注変

「ただいま」と言って、その男は帰ってきた。

誰だろうと思った。

知らない顔だった。


しかし男は私を知っているんです。


何故って?


男は私の亭主だって言うんです。

私、なんだか混乱して、頭がどうかなっちゃったんじゃないかと思ったんです。


でも何故か。

男の雰囲気や仕草は確かに亭主のそれに似ていたんです。


だから、映画や小説なんかでよくあるファンタジーが現実に私のもとに舞い降りたような。

虚実が現実になるような。

そんな想いにかられたんです。


だって、何故かって言ったら。


「私の亭主なら亡くなりました。

半年も前の話です。

葬式も終わって、ようやく忘れられそうだったのに」

「忘れなくていいんだよ。

僕は、ちゃんと此処にいる。

君をずっと。

いつまでも愛しているからね」


何を今更。


ホンモノだとしても迷惑だった。


「あなた、いったい何者なの?

いったい何が望みなの?」


彼が何者かなんて解りようがなくて、もちろん亭主ではないのは解っていたけど、私は戸惑うばかりだったけれど、あなたが亭主では無いと言うことだけは伝えてやった。

その人は何故か驚いた顔をしていたけれど、そのまま、今日は諦めるよといって、ネットカフェで休むと帰っていった。


あの男は亭主じゃない。

それは解っているのだけれど、どうして、あんな事を言って、あたしの前に現れたのか、それが不思議で仕方なかった。

もちろん、本物の氏素性にも興味があった。


「だから相談したかったのよ」

と、友人の女性に声かけると、彼女は喫茶店でコーヒーを啜りながら、あちあちって言っていた。

「わりぃね。

猫舌なのよ。

つい今まで忘れていたけど」

「沙耶香なら、なんでも出来るって思ったのに」

「とんでもない。

あたしゃ神様じゃないよ。

とくに、あたしは底辺だから」

「知ってる。

ゴキブリだって」

「失礼だな」

「あなたが言ったのよ」

「覚えがないけど」

「記憶力はニワトリだもんね」

「それも失礼だな」

 明日沙耶香は高校時代の知り合い。

 友人ですらないが、特に嫌いでもないので声をかけたら応じてくれた。

「あたし、そいつに会ってみたいけど、ダメかな?」

「ダメじゃないけど、危険に違いないわよ」

「嗚呼、それ大丈夫。

だって、あたし正気じゃないもの」




Love the life you live.

Live the life you love.



彼女は夫を殺しているわ。

その夫の死を察した男は復讐のために、彼女に近づいている。

男は殺された夫の腹違いの弟なのだけど、彼の目的は報復以外に他ならない。

しかし、単に命を奪おうとはしていない。

まずは事実確認をしようと模索しているようだった。

だけど、それはもう必要ない。

彼女はもう長くは生きられないからだ。

真実を解明したい想いはあるだろうけど、それはあなたのためにならないと、あたしは説得のために彼に会った。

「君は間違っているよ」

 男が言った。

「あなたの兄さんは殺されたってのが信じられない?」

「それは周知だ。

でも、殺したのは義姉さんじゃない。

グリモワールだ」

「御名答。

つて、なんだっけ?

どうだっけ?」

「ゴエティアって相手だ」

「グリモワールのゴエティア?

知らないけれど」

「君がずっと追いかけている相手だって聞いているが」

「あたし?

知らないけど」

「じゃぁ、何もしないで殺されるかい?」

「あなた、何者よ?」

「君の知人の旦那の弟って言えば嘘になる」

「嘘になるのね。

本当は?」

「黒羽洋介って言うケチな悪党さ」

「ケチな悪党なんて謙遜がすぎるよ。

あたしが知る黒羽洋介って言ったら、世界の運命をも狂わせるって言われてるわ。

本物のつもり?」

「疑うのは自由さ。

でも、俺はグリモワールを追っている。

俺の前には立ち塞がらないでほしい」

「そら無理だろ。

あたしゃ公僕だよ。

政府の犬ですぜ」

「いいから。

死にたくはないだろう」

「死にに行くのは、あたしの仕事よ。

知ってる?

死にはしないけど」

「とにかく、邪魔はしないでくれ。

お互いに。

それが一番最適なんだ」



Love the life you live.

Live the life you love.




「あなた、グリモワールのメンバーじゃない。

呪術的な犯罪を得意としているって聞いているけど」

「それは博識ね。

でもグリモワールは大所帯なの。

三柱という三人の幹部の配下に六つの部隊構成がある。

あなたは首謀者に辿りつく事さえできないのよ」

「必要ないわ。

目の前の犯罪さえ、どうにかできれば満足だから」

「そう?

あなたには、それさえも叶わない願いに聞こえるわ」

「なに?

イカれてんの?」

と、その瞬間背後からの激痛。

あたしの体は引き裂かれるような激痛を感じていた。


「あなたの傲慢な生き様が癪に触っていたのよ。

だから、死んで償うがいいわ」


あたしは無意味に血を吐いていた。

内蔵が圧迫されて、逆流してきた血液を吐き出して、遠吠えさえも出てはこない。


あたしは混濁した意識下で、異常な発汗に耐えながら、ただただ時間が過ぎ去るまでの時間を数えていた。


息を引き取るその瞬間まで。

  


Love the life you live.

Live the life you love.



 目の前には破壊された肉塊がある。


 明日沙耶香は立ち尽くしていた。


「誰よ、この女の子?」


 自分と瓜二つの顔が切り裂かれている。

 四肢も粉々。

 気持ちの良い問題じゃない。

 だけど、自分ではないのは解っていた。


 よく見ると少しずつが、あたしじゃなかった。

 

「どういう事なの?」


 黒羽洋介に聞きたかった。

 おそらくは、あいつの所業だってのは解っていたから。


 世界の運命さえも狂わせると呼ばれるあの男の。

 でも会うことなんて出来なかった。

 あたしには知らない事が多すぎたからだ。


 足跡を辿るなら、個人よりは集団を追った方がいい。


 あたしはグリモワールの、

 とくにゴエティアを追いかける事にした。


 それが危険な事だとは思っていなかったけど。


「会いたかったわ。

あなたが誰かなんて興味はないけど」

「誰よ?

あたしには何の身に覚えもないんだけど」

「あなたに覚えがなくても、こっちにはあるの。

何度、その顔を切り裂いて、カラダをバラしたか数えきれないから。

でも、オリジナルを滅ぼせばよかったんだよね。

そう、今ここで」

「だから誰さ。

あんた?」

「名乗る訳がないでしょ。

だって殺戮者なんだから」



Love the life you live.

Live the life you love.



 国際警察機構のエージェントになるとライセンスを支給された。

 名前は覚えてないわ。

 私は記憶をなくしている。

 与えられた情報書類には阿句宇琴世と書かれてあった。

 最近、出会った紫苑比右ってエージェントに、私はルラと呼ばれていた。

 杓子定規な女だと言う意味での綽名だったが気に入っている。

 私が二丁拳銃を扱うから、二丁拳銃のルラって通り名までついている。

 グリモワールって犯罪組織を壊滅させるために、これまで何人ものエージェントが殺害されてきている。


 何から手をつけていいのかも解らないけど、私がカタをつけなければいけないのは解っていた。


 それが私の任務だから。


「無理だよ。

なんで断らなかったんだよ。

命が惜しくはなかったのか」

「私がやらなければ他の人が犠牲になるだけだわ。

だったら、私が犠牲になるわ」

「そうか。

決意があるのなら、仕方がない。

君の好きにするがいいさ」



Love the life you live.

Live the life you love.



「黒羽洋介って本名なのね。

冗談かと思っていたわ」

「黒羽洋介は本名じゃないさ。

捨て子だからな。

育てられたのもコンピュータにだ。

ずっと無機質な部屋で、それ以外の世界を知らされずに過ごしたんだ。

妹は生まれてすぐに養子にとられたが、そんな俺の世話をしてくれたのが琴世の母親だったんだ」 

「琴世は事故で十年間も植物状態だったんだけど、元は恋人だったのかしら。

それとも」

「いらぬ詮索はよせよ。

しかし、まさかグリモワールとはな」

「琴世が対処できるとは思ってないわ。

でも、あなたなら適任でしょ。

どうにかお願い」

「俺には重荷だ。

だが、選択肢は多くはない。

やれるだけやってみるさ」

「そっ。

じゃ、期待しちゃおうかな。

世界の運命さえも狂わせるって、大袈裟なあなたの名前に間違いがない事を祈っているわ」

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明日沙耶香の冒険 なかoよしo @nakaoyoshio

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