擬装の人
雨月
第1話 第1章
ある種の人間が巧妙に隠し持つ、仄暗い本性は、ちょっとした瞬間に現れる。
それを私は思い知る事になった―――。
―――知らせが舞い込んだのは大型連休の最中だった。
―――パート先の経理部長が死んだ。工場での軽作業が仕事の私は顔を知っている程度だが、葬儀に参列しないわけにはいかない。4,5人のパート仲間の主婦たちと連絡を取り合い、連れ立って参列することにした。
葬儀会場に向かう電車の中、喪服姿の一団は車両の隅を陣取り、どこから仕入れてきたのか囁き声での噂話にいそがしい。
部長はもともと心臓に持病があったところ自宅で心臓発作を起し、そのまま帰らぬ人になったという。まだ五十二歳という年齢から気の毒だとは思うが馴染みがないだけに悲しみは湧かない。それは主婦たちも同じなのだろう。話はすぐに経理課長に移った。
課長が噂のまとになるのもわかる。人畜無害の風情の部長とは違い、彫りの深い端正な顔、すらりした体躯、ごくまれに工場に姿を現したときなどパートや派遣の女たちがそろって盗み見るのも無理はない。しかし当の本人は、女たちのそんな視線などまるで存在しないかのように工場責任者に伝達事項だけを話すと工場を後にする。どこか人を寄せ付けないものがある。
部長が死んだとなれば、課長が代理となるのか、昇進するのか。たかがパートの私たちが知るよしもないが、噂話は続く。
「課長が死んだらショックよねえ」誰かが言った。
課長とて馴染みがあるわけではない。主婦はいつでもどこでも美男が好きなのだ。
葬儀会場にはすでに多くの弔問客が訪れていた―――。
ざっと会場を見渡すと喪服姿の課長がやはり一際目を引いた。しかしそれは課長だけによるものではなかった。課長の隣には、同性の私がハっとするほど美貌の人が佇んでいた。奥さんなのだろう。なるほど、あの課長にふさわしい美しい人だった。
喪服は女の色気を際立たせるという。しかしその人には喪服によって際立たせる必要などない匂い立つような色気があった。ただ男を引き寄せるような色気ではない。むしろ容易には男を近づけない冷やかな妖気のようなものにも思えた。
職場の噂話で何人かの主婦が課長に近づこうとしたと聞いたことがある。しかし課長と誰かが噂になったことはない。つまり誰も相手にされなかったのだ。それも無理はない。自宅に帰ればこんな美人がいるのだ。工場の男どもにチヤホヤされて喜んでいる女どもに誘いをかけられたところで、見向きもしないだろう。
しかし――似たもの夫婦という言葉があるが、これほど相似形の夫婦はそうはいないのではないか。いらぬ世話だが、ならび立つ二人には夫婦のあたたかみや親しみというものが全く感じられなかった。
まるで氷と氷を寄り添わせているようだ。互いをもっと冷やように――。
冷め切っているのかもしれないな――そんなことを思った。
課長夫妻を見つめ突っ立っている私にパート仲間たちが受付に行こうとうながした―――。
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