愛奈さんの過去


 ※少しですが前話の内容を変更しました。

  違和感を感じる方は読み直して頂けると幸いです。


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「‥‥‥愛奈はああ見えて、心の中で深い傷を負い続けている」

「‥‥‥」


 愛奈さんとあの子が姉妹‥‥‥?

 そんな、事が‥‥‥。


「―――私と愛奈の出会いは中学生の頃だった。当時の愛奈は内気な子でね、今では信じられない程大人しくて可愛げのない子だったよ」


 会長はどこか誇らしげにそう語る。


「クラスでも異様に目立っていた愛奈に私はずっと気に掛けていたのだが、愛奈はそういう時だけ強情でね。私に全くと言っていい程聞く耳を持たなかった」

「本当に……?」

「あぁ、今日の愛奈を見たら信じられない気持ちわかるが、私は嘘は吐かないよ」


 会長が嘘を言っているとは思わないけど、どうしても会長の語る愛奈さんと僕の知る彼女とのギャップが凄すぎて上手く呑み込めない。

 天真爛漫という言葉がそのまま似合う愛奈さんなだけに、未だ信じ切れないのも事実だ。


「そんなある日の事だった。私がいつも通りクラスへ着くと、毎日誰よりも早く登校しているはずの愛奈が居なかった。私は基本朝7時に毎日登校していたのだが、愛奈と同じクラスになって以降、一度たりとも愛奈が私より遅く登校したことは無かった」


 中学校は基本8時まで登校が普通だと思うけど、それにしても会長は早すぎる気がする。

 だけどそれを上回る程早くに登校していた愛奈さんって‥‥‥。


「私は焦った。何か事故に巻き込まれたのではないか、拉致されたのではないかと‥‥‥。教室でハラハラしながら待っていた私だったが、私の予想を裏切り愛奈は登校時間ギリギリにクラスへ到着した」

「愛奈さん、大丈夫だったの?」


 人間なんだから寝坊ぐらいすると思うけど、確かに毎日同じ時刻に登校していたのなら話は違ってくるかもしれない。

 しかし会長は僕の問いに顔を曇らせ、握りこぶしにギュッと力を込めた。

 

「大丈夫、だったら、どれほど良かったものか‥‥‥」

「え‥‥‥」

「私は愛奈にすぐ駈け寄った。どうして遅れたのかと執拗に聞いていたのだが、愛奈の様子がどうにも変なことに気が付いた。体は軸を失ったかのようにフラフラと揺れ、虚ろな瞳は焦点が合っていないように見えた。所々に埃汚れの様なものが付いていて、毎日同じだった愛奈の服も乱暴でもされたかのように千切れていた。‥‥‥私は有無を言わせず愛奈の手を引っ張り、保健室へと駆け込んだよ。愛奈は驚いてたようだが、私にはどうしても止まることが出来なかった」



 ◆


「離してよ!」


 保健室へと駆け込んだ私は、愛奈に掴んでいた手を振り落とされた。


「‥‥‥いきなり何?」

「何があった」

「は?」

「君は一度たりとも私より遅く登校した事は無かった。何故今日は遅れたんだ」

「っ‥‥‥」

 

 愛奈は鋭く睨みつけてくるが、生憎私はそういう視線に慣れている。

 その程度の眼力で私を怯ませる事は到底無理だ。

 

「‥‥‥あんたには、関係ないでしょ――――」

「いや、ある」

「は、はぁ?」

「私には生徒会長として学校の生徒を守る責務がある」


 生徒会長には本来そのような責務は無い。

 姫木凛のその熱心的な責任感は異常であった。

 誰よりも前に立ち、そして導くことが彼女こその生きがいであり、責務であった。

 そこに迷いなど一切ない。

 あるのは自信と―――虚無。

 たったそれだけであった。


「なに言ってんのあんた。学校で粋がってるだけのあんたが私を守る?」

「あぁ、守るさ」


 やはりその瞳に一切の迷いは無かった。


「‥‥‥ふ‥‥るな」

「なんだい」

「―――ふざけるな!!!」


 突然声を荒げた少女。

 血走った眼はキッと目の前の天才を睨み付ける。


「いつも!いつもあんたはそうだ!そうやって何もない様な顔して!自信満々な顔して!人を馬鹿にして!あんたは天才だからっ、分かんない!なんでも出来るあんたは分かんない!私の気持ちも!なんにも分かってない!分からない癖にっ、何にも知らない癖に!あんたなんか嫌い!大嫌いっ!嫌い嫌い嫌い嫌い!」


 気付けば少女は泣いていた。

 大粒の涙を流しながら、まるで何かに怯えているかのように少女は自らの体を掻き抱く。


「なんにも知らない‥‥‥くせに‥‥‥」

「‥‥‥」


 ポタポタと床にたまっていく水溜まりを一瞥した姫木凛は、一言も発さずに少女へとじりじりと近づいてく。

 動揺のかけらもないその所作は、彼女の冷酷さを表しているのか。

 

 ―――否。


「――落ち着きなさい」

「ぇ‥‥‥」


 それは、ふわっとした感触だった。

 全身を包む暖かい何かに、少女は息を呑む。

 涙で歪んだ瞳で見上げると、そこには嫌いと罵った相手が微笑みながら自らを抱きしめていた。 


「誰にだって、辛いときはあるさ」


 まるで天使の様な声で、彼女は言った。

 

「辛いときは我慢しなくていいんだ」

「っ‥‥‥」

「大丈夫、大丈夫」


 ゆっくりと頭を撫でながら、まるで赤子をあやすかのように―――。

 暖かい声と暖かい感触に少女の体から自然と力が抜けてゆく。

 ふわふと宙に浮いている、そんな気さえした。

 

―――あぁ、暖かい‥‥‥。


 母の様な安心感に包まれた少女は、途端こみ上げた何かに耐え切れなくなった。


「おがあぁさんっ!おかあぁさん!」


 何かに取り憑かれたかのように、少女は繰り返す。

 

「たすけて‥‥‥っ」


 抱きしめる力にギュッと力を込めながら少女はすすり泣いた。

 必死に袖を握り締めるその姿はまるで、置いて行かれないように、見捨てられないように足掻く一人の子供のよう。

 

 そして強く少女を抱きしめる凛の返事は決まっていた。 


「―――あぁ、助けるさ」


 やはり彼女に、一切の迷いも無かった。



 ◆



「―――その日愛奈が登校に遅れた理由は、親による虐待だった」

「‥‥‥」


 出来れば考えたくない答えだったけど、会長の話を聞いている内に、大体だけど‥‥‥分かってしまっていた。


「親、と言えば少し語弊があるね。愛奈に虐待したのは正確には父親。酒やたばこ、ギャンブルに狂った男だった。そして愛奈の母親は‥‥‥既に他界していたよ」 

「っ!」

「愛奈が小学生の頃、そして梓君が1歳の頃、不幸な事故で亡くなれたそうだ」

「え‥‥」


 そんな、そんなことって‥‥‥。


「‥‥‥そしてその日を境に、愛奈の父親は豹変してしまった。寂しさを紛らわす為に酒に手を出し始め、ギャンブルに狂い多額の借金を背負った。遂には最愛の子供である愛奈にさえも、カッとなると手を出していた」

「なんて事を‥‥」


 奥さんが無くなった痛みは僕には分からない。

 僕みたいな子供が語っていい話ではない気がするから。

 ただ分かるのは、可哀そうだとか、残念だとか、そんな安っぽい言葉では言い表せないという事。

 でも‥‥でも、いくら悲しくても、それは子供に当たっていい理由にはならない。

 どれだけ絶望の淵に立たされようが、親は子供を守らなければならない。

 少なくとも僕は‥‥‥そう思う。


「ずっと疑問に思っていた。なぜ愛奈は毎日朝早く学校へ登校していたのかを。ただそれはもっと単純で‥‥‥もっと残酷だった」


 会長は酷く悲しそうな顔をした。


「愛奈は逃げていたんだよ、父親から。朝早く、父親がまだ寝静まっている内に家を出て」

「っ‥‥」

「‥‥‥私は許せなかった。自分自身が許せなかった。愛奈がどんな思いで早く登校していたのかも考えず、呑気に話していた。暮らしていた。愛奈が辛い思いをしていることに、気付けなかった‥‥‥」


 それは――――仕方ない、なんて、会長の顔を見れば言えるはずも無かった。


「怒りでどうにかなりそうだった私は直ぐに実行へ移ったよ。そして警察、教員、自治体、あらゆる手段を利用して愛奈の父親を叩きのめした」

「っ!?た、叩きのめしたって‥‥‥」

「うん?あぁ、物理的な話じゃないさ」


 そういう意味じゃないんだけど‥‥‥。


「そして実質親を無くした愛奈と梓君は―――ここ、児童養護施設。通称”ファミリー”で暮らし始めた」

「‥‥‥愛奈さんは、今もここで暮らしてるの?」

「いや、今ここで暮らしているのは妹の梓君だけだ。愛奈は1年前から私と一緒に暮らしているよ」

「え!そうなの?」

「あぁ、最初は困ったことも沢山あったが、やってみると案外楽しいものだよ、ルームシェアというのも」


 会長はそう言ってはにかんだ。

 でも正直驚いた。

 まさか会長と愛奈さんが一緒に暮らしていたなんて。

 会長の親御さんもよく了承してくれたと思う。


「えっと、会長。言うのが遅いかもしれないけど、そんな重要な話、僕に言ってもいいの?」


 今日聞いた話は、あまりにも壮絶だった。

 ましてや僕みたいな何の関係もない人間が聞いちゃイケない気がする。

 愛奈さんの過去を言いふらすような事絶対にしないけど、それでもなんで会長は僕なんかにそんな大切な話‥‥‥。


「‥‥‥なんでだろうね。私にも、分からない。なんで君に話したのか」


 僕からそっと目を逸らし、会長はそう言った。

 酷く曖昧な答えだけど、会長は本当に分かっていなさそうだった。

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超絶ブサイクの僕には、絶対ラブコメは訪れないと思っていた 最東 シカル @sisin1017

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