サヨナラは鏡に映らない

鳳ウサギ

サキの鏡

かがみの中にいらっしゃい――』




 読書の秋と言うが、昼休みにまったり文庫本とたわむれているのは俺だけだ。


 高校三年生の二学期ともなれば皆、すきを見つけては受験勉強に打ち込んでいる。教室中揃って机にかじり付く姿は秋の稲穂を思わせる。早くり取ってもらいたいものだ。とにかく空気が重い。

 

 教室をざっとながめてまた、手元の活字に目を落とす。

 読んでいた箇所を探しながら文字を追っていく。


貴方あなたはいったい何者なの?』


 そんな一節に差し掛かかる。

 ふと、彼女のことを思い出す。



 ――夏目なつめ



「面白そうなの読んでるねえ」


 頭上から声が降ってくる。

 文庫から顔を上げると、見知った同級生の顔があった。


「ジュースならおごらないぞ」


「私、まだ何も頼んでないんだけど。じゃあコーヒーにしようかなあ」


「“飲み物全般”って意味で言ったんだけど」


「ケチ臭いこと言わないでさあ、昨日も奢ってくれたじゃんっ」


 節度って言葉知ってる? 

 昨日だけではなく、その前も、その前も、俺が金を出した記憶しかないが。


「……それで、なんか用か?」


 面倒臭さを全面に押し出しながら話を逸らすことにした。

 

 んもー、後でコーヒー忘れないでよ、としっかりぼやいてから本題に入る。


「用ってほどじゃないんだけど、みんな勉強ばっかでつまんないなあって」


 稲穂ムードなのはどこのクラスも似たようなものか。

 要するに、暇だから話相手になれと、そういうことだ。


「お前は勉強しなくていいの?」


「私、指定校決まってるし」


 知ってる。一応聞いてみただけ。

 だが、勉強しなくてもいいという訳ではないだろう。


「ていうか、智也ともやだって指定校じゃん。だからのんきに小説読んでんでしょ?」


「まあ、そうだけど」


 自分の話を棚に上げた訳ではない。

 ただ単に勉強をしたくないだけだ。


「と、いうわけでひまなのですよ」


 指を立ててふんふーんっと鼻を鳴らしてくる。


「そうかい」


 軽くあしらうように言ってふたたび本に視線を落とした。


なのですよ!」


 机をこんこんこんと叩いて更に暇を訴えかけてくる。

 こいつが啄木鳥きつつきになる前にさっさと追い払わなくては。


 やれやれだぜとしおりをさして本を閉じる。


稀代きだいの美少女様はどんなお話をご所望しょもうで?」


「んんー、そうだねえ……」


 彼女は首をひねって思案する。

 美少女という言葉に謙遜けんそんすらしない。


「――怖い話、とかどうかな?」


 悪戯いたずらっぽく言ってみせる彼女に少し見惚れてしまいながら、それを誤魔化すように彼女から視線を外して考えてみる。


 そしてあらかじめ言っておくが、これは決してラブコメなどではない。


「怖い話か、なにゆえ?」


「なんか秋っぽくない?」


 夏じゃね? まあいいけど。

 さっさと追い払いたいから突っ込むのはやめにする。


「怖い話、怖い話……」


 ぱっと思い浮かぶようなものは――。


「あ」


「おっ! 何か面白いのあった? 笑えるやつだよ?」


 怖い話に笑いを求められても困るのだが……、一つだけ思い浮かばないでもなかった。


「それじゃあ、谷口智也たにぐちともやとっておきの怖い話を一つ――」



  ×××



 ――二年前の話だ。


 放課後のこと。

 夏休みの余韻よいんいまだに抜けきっていないのか、夏目が急にこんな提案をしてきた。


『なあ谷口。“肝試きもだめし”しないか?』


「えぇ……、もう秋だけど」


『それがいいんじゃん!』


 どれがいいの?

 夏目のテンションにこれっぽっちもついていけない。


「いや、時期を考えろ時期を」


『なんだ、怖いのか』


「どうしてそうなる……。季節の話をしてるんだが」


『いっつもミステリーばっか読んでるくせにぃ、怖いんだあ?』


 嘲笑ちょうしょうを浮かべて言う夏目。

 少し苛立いらだちを覚えながら、俺は言い返す。


「時期を考えろって言ってんの。ちょっと寒いし。第一、ミステリー読んでるからって怖いモノが得意ってことはないだろ」


『やっぱり、怖いんじゃん』


 そうさ。怖いのさ。それがどうした。

 寝る時も豆球だよ!


「そういう夏目はどうなんだ?」


『あたし? そんなもん、怖いに決まってんじゃん』


 怖いのかよ。

 だったら誘うなよそんなもん。

 絶対お前も寝る時、豆球派だろ。


 夏目にじとっとした視線を送る。

 と、背後から聞きなじみのある声がした。


「――よおっ!」


 言って、そいつは俺の肩をばしっと叩いてくる。


「いってぇ」


 声を掛けてくれるのはありがたいが、体育会系というのは力加減を知らない。

 ひりひりとする肩をさすりながら、そいつに振りかえる。


岸本きしもと、お前なぁ……」


「わりぃわりぃ」


 全く悪いと思ってない奴の謝り方のお手本をありがとう。

 と、そんなことより。


「補習は終わったのか?」


「おう! 秒で終わらせて来たぜ!」


『秒で、ねぇ』


 もしそれを本気で言っているのなら、こいつの体内時計はイカれてる。「光速で終わらせるから待っててくれ!」と、言われたのが今から二時間前だ。


「はぁ……、まあいい」


 補習があると分かった時点でこれくらいは覚悟していた。 


「それじゃあ、帰るか」


『日も暮れてきたしなー』


「いやぁ、すまんすまんっ」


 お前はもっと申し訳なさそうにしろ。


 俺たち三人の他に人がいなくなった静かな教室を出ると、急に肌寒さを感じた。秋の到来をますます感じる今日この頃。


「――そんで、今日は何して遊ぶ?」


 何食わぬ顔で岸本が聞いてくる。

 赤点補習で二時間遅れてきた奴の台詞せりふとは思えん。


「遊ぶも何も、今日はそのまま解散だろ」


『赤点を取るのが悪い』


「マジかよぉ」


 マジだよ。

 あと五分遅かったら先に帰っていた。


「俺は何のために補習を頑張ったんだ……」


「お前以外は直ぐに補習終わってたけどな」


 この岸本、相当の馬鹿である。

 その学業成績の悪さたるや、入学して早々に母親からバスケ部の活動休止を言い渡されるほど。


「くっ……、なら十分、いや五分でもいい。遊ぼうぜ! な?」


 こいつは遊ばないと死ぬのか。


「今日は無理だって。夕飯の買い出しあるし」


『待ちくたびれて疲れたし』


「そこを何とか!」


 何とかって。

 取引先に食い下がる営業マンかよ。


「遊べんものは遊べんし」


「じゃあ晩飯食った後は?」


 どんだけ遊びたいんだよお前。


「まあ、夕飯の後なら……」


『行けなくはないけど』


「おお! マジか! 何して遊ぶ?!」


 ちょっとは自分で考えろよ。

 てか遊ぶの確定なのか。


 しかしまあ、夕食の後となると家に人を呼ぶのも、人の家に上がるのも気が引ける。家以外での遊びとなると……。


 ――なあ谷口。“肝試し”しないか?


 さっきの夏目の発言が脳内でプレイバックされる。

 いや、無いわ。


 と思いつつも。


「……肝試し」


 つい口に出してしまっていた。



  ×××



「――ふーん。それでそれで」


 いつの間にか、前列の空いていた席に腰掛けていた彼女が、前のめりに話の続きをうながしてくる。


「それで、急遽きゅうきょ夜の学校に忍び込んで“肝試し”しようってことになって」


「それってこの学校だよね?」


「もち」


 言って、何となく窓の外に視線をやると、暗雲あんうんが直ぐそこまで迫ってきていた。


「降りそうだな」


 教室の空気は重いのに気分は低気圧だ。

 彼女も合わせて空に目を向ける。


「そだね。ていうか、智也って岸本くん以外に友達いたんだね」


「失敬な」


 これでも小学生の時には友達が三人“も”いた実績があるのだ。

 まあそのうち一人は岸本なのだが。

 あなどってもらっては困る。


「俺だってダッシュで焼きそばパンを買ってくる走力さえあれば、パシリの一つや二つ――」


「ごめん私が悪かった、悲しくて聞いてられないわ。ほら、続き続きっ!」


「お、おう」



  ×××



「肝試しとか超久しぶりだなあ」


 これほど岸本の食い付きが良いとは思わなかった。

 別の案も提案してみたが、一度口に出してしまった手前、押し切られる形となってしまった。


 駐輪場ちゅうりんじょうへ向かう足取りが重くなっていく。


「なあ、うちの学校の六不思議って知ってるか?」


 グラウンドを駆ける野球部の声に交じって、岸本がそんなことを聞いてくる。


「ろくふしぎ……? 七不思議ではなく?」


『聞いたことないなー』


「いや、俺もさっき補習の時に先生から聞いたんだけどさ――」


 補習中に何を話しとるんだ、勉強しろ。

 そして勉強を教えろ教師。

 補習が長引いた理由はこれか。


「ほんとは七不思議だったらしいんだけど、そのうち一つがマジでヤバ過ぎて語られなくなったらしくて」


『へー、なるほどなぁ』


「で、そのドヤ顔から察するに、語られなくなったその七つ目の不思議とやらを聞いてきたと?」


 言うと岸本は、「聞きたいか?」と一言、得意げな顔をする。

 俺と夏目はちょっとイラッとしながら。


「……どんな不思議だったんだ?」


『教えてよ』


「まあまあ、まずは他の六不思議から聞いてくれよ」


「面倒いからさっさと七つ目を教えてくれ」


 まあ、こいつの頭じゃ、他の六つの不思議をすべて覚えているか怪しいところだが。


「せっかちだなぁ、まあいいけどさ……。七つ目ってのは“踊り場の鏡”の話でさ」


『踊り場に鏡なんてあったっけ……?』


「あぁ、もしかして旧校舎か?」


「あたりっ!」


 現在、旧校舎はいくつかの部活動のために開放されてはいるが、基本的に人の出入りは少ない。旧校舎は二階建てで、その階段の途中にある踊り場の話ということだろう。

 俺もほとんどど立ち入ったことはないが、怖いことが起きるといううわさは小耳にはさんだことがある。


「そうそう。で、その鏡の話が超怖くて――」






 岸本が言うには、それは今から三十年以上も前の話。

 

 とある放課後。


 そこに、一人の少女がいた。

 少女は鏡に映るおのれに問いかける。


「なんで私ばっかり……?」


 少女は特別、旧校舎に用事があったわけではない。


 少女はいじめにっていた。


 人の目に付く場所にいるだけで標的にされる。

 親に相談することもできなかった。


 少女はとても端正な顔立ちをしていた。


 だから少女は一人になるしかなかった。

 救いの手が差し伸べられることもなかった。

 

 少女にとって人が滅多に来ない旧校舎は安息の地だった。

 下校時間に、他人の目に付かないようにここでやり過ごすのが日課だった。


 今日も今日とて少女はこの踊り場でやり過ごす。


 だが、その日は――。

 魔が刺してしまったのかもしれない。


 鏡に映る自分に。


「消えたい――」


 そう願ったのだった。



 あくる日。


 少女が朝になっても帰って来ないという両親からの連絡を受け、学校で少女の捜索が行われた。


 少女は旧校舎で発見された。


 しかし、まるで少女の意識はなく。

 ただゆらゆらと魂が抜けてしまった様に呆然ぼうぜんとしているだけだった。


 その後、少女が口を聞くことは一度も無かったという。


 それからしばらく経ち、ある噂が流れはじめた。


 旧校舎。誰もいない踊り場の鏡から声が聴こえる。


 放課後の決まった時間に。

 ただ、「だして……ここから、だして……」と。


 多くの者は他愛のない与太話だと片付けたが。

 一部の者は違った。

 少女を発見した者たちだ。


 少女は魂を抜かれてしまったのではないだろうか。


 そんな馬鹿げた憶測おくそくが語られた。


 やがて噂は風化して行き。

 怖いもの見たさに踊り場に近づこうとする者もいなくなっていった。 


 現場にあった鏡を、少女の名前からとって「サキの鏡」。

 そう呼ぶのだそうだ。

 





「――んで、その女の子の捜索があったのが、ちょうど今日と同じ日らしいぜ」


『おいおい……』


「岸本、お前は馬鹿なのか」


 そんな話聞いて、よく肝試しするとか言えたもんだ。

 怖すぎんだろ……。実話かよ。


「それで、もしかしないでも、今日肝試しする場所って――?」


「そりゃあ旧校舎だろう!」


「『やっぱりパス』」


 魂抜かれてたまるかっ。

 というか、もうフラグでしかない。

 肝試しを最初に提案してきた夏目も嫌な顔をしている。


「頼むよお、一人で行くの寂しいじゃんかよ」


 こいつ一人でも行く気なのか。

 こういう能天気なやつが最初の犠牲者になるって決まりなんだよなぁ……。


「そもそも夜の旧校舎にどうやって忍び込むんだ?」


『ボロくても鍵はかかってそうだしね』


 ここぞとばかりに、肝試しを回避する理由を探る。


「それが実は、旧校舎のトイレの窓の鍵が緩いのさっき見つけちまったんだよねっ」


 コイツ、補習が終わってからまず旧校舎への侵入ルートを探してたのか……。

 馬鹿すぎて俺も夏目もあきれる。


「というわけで、夜九時に旧校舎前に集合な!」


「……………………………………………………」


 言って岸本はチャリにまたがり、返答と俺たちを置き去りにして、早々に帰ってしまった。


 俺と夏目は顔を見合わせ、溜め息を一つ。


「まあ、一人で行かせて魂抜かれても困るし……」


『しゃーなしだな……』



  ×××



「――かくして、谷口一行は戦地におもむくのであった」


「何その喋り方っ。戦地って、ただの旧校舎でしょ?」


 そのただの旧校舎に行くのに当時、俺は四回も引き返した。

 運動嫌いで有名な俺が「ランニング行ってくる」と有り得ない嘘をついて家を出たくらいには動揺していた。

 

「夜の学校、ちがいかつくて、その時点でちびりそうだったんだけど」


「そうかなあ? 夜の学校ってなんかワクワクしそうだけど」


 お泊まり会じゃないんだから。

 いや、お泊まり会でもちびってたな、俺……。


「でも、その踊り場の話は初耳だなあ」


「まあ、結構昔の話みたいだし」


 俺もその当時、初めて聞いた。

 そして、岸本の作り話だと信じたかったが、あの馬鹿の頭であそこまで詳細な話を作れるとは思えなかった。


「それで、肝試しはどうだったの?」


「ああ、ここからが本番なんだけど――」



  ×××



「なあ岸本、ちょっと暗すぎやしないか……」


『めっちゃ寒いんだけど』


 引き返してランニングしとけばよかった。

 旧校舎に足を踏み入れた瞬間にそう後悔した。


「まだ入ったばっかじゃんか。とりあえず話にあった踊り場までは行こうぜ」


 岸本が持ってきたライトの明かりを頼りに長い廊下をじっくりと進んでいく。

 廊下の一番奥に階段がある。


 ――ガタガタッ。


「ぅわっ」


『びびったぁ』


 窓が風に揺れただけだ。

 暗いと、身の回りのわずかな物音に過敏かびんに反応してしまう。


「そんなゆっくり歩いてちゃ、中々つかないぞ」


 先頭を行く岸本がいつもより頼もしく見えるのは何故だろう。


 しかし。

 中々つきたくないんだよこっちは。

 泣く泣く歩いてんだ。


「踊り場見たらすぐ帰るからな」


「分かってるって。でもせっかく来たんだし、楽しもうぜ」


 何を。

 俺は何を楽しめばいいんだ。

 

 岸本が照らすライトの先に変なモノが見えてしまわないかが不安で仕方がない。

 かといって明かりがなければ進むこともできない。

 なんだこのジレンマは。


「お、そろそろだぞ」


 そうこうしているうちに階段付近までやって来た。


 ――おっと。


 一瞬こけそうになる。


『おい足踏むなよ智也』


「あ、ごめん」


 変なものを踏んづけたと思って心臓が凍るところだった。


「よし、行くぞ」


 今日ばかりは岸本の明るさに救われながら。

 いや、でもここに来た原因こいつだよなと思いつつ、なんとか歩みを進める。


 一段、二段……とじっくり階段を上がっていく。


 そして最後の一段を登り終え、目的地に到着する。


「……案外普通の鏡だな」


 つまらなそうに岸本が言う。


「そりゃあそうだろ」


 でも鏡をじっくり見るのは怖い。


 すると外の風が止み、一瞬ピタッと静かになる。


 途端に自分の鼓動が大きくなったのを感じた。


 鏡に反射する心許こころもとないライトの明かりがじわじわと律動している気がする。


 まるでこの空間が生きているように思えた。


 そして。


 ――パンッ。


 乾いた音がして、明かりが消えた。


「――ぅわあああああああああああああああああああ」


「落ち着け智也、落ち着けって」


「なんでなんで、なんで消えた、てかお前どこ」


 俺はその場にへたり込んで、キョロキョロするしかない。


「ここにいるって」


「ライトは?! なんで消えた」


「多分電池が切れたんだ」



『……の中にいらっしゃい――』



「お前なんか言った?」


「いや、なんも」


「なんか声したんだけど」


「は? なんも聞こえてねえけど」


「いや、でも」


「ちょっと待ってろ、予備の電池持って来てっから」


 岸本はテキパキ電池を入れ替えると、先ほどよりも大きな明かりがすぐに点いた。

 鏡に自分の間抜けヅラが映っていた。


「なあ、岸本……、夏目どこだよ……」



「――は? 誰だよ、それ」






 翌日。

 夏目は学校に来なかった。

 

 いや、“夏目”という生徒がそもそも学校にはいなかった。


 岸本に何度聞いても、俺たちは二人で肝試しに行ったのだと言う。

 担任にも掛け合ってみたが、そんな生徒は知らないの一点張りだった。


 何が起こっているのか分からなかった。

 

 俺は今まで誰と会話をしていたのだろう。

 誰と遊んでいたのだろう。


 訳も分からないまま時間が経つと、次第に、夏目なんていなかったのではないかとさえ思うようになった。


 過ぎていく時間の中で、自分の中から夏目という存在が消えていくのを感じた。

 どうしてだろうか。

 彼女との思い出は日を追うごとに思い出せなくなっていく。


 あの時、聞いた声はなんだったのだろう。


 俺はただ、心に残る思い出の残滓ざんしが無くなってしまわないように、握りしめて、もがく事しか出来なかった。


 それでも、小さな記憶のカケラは指の隙間からこぼれていく。



  ×××

 


「え、それで、夏目さん、え、どういうこと?」


 まあ、そうなるわな。

 俺も混乱した。


「みんな夏目を思い出せないんだよ。俺はそう思ってる」


 ただ、一番関わりのあった俺はまだちょっとだけ思い出せる。

 みんな、そんな奴は知らないと言うけれど、思い出せないだけだ。


 あの鏡に存在そのものを吸収された。

 そういうことだ。


 そんなオカルト有り得ないと誰もが思うだろう。俺も思ってる。

 だが、すがるしかない。

 そうしないと、彼女の残滓がすべて消えてしまうと思ったから。


 でも、声をあげて彼女の存在を訴えるのはやめた。

 俺が居ないものとして振る舞われはじめたからだ。悲しいことに。


「なんか、すごい話聞いちゃったね……」


 こんな話、さらっとするものでは無いのだろうが、神妙になって話せば話すほど馬鹿らしくなってしまった。


「はい、お話し終わり」


「りょーかいっ、私もそろそろ教室に戻らなきゃ」


 すると空が光って。


 ――ッドガーーーーンッ!


「ぅわ」


 遠くで雷が落ちたようだ。


「智也ビビり過ぎっ」


 そういう性分なんだ。

 雷は小説の中だけにしてくれ。


 と、背後から聞きなじみのある声がした。


「――よおっ!」


 言って、そいつは俺の肩をばしっと叩いてくる。


「いってぇ」


 相変わらず力加減を知らないやつだ。

 ひりひりとする肩をさすりながら、そいつに振りかえる。


岸本きしもと、お前なぁ……」


「わりぃわりぃ」


 全く悪いと思ってない奴の謝り方のお手本をありがとう。


「んで、何ぶつぶつ喋ってたんだ? 智也、最近また独り言多いぞ」


「いや、何も。次移動教室だろ、行こうぜ」


「おうよ」




  〇〇○




 谷口智也くん、君は一つ間違ってたよ。

 でも、無理もないかな。

 私も驚いたもの。


 たしかに、夏目さんは存在していたよ。

 君の中にね。

 

 みんなに夏目さんのことが分からないのも当然だよ。

 だって君の中にしかいなかったんだもの。


 でもおかげで、私はあそこから解放された。


 感謝してるよ、夏目さん。



 ――そして、多重人格者の谷口智也くん。



 あの日、君たちが来た時、チャンスだと思った。

 三十年以上もあんな場所に閉じ込められた私の魂はズタボロだった。


 恨みしかなかった。全てが憎かった。


 何度も脱出を試みたけれど、強力なに引っ張られて動けなかった。

 

 でも君が来たことによって、状況は一変した。


 君の心の中にはたくさん隙間が空いていたから。


 だから、あの踊り場から、消えたいと思った君の心を利用させてもらった。


 は君の魂を掴んで引き込み、私は君の空いた隙間に収まった。


 でも鏡が引き込んだのは、君ではなく、彼女だった。

 

 だからごめんなさい、夏目さん。


 でも、私、悪く無いよね。


 だって、三十年以上待ったんだもの。



 

  〇〇○




 ――放課後。


 雨が本降りになっていた。

 雷も頻度を増している。


 ピカッとひかると、空にヒビが入ったように、それは駆け抜けていく。

 

 旧校舎の踊り場にやって来た。

 技術室から拝借した金槌かなづちを持って。

 

「――せーのっ!」


 と振りかぶり。

 バリィィーンと音をたて、鏡は目の前にくだけ散った。


「ごめんね、夏目さん。こうするしかないの」


 だって、ほんとに笑えるでしょ?

 彼をかばって身代わりになるなんて。


 でもあなたは偽物。

 彼の作り出した幻想。

 

 私は違う。

 私は私をいじめた奴らを許さない。


 だから私は――。


 まあ、とりあえず。


「コーヒー飲もうーっと!」




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サヨナラは鏡に映らない 鳳ウサギ @ohtoripyon

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