第2話 はじめてのしゅうしょくかつどう(2)

店長が名刺に書いてくれた人材紹介所の名前は、『ジョブゲットン』。実に安直なネーミングである。スマホで検索したらヒットして場所もすぐにわかった。喫茶店ロザリオからは徒歩で約20分。スマホの地図アプリを起動し、案内通りに道を歩いて行った。


うーん。このへんかな?アプリ上では、もう到着しているはずなんだけど……。


この辺は住宅地だから民家ばかりで、お店のように見えるのは、パチンコ屋さんのようなピカピカとしている派手な電飾の付いた建物1軒だけだ。そのピカピカのお店の前を女性が歩いているのがちょうど見えたので、彼女に道を尋ねようとお店に近づいた。すると、そのお店の方からアップテンポなBGMが聞こえてきた。


――ジョーブジョブジョブジョブゲットン。あなたもわたしもゲットン、ゲットン♪


いかにも頭の悪そうなテーマソングだ。とても人材紹介所とは思えない。この人材紹介所を開いているやつはきっと、頭がイカれているに違いない。このBGMとピカピカな装飾で客が入ると思っている時点で、バカすぎる。


まぁ、とにかく目的地に着いたようでなにより。でも、着いたばかりなのに、なぜかもうすでに帰りたい……。でも、何もしないで帰ったら、紹介してくれた店長に顔向けできないし。もう少し頑張るか……。


入り口の横にある、カードスキャナーに自分のIDカードをかざす。

「ムメイ様、いらっしゃいませ。」

という機械音声が流れ、扉が開いた。


このIDカードは国民の誰もが政府から一人に1枚支給されているものだ。治安の悪化による強盗などの犯罪の増加を受け、人が多く訪れる可能性のある施設や商店にはこのカードスキャナーの設置が義務付けられており、このIDカードをかざさないと入場できない仕組みになっている。


中に入ると意外なことに、室内は普通のオフィスような空間が広がっていた。外装とテーマソングには度肝を抜かれたが、実は割とちゃんとした会社なのかもしれない。受付窓口があり、そこに一人の女性がにこやかな表情を浮かべて座っている。首には青いスーフを巻き、白いブラウスの上にベージュのジャケットを羽織っている。いかにも受付嬢という格好だ。ゆるく毛先にウェーブのかかった茶髪をハーフアップでまとめあげ、上品かつ清楚な雰囲気を纏っている。受付の方に向かうと、彼女の方から声をかけてきた。


「いらっしゃいませ、お客様。アルバイトにしますか?派遣にしますか?それとも正・社・員?」


新婚さんが3つの選択肢を提示するような言い方で首をかしげながら可愛らしく言ってくれたが、内容が内容なだけに全く嬉しくない。


「………………………帰ります。」


外はアレでも、内装がまともだから、実は、普通の人材紹介所なんじゃないかとか思い始めていた自分がバカだった。もう帰ろう。きっとここにいたら自分は何かに毒されてしまう。


「お願いだから、帰らないでくださーい。久しぶりのお客さんなんですー。あなたが帰ったらお店潰れちゃいますー。」


「いやいや。一人が帰って潰れるようなお店だったらもうすでに終わってるでしょ。諦めて!」


「そんな冷たいこと言わないでくださーい。ぐすっ………。グス………。びえーん。」


なんか泣き出してしまった。しかも、俺のシャツの袖を握ったまま。


「だから、わたしはあんな電飾がいっぱいついてるお店なんてダメだって社長に言ったのにー。社長が絶対にこれだけは外せないって譲らないから、お客さん帰っちゃうよー」


「いや、まぁ確かに、お店の外装にはびっくりしたけど………。俺が帰ろうとしているのはそれが原因じゃないからね」


「じゃあ、どうしたら帰らないでいてくれるんですか?」


泣き続けながらもチラチラとこちらの顔を伺うのはやめてほしい。とーーーっても帰りづらい。


「そうだな。お願いを聞いてくれたら帰らないでいてあげようかな?」


「な、何がお望みですか?」


彼女が何を要求されるのかと緊張した面持ちでこちらを見つめてくる。なんか、もう泣き止んでるし、ちょっとぐらい虐めてもいいっか。


「じゃあ、犬のように四つん這いになって一周回ってワンと言ったら、考えてもいいよ」


「はい、わかりましたー!」


彼女は、元気に返事をすると、すぐに、四つん這いの体勢になり、円を描くように俺の周りを回って、「ワン!!」と鳴いた。その後も、スカートが地面についているのにもかまわず、四つん這いの姿勢をキープして、俺の方を見上げている。

こんなに、素直に従われると、やらせた方が面白くない。もっと、こう、恥じらう姿が見たかったのに………。


「これで、よろしいですか?」


「わかったよ。帰らないから。とりあえず、立とうか」


「ほ、本当ですか?」


手を差し出して彼女の手を握り、立ち上がらせた。彼女は嬉しそうな顔でこちらを見てくる。まぁ、また泣かれても面倒だし、とりあえず相談に乗ってもらおう。


「それでは、改めましてー。いらっしゃいませ、お客様。アルバイトにしますか? 派遣にしますか? それとも正・社・員?」


「あっ。そこからまた始めるんだ………。帰ろうかな………」


「いいじゃないですかー。ただカワイイだけだと、飽きられてしまうかと思って、決め台詞として毎回言っているんですー。私なりのこだわりなんですー。ダメですか?」


受付嬢がキャラ立ちを意識するなんて………。でも、なんか突っ込むと面倒だし、やめておこう。今はできる限り早く話を進めて、ちゃっちゃと職探しを終わらせて、この場から速やかに立ち去りたい。


「あぁー、何言っているかよくわかんないけどいいや………。俺がなりたいのは正社員だよ。」


「正社員ですかー。いいですねー。真っ当な人間な感じしますもんねー」


今、職を持っていない俺は暗にディスられているのだろうか。いや、これもキャラを立たせるための彼女の作戦の一つかもしれない。彼女は、天然毒舌系キャラを狙っている可能性がある。迂闊に挑発にのってはいけない。


「お客様、お名前を伺ってもよろしいですか?」


「ムメイ。苗字はないよ」


「ムメイ様ですねー。そういえば、私の名前をお伝えし忘れておりましたー。改めて、ご挨拶させていただきますー。私、アンナと申しますー。よろしくお願いいたしますー」


言い終わると彼女は綺麗なお辞儀を決めてから、こちらに向き直った。そのお辞儀があまりにも綺麗すぎて、俺もつられてなんとなく、いつもは絶対にしないような丁寧な深いお辞儀をしてしまった。


「こちらこそよろしく、アンナさん。ところで、あなた以外に人がいるように見えないけど、アンナさんが僕の就職相談にのってくれるの?」


先程から受付の後ろの方にある相談窓口の方に目を向けているが、誰かがいるどころか、通りがかる様子も全く見えない。


「あまりにお客様が来ないので他の従業員はみんな控え室に引きこもっちゃてるんですー。すぐに担当者を呼んできますので、あちらのソファーに座ってお待ち下さーい。」


彼女は奥の方にある部屋にスタスタと向かって行った。俺は彼女に勧められたとおりに3人がけくらいの大きなソファーに腰をかけ、近くに置いてある雑誌を読んで時間をつぶす。


しばらくすると男らしいパンツスーツに着替えたアンナさんが帰ってきた。

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