魔神
アール
魔神
とある深夜のこと。
その男はノスタルジックな気持ちに浸りながら、海岸にある砂浜をゆっくり歩いていた。
オフシーズンである海には、この男を除くと
誰もいない。
この海の近くに彼の生まれ育った実家はあり、
何かあればいつもこの海岸にやってきたのだ。
失恋や受験の失敗など、男の抱える数々の悲しみはこの波の音が全て忘れさせてくれる。
そんな不思議なパワーがこの海にはあるような気がする。
そんな時、ふと男は砂浜に落ちている妙な物に目にとめた。
それは、小さな小瓶のようなもの。
波の力によって浜辺に打ち上げられたのか、それとも誰かが落としたものなのかは分からなかったが、どこか不思議な雰囲気を感じる小瓶だった。
興味を持った男は栓を開ける。
すると中から異国的な印象を与える服装をした男があらわれ、ぎょっとしている男に向かって
声をかけた。
「もしもし。
呼び出したのはあなたではありませんか」
「……な、なんだこいつは。
そういえば幼い頃に噂を聞いたことがあるな。
この海には魔法の小瓶が漂っていると言われ、開けると中にいる魔神が出現するのだとか。
……もしや、あなたは魔神というわけで?」
「そういうわけです。
さぁ、願いを1つ言ってみなさい。
叶えて差し上げましょう」
「なんですって。
こいつはとんでもない幸運に巡り合えたものだ。
そうだなぁ、どうしようか……」
男はしばらく腕を組んで考えた。
まず頭に浮かび上がったのは金であったが、
すぐに消えた。
男は大企業を経営する、若社長であったからだ。
金など捨てるほどたくさん持っている。
次に男が考えたのは不老不死であった。
だが、すぐにその考えも片隅へと消える。
この世界を永遠に生きれるからといって、
いったいそれが何になるのだ。
妻や友人が先に死んでいくなか、自分だけがこの世に残り続ける。
そんなのとても切ないじゃないか。
男は自分に何も欲がないことに気がついた。
こんな幸せな生活を送っている自分に、願いを叶えてくれる権利なんてもったいない。
「あの。
この権利を他の方に譲る、
なんて事は出来るんですか?」
男の問いに、どうやら魔神は大きく驚いたようだ。
しばらく返答が返ってこなかった。
「こいつは驚いた。
今まで500年間この魔神を続けてきましたが、こんなことを言う人は初めてだ。
……もちろん可能ですよ。
貴方が権利を譲りたい者の名前を私に
伝えてくだされば、その方の元に私は出現します」
その魔神の言葉に、再び男は考え始めた。
一番に名前が浮かんだのは妻であった。
だがすぐにその考えは消えた。
妻は私の金で毎日毎日、エステに行ったり
ブランド品を買い込んだりと好き勝手やっている。
そのくせ、家事は全てメイドへ丸投げだ。
しかも最近、雇った探偵の調査で分かった事だが、どうやら行きつけのバーのマスターと妻は不倫をしているらしいのだ。
これはすなわち、私への裏切り行為。
こんな人間に願う権利は相応しくない。
もっと不幸な人間に譲ってやるべきだろう。
次に男の頭に浮かんだのはメイドの顔であった。
毎日毎日、妻に家事を命じられてさっさと働いてくれている。
そんな彼女になら、
この権利は相応しいのではないだろうか。
そう男は思ったのだが、すぐに気が変わった。
メイドにはそのかわり、臨時ボーナスを何度も
支払ってやっている。
メイドだって毎日の仕事が辛いだけならば、
すぐにやめているだろう。
やっぱり彼女にも、この権利は相応しくない。
「誰ならふさわしいのだろう……」
そんな事を男はポツリと呟いた時。
ふと何かを思いついたように顔を上げた。
そう言えばいたではないか。
500年間も壺の中に監禁されている、かわいそうな人物が。
「あの。
もし貴方に権利を譲るとするなら、貴方はどんな願いを叶えますか?」
「え? 私ですか?」
魔神はぎょっとした様子で自分のことを指差した。
男がこくりとうなづくと、腕を組んで少し考え始める。
「そうですね……。
私は魔神としてこの世に誕生してからの500年間。
ほとんどを壺の中で寂しく過ごしてきました。
だから、一緒に過ごしてくれるような、そんな優しい性格を持った恋人が欲しいですね……」
その魔神の言葉を聞いて、男は大きくうなづいた。
この魔神なら大丈夫そうだ。
男はにっこり笑いながら魔神に向かってこういった。
「では、この権利は貴方にお譲り致します。
素敵な恋人を呼び出してください」
「え。い、いいのですか?
権利を譲る相手が私で……?
もっと貴方にとって大切な人の方が……」
「いいんですよ。
充分に考えての結論です。
貴方はこの世界の中で一番ふさわしい人物だ」
それを聞いた魔神は感動のあまり涙を流し始めた。
「う、うぅ……。
こんな優しい人と出会ったのは初めてだ。
有難うございます、有難うございます……」
やがて、願いは叶えられた。
浜辺はしんと静まり返り、波の音だけが辺りに響き渡る。
浜辺に転がる線のされた小さな小瓶は、しばらく
海と浜辺の間を行ったり来たりしていた。
まるでここから出せ、出してくれ、とでも叫ぶかのように。
だがやがて、
いつのまにか海の中に引き込まれていった。
こうして二人を乗せた小さな船は、長き旅をはじめる。
魔神 アール @m0120
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