなきゃいけないんだろう………。アンナさんといいアスナさんといい、この人材紹介所はヤバい人しかいないんじゃないだろうか。
「アスナさんが私の就職を斡旋してくれるんですか?」
「お前ごときが、『さん』づけしてんじゃねぇ。アスナ様と呼べ。」
「なんで『様』づけして呼ばなくちゃいけないんですか? 俺とアスナさんってほぼ同い年ですよね?」
アスナさんの顔は、若々しいし、どんなに高く見積もっても20歳いくかいかないかぐらいだろう。なんでそんな人に初対面の俺が、『様』づけして名前を呼ばなくてはいけないんだろうか………。
「お前、何歳だよ?」
「17歳です」
「俺は18だから、俺の方が1歳上だな。それに、お前と俺じゃあ人としての格が全然違ぇんだよ。だから、『さん』づけは許さねぇ。以降、アスナ様と呼ばねぇなら、その度にぶん殴る」
なんか言い返してやりたかったけど、不満そうな顔をしていたら、アスナさんがこちらを睨んできた。こ、怖すぎる。
まぁ、俺はフェミニストだし。ここは、レディの言う通りにしてあげよう。
断じて、アスナさんが怖いから従うというわけではないのだ。
「あ、アスナ様が私の就職先を斡旋してくださるんですか?」
アスナさんの顔が怖すぎて、つい、『様』づけするだけじゃなく、口調まで丁寧になってしまった………。
「おうよ。でも、俺はあくまでサポート役だかんな。最後はちゃんと自分で決めろよ」
「ど、努力します」
「まず、うちの会社のシステムを説明してやる。最初に、お前の適性をテストする。そのあと、お前の適性に合った仕事をいくつか紹介する。で、その中からお前に就職先を決めてもらう。以上だ。」
説明が雑すぎて、全然わからない………。まぁ、要は、適職診断みたいな検査をして、その結果に合った職業を紹介してくれるっていうことかな? それってどこの人材紹介所でもやってるような普通のことだと思うけど。
「ん、じゃあ、早速始めるぞ。さっさと仕事終わらせてぇし。お前というやつがどんなやつか見極めてやる。かかってこい!」
言い終えると彼女はすっと腰を落とし、両拳を頰の前まで持ち上げて、ファイティングポーズをとった。俺はわけがわからず、直立姿勢のままぼうっとしてしまった。
「そっちから、こねぇなら、こっちから行かせてもらうぞ」
言い終えるやいなや、アスナさんは走って間合いを詰め、自分のリーチに俺が入るとすぐに、まっすぐ俺の顔に向けて右拳を突き出してきた。俺は、かろうじて反応が間に合い、肘を曲げて両腕で自分の顔を覆うことで、拳をガードする。しかし、彼女はその勢いを緩めることなく、上半身をひねり、先ほどより勢いの良いパンチを左手で今度は俺の腹部に繰り出してきた。俺はそれを右足で拳を払う形でガードした。そのままアスナさんは間髪入れに攻撃を繰り返した。俺はひたすら両手両足を使って攻撃をガードして急所に当たるのを避ける。
「な、なにしてくるんですか?」
「なにって? タイマンに決まってんだろ。ケンカを通じて相手のことを知るっていう流れは、日本では王道だろ?」
まぁ。確かに、漫画とかアニメの世界では、そうかもしれないけど……。でも、それって普通、なんか理由があってケンカをした結果、相手のことが良くわかったっていう展開でしょ。「お前のことが知りたいから、ケンカしよう」とかいう頭のおかしい人はあなただけですよー。
「おい、お前。今、俺のこと『頭がおかしいやつだ』とか思わなかったか?」
「め、滅相もございません」
ついつい考えていた失礼なことを表情に出してしまった。それにしても、アスナさんって見かけによらず鋭いんだなー。
こんな風に軽口を叩き合いながらも、アスナさんは一向に拳や蹴りを繰り出すのをやめようとしない。なんとか今のところは、ほとんどの攻撃を腕や足でガードできているので、有効打にはなっていない。
それでも、頰にはたくさんのかすり傷ができて血が滲んでいるし、攻撃をガードしている腕なんかすでに
「おいおい、防戦ばっかじゃ、つまんねぇだろう。早く攻撃してこいよ」
女性に手をあげるのは、気が引ける。だけど、アスナさんの表情を見ると、とても話し合いだけで攻撃をやめてくるようには見えない。だって、アスナさんてば、戦闘が楽しくて楽しくて仕方がないっていう顔をしているんだもの。
「わかりましたよ。俺もそろそろ本気出します」
「ほう。やれるもんならやってみろ」
仕切り直すように互いに数歩ずつ下がって間合いを取った。
俺は、アスナさんが最初にそうしたように頰の前に拳をあげ、戦闘意欲を示してみせる。すると、アスナさんは、ニッと嬉しそうに口の端を上げて、同じポーズをとった。
それが、再開の合図となり、今度は俺の方からアスナさんに殴りかかる。
先ほどの防戦一方の見応えのないケンカとは打って変わって、拳と蹴りの応酬が始まった。
俺は、なんとかほとんどのアスナさんの攻撃をガードすることができている。それに対し、アスナさんは攻撃をガードしきれていない。俺の攻撃は5回に1回ぐらいアスナさんの顔面やみぞおちにヒットしている。
といっても、別段、俺の方が強いというわけではない。技量的にはほぼ互角だ。
だから、おそらく俺が優勢を保てているのは、腕のリーチの差によるものだろう。俺の方が身長が高く、腕の長さも長いので、アスナさんが届かない範囲から攻撃することが可能なのだ。俺は、距離を取るだけでアスナさんの攻撃を防げるのに対して、アスナさんはすでに俺のリーチに入っているにもかかわらず、攻撃を当てるためにリスクを犯して、より俺に近づかなくてはならない。
明らかにアスナさんに分の悪い勝負だ。
にもかかわらず、アスナさんはニヤニヤと嬉しそうな表情を浮かべている。ちょっと気持ち悪い。
「やっぱタイマンはいいなぁ。体に直接響く痛みがマジで気持ちよくてたまらないわー。お前もそう思うだろ?」
「いや、俺はそういう趣味はないんで。それに、男が女性を殴るのは、かなり気が引けるんですけど」
アスナさんは口調が攻撃的だから、Sなのかと思っていたけど、実はドMだったのか……。ますます、俺の趣味に合わない。早くお家に帰って、喫茶店ロザリオの看板娘、リサのケモミミに癒されたい!
しかし、戦局は次第に俺にとって悪い方に傾いてきた。ほとんど通っていなかったアスナさんの攻撃が20回に1回、10回に1回と段々と間隔を狭めて、あたり出してきている。対して、俺の攻撃は5回に1回は当たっていたのに、10回に1回、20回に1回と段々と当たる回数が減っている。でも、決して、アスナさんの動きが速くなったわけでも、俺の攻撃が鈍くなったというわけでもない。
俺はアスナさんに攻撃を通す確率を上げるため、単純な攻撃からフェイントを織り交ぜた攻撃へとシフトした。狙っているところとは別のところに視線を向けて、拳を突き出したり、わざと攻撃を一瞬止めてタイミングをずらしたりすることで相手の隙をつくる。
その作戦は成功した。アスナさんは俺のフェイントに翻弄され、俺の攻撃の通りがよくなった。
だが、それが続いたのもせいぜい3分間。
今はもうどんなフェイントを仕掛けてもアスナさんはピクリとも反応せず、有効だとなるパンチやキックを見分けられ、しっかりとガードされている。
――まるで、アスナさんに俺の狙いが全て予見されているかのようだ。
このままだと、アスナさんに押し切られる。この不利な状況を
正直なところ、アスナさんに怪我をさせるような攻撃はしたくないので、傷つけずに無力化できる方法をとりたい。そうなると、足払いでもして彼女の体勢を崩し、上から抑え込んでアスナさんを動けなくするというプランが妥当なのではないだろうか。
よし、このプランで行こう。決意を固めた俺は、足を払うタイミングを見計らう。
とその時、アスナさんが大きく下半身をひねり、強い蹴りを繰り出そうと仕掛けてきた。大きなモーションをとる時は、概して隙が生じやすい。やるなら今だ。
俺は、目線をアスナさんの顔に向けたまま、右拳を振りかぶって、右足を払おうと仕掛けた。
――だが、その目論見は外れた。
アスナさんは、まるで俺の狙いがわかっていたかのよに、悠々と足をかわし、逆に、足払いを仕返してきた。突然のことに俺は反応ができず、体が揺らぎ、地面へと倒れた。
アスナさんは、トドメとばかりに、倒れた俺の顔面めがけて拳を突き出してきた。
「あたるっ!」と思った瞬間、アスナさんの拳が止まった。
一瞬、何が起きたかわからなかったが、アスナさんが攻撃を当てる前に、俺の顔面にあたる数 cm手前で拳を寸止めしていた。
そして、アスナさんは突き出していた拳を引き、おもむろに立ち上がって、
「はい、終わり! お前のことはよーくわかった」
急な終了宣言にポカンとまぬけな顔を晒してしまった。そんな俺に構うことなく、アスナさんが切り出す。
「帰れ!」
「えっ………?」
急なアスナさんの叱責に唖然としてしまう。
「だから、帰れって言ってんだろ」
「いや、まだ、仕事を紹介してもらえてないんですけど………」
「お前にやる仕事なんてねぇよ。お前さぁ、別に働きたいとも思ってないし、できれば現状維持でぬくぬくしたいとか考えてるだろ? なら、そうしてればいい。ここはそういうやつが来るところじゃない」
「いや、でも、職を得ないと生きてけないですし………」
「でも、今はバイトで食いつないでいるから、別に生活に困ってるとかいうわけじゃないんだろ? 他の人が就職しているから俺も就職するのが道理みたいな、ステレオタイプな考え方やめちまえよ。それに、やりたいこととか目標とかなんにもない空っぽのやつが一丁前に仕事をもらおうなんて、百年早いんだよ」
「あなたに、何がわかるっていうんですか?」
「今となっては、なんでもわかんだよ。俺は相手の心を読む能力を持ってるからな。能力の発動条件が色々とめんどいから、そんなに便利じゃないが。」
どうやら、俺はここ數十分の殴り合いの間に、アスナさんに心を読み取られていたらしい。能力の発動条件とやらがなんだったかはわからないが、これがアスナさんが最初にいっていた適性テストだったのだろう。そのテストの結果、俺は職業を紹介してやるべき人間ですらないと判断されたというようだ。
その事実を頭の中で理解しながらも、プライドを傷つけられ続けることに耐えられなくなって、同情を誘うような言い訳を口にしてしまう。
「ネットで仕事を探したり、やる気を振り絞って、人材紹介所に足を運んだり。恥ずかしいけど、今の自分の精一杯がこれなんです。それに、昔は俺にだってやりたいことはあったし、好きでこんな状況に甘んじているわけじゃないんです。」
「なにがそんなにお前を卑屈にしているのか俺にはわかっている。まぁ、同情してやらねぇわけでもない。だがな、うちではそんなメンタルケアが必要なやつまで面倒みきれねぇんだよ。テメェの心の問題ぐらい自分でなんとかしろ」
「でも、仕方ないじゃないですか……。あの災厄で、大事なものをいっぱい失くして、たぶん自分にとって重要だったはずの記憶まで失くして……。もう、俺には何も残っていないんですよ。そんな状況で、何がやりたいとか、何になりたいとか、そんなこと考えられるわけがないでしょう」
「はぁ? 甘ったれたこと言ってんじゃねぇよ。災厄の被害にあったのは、お前だけじゃねぇ。そうやって災厄を自分の人生がうまくいかない理由にしているうちはなにも得られねぇよ。」
俺はもう何も言い返せなかった。
「とにかく、お前みたいな
そう啖呵を切った後、見下したような目で俺を
「なんで初めて会った人にそこまで言われなきゃいけないんだ」とか、「お前はそういうことを他人に言えるほど偉いやつなのか」とか、言ってやりたいことはたくさんある。
だけど、アスナさんの言葉が胸に刺さりすぎて、何も言葉に出せない。彼女の言う通り、ここは自分が来るべき場所ではなかったのだ。
俺は、うなだれながら出口へと向かった。
――その時、どこからかパンっという大きな音が聞こえた。
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