馬車馬のおんな ②(爆走篇)
堀川士朗
馬車馬のおんな ②(爆走篇)
「馬車馬のおんな」
②(爆走篇)
堀川士朗
~第三話~
職探し。クラフトビールの地ビールでも勝手に作って売ったろうかそれともナマコの密漁でもやったろうかと半ば自棄(やけ)に思っていたが、母のシステム手帳の事を思い出した。
もうこの際、接客業は向かないなどと、黒ギャルのくせに一生処女の女みたく四の五の言ってらんない。
母が生前働いていたスナック「ぴあ」のみどりママを頼る事にした。早速電話すると、
「ハタチ過ぎたのね!待っていたわよ、春子ちゃんの娘さんだったらいつでもウェルカムだからね!週五で出て貰うわよ」
という嬉しい返事が帰ってきた。やった!稼げる!
時給は鬼道楽よりは下がるが、それでも何もしないよりかは遥かに良かった。
確実に夏が来る。
スナックぴあ。午後四時から深夜二時まで勤務。初めは慣れない。
が、経験は経験則を生む。習熟していくのだ。客に出す、オシボリとウイスキー水割りとビーフジャーキーとピスタチオと名刺の数は、びっくりする程正直に修練の累積を誇って行く。
あたしは数いるホステスの中でも年齢が一番若く、贔屓(ひいき)の客が十人ばかり付いた。
「ホテルに行こうよ、火照(ほて)るよ」
と、客が誘ってきても、
「いやしかし愛す(アイス)言葉はやがて冷めていくでしょう」
と、何か笑点には絶対出られない若手落語家みたいな返しをして煙に巻いて事無きを得た。
増える酒量。むくむカラダ。荒れる肌。痛む胃袋。
それでも、
走れ走れ走れ!
酒を売れ売れ売れ!
あたし。
荒野を駆けろ。
夜の世界を駆けろ。
馬となれ。
馬車馬となれ。
走れ走れ走れ!
酒を売れ売れ売れ!
あたし。
この夜の世界を駆けろ。
酒灼けアンド煙草灼け。喉がかすれていく。赤い顔はもうファンデじゃ誤魔化せない。頭シラフの時もガンガン痛む。それでも接客上飲んでいた。二日酔いが常態化していた。終電がないので貰ったタクシー代を浮かそうと安いネットカフェで仮眠し、朝方になって帰宅。それが連日連夜続いた。
よく母は、七年以上もこんな生活を文句のひとつも言わず、疲れなど微塵も見せずに続けられたなあと改めて感心する。
家に帰っても、あたしとヒロシとの間に会話は余り生まれなかった。
でも爛(ただ)れた情欲の行為はそれこそ毎日の様に睦(むつ)んでいた。
四畳半の寝室で。
愛ではなく情欲と言った。そう、こんなのは「愛情」ではなく、もはやただの「情」だ。でも人と人の間には、「情」が介在すればそれで充分だと思う。
少なくとも一緒には住めるのだから。
澱んでいる。淀んでいる。YODOんでいる。ココロに得体の知れない埋み火みたいなものがチロチロ灯っている。
百鬼夜行。
やだな。
借金残高二千二百五万七千円ナリ。
ヒロシはいつまでたっても文学賞が獲れないでイライラしていた。大衆系親父雑誌の連載も一本打ち切られた。でもあたしにはどうする事も出来ない。
ぴあに出かける前に阿久津流氷代表から電話が掛かってきた。今月もう六度目だ。
「オウコラ!利子払え!オラ!また元利が増えて行っちまうぞそんなチンタラ返してったっらよおぉっっ。腐った象の目のくせしやがって働け馬鹿、馬鹿は働け!嫉妬(Shit)!お前なんかいくらでもソープに沈めんぞコラ!逆さ潜望鏡マスターしてこいや!腎臓片っぽだけ売れ、馬鹿!ああん?いいか、いいな、なるたけ早く全額耳そろえて返せ馬鹿!吐く言う(Fuck You)!」
これでも逐次着実に借金は返しているが、最近の阿久津さんの電話はいつもこんな感じだった。
お金を借りた時の好好爺然とした人品骨柄は百八十度変わり果てていた。
金貸しの本性を顕(あらわ)したのだ。怒っていても、声が、そう声が祖父にそっくりだから余計に悲しかった。でもあたしにはそんな事なんかどうでも良かった。
鏡の中の自分を見た。中途半端にメイクしたゾンビがそこに立っていた。今日もATMに行く。
借金残高二千百六十万八千円ナリ。
二週間後、過労と酒の飲み過ぎによりあたしは家でピンク色の泡を吹いてぶっ倒れた。全身にジンマシンが出ていた。赤いポツポツびっしり。
救急車は仕事から帰ってきたヒロシが呼んでくれた。あと何時間か遅かったら本当に危なかったそうだ。
緊急入院。胃の洗浄も点滴もカテーテルも、初めてやった。何か全ての内臓が、グジュブッてするのが不思議で不自然で、まるであたしのカラダじゃない借り物みたいな感覚が非道くやだ。病院のベッドであたしはひとり泣いた。
もうやだよもうこんな生活もうやだよ。川口の家に帰りたいよ。そこにはお母さんが優しい顔で待っているんだ。シチュー作ってお願いお母さん。赤いワンピースいつ買ったの素敵だね、肉。赤い肉。バラバラと赤い肉。ねえ何で死んじゃったんだよ。あたしこんな苦労してるんだよ。あの世から何か言ってよ、あたしに分かる言葉で何か言ってよ。このままじゃあたし本当に壊れちゃうよ!
二日後、ヒロシが見舞いに来てくれた。
何かモジモジしている。
「ノギチカちゃん、あやっぱやめようかな」
「何が?」
「うん。あのね、とっておきの写真を見せようと思って」
「え」
一枚のチェキの写真。短髪の超イケメンが映っている。
「誰これ?」
「俺」
「エエエッ!」
「ホスト時代の、俺」
ベッドから落ちそうになった。相部屋の老人達が訝(いぶか)る。
「あんたホストやってたの!?」
「渋谷カリギュラの元ナンバーワンホスト。道玄坂コヨーテって呼ばれてたんよ」
「何年前これ」
「四年前」
「うそだらっ!劣化のスピードが半端ないよ!」
「そうなん」
「詐欺かよっ!」
「はははゴメン。笑えた……?最近ノギチカちゃん笑ってなかったから……」
「え。その為だけにわざわざ写真持ってきたの?もしかして」
「え、うん。失敗した?」
「だとしたらじゃあ……だとしたら、じゃあ大成功だよ!」
やっぱり、この人の事、あたし、好きなんだ。
借金残高二千百三十万五千円ナリ。
体調が少し戻ってきた。退院後すぐにあたしはスナックぴあを訪れた。
十日間も店を休んでしまった事をみどりママに謝る為に。そして、体調に合わないので店を辞める事を告げる為に。開店前なので店にはあたしとみどりママしかいない。
「ええと、とても言いにくいんですが、また倒れたりしてこれ以上みどりママにも店のみんなにもご迷惑かけたくないので、辞めさせて下さい」
「ああそう、残念。何だか残念だわ。チカちゃんとっても人気だったから……町内会長さんもほめてたのよ、あの子客あしらいが実に良いねって。あたしもそう思ってたの、この子伸びるわって」
「ママ……」
「でもね、気にしないで。オミズはね、カラダに合う合わないがあるの。辞めるの分かったわ。でもチカちゃん。時々顔を見せなさいね?あたし心配なのよ。まだ借金が残っているんでしょ?」
「はい」
「そう…そうだあれあなたにあげるわ!昔お客さんに貰った物なんだけど」
みどりママはそう言うと少女みたいに可愛らしく覚束なく、ヒールを脱いで椅子の上に乗ってお酒のボトルが置かれている棚の奥から木の箱を取ってあたしに差し出した。
フタを開けると小ぶりな皿が入っていて凄く綺麗だった。
「何年前か忘れたけど一見(いちげん)さんが飲み代がないと言って代わりに置いていった物なのよ。中国だか何だかの磁器らしいんだけど」
「素敵ですね」
「良い色よね。あたしも気に入ってるお皿でたまーに眺めたりするんだけど、チカちゃんこの四カ月間頑張ってくれたからあたしからのご褒美にこれ、あげるわ」
「え。あ、ありがとうございます!」
「鑑定団に出すと良いわよ!いくらになるか分からないけど」
ママはそう言って笑った。あたしも笑った。
マジで応募してみた。そしたら数日後、「畢竟(ひっきょう)!どんだけ鑑定団」から採用の通知が来た。
収録日。スタジオは赤坂見附だった。リハーサルなしにすぐ本番となる。あたしはスタジオ紹介者二番手だった。
あたしは控え室で一番手の人の流れをモニターで観ながら伊藤園のウーロン茶と仕出しの崎陽軒シウマイ弁当をモグモグ食べている。やー美味しいなこれ。
一人目の依頼人は神奈川県相模原市在住、初老の元リーマンで絵画蒐集マニアだった。部屋に置ききれない程の絵画がある事などを妻から散々注意されているといった、畢竟どんだけならではのあるあるエピソードが本人出演の棒読みゼリフを交えた下手な演技の再現ブイで流れるのはいつもの事だった。
スタジオにはやっぱり妻が観覧席にいる。能面みたいなキレ気味の面持ちで。
「奥さ~ん、こんな事言ってますよ旦那さんは~」
司会の昔田工事(むかしだこうじ)がいつもの軽薄な調子で突っ込み、スタジオにいる観客席の笑いを誘う。
「はあ。私、これが偽物だったら離婚も視野に入れてます」
奥さんが完璧に本気で言っているので更に笑いを醸し出す。観客席の数割はおそらく笑い屋が混じっているのだろう。作られた乾いた笑い声だ。
お宝は十九世紀末期オーストリアで活躍した幻想画家、ナカ・ダーシの八号の油絵だった。
青いバックに腰布だけまとったヌードの裸婦が描かれている。
二年前、退職した年に馴染みの画廊の男から掘り出し物があると、四百万円でふっかけられたのを二百七十万円に値切って買った物だと一番手の初老元リーマン、鈴木は語った。
鈴木と昔田のやり取り。
「私ねー、これ見た瞬間ビビビッときて買っちゃいました!」
「こんなん俺でも描けますやん」
「昔田さん、この太い豪快な線、これは素人には無理!」
「やー危ないなー。この絵が本物だという確証は?」
「私こう見えて三十年来の絵画蒐集マニアです。審美眼には絶対の自信があります!」
「……うーん。さあこう言うてますが、ご本人の評価額は?」
「ズバリ、一千万円で!」
昔田が叫ぶ。
「さあっ、果たして鑑定額は、どんだけーっ!!」
鑑定士達の座る席の後ろにあるパネルの電光掲示板が点滅する。イチ、ジュウ、ヒャク。
鑑定額は五百円だった。
「ごひゃ、ご、ごひゃ、五百円!!!??」
鈴木が目を剥いて叫んだ。
スタジオ中にため息がもれる。鈴木、崩れ落ちる。即座に西洋絵画担当のクリムト慎一郎がコメントする。
「ビックリムトしちゃった私。これねえ、ひっじょ~おおおにタチの悪い全くの贋作(がんさく)です。先ず絵の具が当時のものじゃないやね。時代がない。アクリル絵の具のリキテックス使ってますねこれ。あーたこれ二年か三年前に描かれたものですよ。ドライヤーで乾かしてる。しかもズブの素人の作品だね。ナカ・ダーシの高貴で精緻な筆致がどこにもない。どっこにっもないっ!ちなみにこの絵の基になった作品は存在してます。フランスのオルセー美術館にちゃんと飾られてます。スキン・ヒニング公爵夫人をスキャンダラスに描いたのがその絵なの。そんな事も識らないのかよ!『私をはらませないで』というタイトルでちゃんと飾られてあるでしょうが。あーたこれ五百円つけたのはねー、額代。額代だよ。もしこれがあーたねえ本物だったらあーた、三千万はしますね。やーこれ完全にあーたを騙くらかそうとして売りつけられたね。非道いね。ご愁傷様。は~久々に非道いの見たよ。ビックリムトしちゃった私」
初老の元リーマン鈴木は憤りを隠せない。全身をプルプルとスライムみたいにわななかせている。
「わ、わた、私この絵に退職金全部注ぎ込んだんですよっ!やいこら今西堂の今西正樹!観てるかー!殺してやる殺してやる。絶対殺してやるからなーっ!」
鈴木がダッシュしてスタジオから外へ走り去る。画商の今西正樹を殺しに行くのだろうか?今から。
奥さんは退屈そうにあくびしていて、嗚呼こりゃ離婚確定だな。
フィルムチェンジがあって、昔田がトイレ休憩から戻ってきて、いよいよあたしの出番となる。
スタッフさんに呼ばれてケーブルがはびこるスタジオ裏のスタンバイ位置に立つ。へー。セットの裏ってこうなってたんか。ベニヤじゃねえかよこれ。安い造りだな。
「それでは次の依頼人の登場です。埼玉県からお越しの乃木地下子さんでーす!」
番組アシスタントの手によって扉が開かれた。
「どうぞこちらの方へー」
昔田に呼ばれてあたしは床にガムテープでバミられた依頼人定位置に立つ。
「やー。若いのにスナックで働かれているとか」
「や、もう辞めたんですけど。ええ大変でした。酒の量増えてぶっ倒れて」
「そうですかー。では早速お宝拝見致しまーす!」
お宝に掛けられた紫色の布を外す昔田。皿と箱が露わになる。
「ほ~。これは何ですか?」
「皿です」
「いや見たら分かるがなそんなん」
観客席薄く笑う。
「働いてたスナックのママさんに退職金代わりに頂いたものです。あのー。あたし、何であたし呼ばれたんですかね?偽物だからですかね?偽物持ってきたあたしをみんな揃って笑いものにしたいんですかね?」
「や、そんな事もないかと。どうだろう……」
番組史上、あり得ない程の間がスタジオに発生した。
「……さあー!ご本人の評価額は?」
「三千円で」
「え」
「三千円で。出来るだけ安く言っといた方が鑑定額安かった時にダメージ少ないかなって。常に最低最悪を想定しておけば傷つかない。セオリー」
「……はた、は、はたー、果たして鑑定額はどんだけーっ!?」
電光掲示板が点滅する。イチ、ジュウ、ヒャク、セン、マン、ジュウマン、ヒャクマン……。
「鑑定額三百万円っ!!??!!」
あたしも昔田も観客席も一様に驚愕した。余りの高額にスタジオ騒然ンンン!?という奴だ。
うぐいす色の和装でキメた茶器担当の中痔魔性之介(なかじましょうのすけ)がコメントを発する。
「いや~。良い仕事して呉れちゃっておられちゃいますね~」
中痔のいつもの決めゼリフからそれは始まった。
「中国南部、福建地方で明朝末期の頃に焼かれた呉須手(ごすで)の名匠、珍矛猫(チン・ポコニャン)作の呉須赤絵に間違い御座いませんね~。恐らくは明朝第十代皇帝、満固帝(まんこてい)への献上品と考えてよろしゅうかと存じますね~。見事な赤絵付けですね~。自然秞(しぜんゆう)がタラ~リタラリラとこれまたいやらしい感じで景色になってますね~。また貫入(かんにゅう)、ヒビの事ね。これが見事だね~。ポコニャンらしさが充~分に見て取れます。またこの箱書きが良いね!箱書きは明朝朝廷茶人、阿蘇古閑貧貧(アソコ・ガ・ビンビン)の筆。これがあるのとないのとでは評価が雲泥の差になる。いや~。良い仕事して呉れちゃっておられちゃいますね~。これからも家宝として末永く大切にナスって下さい」
「や、速攻で売ります」
あたしが鬼速攻で言ったので中痔は眼鏡をずらした。あたしは続けた。
「実際、あなた方と違って切実にお金に困ってるんで。家宝?明日住む家がなくなるかも知れないのに家宝持っててどうなるんですか?あたし達若者は、あなた方老害の既得権益の為にまともな働き口がないんですよ。全員非正規雇用ばっかりで……日本社会。馬鹿かよ?」
「それ、それではー、『畢竟!!どんだけ鑑定団』また来週ー!」
昔田工事があたしをカメラから映らない様にして強引にまとめ、番組は終了した。
あたしはスタッフから箱入り呉須赤絵をうやうやしく受け取って赤坂見附のスタジオを辞した。
寄り道せず、予め目を付けていた銀座の骨董店に行き、何の迷いもなく呉須赤絵を売却した。鑑定額の七掛けの二百十万となったが、それで了承した。
帰りの電車の中で熱を帯びた頭でボ~ッと考えた。
もしかしたらみどりママは、初めからあの皿の価値を知ってて、それであたしにプレゼントしてくれたんじゃないかと。
みどりママ、あたしの第二のお母さんだ。
借金残高千九百十五万五千円ナリ。
~第四話(最終話)~
あの真っ赤なカラスが久しぶりにいた。
川口のいつもの喫茶モゾビーで、いつもの気まぐれたコーヒーを飲んで店を出ようとドアを開けたら、向かいの携帯ショップの屋根に止まっていた。
一羽だった。
奴だ。初めて見た時の奴だ。何か、そう思った。奴と対峙する。
翼を広げ飛び立とうとするので、あたしは跡を追う事にした。速い。が、負けなかった。中学の時に軟式テニス部で死ぬ程走らされた地足がまだ残っていた。ありがとう、軟式テニス部。
見失うまいと思った。何故だか分からないけれど。
赤ガラスは一度も鳴く事なく、優雅に羽を広げ飛ぶ。低空飛行で人々をかすめながら。商店街を抜けて公園を通り過ぎて、あるマンションに姿を消した。ヤバい。見失ったか?マンションの裏側に回る。すると屋上の手すりに奴はいた。
否、奴らはいた。ざっと数えても百羽以上はいる。全てが真っ赤なカラスだった。どいつも一言も発さずあたしを見つめていた。
夕暮れに溶け込んだその姿はとても、とてつもなく高貴な印象を与えた。リスペクト。しかなかった。あたしも一言も発さずこの場を立ち去った。
晩秋。
あたしはランジェリーパブの「ル・レジェンド」で働き出した。またオミズ関係かよと思われるが、もうオミズ関係しか手っ取り早いあたしの借金返済方法はなく、スナックぴあであんな非道い目に遭ったのに、まだらな夜があたしを掴んで離さなかった。
ル・レジェンドは赤羽のピンサロ街にある。一本、二駅で近いので通うのが楽だ。勤務時間は午後四時のミーティングから参加して(ベテラン組は五時の開店時間ギリギリに来る)、午前一時の閉店まで。これはぴあと余り変わらない。その時間もう終電はないので帰りはタクシー。しかし二駅なので歩いて帰り、タクシー代を浮かす。
酒は客に作るのが専らで前みたく自分が売り上げの為に飲まなくても良い。接客上これは非常に助かる。またあの時の様に酒でぶっ倒れるのは絶対嫌だった。
コスはランジェリーだ。その上にセーラー服やナース服、メイド服などを着る事もあるが、それらは全てシースルー素材で出来てて露出度高しで否応なしにエロい。
最初はこの格好で接客する事に恥ずかしさもあったが、そんなん三日で慣れた。この、ランジェリー姿でいるかいないかで発生する時給の差額を思えば、なんちゃなかった。こちとら処女じゃないしね。
ランパブは、あたしら若い女の子の覚悟の程がセット料金に加味されているのだ。
時給は鬼道楽やぴあよりも遥かに高かった。その上、余禄として時折お客さんがブラやパンツにチップ(主に千円札。たまに五千円札)を挟んでくれる事もある。
「ありがとう~♥️♥️♥️〇〇さ~ん♥️♥️♥️」
と言ってその客の頬や額にキスするのがル・レジェンド暗黙の了解だ。
それがどんな臭いキモメンであっても太客は太客だ。セット料金だけでウイスキー水割りをちびりちびり飲んで帰る貧乏な客より遥かにありがたく貴重な存在なのである。
指名料は半分が店で半分が女の子の取り分。チップは全額自分のものになる。これがなかなか馬鹿にならないのだ。日銭はチップと指名料の上がりで稼いで、給料は丸々借金返済に充てた。借金の減るスピードが加速度的にアップしている、確実に。
「盤石、盤石ウウウ、WREYYYY !!!!」
と、ディオ様よろしく夜中急に叫んだらヒロシが痙攣した。
月に一度、「下着祭り」というイベントが催される。これはあたし達ランパブ嬢が店の特設ステージで寸劇やものまねやダンスをするイベだ。普段より露出度高めの薄くて小さいランジェリーを身につけながら。その日は客で満員になる。
客は赤羽飲み屋街をうろつく中国人が多い。ル・レジェンドの店長が中国出身という事もあるのかも知れない。店長は海路蓮(カイロレン)という四十代の元中国人で、帰化して日本人の若妻との間に女の子が一人いる。ちょっとシャブ中で、新興宗教の「地を這うスパゲティビースト教」の教徒(パスタファリアンと呼ぶらしい)であり、「全ての麺類は聖なる食べ物」という教義を頑なに信じ込んでいるが、気さくな店長で仕事帰りのあたし達にパスタを時々作ってくれる良い人だ。
あたしは入りたてなのに指名人気がナンバースリーだった。どんだけ鑑定団を観たお客さんが何人か常連になってリピートしてくれたお陰だ。地上波今ほとんど観てない人多いのにやっぱ鑑定団すげーな。いやすげーのは良いんだけど、他のランパブ嬢から妬まれる毎日だよ。パイセンとかな。
基本あたし達は仲が良くない。イジメ、嫌がらせは当たり前の陰湿な女社会。
その日着なきゃいけないコスがファブリーズでぐっしょり濡れていてファブ臭かったり、ヒールのかかとがぽっきり折られていたり、あらぬ疑いをわざと掛けられる時もある。以下、岸辺やよい(源氏名ヤヨンセ)からの場合。
「ノギチカぁ。ねーあんたさああたしの化粧水黙って使ったでしょ?」
「え。使ってないです」
「嘘つくなよ使ったって。だって昨日よりこんなあからさまに減ってるしよ。正直に言いなって。使ったんだろ?」
「使っては、おりませぬ」
「今ならまだ間に合うよ。あんた使っただろ?」
「や。使ってないでポン」
「使っただろ?」
「いや」
「使っただろ?」
「ハアッ?何回言わせんだよ使ってねえよてめえのババくせえドリチンホモホモリンクルなんかよぉっ!おめー下水処理部落出身の馬鹿低脳水呑み百姓だから化粧水の意味分かんねーであーオラ喉乾いただー言うてゴクゴクゴクゴク飲んじまったんじゃねーのかよ違うかっ!ああん!?こちとら元暴力ヒキコだぞ、ヒキコなめんじゃねーぞこの女郎がよオォッッ!WREYYYY!!!!」
と、首根っこ引っ掴んでガンガン揺さぶりまくって撃退致しますと大抵の女の子はその後大人しくなり、控え室で「肩」と言っただけで揉んでくれる様になります。舎弟の誕生です。皆さまお試しあれ。
下着祭りが近づいてきた。あたしは寸劇の脚本を任された。でもそんなもん全く書けないのでヒロシに手伝ってもらう。ヒロシはあたしが下着姿で接客する事に表立って反対はしなかったが、実はかなり嫌だったらしい。スネてみたりする。可愛い男だ。
寸劇はヒロシのおかげで大好評だった。紙で出来た下着を水風船でピュッピュッてやって透けさせる立ち回りのある何かシェークスピアって言うんだっけこういうの的なコント演劇は、だから充分笑いも取った。終わった後で女の子達と楽しく乾杯した。
あたしは青春を読み取っていた。きっと、女子高ノリってこういう事なんだろうな。
借金残高千八百三十二万六千円ナリ。
ル・レジェンドでの勤務接客もだんだん板に付いてきたある日の夜。ある夢を見た。
夢の中、あたしはベリータイトな労働を終えて家に帰り、純金で出来たバスタブに札束をドカドカと入れて札束風呂を楽しんでいる。が、次第に湯量が減っていき札が溶けて消え失せる。
「待って!行かないで!」
と懇願するも金はどんどんどんどん溶けていき、変な色の液体になる。その液体を必死になって手のひらでこそぎ集めるが臭い匂いがするばかりだ。臭いのが手に染み込んで、それがやがて血管を通して全身を駆け巡る。どっぷりと金の腐った汁でカラダと脳を満たされたあたしは狂った様に笑い、何も無くなった汚泥のバスタブの中でカラダをひたすら掻いている。
「かゆいよおぉぉ。かゆいよおぉぉ。もうこうなったらお金のかゆさにかけては日本三位のこのあたしが、かきむしりますっ!ラン、ランララランランラン。ラン、ランラララーン」
そこでハッと目が覚めた。もう冬なのにアンダーシャツが汗だくだった。朝の四時。目が冴えてしまった。テレビをつけたけど通販の番組しかやってなくて、人はこうやって松前漬けとか熟成黒酢ニンニクなどを買わされるのだろう。
隣でヒロシが寝息を立てている。彼をギュッと抱き締めた。抱き締め返された。お金の腐った匂いが染みついても、お願いだからあたしの事嫌いにならないでね。いつか借金を全部返したら、夜じゃないまともな仕事に就くから。そしたら…。
ヒロシは六本木ヒルズの卵投げられ隊の仕事を辞め、悶スター煩ターをプレイするのも一切やめて、小説の執筆に集中していた。前にお見舞いに来てくれた日を境に、この人の顔は何だか凛々しくなった、様な気がするなあ。
朝まだき、まだ眠る彼の髪を優しくさすった。
借金残高千七百二万五千円ナリ。
オミズの世界の農閑期とも言える二月がやってきたでゲス。いわゆるニッパチって奴でゲス。客が少ないでゲス。常連さんばっかりでなかなか新規が捕まらない。
店は雑居ビルの四階にあるのであたしを含め何人か外に出て呼び込みを掛けるがかんばしくない。おまけにちらほら雪も降ってきた。寒いよー。仕方ないので今日は早めに閉店する事になった。稼げないよー。
店がハネた後、海路蓮店長が山盛りパスタパーティーを開いてくれた。店のテーブルを繋げた上に、ポモドーロ、魚介、リングイネ、ペペロンチーノの四種類の特大皿が並んで壮観だ。カリオストロの城でルパンと次元が取り合ったサイズみたいなサイズ。どれもアルデンテでパスタソースの味付けもプロ級で、うます。うますなー。さすがは地を這うスパゲティビースト教のパスタファリアンだ。あたしは少しずつ取り分けて全種類制覇した。
でも中には小麦アレルギーの子もいて一口も食べなかった女の子がいた。横田リンちゃん。店長は「気にする事ないよ」と笑っていたが、目の奥は全然笑っていなくて、「全ての麺類は、聖なる食べ物なんだけどね……」と言って店の奥でシャブを打ち始めた。最近、頻繁にキメている。大丈夫かな。
借金残高千六百八十万二千円ナリ。
普段いつも履いてるナイキのスニーカーの紐が突然切れた。しかもブチッて感じじゃなくライターであぶったような断面をしていた。
朝から妙な胸騒ぎがしてならない。それが何を指すかは分からなかった。分かった時には後の祭りだった。でもどうする事も出来なかったのだ。
西川口の街に赤いカラスがたむろしている。そこら中、我が物顔で空を行き交う。楕円に旋回している。もはや珍しくも何ともない光景だった。彼らは相変わらず一言も発さない。あたしに、生きるヒントを与えない。
午後四時。ピーチジョンのランジェリーに着替えていつものミーティングに参加。みんな真面目な話をしているのに全員ランジェリー姿なのも慣れた。今月は特殊コスのイベントを開催しようという流れになった。
開店。しばらくは客が来ない。夜七時を回り、ようやく社用族や常連さん達来店。あたしも指名され、アーリーのボトルを入れてくれ、水割りを濃いめに作る。面白いんだかつまんないんだか分からない話で談笑する。テーブル席が埋まってきた。店長がニコニコしている。
煙草が切れていた。あたしの奴とついでに指名してくれた常連さんの銘柄を買いに外に出る。ランジェリーの上に、膝丈まである店のロゴ入りダウンを羽織って。煙草が売ってるコンビニまで結構ある。足下から冷えるよー。缶コーヒーも買う。すぐ飲んじゃう。冷たいカラダをあったかい飲み物が通過していくのが分かる。助かるねー。
店に戻ろう。その戻る途中の道から人通りが激しい。みんな、わーわー言ってる。何だろねー。
店が、ル・レジェンドが燃えていた。雑居ビル全体が黒い煙に包まれて、窓ガラスから赤々と炎が立ち昇り、爆(は)ぜていた。
巨大で凶暴で手の付けられない何かの生き物の様だった。警察車両が停車している。バラバラとル・レジェンドのお客さんや店の子達が出て来る。みんな一様にすすけていた。その表情は必死というよりかは呆然としていて寝起きみたいだった。
消防車が二台やっと来る。梯子を伸ばして火元と見られる四階の窓に集中放水している。一階の入り口にも消防隊員が何人か放水ホースを持って入って行く。
道端には酸素吸入器を当てられ救急車に搬送される店の女の子達。何人かが吐いていて、何人かが包帯を巻かれている。
ビルから火の粉が降りしきる中、あたしは何が起きたのか全く理解出来ず、ただ茫然と立ち尽くしていた。あたしも寝起きみたいな顔だったのかも知れない。無表情の象の目で。
逃げ延びた同僚の岸辺やよいちゃんがしきりに叫んでいる。
「店長がぁぁ。店長がぁ。火をつけたぁぁぁぁ!!」
目の前がカットアウトした様に暗くなる。闇よりも夜よりも暗かった。
後日、あの事件がワイドショーで取り上げられていた。
現行犯逮捕された海路蓮容疑者四十二歳は動機についてこう語っていた。
「理由?理由なんか簡単だよね。地を這うスパゲティビーストの襲来に備えてパスタが嫌いなあの馬鹿女を火あぶりにしろとの信号を何度となく海馬にキャッチしたんだ。これはこの地球を凶悪な地を這うスパゲティビーストから護る健全な聖戦なんだよ」
あの日、パスタパーティーがあったあの日、一人だけパスタを食べなかった横田リンちゃんにガソリンを撒いてバーナーで火を点けリンちゃんは焼け死んだ。店にもガソリンを撒いて火を点けた海路蓮容疑者。他に客ら八人が焼死。客と従業員合わせて二十人が煙を吸って喉などに火傷
を負った。
「全部で九人死んだのかあ。アルデンテの天超に召されたんだね。アハハ。良い結果だ。え、罪の意識?あるわけないじゃん逆に褒めてもらいたいくらいだよ。でもあれだよね俺は遺伝子レベルで異常なキチガイだから誰にも俺は裁けないんだよね。最高裁まで行ってもどうせ無罪になるんだよね。それが今の法律。分かる?俺は分かってる」
轟々。
凶鳴。
火焔。
尊厳。
業火。
怨嗟。
灼熱。
乖離。
燃焼。
異常。
黒煙。
慟哭。
灰燼。
寂寥。
あれから煙草が一切吸えなくなった。ライター程度でも火を見るのが怖いのだ。
新宿警察署の丸岡刑事から電話があったのはそんな時だった。最初誰だか分からなかった。母の死んだ日に病院に一緒に行った人だ。
ル・レジェンドでの放火殺人事件について聞かれるのかと思ったが、そうじゃなかった。
別件で強盗事件を起こして逮捕された十七歳の少年が、あの日母が死んだ新宿駅でホームから母を突き飛ばした犯人なのだと今さらになって自供したのだ。
まさしく青天だし霹靂だった。不思議な事に、少年に対する怒りの感情なんかは湧き起こらなかった。
ただ、母があたしを置いて自殺したんじゃなかったんだという奇妙な安堵感と、借金返済生活から解放された素直な喜びが、全身この全身を駆け巡った。血が、ココロが、カラダが初めて自由を得たかの様な感覚で空気すら美味だった。
程なくして今まで払った賠償金は全額、JROO東日本から返還された。
借金残高ゼロ円ナリ。
疲れた。
ほとほと疲れた。
十七カ月間。
借金返済にいくばくかの青春を捧げた。モラトリアムの黙(しじま)を離れ、夜の世界を巡り巡った。人の優しさと恐ろしさ、それも知った。カネの匂いが確実に染み付いた。あたし自身何を得て何を失ったのだろう。それすら分からなかった。たぶん答えなど出ないのだろう。
真っ赤なカラスは街から姿を消した。
ただの一羽も残らずに。
あたしにだけ分かる、「さよなら」のかけらを残して。
ありがとう…………お母さん。
ヒロシは朝と昼に鶏のささみしか食わなくなってスマートになった。ポコンと突き出た芸人腹も消えた。ヒゲを剃り、短く刈られた髪形。切った髪の毛はカツラ屋に売ろうとしたが傷んでいたので目の前で捨てられたらしい。リアップファイブという発毛剤を始めたので髪は前よりも濃くなってきてるけどオメーそれいくらすっと思ってんだよ。
「ノギチカ」
「ん?」
「クイズ。簡単だから。『イタリアでもホモでありたい』を逆から言うと、さて何でしょう~かっ?」
「分かんないよ」
「シンキングタァァァイムフッ!」
「てかそんなんどうでもいいよ。あたしこれから仕事行くんだから。朝バタバタしてんだからやめてよね」
「諦めたらそこで試合終了ですよ!」
「いいよ試合終了で」
「んーもう。正解は逆から言っても『イタリアでもホモでありたい』でしたぁーん!回文になっておりましたぁーん!」
「ふーん」
「…まあ俺が言いたいのは全然そんな事じゃないんだけどね」
「じゃないのかよっ!!」
ヒロシはあたしに原稿用紙の分厚い束を見せた。紙とインクの匂いがほのかに立ち昇る様な感じがして、それはとても出来たてで、それだけであたしは嬉しくなった。
「書けたんだ?新作小説」
「うん」
「やったじゃん」
「うん。ご褒美キスは?」
「帰ってから。楽しみにしとれよー」
「へへへ。ノギチカ。好き」
ドアを開けて東京事変の「閃光少女」を口ずさみながら西川口の街を歩く。
旋風狂う季節が近付いていた。
駅に向かう途中、煮しめた様なボロいスウェットの上下を着たホームレスの老人とすれ違った。
阿久津流氷だった。
ボサボサの白髪頭。何か落ちてないかなと視線を彷徨(さまよ)わせている眼は目ヤニで溢れていて虚ろだけど同時にとてもギラついていた。
たった二年の間に大劣化した彼の立ち位置とフォルム。何に失敗したのだろう。恐らく、何かに失敗したのだろう。それが現代の日本だ。一瞬で、灰かダイヤモンド。
完全に見てはいけないものだった。ただ言えるのは、彼は彼の人生、あたしはあたしの人生を歩むという事だけ。ただそれだけ。あいとぅいまてーん。
今日も闘う。朝の冷気に微熱を失ったアスファルトにカツカツと響くヒールの音はヴァルキリーの跫音(あしおと)。勇猛果敢で、大胆不敵。闘え、闘えと自らを鼓舞する。
言われなくてもあたしは今日も闘う。汚穢(おわい)に満ちたカネの為にではない。純度百パーあたし自身の人生の為に。
今日も闘う。
それは、馬車馬の如くに。
完
馬車馬のおんな ②(爆走篇) 堀川士朗 @shiro4646
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