祈り叶うか ──冬の終わり

燈夜(燈耶)

立春

 俺が病室に行くと、先輩は赤本やら参考書やらをほっぽり出して、差し入れ物らしき、みたらし団子を口に咥えつつ、テレビゲームをやっていた。

 ゲームはやり出したらハマる、連鎖パズルゲームだ。

 先輩の手の指が神業のように素早く動いていた。

 いつも色々と鈍い先輩も、あんな素早い動きが出来たんだなと、変な感心をしてみる。


 病室の壁には、高校の制服が架けてある。


「先輩! 何をやってるんですか! そんなことやってる場合じゃないでしょう!」


 俺は先輩にお守り袋を突き出す。

 先輩は長い黒髪を振り乱してそれに飛びついたが、直ぐに興味を失ったようだ。


「なにこれ?」

「先輩も受験生でしょう! 俺、先輩の分も行ってきました。これ、お守りです。太宰府天満宮の」


 先輩がいつもの、なにか考え込むような表情をする。

 そして、いつものように、直ぐに笑顔に変わった。


「わたしはほら、外に出ないから」

「関係ありません」


 だが俺は騙されない。

 ピシャリと切って。はっきり言った。


「俺に教えられてどうするんですか! この問題ですよ、間違ってます!」

「え? 嘘!?」


 先輩は机の上の問題集とノートを漁る。

 俺が手取り足取り教えて──。


「本当です。ここは、これがこうして、ここがこうなって──ほら!」

「ヤダ、数学難しい」


 ──*──


 そして、時間は過ぎていき、やがて夕飯の時間になる。

 静かに日は暮れて行く。


「それじゃ、良いですね先輩、きちんと勉強しないとだめですからね!」

「わかったよ、うるさいな君は」


 先輩が小さな子供のように口を尖らす。


「約束ですよ?」

「うん、約束。指切りげんまん嘘吐いたら針千本のーます」


 こんな時だけ元気に答える先輩。

 本当にこの人、大丈夫なんだろうか。

 でも、合格してくれないと困る。いや、俺が悲しむ。


 だが、今日も別れの時間が来ていた。


「じゃあ、今日は俺、これで失礼します」


 俺が言うと、


「え? 君、もう帰るの?」


 と、途端になぜか慌てだす人一人。


「帰りますよ。面会時間とっくに過ぎてるじゃないですか。ご飯もう来てるし」

「そっか……」


 本当に残念そうな顔で言うんだものな、先輩ったら。

 だから、毎日のように通うのを止められないんだ。


「じゃあホント、約束ですからね! 勉強してくださいよ!」

「はーい」


 元気な一声だった。よし、帰ろう。


「それじゃ」

「はいはい。帰り道気を付けてね」


 俺は噴き出しそうになる。

 あんたは母さんか!


「小さい子供じゃないんですから大丈夫です!」

「はいはい。大丈夫じゃない子ほどそう言うのよね」


 いかんいかん、またまた先輩の話術に引き込まれるところだった。


「そうしてまたまた話を引き延ばす」

「えへへ」


 先輩が照れ笑い。

 目が細まった、その仕草がいちいち愛らしい。


「えへへじゃないです! それじゃ、先輩!」


 俺はすっと扉を開け、ぴしゃりと閉める。

 そして、扉を背にして深呼吸。


「全く。先輩は危機感ないよな」


 と、俺は照明の輝く明るい廊下を歩き出す。


 先輩は俺より一つ上のダブりだ。

 学年は俺と同じく三年生。

 俺は推薦で早々と進学を決めた。

 だから、先輩には頑張ってもらって、春から同じ大学に通って欲しいと思っている。

 だから、猛勉強。

 猛勉強、させているつもりなのにな……これが中々、本人にイマイチやる気がない。

 いや、イマイチか?

 違うだろう。

 やる気というものはほとんど見られない。

 どうしてだろう。

 やる気スイッチ……先輩のやる気スイッチは一体どこに?


 ──*──


 と。

 先輩の病室を出て暫く。

 程無くして俺は先輩の弟に掴った。

 名前は確か、康治やすはる君。


「お前、今日も姉ちゃんの見舞い来てたよな」

「悪いかよ」


 問い詰めるかのような、上目遣い。


「もう姉ちゃんの病室来るな」

「なんだよ、どうしてだよ」


 俺は押した。


「姉ちゃんの病気、悪いんだ」

「あの元気さで? 俺はもうすぐ退院とばかり」


 悪いわけがない。

 だって、今先ほどもものすごい生命力に溢れて……。


「カラ元気だよ! お前の前だけだ、元気な顔しているの!」

「そんな」


 そんなはずはない。


「先輩、なんの病気だよ」

「……肝臓癌。もう、いろんなところに癌が転移しまくってる」


 末期癌!


「嘘だろ!?」

「嘘なもんか!」


 弟君が必死に訴える。


「だったらなおのこと会わせろよ!」

「駄目だ! お前が来たら、姉ちゃんきっと無理をする。俺は姉ちゃんに一日でも長く生きて欲しいんだ!」


 無理をした先輩なんて見たくない。

 無理をして死ぬなんて。

 いや、無理しなくても……。

 ならば、最期ばかりは自分の好きなことを……。

 いや、最期だからこそやり遂げたんだ、と言う気概を持って!

 くそ、もう俺の頭の中ぐちゃぐちゃで何を言いたいのかわからなくなってきた。


「そんな、先輩の事、嘘だろ!?」

「お前、姉ちゃんのこと好きなんだろ? だったら余計に来るな! 姉ちゃんは弱った姿を見て欲しくないんだ!」

「元気じゃないか!」


 そう。

 今は、元気なんだ。


「お前、もう来るな!」

「いやだ。また来る。でも、毎日は来ない。ただ、先輩には勉強するように伝えとけよ?」


 俺は弟君を突き離し、家路につく。俺の家は夕日の見える方向だ。

 背後で大きな声がする。

 弟君の声だ。


「来るな!」


 おーおー、凄く大きな声。

 だから、俺も言ってやった。


「ヤダね!」


 と。


 ──*──


「先輩、俺の話聞いてます?」

「うるさいなあ、もう少しこのままで──よし、できた」


 先輩が最後の回答欄に回答を書き込む。


「採点です! お、おおおおお? これは……これは……?」

「これは? どうだ君。わたしは教えがいのある生徒だったでしょう」


 俺は採点を終えた。


「先輩、合格点ギリギリです。どうなるかわからないラインです。先輩、もっと頑張ってください」

「……たはー! もっと頑張るの!」

「そうです」


「難しいことを言うね、君も」

「先輩、今日はもう休みましょう。もう、あとは祈るだけです。明後日、二次試験を受けに行くだけなんですから」

「そう。センター試験は君のおかげもあって、満足のいく出来栄えでした。ありがとう」

「いえ、明後日の二次試験こそ頑張ってください!」

「もちろん。もう寝ることにするから。なんだか疲れた。そうだ、君、わたしが眠るまで、わたしの手を握っておいてくれないかな? ……ダメ?」

「え? 俺が先輩の手を握るんですか?」

「そのとおり。さもないと、大学ではなく、ずっと遠いところに旅立ってしまうような気がする──」


 俺は急いで先輩の手を取り握る。

 俺の声がかすれる。


「そ、そんな事言わないでください先輩」

「聞いたのでしょう? 康治から。大きな声が私の耳にも届いていたよ?」

「聞いていたんですか──」


 俺が息を吐き出す。


「そうか、知ってしまったのね、君」


 あ。

 誘導尋問。

 先輩はカマを掛けたのだ。かけられたのは、俺。


「どこまで知ってるの?」

「……末期、と言うことです」

「あの子はもう! 口から出まかせを……」

「え?」


 俺が先輩の手を握る手の力が強くなる。


「嘘なんですか!? 末期癌と言うのは!?」

「嘘に決まっているでしょう。こんな元気な患者がいるものですか!」

「なんだ、良かった……」


 俺の力が緩む。

 先輩の頬も緩む。

 優しい時間が流れた。


「だから心配しないで。春になったら、一緒の大学かもしれないでしょ? その時は、『先輩』などと呼ばないで欲しいの」

「え?」

「名前で呼んで欲しいな。呼び捨てで。良い? 君」

「わかりました」

「敬語も改めて欲しいんだけど」

「そうですね。そうします」

「そうしてくれると助かります……」


 ──ん? 先輩?

 静かな寝息が聞こえて来た。

 まさか、を想っていたので安心する。

 俺はゆっくりと指を外すと、灯りの付いた病室から外に出て行ったのである。


 ──*──


 合格発表の日。

 先輩は外出許可を貰っていた。

 やはり、病気は快方に向かっているらしく。簡単に外出許可は下りたらしい。


「先輩」

「なになに?」

「合格、してますよね?」

「しているに決まっているわ。君が指導したんでしょ?」

「先輩、番号は276で合っていますか?」

「そう。276番!」


 俺は先輩の手を引いて、ぐいぐい前へ出ていく。


「272、273、……276! 276ありますよ、ありましたよ先輩!」

「そうか、あったのね! やり遂げたのね、わたしは!」


 先輩が泣いていた。

 俺は驚く。

 先輩でも泣くようなことがあるのかと。

 いや、本当に感動しているから泣いているのだろう。


 ──ならば。


 俺は先輩をさらに励ます。


「いいえ、これからです。これから二人で、大学生活を楽しみましょう!」

「そうよね、その通り──」


 先輩の長髪が揺れる。

 急に腕が重みを感じた。引っ張られたのである。

 俺は先輩と共に、群衆の中に倒れ込む。

 悲鳴が上がる。俺の手から先輩の手が外れる。


「先輩、先輩! しっかりしてください、先輩!」


 俺がいくら呼んでも先輩はぐったりと倒れ込んだまま、目を覚まさない。


「先輩、これからじゃないですか! なに遊んでいるんです!」


 俺は叫ぶ。

 しかし。

 救急車のサイレンがやがて聞こえて来た──。


 ──*──


 春になった。

 あれから、色々なことがあった。

 だけど、心残りはただ一つ。


「先輩、いや、〇〇。あんたは初日から休みだな。あんたには悪いが、好きに学ばせてもらう。俺は、あんたとの学生生活、楽しみにしてたんだぜ?」


 校門で一人、皆とは違う意味で泣く。


「人を勝手に殺さないで」


 ──え?

 え──?


「空耳か……〇〇、俺は頑張るからな。あんたもそっちで頑張れよぉ!」


 俺は叫ぶ。

 春の空に。

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