第2話 第2章
受付では経理の事務員たちが間断なく対応していた。その一人はいつも工場勤務の私たちに給与明細を渡してくれる地味子だった。トレードマークのように大きなメガネをかけている。
たしか佐藤という名前だが、社内では地味子で通っている。きっと口の悪い誰かがつけたのだろう。
その地味子が受付に来た者に丁寧に頭を下げ、顔を上げるたびにズリ落ちたメガネを指先でクイっと上げる。いつもの光景にパート仲間の何人かが笑いをかみ殺しているのがわかった。
―――地味子は、月に一度給与明細のたばを持って工場に訪れる。親しく話したことはないが、年のころは三十三歳の私と似たようなものだろう。
つけられたあだ名のように言葉は悪いが、取り立てて特徴のないどこかどんくささを感じさせる地味な女性だった。
口の悪いパート仲間などは、「彼女独身でしょ?あれじゃこの工場の男にすら相手にされないわね」と、どこか優越感をにじませながら揶揄していた。
確かに地味子が工場に入ってきたところで男どもは見向きもしない。よくて給与明細を渡されるときに軽く会釈をする程度だ。それならまだましな方で、ぞんざいに受け取るだけの男もたくさんいた。
しかし地味子はそんなことは意に介さないように毎月毎月「おつかれさまでした」と丁寧に頭を下げながら手渡していく。メガネのサイズが合っていないのか頭をあげるたびにメガネがずれ、そのたびに指先でクイッとあげる。
そして「お邪魔しました」と遠慮がちに背中をすぼめて工場を去っていく。
揶揄されているように色気はないが、誰にでも分け隔てなく親切で愛想よく笑顔を絶やさない地味子に安らぎを見出す男もいるのではないか――と、ぼんやり私は思ったことがある―――。
―――つつがなく葬儀が進み、読経が響く中、どうしても用を足したくなりそっと席をはずした。底のやわらかい靴を履いてきてよかった、ほとんど足音を立てずに済んだ。たしか受付の奥にトイレがあったはずだ。
受付には今は地味子が一人で立っていた。こちらには気付いていない。放心したように前方を見つめている。横から見るメガネを通さない地味子の表情は印象がいつもとまるで違った。遠くずっと先にあるものをしっかりと観測するような目。鋭い洞察力を宿しているように見えた。見慣れないせいか。そして―――。
地味子が私に気付き、あわてて笑顔で頭を下げた。いつもの地味子だ。私も頭を下げ返す。私の表情を隠すには、ちょうどよかったかもしれない――。
地味子が私に気付く前、ほんの一瞬、ほくそ笑んだように見えたのだ。見たこともない表情だった。とても地味子とは思えなかった―――。
私はその地味子をどこか怖いと思った―――。
地味子が逮捕されたのは葬儀の一ヶ月後だった。この一週間極秘で任意の事情聴取を受けていたという。
砒素混入による部長殺害容疑だ―――。
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