さよならの笑顔

高梨 千加

さよならの笑顔

 6月29日、土曜日。今日は近所にある市営プールのプール開きの日だ。

 小学5年生の莉乃りのは友だちの有紗ありさと一緒にプールに行く約束をしていて、プールそばの公園で有紗を待っていた。


 この日をずっと楽しみにしていて、そわそわと落ち着かない。

 有紗ちゃん、早く来ないかな。

 公園内を見渡してみるけど、その姿は見えなかった。


 こんなことなら、お母さんのスマホを借りてくればよかったかも。

 莉乃はまだ自分のスマホを持っておらず、友だちと連絡を取るときは母のスマホを借りてしているのだ。


「お待たせ」

「ひゃっ」


 肩をいきなりポンッと叩かれて、莉乃の背中はあわ立った。

 ふり向くと、ビニールバックを持った黄色のワンピース姿の有紗が笑って立っていた。

 さっきまでどこにも姿がなかったのに、いつの間に来たのだろう。


 莉乃の立つ位置からは360度見渡せて、前後左右とぜんぶ確認したはずだった。わりと大きな公園なので、公園の入り口からここまでも少し時間がかかる。ダッシュでもしない限り、さっきまでいなかった人がここにいるわけないのだけど、走る音なんてしなかった。

 莉乃を驚かそうと、どこかに隠れていたんだろうか。


 不思議に思いながらも、莉乃は有紗に笑いかけた。


「びっくりしたー」

「ごめんごめん。驚かせるつもりじゃなかったんだけど」

「ううん。それよりプール楽しみだね。行こっか」

「うん」


 莉乃たちは早速、市営プールに向かった。



「あれ、有紗ちゃん。新しい水着?」


 更衣室で着替えていた莉乃は、有紗の身に着けた水着に見覚えがなくて尋ねた。有紗とは、3年生のときに同じクラスになって以来の友だち関係で、去年も一昨年も一緒にプールへ来た。水着もいくつか見たことがあり、今日の水着は初めて見るものだった。


「そうなの。昨日、学校のあとで、お母さんに新しい水着を買いに連れてってもらったんだ」

「いいなあ。わたしも欲しくてお母さんに頼んだんだけど、まだ着れるからダメって言われたの」

「えへへ、いいでしょ」


 はにかみ笑いを浮かべる有紗を見ながら、莉乃は羨ましくて仕方がなかった。

 去年は可愛いと思っていた赤地に白い水玉模様のワンピースタイプの水着が、今年は子供っぽく感じて気になっていたんだ。

 有紗は少し大人っぽい水着にしたようで、白地に黄色やピンク色の花が描かれたビキニの水着だった。


「やっぱり、もう一度お母さんに水着買ってって頼んでみよう」

「うん、そうしてみなよ。それより、早く泳ごう!」

「そうだね!」


 莉乃と有紗は笑いあいながらプールへ向かった。



「あー楽しかった!」


 ひとしきり泳いだ莉乃と有紗はタオルでぬれた髪の毛を拭きながら、市営プールの建物を出た。


「あ、ねえ、有紗ちゃん。かき氷食べない?」


 市営プールを出てすぐのところにはかき氷の屋台が出ていて、泳いだあとにかき氷を食べるのが毎年の定番だった。これをすると夏が来たな、と感じる。


「ごめん、わたしもう帰らなきゃ」

「え、そうなの?」


 有紗が顔の前で手を合わせて、ごめんねのポーズをする。

 何か用事があるのだろうか。


「うん。莉乃ちゃんは良かったらかき氷を食べて帰って。バイバイ」

「えー」


 一人で食べてもつまらない。だけど、仕方ない。


「それじゃ、また月曜日にね」


 と言いながら、莉乃は手を振った。有紗は笑って振り返すと、返事はせずに走って行った。

 その背を見送っていると、有紗の姿がぼやけた気がした。


「えっ!」


 慌てて目をこする。何か入って視界がおかしくなったんだろうか。

 再び目を開けたときには、有紗の姿はなかった。


 ……有紗ちゃんの足が速かっただけよね、きっと。


 得たいの知れない不気味な気持ちが胸を巣食う。

 この気持ちをごまかしたいような衝動にかられた莉乃は、気持ちを切り替えるために大好きなかき氷のいちご味を買った。


 甘くて、冷たくて、一人でも楽しい気分になる。

 食べながら公園を出て、数歩。莉乃はふと立ち止まった。

 でも、有紗ちゃんって走るの遅かったよね。細くて速そうな見た目なのに運動音痴で、50メートル走ではいつもクラスでビリだった。

 それを思い出し、背筋が冷える。


「いやいやいや、たまたま木の影にいて見えなかったとか、それだけでしょ。何考えてんの」


 きっと待ち合わせのときと同じで、莉乃をびっくりさせるためにどこかに隠れたんだ。そうに決まってる。

 しゃくしゃくしゃく、とかき氷を食べる。

 いつも通りおいしい。何もおかしいところはない。



「ただいまー」

「莉乃、あんたどこにいたの!」


 家に帰るなり、母がすっ飛んできた。


「どこってプールだよ。家出るときに言ったじゃん」

「プールって、一人で泳いできたの?」


 髪の毛のぬれた莉乃を見て、母は目を丸くした。


「一人?」


 意味がわからず、莉乃は首をかしげた。

 その途端、母が悲しげな顔をした。


「有紗ちゃん、来なかったでしょ。有紗ちゃんのお父さんから連絡をもらって、待ち合わせ場所って言ってた公園まで追いかけたんだけどね。姿が見えないから、莉乃までどうにかなっちゃうんじゃないかって肝が冷えたわ」

「何、言ってるの……お母さん」


 莉乃は笑おうとして、失敗した。

 母は莉乃の両肩を掴むと、中腰になって目線を合わせた。


「落ち着いて聞いて。有紗ちゃん、昨日事故にあって、今朝方亡くなったんだって」

「え……」

「お母さんと新しい水着を買いに行った帰りらしいわ。信号無視の車が突っ込んできて……」


 それはプールで有紗から聞いた話と符合する話だった。

 でも、それじゃ、今日遊んだ有紗ちゃんは一体、だれ?

 莉乃は白昼夢でも見ていたのだろうか。

 それとも……。


 最後に見た有紗の笑顔を思い出した。

 また月曜日に、という莉乃の言葉に決して返事をしてくれなかった。


 有紗ちゃんは自分が死んだことに気付いていたのかもしれない。

 最期に会いに来てくれたなんて、喜ぶべきなのかもしれないけど、莉乃は喜べなかった。お母さんに抱き着くと、涙が枯れるまで泣き続けた。

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さよならの笑顔 高梨 千加 @ageha_cho

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