走る少年

naka-motoo

少年は走った

「桜の花が咲くか蕾かの頃になるでしょう」


 僕の寿命だそうだ。


 お医者さんの宣告にお母さんは嘆いた。

 嘆いただけでなくこうも言った。


日昇にっしょう、あなたの好きなことをして暮らしていいのよ」


 僕にはお父さんはいなくて、生命保険の外交員をやっているお母さんとふたりぐらしだ。まだ14歳で生命保険になど入っていない僕が小児脳腫瘍で3ヶ月後には余命が尽きることがわかっても、それでも医療費を捻出し続けるために仕事を休むという選択肢はなかった。なのでお金でできる僕の好きなことを与えてくれようとしたんだ。


「お母さん、思う存分ゲームがしてみたい」

「ええ。分かったわ」


 思いつく限りの新作ゲームをダウンロードして一週間ゲームしては寝てまた起きてゲームしてを繰り返した。


 でも、やっぱり気づくと泣きたい気分になっていた。


「お母さん、おいしいものが食べたいよ」

「ええ。分かったわ」


 治療の過程で食欲は減退してたけど、思いっきりクランキーなチョコを食べたりスパイシーなヌードルを食べたり、少量ずつだけれども偏食の限りを尽くすことを一週間繰り返してみた。


 結果は寂しくてたまらなくなった。

 食べ物は精神を安らげるためにとても重要な要素であるという人体実験をしたようなものだった。


「お母さん・・・遠い所へ行ってみたい」

「日昇、それって・・・」

「心配しないで。旅行がしたい、ってだけなんだ」


 僕は沖縄へ行った。

 そのあと、飛行機で日本を縦断し、北海道へも行った。


 今年は暖冬なのでどちらの場所も気候的にも快適に過ごせた。

 旅先で出会いもあった。特に函館で僕と同じ中学二年生の女の子とかわいらしいカフェで同席となって、僕の境遇を話すと・・・彼女は席を立つ別れ際、僕の頬に軽くキスをしてくれた。

 素晴らしい旅行だった。


 けれども、僕が東京に戻った時、反動がものすごかった。


 日本だけでもこんなに美しい風景、やさしいひとたち、そして身もココロも美しい女の子がいるのに。

 僕はこの世界を退場しなくてはならない。


 いやだ。


 どうしても、いやだ・・・


 その後の日々は、ただ、生きた。

 お母さんのたっての希望で自宅療養を選択し、数日に一回病院に行って診察を受ける以外はゴロリと横になって自分の部屋で過ごした。


 カーテンは閉め切ってるけど、夕方の気配は感じられる。

 窓際の気温が下がり始め、一日が暮れることを否応なく知らされる。


「死にたい」


 願わずとも間もなく死ぬはずの僕がどういうわけか枕に顔を埋めてそう唇を動かしていた。


 二週間部屋に引きこもっていた僕にドアの外からお母さんが呼びかけてきた。


「日昇。お願い。今夜は一緒に夕食を食べて」


 僕は黙っていた。そうしたらお母さんはこう言った。


「お願いよ。今夜は、ロールキャベツを手作りしたのよ」


 僕はゆっくりと起き上がってドアを開き、お母さんの後ろについてキッチンのテーブルに着席した。


 ロールキャベツはお父さんとの最後の晩餐だったんだ。


 お父さんも僕と同じ癌で亡くなった。

 僕はまだ幼稚園の年中さんだったけどその時のことはほんとうによく覚えてる。やっぱり最後の3ヶ月を自宅療養したお父さんは、このテーブルの、お母さんと僕の座るその間の席でロールキャベツを食べた。


 おいしいよ、ってお母さんのほっぺにキスしてたな。


 次の朝、お父さんは救急車で病院に運ばれて、そして亡くなった。


「テレビつけるわね」


 僕はテレビもこの二ヶ月間、まったく観ていなかった。もともと僕らの世代はそこまでテレビを見ないだろうけど、久しぶりに観たニュースはなんだか異世界のようにリアリティを感じられなかった。でも、その海外のトピックに、僕は一瞬で魂を奪われた。


「デューイがウルトラ・マラソンの最高峰、キャニオン・トレイルで三連覇です!」


 長身の、けれども眼差しがとても穏やかで優しい男性の笑顔。

 その二週間にもわたる人間の限界を超えると称される1,000kmにも及ぶ険しい山岳と峡谷を走り抜くレースの覇者は、インタビューでこう言った。


『僕が走らなくなるのは死んだ時さ』


「お母さん」

「なに?」

「ランニング・シューズ、買っていい?」


 次の朝から僕は走った。

 もともと運動部じゃなくって美術部だった僕は、けれども歩くことについては慣れ親しんでいた。美術部だった僕は、部を辞めるまでは風景画を主に描いていて、休日になると奥多摩や高尾山なんかに行ってゴツゴツした岩や、流れの急な川の水しぶきをストップ・モーションのようにスケッチした。

 当然、歩いて廻った。


 だから、走れるはずだ。


 近所のショッピング・モールで名もないブランドの、けれども僕が実際に足を突っ込んで選んだシューズは、ソールがとても薄いけれども、温かみがあった。


「ふー、ふー、ふー」


 少しだけデューイさんの動画を観た後はもう理論や能書きはいいからとにかく自分が走り出したかった。

 家の前の道路に出て、その小路はまるで空母が戦闘機に使用するようなカタパルトの感覚でいわば助走した。


 大通りに出たその瞬間、僕は、解き放った。


「はあっ!」


 走り続けた人たちから見たら、実にぎこちなくのろいランだったろう。

 けれども僕は、ただひたすら、やっすい、うっすい、シューズのソールをアスファルトに柔らかくけれども力強く接地と上昇を繰り返した。


『走ろう。疲れたら休もう。繰り返すんだ、ひたすらに』


 距離は徐々に伸びる。

 気が付くと川べりの土手に上がっていた。

 これは、何川だ?山の河なら分かるけど街のど真ん中の河はしらねんだよ!


 こういう言葉遣いでの思考が気持ちよかった。

 河をただただ上流に向かって走り、陽の色が夕陽の色に変わる頃にもと来た土手をそのまま引き返して家に走り着いた。


 次の日は朝から走った。

 今度は河を下流に向かって走った。

 走る途中で犬を連れた女の人とすれ違った。


「こんにちは」


 そのひとが声をかけてくれた。僕もこんにちは、と答えて走り続ける。

 なんだか北海道で会ったあの女の子に似ているような気がした。


 毎日、お母さんに行ってきますと告げてから、日が暮れるまで走り、また家に帰ってきた。


 いつ、行ってきますと言って、そして帰って来られなくなるんだろう。

 僕は予感していたのかもしれない。


 徐々に、いや、加速度的に僕の走るスピードは上がった。毎日、毎日、昨日よりも掛け算のペースで。届く距離も徐々に遠くなって、こんな見たこともない場所からまた帰れるのかと不安になる夕方もあったけれども、それでも毎日帰ってこられた。


 明らかに、ランの疲れでなくへたり込みたいくらいに頭がふらっとする日が毎日のランの中での逃れられない感覚となっていく。これは癌のその薬と僕の副作用と免疫力が落ちていることの証明であって、更にその上に走ったらもっと免疫を落として重篤な、つまりは瀕死の状態に陥るかもしれなかった。


 でも走らなかったとして、それはいつ?


 誰も解答不能。


 ならば僕が答えを出すまでなんだ、きっと。


「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ」


 わき道を通り過ぎる大きなタンクローリーや。

 僕の数倍のスピードで疾走するロードバイクや。

 免許の返納を断固拒否する老人の紅葉マーク付きの軽四や。


 全てが僕の過去となる。


 安くて薄いソールのシューズで足裏にほぼ直接に感じるアスファルトのわずかな凹凸とその熱とを土踏まずに吸い込んでいって踵をそのまま後ろに蹴上げると、そのキックで巻き起こる風が、僕の過去となるんだ。


 今日は朝から違っていた。

 とてもスピードに乗れた。

 いつもはそれでも抑えて走ろうと自制するのに今日はそんな気が全く起こらなかった。


 速く走りたい。

 遠くまで行きたい。

 そして・・・


 僕は僕の住む街にある高層ビルの内側の階段通路を上がって行った。

 駆けて行った。


 何階登り切ったのだろう。


「はあふー、はあふー、はあふー、はあふー」


 ああ・・・生きてる感じ。

 いい。


「はあはあふー、はっはっ・ふー・・・」


 どうしたんだろう。

 速く走りたい気持ちが漲っている僕の脚は、優越感で動くのか、義務感で動くのか。


 動かなくなるのは、そのどちらも無くなった時なのか。


 最期は倒れ込むのかな、って思ってたけど。

 階段を数十階分登り切って幸運にも屋上がひとびとに開放されていたそのビルの、柵の所までなんとか駆け寄って、額を金網にくっつけた。

 ひやっ、とする感触。


 僕は、最後まで倒れなかった。

 金網に、と、と体を押し当てたまま、最後のため息を吐き出した。


「ああ・・・気持ちいい・・・」


 僕は、唇でつぶやいて、それでもって、街を見下ろした。



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