第2話

 

 勿論、振り込んでいないので、明細票など最初から無い。古川に会うための策略だった。古川とは何者なのか知りたかった。だから、容子は思い切ってチャイムを押した。


「はーい」


 意外にも女の声だった。ドアを開けたのは、容子と同年輩の二十半ばだった。


「古川さんのお宅ですか?」


「はい」


「……児島と言いますが、ここに来るように言われて」


「あ、兄から話は聞いています。画家さんでしょう?」


「え? ……ま」


 パステル画で一度受賞しただけだが、“画家”と言われて、容子は悪い気はしなかった。


「兄は急用で出掛けてますが、そろそろ帰りますので、どうぞ、中でお待ちください」


 画家と呼ばれて気を良くした容子は、相手が女ということもあって、躊躇ためらいは無かった。


 六畳ほどの部屋に上がると、開いた窓から入る風が、白いレースのカーテンを揺らしていた。


「あ、窓際に座ってください。涼しいので。アイスコーヒーと麦茶、どちらにします?」


「じゃ、アイスコーヒーで」


 ガラスのテーブルに載った白いレースのクロスが、涼やかさを演出していた。洋服タンスとファンシーケース、その横にはテレビと電話機が載ったサイドボードがあるだけの、シンプルでスッキリした部屋だった。


「ごめんなさいね、驚かせて」


 女が台所から振り向いて言った。


「えっ?」


「サプライズだったんです」


 女がコーヒーが入ったグラスを2つ、盆に載せてきた。


「……サプライズ?」


「え。どうぞ」


 容子の前にグラスを置いた。


「実は、兄はあなたのファンなんです」


「えっ?」


 予想外の展開に、容子は狐につままれた気分だった。


「あんな素敵な絵を描くあなたに会いたいと言ってました。でも、知らない人間に会ってくれるはずもなく。だから、せめて、あなたの声だけでも聞きたい。そう言ってました」


「……そうだったんですか」


 脅迫状は、私に会うための手段だったのか、と容子は思った。


「でも、こうやって来ていただいて、兄も喜びますわ。きっと」


 女が笑顔を向けた。それに応えるように、容子も微笑んだ。




 女から話を聞いているうちに、容子は眠気に襲われた。――


「――そろそろ、睡眠薬が効いてきたみたいね」


 女の声が聞こえていた。


「あんたが盗んだスケッチブックは、私の恋人、古川達弘のもの。古川が死んだのは、病院に運ばれた後。つまり、スケッチブックを盗んだ時点で救急車を呼んでいたら、古川は助かってた。あんたが殺したのよ。脅迫状も公衆電話から電話したのも私。あんたを陥れたかった。あんたが受賞したパステル画は、紛れもなく古川の作品よ! 泥棒っ!」


 薄れていく意識の中で、かすかに容子に聞こえていたのは、女の怒鳴り声だった。――


 数ヶ月が過ぎた頃、新人彫刻家、吉田晃菜の授賞式が行われていた。


「受賞の喜びをどなたに伝えたいですか?」


「……今は亡き、恋人だった古川達弘さんに捧げたいと思います」


 晃菜はそう言って、目頭を押さえた。




 受賞した、『眠る女』という実物大の裸婦像は、まるで生きているかのようにリアルで、今にも動き出しそうな迫力があった。


 一方、容子の行方は未だに分からなかった。




 完

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盗んだ代償 紫 李鳥 @shiritori

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