視点がごっちゃになるのはダメなのか?
小説の書き方については「一人称視点」と「三人称視点」という書き方があるというのを、前作「ワタシトノベル」でも触れてきました。
「一人称視点」というのは、ある登場人物の視点から描いたもので、地の文はその登場人物が語るように進める書き方です。
「三人称視点」というのは、ある場面をカメラで覗き、そのやり取りを客観的に書く方法です。
一人称視点と三人称視点の違いは、地の文が「主観的か客観的か」であるといえると思います。ところが、これらがごっちゃになっている作品がいくつか見受けられます。つまり、途中まで一人称だったのに、突然三人称の書き方に変わる、というものです。
例えば途中まで「俺は~をした」という一人称の書き方なのに、その視点となっている人物を名前で書いて「山田は~をした」という三人称の書き方になる、という感じです。
このように一人称視点と三人称視点をごっちゃに書いた場合、どのような問題があるのでしょうか。
【結論:とにかく「読みにくい」】
結論から言えば、「とにかく読みにくくなる」というデメリットがあります。
例えば一人称で進める場合、読者は「この話はこの登場人物の視点で読めばいいのだな」というマインドセット(簡単に言えば「心の準備」)ができます。しかし、途中で三人称視点が混ざると、「え、あれ、これ誰の視点?」となって読者が混乱してしまいます。
上記の例で言えば、一人称で進んでいて突然「山田は~をした」という文章が入ると、「これは別の誰かの視点かな?」と読者は考えてしまうと思います。そうなると、物語に集中することができなくなってしまいます。
【場面転換での視点変更も注意】
私は一人称視点での視点変更はあまりお勧めしないのですが、時には必要な場合も出てきます。
その場合でも、場面転換したことが分かるようにしないと混乱しますし、頻繁に場面転換をすると一人称視点の良さが失われてしまいます。
三人称に置いても、「誰の話で、今どこにいるか」という情報を早く提示しないと、やはり読者は混乱してしまいます。
特に群像劇(主人公はいるが、多くの登場人物の視点から話を進める物語。「バトルロワイヤル」など)では視点の切り替えが多くなるため、注意が必要です(そもそも群像劇は分かりやすく書くのが難しいですので、書き始めたばかりの人にはあまりお勧めできません)。
【何故「ごちゃまぜ視点」がでてしまうのか?】
一人称視点と三人称視点を意図的にごちゃまぜに書く人はほとんどいないと思います。何故なら基本的に読みにくくなるからです。
視点がごちゃまぜになるのは、書きなれていない人に多いのではないかと思います。実際私の初期の短編では、三人称なのに主観的な意見が混ざっていたり、心情を主観的に書いていたりしていて今読むと読みにくい作品になっていると思います。
何故このような現象が起こるかと言うと、恐らく「ドラマ、アニメ、マンガに影響されているから」ではないかと思います。
ドラマやアニメ、マンガは一人称や三人称といった概念はなく、様々な視点から物語が進んでいると思います。しかし、それを一人称で表そうとするとどうしても視点の切り替えが必要になったり、客観的な書き方になったりしてしまいます。
また、「情報の出し方」にも問題があるといえます。せっかく自分が考えた設定ですから、全部の設定を書きたいと思うのではないかと思います。その結果、本来主人公が知るはずがない敵側の事情だったり、他の登場人物の情報だったりを書くために視点切り替えをしてしまい、結果として「知らなくてもいい情報を知ってしまう」という状況になってしまいます。主人公と情報を共有しながら進めることができるのが一人称視点の良いところなのに、その良さを失ってしまうわけです。
【「ごちゃまぜ視点」を避けるには?】
視点がごちゃまぜになってしまわないようにするためには、きちんと自分の方針を決める必要があります。また、外部からの影響も考えられるので、次のようなことを実行すると良いと思います。
・良書を読む
インプットの部分では、とにかく本を読むことです。しかも、ネット小説ばかりではなく、ヒットしている小説や有名な小説を読むのが一番でしょう。
例えば「一人称で書きたい」と思うのであれば、一人称で書かれている有名な作品、ベストセラーなどを手に取って読んでみることです。読めば読むほど良い方向に影響されるため、ごちゃまぜの書き方にはなりにくくなります。視点の切り替え方なども勉強になると思います。
ただし、中にはごちゃまぜの視点で書いている作品があるかもしれません。だからと言って安易にマネをしないようにしましょう。
・一人称、三人称のどちらで書くかをきちんと決める
アウトプットの面では、「一人称視点」にするのか「三人称視点」にするのかははっきりさせましょう。そのうえで、「一人称視点の時は客観的な判断を入れない」「三人称視点では主観的な判断を入れない」ということを意識すると良いと思います。
どういうことかと言うと、例えば一人称視点の場合、語り手の考え方がすべてとなります。つまり、「一般的にはこう考えるのが正しい」という場面でも、語り手の考えに基づいて書くようにしましょう(「普通はこう思うだろうが、俺はこう思う」というような書き方であれば問題ないでしょう)。
また、一人称では語り手が話しているように地の文を書く必要があるため、語り方が変に変わったりしないようにしましょう。突然話し方が変わると、別の人に視点が移ったのかと勘違いしてしまいます。
・一人称の場合は視点の変更を極力避ける
一人称視点の場合、語り手と情報を共有しながら話を進めることができるという利点があります。それにより、語り手の共感性が高くなりやすくなります。
しかし、その語り手が知りえない情報を別の所で得てしまうと、余計な情報が入ってしまい「情報をっ共有する」という目的が果たせなくなってしまいます。
従って、一人称視点で書くと決めた場合は、極力視点変更を避けた方が良いと思います。初めて書くのであれば「まったく視点変更をしない」という気持ちで書いた方が良いです。
とはいえ、一人称視点だからと言って視点変更してはならないというルールは無いですし、物語の都合上どうしても視点変更が必要な場合もあります。また、視点変更した方が物語が盛り上がる場合もあります。そのような場合は、「誰の視点で今の場所はどこなのか」ということをわかりやすくし、「どういう目的で視点変更をしたのか」ということを意識すると良いでしょう。
【あくまで「分かりやすく書く」のが目的】
以上、「視点がごちゃまぜだと何故ダメなのか」「何故視点がごちゃまぜになるのか」ということについて考察してきました。
しかし、これらはあくまで「分かりやすくする」「読みやすくする」というのが目的であり、視点がごちゃまぜでないだけで「面白くなる」わけではありません。
もしかすると、「視点がごちゃまぜでも面白い作品はある」と反論する人がいるかもしれませんが、それは視点以外に優れた点があるからです。例えば視点がごちゃまぜでも読みやすく書いているとか、見せ方が上手だとか、アイデアが突出しているとか、ストーリーが面白いとか、あるいは有名な作家だからという理由もあるかもしれません。間違っても「視点がごちゃまぜであるから」ではありません。
それらを考えずに視点をごちゃまぜにして書くと、「特にアイデアが突出しているわけでもなく、ストーリーが面白いわけでもない上に読みづらい」という作品になってしまいます。読みづらければ話も分かってもらえず、単に「読みづらい」というマイナス評価を受けて一次すら突破できなくなります。
それでも「読みづらくてもアイデアやストーリーが面白ければ読んでもらえる」と考えるのであれば、是非ともそのような作品を公募に出して入賞し、証明してもらいたいと思います。
アイデアやストーリーはいつ出てくるか分かりませんし、出版社によって好き嫌いもあります。しかし、「読みやすさ」や「分かりやすさ」はすぐにでも改善できます。読みやすい文章を心掛けていれば、いつか会心のアイデアが出た時に入賞できるレベルの作品が作れるようになるでしょう。
私が「読みやすさ」や「作法」にこだわる理由は、そういったところにあります。
ワタシトノベル 私の小説の書き方メモVer.カクヨム フィーカス @sacrifice
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