夜明け

@giji

夜明け

今通っている高校の教師が死んだ。発見された時刻は今朝。死因は交通事故だ。

 松坂亮という名前で、授業や生徒に接する態度はまさに理想の教師と言えるような、輝かしい人物だった。実際、この学校で彼を慕っていない人物はいないと噂されるほどだ。

 そんな彼は今朝、道路の片隅で死体になって発見された。人が人だっただけに、学校中朝からその話題で持ち切りだった。真偽が分からない噂を流す奴。ただ慌てふためく奴。泣き出す奴。実際に死んだ本人を見たわけでもないのに、ここまで人を感情的にさせるほど死んだ松坂の人望が高かったということが垣間見えた。

 朝のホームルームが始まっても喧騒は収まらず、場合が場合だけに担任も今日ばかりは黙認しているようだ。簡素に済まされたHRの後も喧騒は続いていく。

 そんな中、オレを除いた一人だけ、周りと同じように騒がずに、マイペースを保っている奴がいた。

 尾野寿秋。常に眠そうな垂れた目にボサボサの髪の毛。制服は違反すれすれまで着崩している。周囲に自慢は出来そうにない、オレの友人だ。

 ポケットの中の携帯電話が震えた。見ると、尾野からメールが着ていた。

『親愛なるカズへ。次の授業からバックレよう』

 こういう誘いはいつもの事である。どこに行くつもりか尋ねる。

返ってきた文は『松坂先生の殺人現場』。

オレは少しの間考えて、了承の返事を送った。


デイブレーク・シンドローム。十数年前、突如人類だけが発症しだすようになった病気だ。言ってしまえば日焼けの一種なのだが、これの問題は夜明けの光を浴びてしまうと問答無用で即死する所だ。この病気が世界で知られる前は世界で億単位の人が死んだという。現在も対処法は見つかっておらず、防ぐには夜が明ける時は光を浴びないようにすることだけ。

しかし、現在でもそれが出来ずに道端で死体になって見つかる人間が後を絶たない。一時期、あまりにもそれが多すぎたせいか、警察や救急も道端の死体はDB(デイブレーク)・シンドロームだろうと、ろくに調べもせずに決めつけて処置をしていたことが問題になったこともある。


 事件の現場はどこでもあるような裏道。道は広いが人通りは少ない。それゆえに一人で倒れていたりすれば発見は遅れるだろう。そこの歩道のあたりで松坂は倒れている。

 オレ達が着くと、そこにはスーツ姿の女性が立っていた。恐らく現場を調べに来た刑事だろう。周りは何か作業を行っているのかがやがやと騒がしい。


 女性はこちらに気付くと怪訝そうな顔をした。が、すぐに表情を崩した。

「貴方でしたか、寿秋くん」

 普通なら近づくなと言われそうだが、親し気に話しかけてきた。

「知り合いか?」

「知り合いの刑事の明美さん。遊びにきたよ、こっちは友達のカズ」

 と、雑にオレ達の紹介を済ませると尾野は死体があるだろう方へ向かって行った。

 事件現場は学生が遊びにくるような場所ではありませんよ、と明美さんがぼやいたが追い払う気はないようだった。二人はやけに仲が良いように見えた。

「アレ、死体ないじゃん」

「もう片付けが終わる頃です。残念でしたね」

「死因は?」

「DBシンドロームです」

 はぁ? とオレ達は思い切り眉をひそめた。

「今どき『ソレ』で死ぬ奴がいるのか。夜明け前にフラフラしてたらそのままお陀仏ってことくらいガキでも知っているだろ」

「まだ詳しい結果が出てないから正確ではないのですけど、DBシンドローム特有の症状が出ていたし目立つ外傷もなかったのでほぼ確定かと。お酒でも飲んで酔っ払ってそのまま、って感じでしょう。目撃者も今のところ見つかっていません」

「ふうん」

 二人がそんなことを話している間に他の人間はいなくなってしまい、オレ達三人だけになってしまった。

 辺りを見回す。現場は、時たま車が通るくらいで人通りが少ないが普通の坂道だ。西側は植物が植えられていて東側は開けている。そちらにはガードレールが設置されており、途中途中で途切れている場所がある。その途切れている場所を見る。松坂は確かにここで死んだのだ。

「尾野、今日はなんでこんなところに来たんだ?」

「んーなんとなく。身近な教師が死んだ現場なんてそうそうないだろ?」

「趣味が悪いですね」

 明美さんが呆れた目で尾野を見る。確かにそんな理由なら悪趣味だ。しかし、彼がそんな理由でわざわざ来るだろうか、いつもならカラオケやゲームセンターに行くのだが。

「でもさ、本当に酔っぱらっていてそのままDBシンドロームで死んだと思うか?」

「警察がそう言ったんだ。そうなんだろ」

 ふと、坂の下の方に何かが光っているのが見えた。よく見ると、赤いヘアピンのようだ。

「あっ」

 うっかり、携帯をポケットから落としてしまった。携帯はそのまま坂を滑り落ちていく。

「なにやってんだよカズ」

「はは、やっちまった」

 尾野にからかわれながら拾いに向かう。携帯自体壊れてなかったので胸をなでおろした。

 それからしばらくの間尾野は現場をウロウロしていた(刑事さんはとっくに帰った)。が、「帰るか」と一言言って帰ろうとする。

「もういいのか?」

「うん、まあ大したもんはなかったな」

 そりゃそうだろう。大事なものは大抵警察が持って行ってるに決まっている。

「気が済んだか?」

「あと一つだけ。なあカズ」

 そう言ってこっちを見据える尾野の視線は、こちらを刺すような鋭いものだった。

「カズは、松坂先生が死んでどう思う?」

「は?」

 急にどうしてこんな質問をするのだろうか。そんなの、

「そんなの決まってるじゃないか」

「へえ、なんだよ」

 ……………………。

「どうでもいいってことだよ」

 尾野は少しの間黙っていたが、すぐにいつもの眼に戻った。どこだか軋んだ空気が元に戻った気がした。

「そっか。今日はもう疲れたな。何か食って帰ろうぜ」

「そうだな」

 言えるわけがない。たとえ友人であろうと。あいつは死んで当然な人間なんだ、とは。

 

 尾野と松坂の現場に行ってから一週間が経った。特に何かがあったわけでもなく、いつも通りの、松坂がいない日々が過ぎていった。泣きじゃくっていた生徒は二日目には、奴が死ぬ前と何も変わらない姿を見せていた。強いていうなら、尾野がこの一週間全く姿を見せていない事だ。いつもサボったりする時は、メールなり電話なりで一言連絡を入れたり誘ってきたりしていたのだが……。そう思っていた矢先、尾野からメールが届いた。

『親愛なるカズへ。屋上で』

 文面は件名もない簡素ないつも通りの文面。それだけなのにあの時見た、刺さるような視線を思い出す。言いようのない、黒い塊が胸の内にドスンと居座った気がした。


 屋上への階段は薄暗い。沈みそうな気分が更に大きくなる。意を決して扉を開けると、尾野が立っていた。その眼は、あの時と変わらない、射貫くような眼だ。

「来たか」

 いつもと変わらない。あの眼以外はいつもと何も変わらない筈なのに、オレの知らない尾野寿秋がそこにいた。

「ようカズ。おひさ」

「……よう、一週間何をしていたんだ?」

「んー、別に、ただの───」

 ふう、と彼は息を吐く。ここから先は言いたくないかのように、顔をしかめていた。

「ただの、犯人捜しだよ。カズミ。……神林和美、松坂亮『殺人』事件の犯人の、な」

 心臓が止まった気がした。かと思ったら今度は早鐘を打ち始める。頭の中が真っ白になって何かを言おうとしても口が動かない。何を言おうとしたのかさえ分からなくなってしまった。

「松坂亮をDBシンドロームに見せかけて殺したのはお前だよ。カズ」

 尾野の声もどこか遠くへ聞こえる。それでもあの視線だけはオレを───私を捕らえてはなしそうにない。尾野はポツリポツリと話し始める。

「殺し方自体はとても簡単なことだ。お前は犯行時、松坂と一緒にいたんだ。そして車が来るのを見計らって突き飛ばす。奴が頭だけ打って即死、目立った外傷がなかったのを確認したお前はDBシンドロームに見せかけることを思いついた。結果は大当たり。刑事までもが事故とは判断しなかった。だけどお前は殺人の際、つけていたヘアピンを落とした。運よく遠くへ転がり、DBシンドロームと決めつけていた警察達には見つからなかった」

 淡々と彼は語る。全てを見透かしているかのように。

「松坂亮は、学校の人たちに好かれる気立ての良い人間だった、表向きは。その本当の顔は自分の立場を利用し女子生徒をレイプするクソ野郎。奴が赴任してから15人もの女子生徒が犠牲になっている。その中の内の最後の一人がお前で、ソレに終止符を打ったのもお前だ」

 あぁ、嫌なことを思いだす。放課後奴に呼び出されてからの出来事を。奴は何度も何度も呼び出した。挙句の果てに、親の不在を狙って家にまで上がり込もうとしてきて───。

「決定的だったのは、地面に落ちていたヘアピンを、携帯を落としたフリをしてお前が拾いに行った時だな」

「……いつから気付いてたんだ」

「現場に着いた時から。それに、あのヘアピンは俺がお前にプレゼントしたものなんだから見間違えるわけないだろ」

「……どうすれば、よかったんだよ」

 自分でも意識していなかった、すがるような声が出た。あの時、気が付いたら身体が動いていた。しかし、悪いことをすれば必ずバレるというのは本当のようだ。現にこうして尾野に全て見透かされている。

「どうしたらよかった、なんてわからない。全部終わってしまったことだから。こうしてくれればよかったのに、なんて言わない。お前が出来ることは罪を償うことだけだ」

 そう言って、彼は私をじっと見据える。

「自首をしろ。自分がやってしまった罪を償って戻ってこい」


 こうして史上初のDBシンドロームの性質を利用した殺人事件は幕を閉じた。被害者は犯人から道路へ突き飛ばされ、車で頭を打って即死。車はそのまま逃走した。被害者に、すぐそれとわかる外傷がなかったため検察の調べが不十分であることと、最近DBシンドロームが続いてソレに関連する仕事が雑になっていたことが騒がれた。犯人は自首をし、また未成年であったため世間には公表されなかった。しかし殺された教師の悪事が何者かによって明らかにされ、しばらくの間マスコミによりお茶の間を賑わせた。DBシンドロームはこの事件から三日後にワクチンの開発が成功。DBシンドロームを利用した殺人はこれが最初で最後になった。

「しかし不思議ですね」

「何がだよ」

 ある日曜日の昼下がり、どこにでもあるチェーンの喫茶店で尾野寿秋と明美刑事が対面していた。

「どうして犯人が分かったんですか? 世間ですらDBシンドロームに慣れかけて、麻痺していたこの時世に」

 尾野は自分の前に置かれた珈琲を一口飲んだ。

「犯人が自首したり、被害者の裏の顔が次々と暴かれていったのにも気になりますね」

 明美刑事は食べかけのケーキをフォークの先でつついている。

「それに、このタイミングでワクチンが完成したのも気になります。事件が起こる前までは、どういった病気かも判明してなかったのに。まあワクチンの方はどうせまた貴方の上司さんでしょうけど」

 そう言って明美刑事は突いていたケーキをフォークで一口大に切ってから口に放り込んだ。

「行儀悪いなあ……」

「いつもの口留め料として話してもらいますからね───探偵さん」

 探偵、という単語を聞いて尾野の眼がいつもより鋭くなる。明美刑事は彼の言葉を聞き洩らさないよう耳を澄ませた。

 尾野寿秋。どこにでもある普通の高校に通う彼は、実は明美刑事と協力関係にある私立探偵事務所の一人であった。

「今回はある依頼をもらってたんだ。とある教師の悪事を暴露してくれってさ。そしてその教師は運よく俺の学校にいた。明美さんも知ってるだろうけど、普段は好青年で通していて女子生徒を呼び寄せ二人きりになってから暴行。それをネタにして脅し飽きるまで。依頼者はそいつに娘が被害にあった人だったよ」

 彼は珈琲を半分ほど飲むと、備え付けのシロップとミルクで再びカップ一杯まで満たした。黒色の液体は白と混ざってまだら模様になり、混ざり合っていく。

「松坂は学校が変わるごとに何人も手を出していた。そして今回の事件の犯人、神林和美は元々普通の女子生徒だった。ある日を境にあんな男と勘違いされるような口調や格好になってしまったが……」

「ストレスとかであんな風になったってことですか?」

「多分。初めて会った時は普通に女らしい言葉だったし。それにウチのガッコは私服OKだしなあ。まあその時の俺は松坂の外部での証拠を集めるのに必死で現在起きていた事は放置してた。どうせ暴いてやるんだから、もし今、事が起こってる最中でも問題ないだろうと。そして神林和美が被害者になっているとまでは気付けなかった。そこからは明美さんも知っている通りだ。松坂は死んで、神林和美は自首をした。俺の調べじゃ松坂は巧妙に悪事を隠していたし、売春させてるようなヤクザともつながってたりしたけど自殺や他殺されるような人間関係もなかった。……直接恨みを持たれる被害者以外からは」

「そう、だか……って待って⁉ そんな繋がりがあるなんて話初めて聞いたんですけど!」

「ケーキでも奢ってくれたら後で話すよ」

「わかりました。絶対教えてくださいね!」

 はいはい、と言いながら尾野は茶色になった珈琲を一口飲んで一息ついた。

「一週間学校休んだのも、確実な証拠を固めるため。その後は適当に記者でもテレビ局でも流せば俺の仕事は終わりってわけだ。以上が俺の今回の立ち回りだよ。これでおしまい」

「それだけですか?」

「それだけだよ」

「全く解決の見込みがなかったDBシンドロームのワクチンが開発されたのは?」

「ウチの事務所のトップが最近忙しそうだったからな。多分ソレだろ」

 もう貴方に関連する人は何していても驚きませんね。と明美刑事は残っていたケーキを口に入れた。その後に紅茶を注文し、運ばれてくるまで二人は黙っていた。紅茶を一口飲むと明美刑事が口を開いた。

「今回の犯人の彼女、刑期が通例より短くなっていると噂を聞きました。アレも違うんですか」

「知らないよ。でもまあ、そうだな」

 彼は残った珈琲を飲み干した。

「アイツは未だに夜の中にいるんだ。きっと松坂に襲われた時から。自分一人で我慢して戦って、結局は間違えて。人を殺すってのは、本当にやっちゃいけないことだ。それでも、このままだとあいつは、カズは救われないよな」

「……やっぱり、貴方さっき言った一週間で彼女の刑期を」

 だからしーらないって。と言って彼はケーキを注文した。

「だからせめてさ、さっさと悪いことしましたって反省させて、朝日を拝ませてやらなきゃな」

 (終)

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