うしろすがた

つきの

あなたを探して

 ここは何処だろう。


 黄昏時には少し早いようだけれど、何だか仄昏い。

 空気の中をほこりの粒子が舞っているのが、光に透けて見える。


 校舎のような建物の中に、わたしはポツンと立ち尽くしていた。

 階段、踊り場……。

 教室のような部屋がいくつも並んでいる。

 何故だろう、とても静かで人の気配を感じない。

 だけど、不思議と怖くはない。

 ただ、どうしてか懐かしく、そして切なさに胸がふさぐ。


 部屋の前にある戸を開けて入ってみる。


 人はいないのに部屋には机があって、色々な形の電話。

 ダイヤル式の黒電話もある。

 随分と昔の電話が多いみたい。

 手に取って受話器をあげてみるけど、線が切れているのか、何も聞こえない。

 どれもそうだ。


 *


 そうだ、とわたしは思い出す。


 電話をしなければ。

 (誰に?)

 あのひとに。


 そう、あのひとに電話をしなければ。

 どうしてだか、連絡がつかない、あのひと。

 ずっと逢えないでいる、あのひと。


 *


 電話を借りるために建物の中を巡っていく。


 だけど、その電話は壊れているものばかり。


 そして、やっと見つけた電話。

 黒いダイヤル式。


 線は繋がっているんだけど、時間制限があるみたいで、わたしが番号を途中で忘れたり番号操作を間違えるために、なかなか繋がらない。


 焦れば焦るほど、ダイヤルを回す指は滑ってしまう。

 また、時間切れ、また、また……。


 わたしは泣きたくなる。

 番号すら最後まで回せない。


 それでも何とか番号を回し終える。

 呼出音が鳴る。


 プルルルル……プルルルル……


 お願い、繋がって、お願い。


 繋がった。

『もしもし』

 どこか遠くからのような男女のわからないような声


「もしもし、すみません、そちらに、あのひとはいませんか?」

 わたしは必死でたずねる。


『いいえ、こちらにはおりません』

 答えはそっけない。


「それなら、何処に行ったか、ご存知ありませんか? ご存知なら、どうか教えて下さい」

 わたしは、追いすがるようにたずねる。


『私にはわかりません』

 そう言って電話は切れた。


 受話器を持ったまま呆然とする。

 どうすれば逢えるの?

 頭の中で、あのひとに繋がるものを思い出そうとする。


 *


 そして、部屋を出て歩き出す。


 まずこの建物を出て、それから、それから……昔、住んでいた家に行ってみよう。

 何処だったっけ、ほら、あの小さな教会の前のアパート。

 そんなことを考える。


 *


 階段を降りて、踊り場に立ち止まった時に、目の端に人影が見えた。

 あのひとだ。


 わたしは影を追って駆け出す。

 何度も足がもつれて転びそうになる。

 降りる階段は何故か終わりなく続いている。


 待って、待って、待って……!


 後ろ姿だけが見える。

 懐かしい癖のある歩き方。


 あのひとは歩いていて、わたしは走っているはずなのに、わたしの足は重くて、なかなか前に進まない。


 声を、さっきから、声をかけているはずなのに、あのひとには聞こえていない様。


 階段は、まだまだ続いている。

 わたしは、また足をもつれさせて、転んでしまう。

 転げ落ちていく。

 あのひとが、見えなくなる。


 *

 *

 *

 *

 *


 目が覚めた。


 此処はどこ?

 テーブルにうつ伏して、眠ってしまっていたらしい。


 ああ、此処は……わたしの一人暮らしのアパート。


 *

 *

 *


 部屋の隅には、小さな仏壇。


 ああ、そうだった。


 もうすぐ一年になる。

 あのひとは逝ってしまったんだった。


 ゆっくりと立ち上がって、カレンダーと時計を確認した。

 良かった、日曜日。

 仕事は休みだ。


 まだ、こっちに魂の半分しか戻ってきてないみたい。


 ぼんやりと仏壇の前に正座して、そっと蝋燭ろうそくに火を灯す。

 お線香に火を灯すと、細く煙があがる。


 手を合わせる。



 ねぇ、どうして夢の中でまで置いていっちゃうの?

 電話にくらい出てくれたっていいじゃない。

 後ろ姿だけみせたりして。


 ばか。


 怒ったっていいよね?

 何度だって文句いうよ。

 だけど、忘れないから。

 忘れてなんかやらないからね。



 おりんを鳴らすと、写真の中のあのひとが、ちょっと苦笑したようだった。


 もう歳を取らない幼なじみ。

 わたしの夫。


 *


 ……ねぇ


 あのね


 今日の夕食は好きだった肉じゃがにするよ。



(了)

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うしろすがた つきの @K-Tukino

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