読切【命の面】後編

「美春ちゃん。この人が今の村長の〇〇さん。」


「あ、初めまして〇〇さん。顔 美春と言います。――短い間ですがお世話になります。」


「いーよーかしこまらなくて。顔さんとこのお孫さんなら家族も同然だ。ゆっくりしていきなさい。」


家でささやかな朝食を済ませた私は祖父と一緒に村の広場を訪れた。

疲れ果て服を着替える気力もなかったが、虚仮こけの一念で顔だけはしっかりしようと化粧は3割増しで施している。

いざとなればポーチに入れてきた化粧セットを使う事も考えていたが、村長さんには良い印象を持ってもらえたらしい。


「それじゃさっそくだけど美春ちゃん。ヒトカタって切れるかい?広場の分が追加で必要なんだ。」


「はい、一昨日おととい祖母に教えて頂きました。」

私は最初に作ったヒトカタが上着のポケットにいれっぱなしだったのを思い出してそれを取り出して見せた。すると村長さんが不思議そうに眉をひそめた。


「ん?そのヒトカタ破れちゃってるね。」


「えっ?」


村長さんに言われヒトカタを見ると、ヒトカタの首から下すべてが破れたというよりカッターを使ったかのように真っ直ぐ裂けている。

自分へのお土産にしようと大事にしていたつもりだったが何故だろう?

自然にこんな切れ方をするものだろうか?


「うーん、切り方は間違ってないようだし美春ちゃん頼むよ。50枚ほどお願いね。」


「ごっ…ごじゅう……、は、はい。分かりました。」


その後、裂けたヒトカタに嫌なモノを感じた私は道具を借りると1枚目のヒトカタをこっそりと上着のポケットに突っ込んだ。


♦♦♦


計51枚のヒトカタを切り終えてすぐの頃だった。


別の場所で作業をしていたはずの祖父が声を掛けてくる。


「見春ちゃん。村長さん見なかったかい?」


私はあれからずっとヒトカタ切りをしていたのでもちろん知らない。


「ううん。知らない。」


「そうか…、ちょっと探してくるよ。見春ちゃん、村長さんが広場に戻ってきたら私が探してたと伝えてくれるかい?」


「うん、わかった。」


一応私も広場で雑用をしながら村の人に声をかけて村長さんを探してみた。何人かの人が探しに行ってくれたりもしたが、アテを外した顔の祖父が戻ってきても村長さんが広場に現れることはなかった。


♦♦♦




茜差す夕刻。広場に篝火が灯され年に一度の村祭り――『面取祭めんとりさい』が始まった。早めに作業を終えていた人たちは始まる前からお酒ですっかり出来上がっており、広場は騒がしい笑いに包まれている。


あの後も村長さんは戻って来ず、村長の息子さんが代理を務めていた。

私と祖父はそれを見て村長探しを切り上げ、村の屋台で仕入れたお酒と食べ物を食べていた。


「ねぇねぇおじいちゃん。この面取祭って何のお祭りなの?」


「ん?面取祭か。そうだなぁ、美春ちゃんは面剥がしつらはがしって妖怪の事は知ってるかい?」


「――面剥がしつらはがし??」

私は少し逡巡しゅんじゅんしてみるが雑学知識の中に思い当たるものはない。

「ううん、知らない。」

「面剥がしはこの村でまつられとる妖怪じゃ。ほら、ここから家までの間に大きなほこらを見なかったか?」

「あぁ、あれねー。神様とかお地蔵様とかじゃなかったんだ。」

「面剥がしは大昔に人間の顔を剥がして回っておった女の妖怪でな。この祭りはその妖怪の怖さを伝えるためのものなんじゃ――ほらもうすぐ演武が始まるぞ。」


祖父の声に従い、広場中央の舞台を見ると数人の男女がお面を被って登場するところだった。


そのうちの一人の姿に私は心臓を冷えた手で鷲掴みにされたような恐怖を覚えた。

一人の女性の恰好が――袴まで白い巫女服に凹凸のない純白の面を被っていたからだ。

服は少し違うし袖から覗く手も健康的な肌色だがあのお面だけは忘れることができない。


「美春ちゃん。美春ちゃんは第一印象は大事にするほうかな?」


「え、えっ?う、うん大事にすると思う。」

極度の緊張のさなか予想外の質問をされた私は素直に答える。


「見た目、特に人間の顔はその人の人生、さらに言えば命そのものを表しとる。あの妖怪はその顔を剥ぎ取ることで相手の命を奪い取ってしまうと言われとるんじゃ。」


舞台はちょうど妖怪役の白い巫女服の女性が村人役のお面を舞うように外していくところだった。

その流麗で躍動的な美しい動きは、昨日見たあれのイメージを吹き飛ばしていく。


「そして最後に面剥がしを鎮められるあかい『命の面』を巫女に捧げてひとまず演武は終了じゃ。あとは祭りの最後に『命の面』を面剥がしの祠に納めて面取祭は終わる。面取祭はそういう儀式の延長なんじゃ、勉強になったかの?」


「うん。でも…、妖怪なんてやっぱりいるわけないよ。絶対いない。」


「かっはっは。現代っ子らしい反応じゃのう。もうちょっと脅かしたほうが良さそうか?」


「もう、やめてよっ。」


その後、祖父のおかげで落ち着いた私は安心しすぎてトイレに行きたくなってしまった。

だが不便なことに、祭りの広場に仮設トイレなどはない。


「おじいちゃん、わたし一度家に戻ってくるよ。」


「お、そうか。なら婆さんを呼んできとくれ。演武が終わってからの時間がこの祭りの本番じゃからのう楽しまんと。見春ちゃんも用を済ませて早く戻ってきな。」


「はーい。」


♦♦♦


夕日がすっかり落ち、広場からの帰り道はすっかり薄闇に包まれていた。

私は化粧セットの入ったポーチを揺らしながら一人道を歩く。

真夏だというのに避暑地である見無村の気温は低く、夜はそれがいっそう堪えた。

道を一歩進むたびについさっき出てきた暖かい広場の喧騒がまるで別世界のように遠ざかっていく。


――ほんっと寒いわね……。


空気の冷たさにびくと体を震わせたとき見覚えのある灰色の鳥居が目に入った。

そこからほんの2、3歩奥には古びた大きめの祠が見える。

だが、ことさらに目を引くもの、いや人がいた。


――村長さん…?


祠の脇から林の中へ続く脇道、その先の木々に紛れるようにして昼間ずっと探していた村長さんの横顔が見えたのだ。


全く迷惑どころの騒ぎではない。

祖父と私、他にも一緒に探してくれた広場の村人、代役をしている息子さんや祭りの運営の人にも手間を掛けさせて村長が務まるのだろうか。

私は胸の内に湧いてきた不満をぶつけてやろうと村長さんを追ってその脇道へと入った。



♦♦♦


脇道は思ったよりも深く曲がりくねりながら奥へ奥へと続いていた。

歩いてもう2~3分経つのにまだ終わりが見えない。まるで見無村への山道を歩いていた時のようだ。

だがあの時とは2つほど違うことがある。


一つは時間が夜だということ。

道を外れた木々の奥は闇で見通すことができず、昨晩のように強く吹く抜ける風が木々をざわめかせるせいで周りから前後左右から見張られてるような不気味な気配を感じてしまう。最も見張られる感覚はもう一つの異常のせいかもしれない。


もう一つの違う点は、目に映る木々のすべてに多数のヒトカタが貼られていることだ。

1本の木あたり約20~30枚。進んできた道の木にも進む先の木にももれなく貼られている。

さらに月明かりを頼りに見れば、そのヒトカタは古いものが大半だ。

雨風にさらされたのか汚れたり萎びたりボロボロに千切れたままものさえある。

そして闇の中でヒトカタ達の顔が私の前後左右からずぅっとこちらを見ているような視線を感じるのだ。


どうして私はこんなところに来てしまったのだろう。


村長さんはこんなところに何の用があるのだろう。


意図の分からない恐怖を感じ始めた時、ようやく終点が見えた。


歩くこと5分。脇道は小さなお堂の前で途切れていた。

お堂の前には4人の人がたむろしていた。

そのうち3人は縁台に腰かけ、もう一人の人物――村長さんは何かを握ったまま立ちすくんでいる。

本当にこんなところで何をしているのだろう。明かりすら持っていないなんて。


――村長さんなにやって―――


そう口にしようとした瞬間、私は硬直しヒヤリとした汗が流れた。

あの横顔は間違いなく村長さんだ。

だがなぜ村長さんは村の演武で見たような



よく見れば目の前の村長さんのような何かの手は暗い夜でもわかるほど死人のように真っ白で冷たい色をしている。


ざざあっ――と風が吹き、月光の当たり具合が変わった。

お堂を覆っていた影がなくなり、縁台に腰かけた3人の顔があらわになる。





―――――彼ら3人には顔がなかった。

顔があったはずの場所は凹凸も穴も失ってなめし革のような光沢を放っている。

そして彼ら3人分の顔は彼女の前、お堂の前に置かれた腰ほどの高さの台の上に並べられている。


「ぁああ………。―――あぁぁっ……!」

私の口からはうわごとのような悲鳴が上がり、私はその場にしりもちを付いてしまう。


――――その音にピクリと彼女が反応した。

しまったと思ったがもう遅い。


彼女はゆっくりとこちらに振り向いた。

彼女に貼りついた感情のない村長さんの顔がこちらに向けられ、

にぃぃいいいいっ―――っと唇を醜く歪める。


だが彼女は台上の3枚の顔へ顔を戻すと、ゆっくりとそして高々と手を振り上げる。


彼女の手には赤錆がこびりついた金づちが握られていた。


――な、いったい何を―――。


彼女は振り上げた金づちを――スッと無感情に1枚の顔へ叩きつける。

続いたのは――ドサリ――という重い音。

見れば縁台に腰かけた顔のない人のうち一人が力なく倒れていた。

そして彼女は錆びた金づちをまた振り上げる。


――ドサリ――


二人目が前のめりに倒れ縁台から落ちる。


そしてまた、面を――命を砕く槌が振り上げられる。


「待っ―――やめて!!」


――ドサリ――


3つめのいのちが砕かれた。

そして手を下した幽鬼のような彼女が体ごとこちらへ振り向いた。

同時に彼女の顔から村長の顔がぽとりと落ち、凹凸のない純白のお面が顔を見せる。


――次はお前の番だ。


表情も何もないお面は間違いなくそう言っていた。


「来ないで…ッ、来ないでッッ!!」


手近な地面の小石を投げつけるがまるで当たらない。当たる気がしない。


彼女の手がゆっくりと動いた、そして彼女の白い面に手がかかる。


「来ないでッ!来なっ―――――――ッ!!!???」


途端に喉が詰まった。

息が苦しい―――。なぜっ―――ッ!?


気づくと彼女の面が純白から肌色のものへ変わっている。見覚えのある面。生まれてから約20年ずっと見てきた顔。ずっと私と一緒にあったはずの私のわたし




彼女のはその顔を元の持ち主わたしに見せつけると、割れた顔が並ぶ台の上へとそっと置く。

何かを投げつけて邪魔しようにも体が言うことを聞かない。

風景もどんどん暗くなっていく。




――やめて……お願い……誰か助けて……


――おばあちゃん……









――ピシッ。


何かが裂ける軽い音がした。

林の中に強い風が吹き、――ざざぁっ――バタバタバタッ――と紙のはためく音がした。


「えっ――。えっ――?」


声が出る。月明かりもはっきりと見える。体も動いた。


手に柔らかいものが触れた。石ではないだろうが今は何でもいい。


彼女は槌を振り上げていて、猶予はない。


をぐっと握り十分な重さがあることを確かめる。


「やめてぇぇぇええええええええええ!!!」


無我夢中で投げた――私のポーチは弧を描きながらくるくると宙を舞い、面が置かれた台に当たってガシャンと中身の化粧道具をまき散らした。








――終わった。

――私のポーチなんかが役立つわけない。

――私は凹凸のなくなった顔を覆ってうずくまった。

――もう面が割られるのを震えて待つことしかできない。

――もう1、2秒もすれば私は―――









私は――――――――あれ?




30秒が過ぎた。


私は恐る恐る前を見る。


まだ彼女はそこにいた。だが槌持った手は下ろされ、私の面ではなく地面のポーチ――そこからこぼれた化粧品を見つめている。


彼女は初めて見せる女性らしいしぐさで屈むと地面から何かを拾い上げる。


それは私のお気に入りの朱赤の口紅だった。フタはどうやら衝撃で取れたらしい。



そこからさらにたっぷり30秒。彼女は手の中の口紅をじっと見つめた後、私に背を向けてお堂の方へ滑るように動き出すとほどけるように消えてしまった。


♦♦♦


「―――ゃん。みはるちゃん。見春ちゃん!」


私はいつの間にか家で祖母に介抱されていた。

祖父の話によれば、一人で広場に来た祖母が私に会わなかったので探していた所お堂の近くで倒れている私を見つけたらしい。

一緒に見つかった顔を割られた3人は当然息はなかったらしい。

村長さんは依然見つからず行方不明だそうだが、彼女が顔を被っていたことを考えれば生きてはいないだろう。


私が口紅の話を祖母にすると祖母は言った。

――面剥がしが朱色の面で鎮まるのは、彼女が人間として生きていた頃美しくあるために口や頬に差すべにに執着していたからだろう――と。




村から帰る日、私はあのお堂を訪れた。

昼間のお堂はあの晩と違って不気味さは失せ、代わりに寂しさだけが漂っている。

お面が並べられていたあの台の上には今は何もない。


私はガチャガチャと音の鳴る巾着袋とボロボロになったヒトカタを取り出した。

巾着の中身は私の手持ちにある口紅すべてが入っている。


彼女が祭りで捧げる命の面では足りず、村長さんを含め4人の顔を奪ったというのならば……この大量の口紅でしばらくは同じことが起きないかもしれない。


私は台の上に巾着を置き私を守ってくれたヒトカタを添えるとお堂を後にする。


帰り際の林道でさらさらとヒトカタ達が見送ってくれた気がした。



(おわり)

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命の面 中谷Φ(なかたにファイ) @tomoshibi___

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