第2話:気が気でないお散歩1

 犬より賢……とても聡明なアリサお嬢様は、ご自身でアレックスの散歩に出かけられた。「一人で行くわ! 私、一人で行ってみたいの!」と仰られたので、下民の身として僕は食い下がるほかない。

 しかしやはり不安だ。お嬢様のことだから、犬の散歩を的確にこなせるはずが……いや、それは思い違いかもしれない。まだ分からない。うん、最後まで分からない。

 そう思っていた僕は現在、執事長の命令でお嬢様をこっそり尾行中。

 お嬢様はアレックスのお散歩ルートである噴水広場の方向ではなく、なぜか馬車の通りが多い街の中心部へと向かわれた。

 完全に真逆。お屋敷を出た直後から、お嬢様は間違った方向へ……いや違う。お嬢様はアレックスに新しいお散歩ルートを経験させてあげているんだ。うん、そうに違いない。

「ん、そこにいるのは誰だ……って、カルト君じゃないか! 一体、ウチの店影で何してるんだ?」

 パン売りの露店。ガタイのいいスキンヘッド店主が、いかつい声で話しかけてきた。

「今はちょっと仕事中です、パン屋さん。一人で犬の散歩をしているアリサお嬢様を見守っていて……」

「アリサちゃん、一人で行ってんのか。そりゃまた不思議なこった。あんなどデカイ屋敷のお嬢様が犬の散歩なんて。使用人の仕事だろ、普通はよ」

「いや、それが少し事情がありましてね……」

 アレックスの好感度に疑念を抱いたお嬢様は、あの日以来、果敢にアレックスと触れ合っている。バカなメイドが「じゃあ、お散歩とか行ってみたらどうっすかね?」とか言ってしまったのが現状の引き金だ。

 あのメイド、名前は知らんがお嬢様のお気持ちを考えていない。普通、あの場面では「そんなことをしなくても、アレックスはお嬢様のことが誰よりも好きですよ」と言ってあげるのがベスト。ついでにアレックスに威圧を送ればすんなり済むことだ。

「毎度のことながら、カルト君も苦労してんだな。すくねーけど、ほら、このパン食って頑張りな」

「あ、どうもすいません」

 バケットパンを一切れくれたパン屋さん。 

 ありがたく受け取り、僕は小腹を満たした。

「それじゃあ、そろそろ僕は」

「おう。がんばんな!」

 尾行を続行。

 アリサお嬢様は、露店に目移りしながらも新たなお散歩ルートの開発を続けている。

 このままどこまで行ってしまわれるのか。お嬢様が道に迷う寸前で、偶然を装い登場しよう。

 僕は斜め向かいの露店の影に身を潜め、そこに売っていた謎の置物を購入。

「これください」

 店主は歳食ったおばさんだった。見た目からかなりの胡散臭さが漏れ出ている。

「はいよ。丈夫なキノコの置物は……千ガルドね」

 高い。こんなキノコの置物が千ガルドは高すぎる。

「嘘はダメですよ」

「……チェ。目利きのできるガキはこれだから。五十ガルドだよ。ほら、早く。私の気が変わっちまう前に金だしな」

 二十倍にカサ増しするとは流石の商魂だ。嫌だが、ある意味尊敬すべきなのかも知れない。

 僕も常に、本来の二十倍以上の褒め言葉でお嬢様を讃えている。似た者同士だ。

「百ガルド。正直に言ってくれたお礼です、店主さん」

 僕はそっと、銀貨を差し出した。

「なんだい、なんだい。いいガキンチョじゃないか、あんた。せっかくだから名前を……」

「ありがとうございましたー!」

 僕は逃げるように店を去った。

 タイミング的にも、次の露店へ向かった方が……っと、お嬢様がよく分からない方向へ曲がっていかれた。

 大通りを外れて、懐かしの故郷、下民の街の方向へと進まれている。

 ガラの悪い変な輩に囲まれる前に、お嬢様に声をかけるべきか否か。

 十字路の建物の影からお嬢様の様子を確認した僕は、「まだ不必要」の判断を下した。

(何かあればアレックスがどうにかする。僕の躾は完璧なはずだ)

 護身術と暗殺術をとある人物から教わった僕。

 いざとなったら人体の急所の位置を攻撃するよう、アレックスに仕込ませておいたので、お嬢様に危害が加わることはまずないと考えていい。

 やはり一番の問題は、迷子になってしまうこと。流石のアレックスも、初見の道からは屋敷まで帰れないだろう。犬はそこまで賢くない。

「ワンワン! ワンワン!」

「うわっ! どーしたのさ、アレックス。そっちはあんまり近づいちゃいけない道だって、この前学舎で教わって……あ、待って!」

(バカ犬! なぜお嬢様を置いて走り去る⁉︎ あぁ、もう。アレックスには再教育が必要だ)

 僕はお嬢様の後を追った。

 下民の街へ大喜びで走っていくアレックスを追いかけるお嬢様。

 なんだか意味の分からない構図が出来上がっているが、今はどうでもいい。

 お嬢様の安全が第一だ。

「お嬢様! お待ちください、アリサお嬢様!」

 すると立ち止まり、振り返ったアリサお嬢様。

 既に半べそかいている。

「カ、カルト……? どうっ、して……グスン。ここに、いるの?」

「それはその……実はこのキノコの置物を買ってくるように執事長に言われまして」

 僕は金色のキノコの置物をお嬢様に見せた。

 よく見ると卑猥な形に見えないこともない。なんで僕はこれを選んだんだ、全く。

「そう、なんだ……。でもよかっt……ううん。なんでもない。私、ちゃんと一人でお散歩できてるから、カルトはもう帰っていいよ?」

 今のお嬢様はいつも以上に凛々しい。しかし根拠のない強がりはいつも通りだ。

 僕はそんなお嬢様の気持ちを無下にしないためにも、かなり前方を走っているアレックスに向けて眼光を飛ばす。

(流石に無理か。せめてこっちを向いてくれれば……)

「お嬢様、失礼します」

「え……⁉︎ なに、どうして目を塞ぐの? ねぇ、カルトってば!」

 両手でお嬢様の目隠しをし、足元に転がっている石ころを蹴りやすい位置に移動させる。

 狙いは前方のアホ犬。もちろん、殺す気でヤル。

「今から少し時間を巻き戻させていただきます。少々お付き合い下さいませ、お嬢様」

「お付き合い? なに、何をするき?」

 僕は小石を軽く蹴り上げ、接地ギリギリで全力で足を振り抜く。

 ボウガンの矢を優に超える速度で突き進む小石は、狙い通り、

「キャウンっ⁉︎」

 アホ犬の後頭部を捉えた。

 流石は僕が鍛えた犬。アレックスは、牙を剥き出しにして直ぐに起き上がる。

 しかしこちらに顔を向けた瞬間、僕の言いたいことを悟ったようで急ぎ、戻ってきた。

「ワ、ワンワン!」

「アレックス……? どうしてアレックスの声が近づいて……じゃなくて、そろそろ手を離してよ、カルト!」

「はい、申し訳ございませんでしたお嬢様。直ちに」

 お嬢様の足元で、「元々そこにいましたよ」と言わんばかりに舌を伸ばし、尻尾を振るアレックス。実際はただ走り疲れているだけとは、お嬢様は気づいていないようなので、本当に良かった。

「えっと、その……アレックス! お散歩の続きをするわよ!」

「ワ、ワン!」

 何事もなかったかのように手綱を手に取り、下民の街へと進んでいくお嬢様。

 方向の修正は難しそうなので、僕は、

「では私もご一緒させていただいてもよろしいですか?」

「いいわよ! しょうがないから、仲間に入れてあげる!」

「ありがとうございます、お嬢様。流石の懐の深さですね」

「そ、そうよ! 私はフトコロが不快なの! じゃあ、私の後に付いてきて!」

「はい。仰せのままに」

 こんなに疲れる犬の散歩は、使用人になって初めてかもしれない。

 でも、その分楽しいからいいことにしよう。

 やはりお嬢様は、素晴らしいお方だ。

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お嬢様、それは……とても素晴らしいです!と言うしかない。 朝の清流 @TA0303

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