第11話 風がなびく


 俺が帰宅する際に、立ち寄ることが多いコンビニだが、それを過ぎたあたりに、薬局という二文字が書かれた看板が目に入ってくる。


 外観は白を基調とし、それを黄緑色が補っている。この組み合わせだと、クリーンなイメージが浮かぶ。


 イメージって、やっぱり大事だよなー。


 という、どうでもいい蛇足に入りそうなのは、俺の悪癖である。


 コムギはあの時と同じように、薄く透明である。だが、周囲の人間には透明に見えていて、視認できないらしい。何とも器用なことをやってのけるのか、この猫は。


 本来は、あるじとして誇らしい気持ちになるのがベストなのだが、それを成し遂げるにあたって、コムギが神様であるという事実を忘れてはならない。


 ヒューーー


 冷たい風が、肌に直撃する。


「寒い」


 とっとと薬局に入ろう。


 俺は本能の赴くままに、薬局に入り目的の物を見つけ、それをレジに置く。


 店員さんがせっせと仕事をこなす。


「ありがとうございましたー」


 俺は薬局をコムギと二人で出た。





「あのー」


 自宅に帰っている途中、不思議な格好をした三十代半ばのおじさんに話しかけられた。普段の俺なら、基本無視することにしているのだが、今日は特にそんなところに構っていられるほど、俺は元気ではない。


 三十代半ばのおじさんの恰好が、なぜ不思議に感じたのかは、彼が粋なファッションをしているというわけではない。


 おじさんの服装は、時代が違っていた。言葉にするのは少し難しいのだが、おじさんの服のデザインが、大人びていたというわけではない。


 服に、時代の風化が感じられるのだ。


 これを良い意味で言えば、レトロな雰囲気といえるが、悪い意味では古臭いとも取れる格好といえる。


「道を教えていただきたのですが、構いませんか?」


 断ってしまうのがベストなのだが、穏やかな三十代だったので、断るのもいささか申し訳なかった。こたえられる範囲なら、全然大丈夫。


「構いませんよ」


「そうですかあ」


 彼の少し強張った表情が緩んだ。


「では、ここの場所を教えていただけませんか?」


 彼が取り出したのは、年季が入った地図。今どき、スマートフォンを使わずに、地図を見る人がいるんだな。


 彼は開いた地図の、真ん中あたりを指さした。おそらく、俺たちが現在住んでいる場所もそのあたりだろう。紙の地図は読みなれていない。


「この街で合ってますよね?」


 たぶん、あっていると思う。


「合ってると思いますよ」


「そうなんですね。なら、ここは今もありますか?」


 彼が指をさしたのは、何かの建物ではなく、小さなマークで描かれていたものだった。俺たちが住んでいる街から、多少離れた位置に、そのマークがある。


「病院?」


「ええ、病院です」


 それは、間違いなく病院のあのマークだった。おじさんも頷いているので、本当に正しいのだろう。


 正しいのだが―――


 俺はこの病院の名前を、一度も耳にしたことがないし、見たこともなかった。


 だんだんと首が横に傾げる。


「うーん?」


「どうかしたんですか?」


 おじさんは心配そうにこちらを見つめる。俺は自分の認識に、漏れがあるか考える。


「なんていう名前の病院ですか?」


「それが知らなくて、、、私もこの街自体のこともあまり詳しくないので、さっぱりわかりません」


 やっぱりおじさんに聞いてもわからないか。


 にしても、街外れの小さな病院か?もしかすると、これは地図の記載ミスなのかもしれない。それかもしくは、この地図が三十年以上前の代物であるという事もありうる。そうなると、地図に描かれている道や建物やら全てが昔のモノであるという事になってしまう。


 俺には何が正しいのか、何が間違っているのか、全く分からない。


 堂々巡りだな。


 ヒューーー


「うぶ、寒っ」


 早く家に帰りてえ。というか、俺風邪ひいてんのに、よく道案内する余裕あるな。


 コムギは俺の肩の上で半透明になっているが、寒気にはびくともしない。その暖かみくれよ、俺にも。一応病人なんだから。


「病院なら、ここじゃなくてもありますよ」


 病院ならここじゃなくても、いくらでもある。俺は疑問に思いながら、ほかの病院の方向を指で示す。


 それでも、おじさんは横に首を振る。


「この病院じゃないとダメなんですよ」


 柔らかな雰囲気のまま、俺に念を押した。


 そこまでして、離れの病院にこだわる理由は何だ?通っている病院ではないのだし。俺は理由を聞きだす。


「どうしてここじゃないといけないんですか?」


「それは―――」


 おじさんの顔は一変し、暗くなった。この心優しいおじさんには、似つかわしくない、物寂しい表情をしている。


「———」


 おじさんは沈黙を続けている。


 他人には言えないほどの事情があるのかもしれない。俺はそこまでして、おじさんのプライベートな部分にまで首を突っ込むつもりはなかった。


「やっぱり、大丈夫です」


 おじさんの思い悩んだ瞳がこちらに向けられる。俺は胸の奥にほんの少しの罪悪感を覚えた。直接悪いことはしていない。だが、相手にしてはいけないことをしたような感覚になった。


「すいません、なんか」


「———いえ、あなたが悪いわけではありません」


 おじさんは遠慮がちに、深々とお辞儀をした。


 この人は、礼儀正しい人だ。三十代のおじさんと話し、俺が得た感想である。


「では、失礼」


 おじさんは俺の脇を通り過ぎ、今しがた薬局へ行った方向と同じ方向に歩いて行った。その歩き方は、『穏やかな老紳士』という言葉が似合いそうだった。上品であり、風格が備わった30代。俺の歳は23歳。あと10年経てば、俺はあのような大人になれるのだろうか。いや、なることはできないだろう。そして、近づけることもできないだろう。


 一体、10年後の俺はどんな大人になるのだろうか。


 これからの自分らしい生き方を見つめていると、肩の上から声がかかった。


「歩」


「うん?」


 補足情報だが、コムギが俺を呼ぶのは、かなり珍しいほうであるのだ。となると、それが日常生活で起こることがまずまずないということで。


 だとすれば、つまり。


「あの男の後を追うんだ」


「えええーーーー」


 新たな非日常体験が、俺の目の前に迫っているという意味にほかならなかった。


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ねこのみぞ、知る 田村サヤ @tamura-saya

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