夢とキャラメル3
「目が覚めた?」
その声にそろそろと体を起こせば、ベッドの横に立つ灯がいた。
マリーとマリアは最初ここがどこか分からず、恐る恐る周囲を見渡した。自分の家とも、最後に見た光景とも違う場所にここがどこなのか、すぐには分からなかった。
「ここ、は……」
「どこなのよ……」
「私の家よ」
真っ白なシーツとふわふわの大きなベッドの上。隣を見れば、よく知った顔があり思わず揃って目を見開いた。
「え……」
「うそっ」
思わず慌てたようにぺたぺたと顔や体を触ってみるが、何か変わった様子もない。むしろよく馴染んでいる着慣れた服に、知っている髪の色に数日前までよく目にしていた手。
あの日、ここに来た時と同じ格好。
そう、何もかもが全くあの日と同じだった。
「どうして・・・・・・」
「だって、私たちは・・・!」
確かに入れ替わっていたのに!!
お互いが入れ替わっていた記憶も確かにあるのに、すっかり元通りに戻っていて、どういうことなのかと困惑する。
そんな二人の様子に全て分かっているのであろう灯は「ひとまず話をしましょうか」と何も無い空間に向かって手を振った。
そうすれば音も立てずにすぐに椅子とテーブルが何も無かった空間から現れて、数秒と経たずにテーブルクロスまで掛けられたテーブルセットが用意される。
「あの・・・・・・」
「そんなに急がないで、きちんと話すから」
お腹すいてない?
そう言った瞬間に何も無かったテーブルの上にクッキーが現れ、美味しそうな香りをさせている。それを当たり前のように食べながら「食べないの?」と聞いてくる灯に促されるように、そろそろと皿の上のクッキーを口に運べばどこか懐かしい安心する味がして、ようやくこれが現実なのだと信じることが出来た。
「あなたたちがここに来た時に食べたもの、覚えている?」
緊張から少し解き放たれ、ほっとした様子のマリーとマリアに灯はそう問いかけた。
「来た時・・・・・・」
「えっと・・・・・・」
魔女の元へ訪れた時のことを思い出そうとするが、なぜか霞がかかったかのようにハッキリと思い出せない。ただ少し魔女である灯と話をして、それから急にすごく眠くなった事と、次に目が覚めた時には入れ替わっていたことだけは覚えているのだが。
お互いの記憶に差異が無いかと確認するようにその時のことを話していたマリアとマリーに、助け舟を出すように灯は「本当に覚えてないの?」と問いかける。
「ここでお菓子、食べたこと覚えてないかしら?」
「あっ」
「そういえば!」
言われて思い出したのは、ピンクや黄色の可愛らしい包み紙に包まれていた茶色のお菓子。
緊張していた二人に、少しでもリラックス出来るように、と魔女は温かなお茶とそのお菓子を用意してくれた。
柔らかくて、口の中で少しずつ溶けてくる甘くてほろ苦いバターの香りのしたお菓子。
それを思い出したことが伝わったのか、魔女はゆったりとした口調で語り出す。
「あれはね、特別なキャラメルなの」
あのキャラメルは灯が魔女として魔力を込めて作りあげたお菓子の一つであり、特別な力を持ったお菓子だ。何も望みのない人間が食べても、特に作用することは無い、ただのキャラメルだが、それは食べた者の願いや望みが強ければ強いほど呼応する。柔らかく、溶けるキャラメルは形を変えるのだ。
人を望む姿へと。夢の中で。
「あなたたちは私の言葉を信じてお互いになりたいと思い込んだからこそ、相手の姿になったのよ」
だがそれは夢の中で、だけだ。夢の中だからこそ自分のなりたい姿になることが出来た。
所詮それは幻、だから。甘くて溶けるキャラメルがいずれ口の中で消えてなくなるように、幻もいつかは消えてしまうもの。一時の甘い夢のようなものだ。
もしも、本当に強く別人になるのなら今以上の覚悟が必要でそれ相応のリスクも払ってもらうことになる。誰かに成り変わりその人の人生、その存在全てを貰い受ける、ということはそういうことだ。
しかしそれは今の彼女たちに言う必要のないものだから、灯は告げなかった。
「え、なら今までのは・・・?」
「全て、夢だったってことですか・・・?」
心底安堵したように呟かれた声に肯定を返せば、あからさまに安心したような顔をする二人に、灯はゆっくりと首を傾げ2人を見やった。
「さぁ、どうする?また入れ替わってみる?」
聞かなくとも答えなんて灯には分かっていたが、一応問いかけてみれば二人は顔を見合わけた後、想像通りの言葉を口にした。
「このままがいいわ」
「今の自分がいい」
それ以上口にはしなかったが、もう入れ替わるのは懲り懲りだとその顔には書いてあった。
「……そう」
だからそれ以上聞くことはせず、足早に帰ろうとする少女たちの背を静かに見送った。きっともう二度とこの森に入ることの無いその姿を。
そしてその日、灯は初めて報酬を口にはしなかった。
それぞれ違う方向へと去って行った二人の後ろ姿が完全に見えなくなるまで窓から眺めてから、お茶を片付けるついでに皿に残っていたキャラメルを口に含む。
砂糖とはちみつ、バターと牛乳で作られたそれは、口に入れた瞬間にすぐに溶けて消えていく。それこそ少女たちが一時の夢を口にするように、すぐに新しいものに興味を持つように、あっという間に消えて、何も口には残らない。
「・・・・・・・・・・・・あまいわね」
とっても、甘い。
誰も聞くことの無い感想を零しながら、一人になった部屋でぼんやりと佇む。
あの子たちは、明日になれば今日のことを珍しい体験をしたかのように、誰かに話すのだろうか。それとも胸に秘めて、これまでの自分を振り返り新しい自分になったつもりで未来を歩むのだろうか。家族のありがたみを知り、その家族と過ごす時間を、今以上に大切なものにするのだろうか。
そんな未来のことを想像するあの子達のことを考えると、何となく今すぐに動く気がしなくて、何もせず空になったカップを弄んでいた。
「はぁ、ダメね」
いくら自分が思ったところで仕方の無いことなのだから、考えなければいいのに、一度沈んだ思考はなかなか浮上しない。
それからどれほど経ったのか、日が沈み夕日が窓から差し込む空の様子に、そろそろ動かなければな、と思っていればコンコンッと軽いノックの音が部屋に響いた。
それを視線だけで受け止めれば、当たり前のように扉が開き見慣れた姿が現れた。
「こんにちは、アカリ」
「・・・・・・ヴィー」
差し入れ持ってきたよ、とお菓子が入っているのだろう籠を掲げてヴィクターが当たり前のように中へと入ってくる。
普段であれば、勝手にレディの部屋に入らないで、と嫌味のひとつでも言っただろうが、今はそんな気になれなくて、じっと彼がこちらに来るのを眺めていれば、笑顔だった彼の顔が少し驚いたように見開かれた。
「どうかした?暗い顔していたけど」
何かあった?と心配げに顔を覗き込もうとする彼から視線を逸らしなんでもない、と答える。
実際何かあった訳では無い。ただ少しセンチメンタルに浸っていただけだ。そんなもの、とっくに無くしたと思っていたのに。
「……アカリ?」
「別に、ちょっと大人げなかったなぁって反省しているだけよ」
「アカリが?」
「何よその顔。私だってそういう気分になるわよ」
聖人君子なんて性格はしていないし、感情的になることだってある。
それが灯がどう望んでも叶えられないものだと特に。
灯はもう会えない家族。それを簡単に切り捨てて、違う人生を歩みたいと願った彼女たち。
彼女たちからすれば、それはとても強い望みであったのだろうが灯からすれば、甘いなという気持ちを抱いてしまったのだ。家族なのだから話せばいい、伝えればいい、自分の気持ちを。まだ顔を合わせて話す事が出来るのだから。
だからこそ、もう一度きちんと考えさせるという意味を込めて灯は夢を見させた。甘くて苦い、夢を。
きちんと自分の人生を歩くために。
その結果、彼女たちは自分の道を歩くと決めた。未来を変えようと、努力することを決意して。
だけどそれは、灯の勝手な意見でありエゴでもあった。それが自分で分かっているからこそ、自虐めいた笑みがこぼれ落ちる。
・・・・・・本当に、魔女らしくないわね、今日の私は。
人の望みを叶えることが、森の魔女としての灯の存在意義でここにいる価値でもあるのに。
願いも望みも、人それぞれでその価値は本人にしか分からないと、分かっていたはずなのに。悩みに大小もないと、知っていたはずなのに。
ポンッ
「・・・・・・なによ」
「いや、なんとなく?」
「なによ、それ」
そっと労わるように頭を撫でる大きな手に唇を尖らせば、彼はそんな反応にも気にした様子もなく優しく頭を撫で続けた。
灯よりも、大きな手。年下だと知ってはいるが、その手が記憶の中にある父と被って見えた気がして、そっと視線を伏せた。
もう撫でられることもない、と思っていたからこそ、懐かしくて、それでいて遠くて、少し寂しかった。だから何も聞かずに与えてくれるその優しさを、黙って甘受した。
きっと何となく何かあったことを察してはいるだろうけど、聞かないでいてくれるその優しさが今はありがたかったから。
「紅茶、飲むだろう?」
「お願いするわ」
だからいつも通り問いかけてくる声に、頷いて灯も何も無かったかのように頷いた。
いつもよりも時間をかけて入れてくれた紅茶はとても美味しくて、口に残っていたキャラメルの甘さは綺麗に紅茶に流されて消えた。
森の魔女はあまいのが好き 椿 千 @wagajyo
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