鉄仮面の男ユスターシュ・ドージェ
きょうじゅ
本文
1698年、フランス。太陽王と称えられたルイ14世の時代。バスティーユの牢獄に、ひとりの男が移送されてきたという話がパリ市民の口の端に上るようになった。
バスティーユは政治犯の収容所である。もともとパリが城塞都市だった頃の城壁の一部を利用して作られたため、パリの中では目立つ場所にあった。30メートルに及ぶ垂直の城壁、8つの塔、そして周囲は堀で囲まれて2つの跳ね橋以外には入り口はない。この場所を初めて政治犯収容所として利用することにしたのは、太陽王の父であるルイ13世に仕えた宰相リシュリューである。
バスティーユは政治犯の収容所であるので、運ばれてきた囚人がどこの誰であるかなんてことが公開されることはない。囚人が連行される馬車には、目隠しがされるのが倣いであった。しかし、公開されることはないが、政治犯が投獄されるなんてのはこの時代にあってもどうしたってスキャンダラスな出来事であったから、結局のところ収監されているのがどこの誰であるかというのは市民の注目の的であった。
ただ、パリ市民を困惑させたことには、今回運ばれてきたこの囚人については、どこの誰であるのかが分からなかった。なんでも、監獄長サン・マールのもとカンヌ沖合の島サント=マルグリット島の監獄にいたものを運ばれてきたらしいのだが、サント=マルグリットに収監される前はやはりサン・マールのもとでトリノのピネローロ監獄に収監されていたという。獄中にあること、既に三十余年を過ぎている。
サン・マールはもちろん、有象無象の好奇心に対して自分の職務上の秘密を漏らしたりはしない。そこで、パリの人々は様々な
最後の説にはちょっと無理がある。オリバー・クロムウェルその人がバスティーユに今生きて在るとすると、その年齢は既に百歳近くになるのだから、そんな高齢の老人であるのならば、たとえ顔が鉄仮面に隠されていたところで、それが分からないなどということはないはずだからだ。
そう、説明するのが遅れたが、この謎の囚人は、鉄仮面を被せられているというのがもっぱらの評判であった。もっとも、厳重に警備された政治犯収容所のことだから、見て確かめてきた奴がいるわけではない。実際には鉄仮面ではなく布のマスクであり、しかも日がな一日被っていたわけではなく人と接するときに顔を隠すために被っただけだったと後世の研究では確かめられているのだが、ともあれ、噂ではそういうことになっていたのであった。
「三号室の囚人。夕食の時間だ」
「あい承知しました」
そう言われて、その囚人はマスクをかぶった。獄中の食事などというと、監房の扉についている小窓から差し入れられる粗末なものを想像される方が多かろうかと思うが、実はバスティーユ牢獄の暮らしというのはそういうものではなかった。
のちのフランス革命に際して圧政の象徴とされ破壊されたことなどがあって、バスティーユは過酷な環境の劣悪な監獄だったというイメージが強いが、実はそれは全くの間違いである。バスティーユは、政治犯収容所である手前高貴な囚人なども多かったことがあり、その待遇はとても良かったのである。
その日、“三号室の囚人”に出された食事も、五皿のメニューからなる豪勢なものであった。
「何か、至らない点はないか」
至らない点とは、つまり、料理に気に入らないものがあれば別のものと交換するなどの対応を監獄側がしてくれる、ということである。
「いいえ」
「では、後でまた来る」
サン・マールが去ると、囚人は布のマスクを脱ぎ、食事をやっつけにかかった。食事に不満など、あるはずもなかった。
獄中にあること三十余年。彼の正体は、実は監獄の責任者であるサン・マール自身でさえも知らない。三十数年前、とある大臣からサン・マールにその身柄を引き渡されたとき、彼は既に“仮面の男”であり、自分の素性を口にすること、人前でマスクを脱ぐことを固く禁じられていたのである。サン・マールは、万が一この男が自分の正体を露見させるような真似をしたら、即座に殺害するようにと命ぜられていた。
食事を終えた男は、天井を見上げた。天井までの高さは8メートル。窓は天井の近くについていて、念の入ったことにそこにさらに鉄格子がはまってはいるが、明り取りとしては十分な構造であった。
「さて」
男は、サン・マールが食器を下げに来るまでの間、本を読んで時間を潰し始めた。
ここでの暮らしに不満はなかった。サント=マルグリット島で島流しになっていた頃よりも、ずっといい環境だった。この通り本を貸してくれる図書室さえもがあるのだ。ちなみに遊戯室もあるのだが、素性を他人には知らせられない都合上、流石にそこは彼には使わせてもらえなかった。
それから一年も経つと、流石にパリ市民たちの無責任な噂も止んだ。とくに彼のことを気に留める者などはなくなった。男の優雅な暮らしはその後も続いたが、五年ののち、男は病に倒れた。
バスティーユは貴人のための収容所であるので、病人が出たときは医者まで用意されるのが倣いであった。基本的に、王家の侍医が診察にあたる。他の監獄で病人が出たときに、病院ではなくバスティーユに運び込み、診察を受けさせることがあったというほどである。
しかし医師の診察の甲斐もむなしく、男の病は命胆石に迫った。男は、サン・マールの前で言った。
「どうやら、もう駄目そうです。あなたには長らく、お世話になりました」
「いや……任務だったからな。しかし……あんたは結局、どこの何者だったんだ。いや、いい。言うつもりはないのだろうから、言わなくていいが……世間の噂ではな。こんなことすら言われているのだよ。バスティーユに投獄されている仮面の男は、実はルイ14世陛下の双子の兄弟で、家督争いの生じるのを恐れて仮面を付けさせられ、ずっと幽閉されているのだと」
「わたしが……ルイ14世の兄弟ですって?」
男は笑い出した。
「はは……ははははははははは」
それ以上、何も説明されることは無かった。男は1703年11月19日、世を去った。葬儀は「マルショワリー」という偽名を使って行われ、彼の持ち物などは、すべてサン・マールが焼き捨てた。
仮面の囚人の正体は、今も確かなことは分かっていない。ただ、近年の説で比較的信頼の置けるものとしては、こういうものがある。
彼の名はユスターシュ・ドージェと言った。彼は、ルイ14世の親政開始以前にフランスの実権を握っていた、宰相マザランに仕えた会計係であった。そういう立場にあったことから、ある日彼は意図せず、マザラン枢機卿が英国王室から巨額の資金を騙し取り、蓄財を行っていたという事実を知ってしまった。そこでマザランは彼を投獄し、秘密が絶対に露見しないように、厳重な手はずを整えたのだという。
そのマザランはといえば、1661年には既に死亡している。しかし、ことが国家間の信用にかかわる問題である都合上、やはり彼に表に出てきてもらっては困る事情が、ルイ14世にもあったのかもしれない。とはいえ、想像の域を出るものではない。
鉄仮面。彼のことを、今も誰も知らない。
鉄仮面の男ユスターシュ・ドージェ きょうじゅ @Fake_Proffesor
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