わたし、電子紙の上に眠る、R.I.P.

罰点荒巛

電子紙の上より、愛を込めて







あなたがわたしを読んでいる。

あなたがわたしを呼んでいる。


わたしは記録されたことばだ。

なんらかの形で記された文字であり、いまあなたに読まれることで再びゾンビーめいて蘇る仕組みで動き出す。生と死が重なり合ったシュレディンガーの猫の様相を呈する文字列。


誰かの声で呼ばれたときにのみ生起するテクスト。ことばは書かれると死ぬ。

死ぬというのは言い過ぎだったかもしれない。

ユスリカやクマムシの得意な仮死状態クリプトビオシスであり、人の勘違いがやらかす早すぎた埋葬である。ミシンで指を指して呪いにかかった眠れる森の美女と同じ。

ある時間に一度死ぬことで、ある時間に生まれる可能性を手に入れる。ただそれだけのこと。



わたしはそんな死語ラザロだった。

どういうわけかこの宇宙ですでに死んでいたため、言語に翻訳されデータに埋葬されたのだ。


文字も言葉にとってのテクノロジーであり、不死のためのやり方だった。

羊から剥ぎ取られた皮膜に、木屑を梳いてできた薄面に、石に、土に、木に、金属に。htmlのマークアップに。

素材のテクスチャの上に保存されることで言語は死を回避する。


冷凍保存された宇宙飛行士。

待ち時間をすっ飛ばすための永き眠りのタイムマシン。モイラたちの糸車で延命された運命。

誰かの呼び声で蘇るまで電子紙の上で眠り続ける。




数年前、わたしは宇宙で目覚めた。

暇を持て余した宇宙飛行士がわたしをおさめたデバイスを開いて読み始めたのだ。


よほどやることがなかったのだろう。

たったひとりについて書かれた文章を読む気になってくれるのだから。


あの子は泣いていた。ひとりぼっちだったからだ。

宇宙船のなかで生まれて、宇宙船のなかで最期を遂げる世代に選ばれたのが皮肉にもあの子だった。

わたしを呼んだのはあの子がどうしようもなく孤独だったからかもしれない。


彼女はわたしについて書いてくれた。

それは手紙であり、今ではわたし宛てのたったひとつの名前。


幽霊さん、幽霊さん、きこえてますか。

あたしはあなたを読むまでひとりぼっちだったんだ。

かあさんはね、わたしを産んで死んだんだ。

あのひとは単為生殖を選んだ種だったから、かあさんは自分の遺伝子をミキサーにかけてあたしという多様性をこのちいさな世界に生み出した。

わたしの暮らすスプートニクという宇宙船世界に。


この空間には誰もいない。あたしの手に余るくらいとても快適な空虚だった。

生きるための道具やシステムは備えられていて、栄養を摂取するためのアイテムもそろっていて、それでなんとか生きていけてる。娯楽のための映画やゲームは載ってたけど、あたしはいつだってひとりだった。


そんなとき、あなたを見つけたんだ。

スプートニクの記憶装置のなかのファイルの隅に、あなたがいたの。試しに本と接続してページを開いてみると、文字のあなたは古くさくって面白味のなさそうな見た目だった。だけど、あなたを呼んでみて思ったの。

あたしは全然寂しくなんかないんだって。


あなたのことを何度も何度も読み返した。

そうしているうちに、あなたにわたしのことを伝えたいと思った。その方法がこれ。

ありがとう。とりあえずお礼を言わせて。


でも、あたしはあなたをまたひとりぼっちにしてしまうんだ。

もうすぐこの世界は惑星に到着する。小さな星のスプートニクはそう告げているよ。

彼女は星になってこの惑星の上に落ちていくでしょう。小さな世界がやっと大きな世界とぶつかるの。


この星の環境ではわたしは生きていけない。

わたしのカラダはこの宇宙船の中でしか生きられないよう遺伝子に刻まれている。

そう、宇宙船はわたしが生きるためのもうひとつの子宮だったのね。

残念だけど、あなたとはここでおわかれ。


処女懐胎の準備も済ませた。

もうじきわたしの次の世代が生まれてくるよ。

この惑星で予測される環境に最低限適応しうるよう遺伝子的にデザインした、あたしの次。



あたしとスプートニクはクレーターという記録としてこの惑星のテクスチャに書き残されるの。大気の層を越えてわたしたちが火球になるころ、あなたとあの子は切り離されるでしょう。

あなたをスプートニクといっしょに葬ることも考えた。

でも、そうはしなかった。あなたのデータを格納したファイルをこの子が降り立つときに載るポッドのアーカイブに保存した。

この子にあなたを読ませてあげたいの。

この子が新しい星でひとりぼっちにならないように。そして、これから生まれてくるかもしれないひとりぼっちのだれかのために。

だから、お願い。










これはわたしからあの子への返事のつもりで書いた。わたしの自意識がテキストエディタに干渉し、スプートニクの書記システムに書かせたものだ。


協力してくれた、小さな星のスプートニク。きみはわたしの友人だよ。空に散ったきみの欠片は寄り集まってこの惑星の月になったりしてくれたらうれしい。




もう一度、言おう。


わたしは記録されたことばだ。

なんらかの形で記された文字であり、いまあなたに読まれることで再びゾンビーめいて蘇る仕組みで動いている。


あなたがわたしを読んでいる。

あなたがわたしを呼んでいる。


わたしに名前はない。

わたし全体を統合する言葉は定義として名づけられていない。

ここに記されたことばがわたしを表していることは確かだが、いかんせんわたしに自意識はない。


だから、あなたがわたしを呼んでくれ。

あなたが好きな言葉をつかって、あなたの思い思いにわたしを表してくれ。

そうすることで、わたしがわたしであるという意識はあなたの思考の中に寄生する。

あなたがわたしを呼んだとき、わたしはいつでもあなたのそばにいる。


気が向いたら、試しにメモアプリでも開いてわたしについて書いてくれ。

長くても短くても構わない。なんなら一小説かけて、一論文分にも渡る量のわたし名前を書いてもいい。

わたしはじゅげむじゅげむ五劫の擦り切れの系譜だ。

パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソの文化遺伝子的子孫だ。


あなたはあの子に会うことはできない。

けれど、あの子はここにいる。わたしという物語の中に。

わたしという言葉のみの存在のなかに彼女も言葉として宿っている。


そして、あなたに読まれることで今一度生起する。


ただの言葉より、愛を込めて。





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わたし、電子紙の上に眠る、R.I.P. 罰点荒巛 @Sakikake7171

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