遠藤塔子は間違えたい

千原良継

遠藤塔子は間違えたい

 私の人生の最初の記憶は、産まれた直後の病院で聞こえた赤子の泣き声だ。


 恐らく隣の保育器に寝かされていたどこかの赤ちゃんだったのだろう。弱々しく、けれど生命の力に溢れたその泣き声を、私は今でも思い出すことができる。


 ……そんな話をすると、聞いていた人はかならず眉をひそめて私を見つめる。それもそうだろう。「幼児期健忘」という言葉がある。三歳までの記憶というのは、成長していくにつれ、ほとんどの人が忘れてしまう。


 だから、私が生まれた直後の記憶を持っているというのは、相当に眉唾物の話なのだ。


 しかし、その後私の顔を見直して、聞いていた人は思い直すのだ。


 ああ、なるほど『この子』ならば、と。


 遠藤塔子えんどうとうこなら――ありえない話ではないと、そう思うのだ。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 私が、他の人との『違い』を理解したのはいつからだったろうか。なんて、思い出す必要もなく、私は覚えている。


 それは、幼稚園の入園式。園長先生が入園した園児へ挨拶する声が聞こえてくる中、私は呆然と周りの園児を見つめていた。


 なんだ、これは。


 それまで、両親や祖父母などほんの一握りの人としか接していなかった私の世界は、幼稚園に入ることによって一気に広がった。


「あ゛ー! あ゛ー! あ゛ー!」


 親から離れたのが心細くなったのか、床に座り込んで泣きじゃくる『きくち』君。


「あーん、いたーい! いたーい!」「だあああああああ」


 隣の女の子の髪の毛を引っ張っては、お母さんに頭を叩かれて注意を受ける『おおた』君。


「ほふくぜっし、ほふくぜっし、ほふくぜっし」


 一番謎だったのは、園長先生が話をしている中、皆の足の間を匍匐前進しつづける『ゆみづか』君だったろう。いまだに、何がしたかったのかは分からない。


 他の子も似たり寄ったりで、静かで大人しい子もいたが、それは子供特有の大人しさで。すでに、大人に近い自我が形成されていた私にとって、幼稚園の雰囲気はあまりにも馴染めない異質な空間だった。


「あ゛ー!」

「だあああああああ」

「ほふくぜっし、ほふくぜっし」


 こんなところで二年間も過ごさないといけないのだろうか。


 とてつもない絶望感が襲ったのを覚えている。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 あまりの周りとの違いに、私はいつしか一人で過ごすことが多くなった。幼稚園にある本は絵本ばかりで、すでにそういうものを卒業していた私は、家から持ってきた本を読んでは、次の本を読む、といった繰り返しの日常だった。


 周囲では、他の園児が駆けまわり、遊んで、喧嘩して、仲直りをして、少しずつ子供なりの人間関係を構築していっている。


 私だけが、その輪から外れていた。


 幼稚園の先生や両親も、その姿に不安を抱いていたが、私には他の園児と行動を共にするのはどうしても無理だった。


 違い過ぎる。


 彼等の話は、脈絡が無く、何を話していても唐突に話題が変わり、起承転結もない。一度心を無にして辛抱強く聞いてみた『ゆみづか』君の話は、『昨日見たアニメの主人公がお父さんから買ってもらった隣の家の犬がワンワンないてて甘くておいしかったからほふくぜっしほふくぜっし』と駆け回る園児達の足を器用に避けながら匍匐前進で去っていき唐突に終了した。意味が分からない。


 ……けれど、まだこの頃はましだったと言えるだろう。


 幼稚園の二年間の私は、せいぜい『ちょっとおませな女の子』程度な感じだった。


 決定的に『違い』を実感したのは、小学校に入ってからだった。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 小学校の授業は退屈だった。どれもこれもが、既に見たモノ読んだモノばかり。幼稚園で読書が趣味となっていた私は、いつしか読むものがなくなり小学校の教師をしていた母親の持っていた教材である教科書を、暇つぶしに読んでいたのだ。

 幼稚園の終わりごろには、小学生の教科書は何度も読みつくしてしまい、仕方なく父親の中学校の教科書を読んでいた。


 そんな私にとって、小学校の授業というのは今更感があり過ぎた。


 それに時々やるテストというのも意味が分からなさ過ぎた。こんな事をやって何の意味があるというのか。

 いつもいつも不思議な思いに駆られながら、私は答案用紙に鉛筆を走らせていた。他の子たちが、時間をかけて答案用紙に向かっているのが理解できなかった。何をそんなに時間をかける必要があるのだろう。


 ――その疑問の『答え』は、とあるテストの結果発表の時だった。


「はい、遠藤さんは今回も満点でした。みんな拍手ー」


 担任の女性教諭が、パチパチと手を叩くと教室のみんなも合わせて手を叩く。小学生の低学年の頃は、こういう時に斜に構えて手を叩かないという子もいない。みんな、「もういいわよー」という担任の声が無ければいつまでも手を叩きそうな勢いだった。


 拍手に包まれながら、私は答案を担任から受け取る。赤い丸がいくつも並び、花丸と百点の数字。いつもの結果だ。いつもと変わらない、いつもの風景。


 違ったのは、一人の生徒の声だった。


「とうこちゃんは、なんでいつも満点なのー?」


 それは、何てことないふと浮かんだ疑問。聞いてみた生徒にとっては、深い意味などなかっただろう。


 そして、私自身も答える内容に深く考えることはなかった。


「……だって、『答えのところに書かれた文字をなぞっている』だけだもの」


 そう。テストというのは、解答欄にうっすらと書かれてある『答え』を鉛筆でなぞっていくだけのものではないか。


 いつもいつも、


 この作業に何の意味があるというのだろう?


 なぜ、他の子たちは、この灰色の文字の通りになぞらないのだろうか?


「遠藤さん? 何を言っているの?」


 担任が、理解できないといった表情で私を見つめる。


「いんちき?」「ズルしたの?」「あ、おれ知ってるー。それ、かんにんぐって言うんだぜー」「えー、とうこちゃん、わるいことしたのー」


 クラス中がざわつき始める。


 私は、その時自分が言った言葉がひどく異質なものだということを知った。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 私のカンニング疑惑は、素早く終息した。


 その後何回も行われた抜き打ち的なテストで、私自身の学力に問題が無い事。そればかりか、小学一年生の時点で中学三年生と同等の学力を有していることが証明されたからだ。


 ちなみに中学三年生と同等だったのは、単に家にあった教科書がそこまでしかなかったからだ。

 もし、高校生の教科書があれば、もう少し上だったのかも知れない。


 ついでに行われたIQテストで、私はかなり高い数値を出したらしい。興味もなかったので、くわしくは聞かなかった。「マリリンよりも高い!」と興奮していた人物もいたが、私には何の意味もない。


 そんな事よりも、もっと私には考えるべき事があった。


 どうやら、他の人にはあの灰色の文字は見えていないのだ。


 テストの答案や、問題集、本屋に売ってあるクイズの雑誌や、日曜の新聞に記載されているクロスワードパズル。


 いつも見えている灰色の『答え』


 それが私以外には見えていないらしい。なるほどと合点がいった。どうして、文字をなぞる作業があんなにも巷に溢れているのか。あれらは、本来『空白』になっているのだ。他の人が、あんなにも時間をかけているのは、『空白』を『答え』へと変えていく作業だったのだ。


 では、私にだけ見えている灰色の文字。これにそって、答えを書くことは他の子たちが言っていた通り『ズル』ではないだろうか。そんな風に思った事もあった。


 だが、しかし、灰色の文字に頼らずとも私自身で答えを導いても結局同じ『答え』に辿り着く。一度聞いたこと、読んだことは私にとっていつでも呼び出せる参考書に等しく、どんな問題も解くことができた。もはや、答えるのが、早いか、遅いかの違いでしかない。


 いつしか私は、テストの答案用紙の灰色の文字をなぞることに何の感情も沸かなくなった。


 灰色の文字をなぞり、満点の答案を受け取る。


 周りのみんなが『空白』に挑戦するなか、私一人だけが『正解』という名の意味もない作業を繰り返す。


 私の人生に『間違い』はなく、ただ『正解』だけがあった。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 中学生になった。


 あいもかわらず私の視界には灰色の文字が溢れている。


 周りのみんなは、小学生の頃よりも成長しているのが分かる。小さい頃から、何度となく挑戦し続けている成果が表れているのだろう。


「遠藤さんは凄いよね。今度のテストも満点だったね」


 そんな周りの人の声が、ひどく虚しく聞こえる。


 確かに私は『正解』し続けている。一年ほど無理やりに灰色の文字を見ないように努力した時期もあった。しかし、結果は同じだ。


 私自身の知能と、灰色の文字をなぞることは同じ。


 何をするにしても、灰色の文字が浮かんでくる。最近になって、その能力があがってきた。


 黒板やノート、ホワイトボードなどに文字を書こうとすると、教科書のように綺麗なフォントのような文字が灰色に浮かんでくるのだ。


 まるで、その通りに文字を書くことが『正解』とでも言うように。


 そして、私は抵抗することもなくその通りに文字をなぞっていく。


「綺麗な文字だね!」


 と褒められることも増えた。


 私の人生に『間違い』はなく、ただ『正解』だけがあった。



『正解』しか無かった。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


「綺麗な文字だな」


 中学三年生になった初日。授業合間の休み時間に、私の席の横になった男子生徒から、声をかけられた。

 眼鏡をかけたその表情は、すこし大人びていて、その口調によく似合っていた。


「だが、面白みのない文字だ」


 彼はそう言うと興味を失ったように、自分のノートに目を戻した。

 はじめて交わした会話がこれである。

 初対面の相手に、何でいきなりそんな失礼な事を言われなければならないのか。


 私は思わず彼に呟いた。


「綺麗な文字で何が悪いの?」


 今、書いていたのは先ほどの授業を纏めていたノートだ。たとえ、灰色の文字が見えていても、私は授業の予習復習は欠かしたことはない。

 ノートには、灰色の文字をなぞって書いた綺麗な『正解』の文字が文章を連ねている。


 何の問題もないはずだ。


 私の疑問に、ノートに目をやっていた彼は、軽く嘆息すると私の方を向いた。


「遠藤の噂は聞いて知っている。小学生からのテストすべてで満点を取ってきた才女。小学生の時に東大の受験問題を解いたとか。IQテストも驚くほどの数値が出たとか。クロスワードパズルを漢字の書き取り並みに何も考えていないような速さで解いてしまうとか。あまりに噂が凄すぎて、いくらかは話を盛っているのではと思っていたが、本人を見る限りむしろ過小評価されていたと思っている」


 淡々と話す彼の様子に、褒められていると気づいたのは、数秒後の事だった。


「……それはどうも」


「だがしかし」と、彼は眼鏡のズレを指でくいっと直した。少し神経質そうなその仕草が不思議と似合っているような気がした。


「同時に少し落胆もしている。遠藤、お前はどうも生きているという事に対して何の興味も持っていないようだ」


「それは失礼すぎる言い方。私がどう感じているのかなんてあなたが分かるはずがない」


「『俺が分かるはずがない』と、お前が分かるはずがない」


 彼がニヤリと笑う。


「そういう言葉遊びは嫌い」


「ほお? お前に好き嫌いという感情があったのは驚きだ」


「いい加減にして。なんで、初対面のあなたにそこまで言われなくてはならないの。あなたなんかに私の事が分かるはずがない」


 そう言いつつも、私は彼の言葉に引き込まれずにはいられなかった。


 生きているという事に何の興味も持っていない。


 そう言語化された時、私はストンと腑に落ちた気がしたのだ。灰色の文字にしたがって、『正解』の人生を歩む私は、傍から見たら羨むべきものなのだろう。しかし、私は『正解』することに疲れ始めていた。答案用紙を見るたびに、灰色の文字が『正解』以外を書くことを拒絶している感じがしているのだ。私の生活は、灰色の文字に従う事を強制されている。私は、どうして『正解』し続けているのか。そこに意味はあるのか。そこに意志はあるのか。そんな事を考えるのも億劫なくらい私は疲れていた。そして解決しようとも思っていなかった。


 まさしく――生きているという事に何の興味も持っていなかったのだ。


 そんな事を考えていたから、男子生徒が呟いた次の一言にうまく立ち回ることができなかった。


「『灰色の文字』……『正解』……か。なるほど。遠藤、それがお前の奥底にあるキーワードだな?」


「……なぜ?」


「ふむ……『文字をなぞる』……ああ、答案用紙の解答欄に灰色の文字が答えとなって見えるのか。だが、予習復習をかかさないところを見ると、それに頼っているわけではないようだな。『正解』というキーワードが強く反応することを加味すると……自分の努力である勉強の成果とまったく同じ『答え』を毎度毎度無理やりに見せつけられるわけか。自分で答えを考えたくとも、問題を見た瞬間『正解』も見てしまう。なまじ、記憶力がいいために、瞬間的に見た『正解』を見なかったことにすることもできない、か」


「ど、どうして……」


「『正解』が『灰色の文字』となって見える……確かに、あまり嬉しくはない特技だな」


 彼は呆然とした私を見て、肩をすくめた。彼が眼鏡を外していることに、その時ようやく気付いた。


「俺も持っているんだよ。他人の顔を見ると、相手の考えていることが脳裏にイメージとなって浮かんでくるという……つまらない特技が、な」


 彼――倉田怜一郎くらたれいいちろうはそう言って、本当につまらなさそうに苦笑した。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


「自分の特技に気づいていなかった幼少の頃は最悪だった。毎日毎日、自分が考えてもいないような色々な雑多なイメージが頭の中でごちゃまぜに襲ってくるんだ。自分の特技に気づいても状況は変わらない。小学生の頃は、毎朝満員電車に揺られて通学していた。月曜日の朝の満員電車で、乗っている乗客がどんな事を考えているか分かるか?」


「帰りたい?」


「ご名答。まだ自分の特技という存在に折り合いがついていなかったからな。読み取ったイメージに、自分の感情がひきずられることはよくあった」


「ということは……」


「駅に着いたとたんに、家に帰るというのが月曜日の日課だった」


 放課後、一緒に帰ることにした私達は、互いの昔話をしていた。


 倉田はかけていた眼鏡を手に取った。レンズはついているが、度は入っていないらしい。いわゆる、伊達メガネ、というやつだ。


「しかし、月曜日のたびに学校に行かずに帰るのは生活に支障が出るんでな。小学三年生の時に、自分の特技を抑制することにした。それが、この伊達メガネだ。これをつけている間は、俺は相手の考えていることが脳裏に浮かぶことはない」


「……!」


 自分のこの現象を抑制する。そんな事考えたこともなかった。制御する、という発想すらなかった。


「……もちろん簡単ではなかった。俺が、自分の特技を完全に制御できたのは一年ほど経ってからの事だった」


 倉田が私を見つめる。


「遠藤。俺がお前に近づいたのは、俺と同じ雰囲気を感じたからだ。他人のイメージに塗りつぶされて自分という存在が無くなりかけていた頃の俺と、『正解』という一択しかない人生に果たして自分という存在が意味があるのかと考えているお前。どちらも、特技に振り回されている」


 倉田は、再び眼鏡をかけた。


「俺は、自分の特技を抑制することに成功した時思ったんだ。もし、同じような環境で苦しんでいる人を見かけたら、絶対に力になろうと」


「……力になる?」


「ああ。遠藤、お前が良ければなんだが。その灰色の文字を、消したくはないか?」


 倉田の言葉を聞いた瞬間、言いようのない衝動が私を襲った。


「保証はできない。確実とは言えない。だが、試してみる価値はあると思う」


「灰色の文字が……見えなくなる?」


「ああ、そうなる可能性はゼロじゃない」


 私の人生に纏わり張り付いている灰色の文字。それが無くなるというのか。見ずに済むというのか。


 心臓の鼓動が早くなる。


 どうしたらいいのだろう。どうすればいいのだろう。はたしてそんな簡単に灰色の文字が消えてなくなってくれるのだろうか。一体、どれだけの時間がかかるというのか。そんな不確かな事柄に、会ったばかりの彼を付き合わせてしまっていいのだろうか。無駄な時間が過ぎゆくばかりじゃないのだろうか。


 どう答えるのが『正解』なのか? もし、今の状況が答案用紙に書かれていたら、灰色の文字は何て書かれてあるのだろう?


「……、遠藤」


 私の心を読んだかのように倉田が囁いた。伊達メガネはかけたままだった。


「俺と一緒に特技を制御することを学ぶのか、学ばないのか。この選択に、正解は無い。どちらを選んでもいいんだ」


「どちらでもいいの?」


「その選択が、お前の意志であるのならな。ただ、まあ一言添えるとするならば……」


 倉田は、真面目くさった顔で言った。


「俺と一緒に学んでくれた方がいいな。そっちの方が、俺にとって都合がいい」


「倉田の都合?」


「ああ、俺はお前の特技を抑制することを教える。じゃあ、お前は? 俺だけが教えるのは不公平だとは思わないか?」


「私は思わない」


「俺は思う」


 ……かなり強引な考えの持ち主のようだ。


「だから、お前は俺に苦手教科を教えてくれ。悪いが、俺以上の学力を持つ生徒はお前以外いないんでな。それで、バランスが保たれる。俺はお前に教える。お前も俺に教える。どうだ?」


 私は、はぁと嘆息した。まったく。どうしようもない。何て言い方だ。


「それでいい。平等」


「ああ、まったくそうだ。これで俺にとってもいい結果になった。感謝する」


 うんうんと頷く倉田の姿に、また私は嘆息する。


 会ったばかりでまだよくも知らない倉田怜一郎というこの男子生徒。本人は、うまく話したつもりだろうが、あれで私が納得したと思っているのだろうか。


 ……私に負担をかけまいとあえて無茶苦茶な事を言ったなんて丸わかりだ。


 先ほどまでと全然違うその不器用さに、私は呆れてしまった。


 それと同時に、彼という存在にちょっと興味を持ってしまった。どんな人物なのか、まだまだ未知数ではあるが、まあ悪い人ではないのだろう。


 すこしずつ分かっていけばいい。


「よし、ではこれから行っていく特技の制御トレーニングに名前をつけないとな」


「名前? つける必要ある?」


「当たり前だ。こういう事は、適した名前をつけることによってモチベーションの向上にも繋がるんだ。俺が素晴らしい名前をつけてやろう」


 そうして、帰り道にあーだこーだと考えて、結論が出ずにそのまま分かれて、翌朝教室に入った私に向かって、寝不足なのに満足そうな表情で倉田は言った。


「やるぞ、遠藤! 今日から『ドキドキがんば♥制御ってやるんだから!トレーニング』開始だ!」


 秒で却下した。



 ……とりあえず、ネーミングセンスは最悪だということは理解した。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 それから、二人での制御トレーニングが始まった。


 しかし、経過は思わしくはなかった。


「まあ、想定内だ。そんなに簡単に制御できるなら、遠藤もとっくの昔にできていたはずだ。焦ることはない」


 そんな倉田の言葉に安心しつつも、日々を過ごしていく。


 相変わらず、灰色の文字は答案用紙に浮かんでいる。しかし、今の私は、そんな灰色の文字を今までとは違った視点で見ることができた。


「なにも『正解』だからといって、なぞる必要もないんだ」


 倉田は、そう言って、持っていた鉛筆を一文字ずらすように動かした。


「こんな風に、一文字ずらして書けばいい。答えは『正解』と同じかもしれない。しかし、一文字ずらした回答を書いた場所は、遠藤が選んだ場所だ。『正解』がしめした場所じゃない」


 倉田は、私が思ってもいなかった事を軽々と教えてくれる。


「すこしずつでいいんだ。遠藤が選んでいくんだ。『正解』は一つでも、正解するは一つだけじゃない」


 鉛筆を答案用紙に滑らせていく。


 今日は、『正解』の隣に自分の答えを書いてみた。もう、『正解』をなぞることはしない。


 私は、私の答えを書いていく。


 〇●〇●〇●〇●〇●〇●


 そろそろ、進学する高校を考えようとしていた頃。


 倉田の進路希望先を聞いて、私はひどく驚いた。それは、倉田の成績から考えると、似つかわしくないほどにありふれた高校だった。


「雰囲気が良かったんだ」


 倉田は言って、その高校の事を説明してくれた。自由な校風。生徒の笑顔が印象的で。ここなら、色々な事に挑戦できるだろうと話してくれた。


「……私も行きたい」


 思わず言った私の言葉に、倉田は笑って答えた。


「選択は遠藤が自分でするんだ」


 私の学力にはとても合わない学校。


 先生には止められるだろう。両親も驚くかもしれない。

 説得には時間がかかるだろう。もしかしたら、後悔もするかもしれない。


 でも、それは私が選んだことだ。


 私は『正解』だけを選んできた。でも、もう私はそれだけではないのだ。

『間違い』だって選択できる。

『正解』がしめす道とは違う別の道を歩んでみたい。


 とりあえず、両親に話してみよう。


「私だって間違ってみたい」


 もしかしたら、そんな一言で両親が笑って許してくれるかもしれないから。






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そして二人の高校生活は、こちらで確認できます!


バレバレですエルフさん~同級生は正体を隠した(つもりの)異世界人~

https://kakuyomu.jp/my/works/1177354054891436058

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