メイザーズの魔法
坂根貴行
第1話
メイザーズの魔法
さて問題。あたしはいまどこにいるでしょう。
え、地球?
もしもあたしが魔法を使えたらあなたの頭上に稲妻を落としてるところよ。
答えはニューヨーク。ニューヨークのトライベッカというエリアを歩いているところ。
「俺のおかげだからな」
和輝が口を出した。「俺がいなかったら絶対無理だったんだぞ」
彼は幼なじみ。超常現象研究会の一人で、情報を仕入れてくれる。あ、そうそう、まだ自己紹介してなかった。あたし、西条亜妃(さいじょうあき)。超常現象研究会の会長を務めてます、よろしく!
和輝は父親の転勤の都合で中学生のときからずっとアメリカのニューヨーク州に住んでいる。でもメールで連絡は続けていた。そして最近、マクレガー・メイザーズの子孫が都心部のあるバーにいるという情報が彼から私のもとに届いた。あたしはどうしてもメイザーズに会いたかった。大学が夏休みということも幸いして、あたしは速攻でニューヨークに飛んだ。
和輝も大学生で、両親と同居している。あたしはご両親に挨拶し、それからニューヨークの街で遊び、夜になって「Magic Eyes」へと向かった。
ここでちょっと説明すると、メイザーズは十九世紀半ばに生まれたイギリスの魔術師で、魔術結社「黄金の夜明け」を創設したメンバーの中心人物。「黄金の夜明け」は近代魔術結社の源流で、最盛期には百人近くの会員数を誇った。しかし度重なる内部紛争で一九〇三年に解散し、その後メイザーズはインフルエンザで死亡した。
極秘文書によると彼は火、水、風、光を自由に使いこなすことができたらしい。偉大なる魔術師は死んでしまったが、その子孫は魔術師の才覚を引き継いでいるはずだ。あたしはその魔術を生で見てみたかった。科学万能の時代に、魔術師はどんな思いで毎日を過ごしているのか、それにも興味があった。
時刻は九時であった。
アンティーク家具店、レストラン、ポルノグラフィー・ブックス、レンガの倉庫を横目に通り過ぎ、Magic Eyesに着く。地下への頑丈な階段を降りると、ほの暗いライトに照らされた天井の高いフロアに出た。マホガニーのカウンターの後ろには巨大な棚があり、酒の瓶で埋められている。ムード音楽が静かに流れ、バーテンダーがシェイカーをふっている。
「メイザーズはこの時間、カウンターでひとりで飲むことがあるらしい」
和輝が小声で囁いた。
スーツを着た男の後ろ姿がそこにあった。小柄で、背中を丸めて、グラスを握っている。
「あの人?」
「や、違う……。見ろよ。メイザーズは背が高くて、肩も張っている感じだろ」
和輝は一枚の写真を示した。
半年前、知り合いの情報屋が魔術師の会合の現場を撮影したものだ。そこに写っている人物の一人がマクレガー・メイザーズの子孫だという。その情報屋は後日、行方不明となった。秘密を知りすぎて消されたのかもしれない。和輝は怖がるどころか絶対に探し出してやると熱意を燃やし、調査の末に、メイザーズがこのバーで飲んでいるのを見たという情報を得たのだった。
「まだ来ていないのね。待ちましょう」と亜妃。
「あのな、わかってると思うが、危険だぞ」
和輝はあらかじめ亜妃に忠告しておいた。亜妃はそれを覚悟の上でニューヨークに来たのだ。
「あたしを誰だと思ってるの。超常現象研究会の会長よ。あたしが怖気づいたら数百人の会員は失望するでしょ」
「会員って俺しかいねえだろうがよ」
そうなのだ。この研究会は大学のサークルってわけじゃなくて、ただあたしが好奇心から立ち上げ、和輝にも半ば無理に入ってもらった、いつ倒れてもおかしくないフラフラの組織。だけど好奇心は人間の活動の源じゃない? それさえあれば人がいなくてもお金がなくてもなんとかなるよ。
2人は空いているカウンター席に座り、魔術師の出現を待つことにした。
「何にする?」
和輝がメニューをひらくが、英語だらけでさっぱりわからない。
「これなんかどうだ。ホワイト・レディ」とメニューに指をさした。
「なにこれ」
「白い貴婦人。お前はまだ子どもだから早く貴婦人みたいに落ち着いた気品のある女になれよって意味で」
あたしはカッとなって和輝の頭を叩いた。
「馬鹿にしないで」
「相変わらず手が早いな」
和輝は笑いながらバーテンダーに注文した。
ドアが開き、新しい客が入ってきた。空気の温度が変わる。密度が変わる。まさか……。
その客は、カウンターのいちばん端に座った。
「ね、あれ」
あたしは小声でささやく。
「ああ」和輝は笑みを消した。
長身の男だった。頭髪も顎鬚も真っ白だが、手入れをしており、気品を感じさせる。額は広く、頬はこけており、瞳は知性の輝きを宿している。顔は青白い。かなりの年なのか、無数のひび割れや皺が顔面をおおっているようだ。しかしその風貌は老練された魔力を示しているようで、かえって存在感があった。
「たぶん、あれだ」
和輝が言ったとき、バーテンダーがホワイト・レディーとジン・フィズを二人の前に置いた。
亜妃と和輝は魔術師に出会えたこの夜に乾杯した。グラスに口をつけた後、早々と作戦を実行することにした。バーテンダーに「あちらの客に」と言って、メイザーズにカクテルをおごるのだ。そのあと隣の席に移動して、世間話から魔術の話に移る……。
亜妃はポケットに賢者の石を忍ばせていた。地水火風の4大元素を内包し、創出し、はぐくむ媒体で、赤い色をした石である。簡単に粉末にでき、溶解させることもできる。これを溶けた鉛に混ぜると金に変えることができ、これを溶かした液体はあらゆる病気を治す万能薬となる。人間を不老不死にする力をも持つ。人は眉唾だと言うけれど、私は信じている。オカルト愛好家だった父を愛している。
偉大なる魔術師と言えども老齢には勝てない。所詮は人間なのだ。メイザーズはこの賢者の石を欲するはずだ。そこで石と引き換えに、魔術を見せてもらう。これが亜妃の作戦だった。父の形見の石を手放すのは惜しいけど、どうしても魔術を見てみたい。
和輝がバーテンダーに声をかけようとした瞬間だった。
赤いカクテルが2つ、差し出された。
もちろん頼んだ覚えはない。バーテンダーの顔を見ると、彼はにこやかにメイザーズの方を示した。
魔術師の横顔に小さな笑みの皺が刻まれた。
薄暗い恐怖がどこからか忍びよってきた。
「とりあえず、飲もうぜ」
和輝は無理に笑顔を作ってそう言った。
「そ、そうね」
今はメイザーズの真意など考えている場合ではない。好印象を持ってもらうために、ありがたく飲むことだ。
「なんていうカクテル?」とあたし。
「レッド・アイだ」
ビールとトマトジュースを同量で割ったカクテルで、真っ赤だ。二日酔いの迎え酒に最適だとされている。
「訳すると赤い目か。へえ。おいしそう」
「ゆっくり味わうがいい」飢えた獣のうなるような声が頭の中で響いた。メイザーズがこちらを見ている。
あたしは怖いのに目をそらせない。
「そのカクテル、わたしの目ほど赤くはあるまい」
メイザーズの目が赤く熟していく。真っ赤に輝いていく。あたしの体温はマイナス10度くらいまで一気に落ちた。動けない。体が動かない。和輝の手を握ろうにも握れない。恐怖のせい? それとも魔法のせい?
「そんなに魔術が見たければ見せてやろう!」
魔術師は指をいっぱいに開いた両手を上に突き出した。手と手の間に紫色の稲妻のような光が激しく交錯する。耳を裂く音が響く。光と音が膨張していく。呪文を唱えながら両手を床にふり下ろす。
バーに巨大な獅子が現れた。
いや、肩からは大きな革状のコウモリの翼が生え、臀部にはサソリの尾に似た尻尾がついている。そしてその頭部は顎鬚を生やした老人。獅子とサソリとコウモリと人間を混ぜ合わせた生き物、マンティコアであった。ファンタジーの世界でしか存在しないはずのそれが亜妃に鋭利な鉤爪で襲いかかった。
「きゃああああっ!」
「お、おい、どうしたんだよ」
慌てふためくあたしに、誰かの声。そして誰かの手があたしの肩をつかむ。
「落ち着けよ、おい、亜妃」
和輝だった。
「助けてっ!」あたしは思わず抱きついた。
「お、おい」と言いながらも、和輝は亜妃の体の感触がうれしかった。
「何もいないぞ、大丈夫だって」
亜妃が恐る恐る振り返ると、マンティコアの姿はなかった。カウンターにはメイザーズの姿もない。背中を丸めた小柄な男がちびちびと飲んでいるだけだ。バーテンダーはあたしの狼狽振りを見て、にこやかにシェイカーを振っている。
「どこに消えたの」
「おまえいったい何を見たんだ」
「変なモンスターよ。メイザーズが魔術を使って……。ねえ、もう帰っちゃったの? メイザーズ」
「メイザーズはまだ来てないぞ」
バーテンダーはシェイカーを止めると、あたしの前にホワイト・レディを、和輝の前にジン・フィズを置いた。
既視感がある。このカクテルはさっき乾杯して一口飲んだはずだ。なぜまた出されたのだ。
「いいか、状況を説明するぞ」
和輝はジンを片手に、冷静に言った。
「俺たちはさっきバーに来たばっかりだ。そしてカクテル頼んだ。それからすぐにお前が叫び出した。いったいいつから夢を見ていたんだ?」
「わかんないよ。あたし、メイザーズがバーに入って来たと思ってた」
「でも来てないんだ」
「和輝は見てない。でもあたしは見た。ってことは、あれは夢だったの? それとも、メイザーズがあたしだけに見せた幻覚?」
和輝はグラスをホワイト・レディにぶつけ、カチンと音を鳴らした。
「面白くなってきた。魔術を見せて欲しいと言う前に見せてくれるなんて、気が利く魔術師じゃねえかメイザーズは。このバーのどこかで、まだ俺たちを見ているかな」
その言葉を待っていたかのように、カウンターの小柄な客が変貌をはじめた。背中がぐんぐんと伸び、顔にひび割れと皺が広がっていき、黒い頭髪はみるみる白髪に変わっていく。
あたしの血管に鳥肌が立つ。
また恐怖で動けない。
目まぐるしい変身が終わったとき、そこにメイザーズがいた。グラスを握り、悠々とカクテルを飲む。
「さて……」
また頭の中に声が。低い、うなるような声だ。
「お嬢さん。さっきのはほんのお礼です。日本からはるばるわたし会いに来てくれたことのね。和輝君、君もわたしを探すのに苦労したそうですね。その情熱にお応えしましょう。賢者の石も何もいりません。今から二人に魔術をかけるのは、わたしの好意だと思ってください。その代わり」
メイザーズが凍りつくような目であたしと和輝を見た。
「一人で飲む酒が好きなのです。二度と私には、近づかないで欲しい。二度と……!」
メイザーズが微笑し、それから目をつむった。
途端にすべてが闇に包まれた。
「なに」あたしはパニックになった。何も見えない。あたし一人だ。
「おい、亜妃、いるか」
和輝の声がした。
「あたしここよ」互いに闇に向かって手を伸ばした。指先が触れあった。二人は不安を殺すように抱き合った。
「ここどこなの」
「わからん」
メイザーズに地獄にでも突き落とされたのかもしれない。
「でも、待てよ。なんか……、見覚えあるぞ」
そのとき小さな光があることに気がついた。線状の光だった。
数字のようだ。12:00だ。
「あ」和輝は立ち上がった。
「俺の部屋だよ、ここ」と明かりをつける。
ベッドに本棚、パソコンラック。数字の正体はデジタル時計だった。夜の十二時で窓には黒いカーテンがかかっている。
瞬間移動させられたらしい。
「俺たちがバーに着いたの何時頃だっけ」和輝は立ったまま言った。
「九時くらいだったね」
「三十分くらいでメイザーズに会った。つまり九時半。いま十二時。瞬間移動どころじゃないぜ。俺たちは二時間半先の未来に飛ばされたんだ」
メイザーズ、ずいぶんサービス精神旺盛じゃない。興奮しながら亜妃はそう思った。
「どうしてこの時間に飛ばされたんだろう。十二の数字に何か意味があるかな」
「偶然でいいよもう、あたしおなかいっぱい」
「それで会長かよ」
「もういい。あたしはもう十分」
いまはメイザーズの魔術を満喫したかった。
今夜亜妃はバーからタクシーでホテルに移動するつもりだったが、いま和輝の家にいるならこのまま泊まらせてもらおう。両親を起こさないように静かに居間に移動し、ソファで眠りに就いた。
翌朝バタバタと激しい物音がして亜妃は目が覚めた。
「和輝、おまえ今までどこに」
「亜妃ちゃん? なぜここに?」
和輝の両親は大騒動だった。
「すみません、勝手に……」
寝起きの顔を見られるのは恥ずかしかった。もっと早く起きるつもりだったのだが、先に気づかれてしまった。
あたし、和輝、和輝の両親が居間に集合した。
「落ち着いてね。あのね、あなたたち、今までどこにいたの」
お母さんが言った。
「ちょっと、バーに」
「バーに一年もいるわけないでしょ。可哀想に、動揺してるのね」
お母さんはあたしを抱きしめ、次に和輝を抱きしめた。
「え、あの、一年って」
「一年間、行方不明だったのよ。あなたと和輝」
あたしは和輝と顔を見合わせる。
そのあと無性に怖くなって震えが止まらない。
「超常現象研究会、解散します!」
あたしは高らかに宣言して日本へ帰った。両親はあたしを見て飛び上がった。彼らは一年後のあたしを抱きしめて泣いた。幸いにも両親は大学に休学届を出してくれていたので、あたしは復学することができた。
友達にはいろいろ心配されたが詳しくは聞かれなかった。誘拐、監禁、性的虐待、薬漬け、そんな恐ろしいことを皆は勝手に考えているようだ。だけどあたしは本当に何もなくて、ただ一年後に飛ばされただけなのだ。
しかし、こうも考えてみた。本当はいろいろ恐ろしいことがあったが、そのあとメイザーズの魔法で一切の記憶が消されたのではないか。
気になることはある。シャワーを浴びるとき、鏡に映し出される、胸元の、うっすらとした謎の傷……。本当にうっすらとだけど、いままでなかった傷だ。
わからない。わからない。何もなかったって信じたい。
「亜妃ちゃん」と、知らない女子学生に声をかけられるようになった。陰気臭く、人形のような生気のない顔で、
「いろいろあったそうね。慰めあおうよ」と言い寄ってくるのだ。
というかこんな人大学にいたっけ。まさか魔界からやって来たんじゃないでしょうね。これもメイザーズの魔法なの? ああ……恐ろしい。まさかお父さんの死因って……考えたくないわ。和輝は無事かな。でも電話するのが怖くもある。
ってことで、みんな。好奇心もほどほどにね。あたしが無事にこの超常現象を切り抜けたらきっとレポ―トするからね。
了
メイザーズの魔法 坂根貴行 @zuojia
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