最終話

 それから半年が経った。

 マンションはそのまま、今は二人の——パパとママの家で暮らしている。

 相変わらずこの広い家は、人が多い。

 というか、更に人が増えた。

 てっきりマンションのあの部屋限定かと思ったのに、あの家政夫さん改め秘書さんもこの家にいる。

 いや、まぁ、家政夫さんだと思ってたけど、実は秘書で、かと思えば実は、……日本語で言えば従者、英語で言えばvalet——らしい。さらに言うと、初めてこの家に来たときに、「他人と思ってない人」と言っていた人は、——執事なんだそうだ。butler。

 秘書とか使用人と説明した理由は、ドラマや漫画やバラエティ番組の影響で、「執事」と言う職種に対する偏見が蔓延しているらしく、特に若い女性(若くはないが)は、イメージと現実のギャップにガッカリするかもしれない、という気遣いだった、らしい。

 生憎、執事を扱った漫画もドラマも見た覚えはないので、ガッカリはしないけれども。びっくりはした。

 中学生くらいの頃に好きでよく読んでいたファンタジー小説は、大体が中世ヨーロッパに似た世界観だった。その世界には貴族がいて、割と歳をとった男の人が執事として出てきた。挿絵もほとんどないような小説だったから、頭の中で想像していた執事は、若くても初老で、老齢だ。

 それと比べたら随分若いんだなと。まぁ自分の年齢が上がったから、初老と感じる年齢も上がったのかもしれない。

 その執事さんに比べてさらに若いvaletは、マンションにいた時と同じように、何かと世話を焼いてくれる有様だ。


 悪人になろうと決めたので、ほぼほぼ居候のような生活をしている。

 パパとママは相変わらず、「これ買って」と言うとホイホイ買ってくれるので、一体いつこの大掛かりな詐欺の総仕上げがくるのか、恐ろしい見せ金に空恐ろしさを感じる日々だが、今の所まだその日は来ていない。

 今日はまた、何かの催し物に出かけるとかで、ママは朝から準備に忙しく、パパもそんなママを見てニコニコしながら「女性は大変だね」となぜか嬉しそうだった。

 ママはもうすでに60を超えているはずだが、綺麗な人だ。おばあちゃんと呼ばれる年齢のはずで、実際、戸籍上の実子はお子さんが生まれているので名実ともに「おばあちゃん」なはずだが、そうは見えない。

「お嬢様も、そろそろお支度なさってください」

「え、あ、はい」

 この家のびっくりなところは色々あるが、美容師さんが派遣されて家まで来てくれるというのもその一つ。

 先に着替えるように言われて、クローゼットから一着出されている。

 ……あれ、昔着たようなドレス。

 着ることなんて二度とないと捨てたドレスと、よく似たドレスがかけられている。

 淡い淡い水色に、白い糸で雪の結晶が刺繍されている。刺繍自体は小ぶりで、遠目にはわからないだろう。ハリのある固い布地に、共布のケープ。

 袖を通して、背中に腕を回してファスナーを上げる。

「お嬢様、お手伝いいたしましょうか」

 ノックの後に、この一ヶ月で耳に慣れた声がする。

 ……手伝いは女の人が良いなぁ。

「大丈夫です。多分」

 とりあえず、言ってから鍵を開ける。

「ああ。よくお似合いですね。後ろを向いていただけますか?」

 裾に気をつけてくるりと回る。

「……大丈夫ですね」

 その言葉を合図に、前を向くと、機嫌のよさそうな笑顔にホッとする。

「ですが、少し胸元が寂しいです」

 ……胸は平均よりでかいはずなんだが。

 昔太ってたから。

「お嬢様はアクセサリーを一切購入されていないようですが、奥様が一揃い誂えられております。今日はお召しになりませんか?」

 ……ああ、ネックレスをしろってことか。首飾り。

「……あんまり好きじゃないんです。首に何か絡むと、気になっちゃって」

「……左様でございますか」

 残念そうに言われて、申し訳なくなったが、こればっかりは譲れない。

「お嬢様は肌自体がお美しいですから、飾りは不要かもしれませんね」

 ここの人たちって、本当によく人を褒めるなぁ。

 まぁ詐欺をするには、人の心に入り込まなきゃならないから、仕方ないんだろう。天晴れな職業意識。

 その後、美容師さんに髪とメイクとネイルまでしてもらって、それなりに化けさせてもらうと、立派なスーツを着たパパが、それはもう褒め言葉の大盤振る舞いをしてくれた。

「……ありがとうございます。パパも。スーツよくお似合いで」

「ありがとう。そう言ってもらえると、嬉しいよ」

 ママは先に出かけたらしい。

 ちょっと残念だった。ドレスを選んだのはママだろうから、見て欲しかった。

 それにしても、結構な正装だけどどこで何があるんだろう?



 ……ああ、確かに、ホールで歌ってるところ、見たいって前に言ったような気がするけれども。

 照明の落とされた客席から、煌々と照らされた舞台の上で、輝かんばかりの音色を奏でる女性の姿。深い色合いのドレスがよく似合ってる。

 呆気にとられて横を見ると、男の人が、人差し指を口元に当てた。

 確かに、今は質問なんかしてないで、この声に耳を澄ませるべきだ。

 やがて訪れた休憩時間に、

「これが非公開だとはなんとも申し訳ないような気もするが、ご招待に感謝するよ。ところで、こちらのレディは?」

「今日はお招きありがとう。世界の歌姫は健在ね。あら、可愛いお嬢さんね」

「これを機に復活してもらいたいところだけど、その気はないんだね? おや、偶然かな。彼女の若い頃によく似ているね」

 などと、何人にも声をかけられて、非常に居心地の悪い思いをするのだが、それはまた別の話。



「あなたがパパとママのホントの娘?」

「え——ぅ」

 振り向いた先にいたのは、気の強そうな女の人だ。

 思わず呻いたのは、明らかに初対面なのに、見覚えのある顔だったから。

「うーわー。そっくり」

 歯に衣着せぬ物言いは、うちの家族には似てないけれど、ママに似ていた。

「今日はお忍びで来たからパパとママには内緒ね。顔見てみたかっただけ。養子縁組断ったっていう変わり者の顔を見てみたかったの」

「……はぁ」

「ゲームのヒロインみたいな展開じゃん? ちょっと歳いってるけど」

「……えっと」

「独身だっけ?」

「あ、はい」

「ああ、大丈夫。私が嫁いだ先も、うちと同じくらいの資産家だから。別に遺産の取り分減るとか思ってないよ。思ってるけど、それで邪険にしたりはしないつもり」

「……どうも」

「悪役令嬢は破滅するしね。そんなバカな真似しないわ」

「……?」

「ウッソ、わかんない? すっとぼけ? どっち?」

「……悪役は悪い役であってますよね? レイジョウは逮捕状とかの令状ですか?」

「……マジか……絶対お仲間だと思ったのに……ゲームとかあんましないの?」

「お金がなくて……ゲームを買ってもらえたのは結構年齢が上がってからで、1日30分っていうルールがあって、強くなれないから好きになれなくて」

「……あー……マジもんの知らない人なんだ。あのね、強くならなくても楽しめるゲームがあるの」

「え、いや、あの、本当にゲーム得意じゃないから」

「あー。連絡先私に教えるの怖い? じゃあ家に送るから。実家にいるんでしょ? どうせ私はしばらく子育てでやる暇もないだろうし。そのうち話そ。名前は? ——ゆきで通じるか。そのドレス」

 ふっと笑ったその顔が、父親にそっくりで思わず顔が引きつった。

「ん? あー……この顔怖い?」

 思わず頷いてしまった。

「素直」

 笑われた。

「アプリもあるんだけどさー。そんなに怖いならやっぱアプリじゃない方がいいか。そのうち教えるよ。意外と役に立つよ。マナーとか基本的な振る舞いとかも出るからさ」

 ……もしかして、金持ち用の教育ゲームなのか?

「それじゃまたそのうちね。パパとママが多分対面式そのうち催すと思うから。ああ大丈夫、私とあんたのだから。そっちの両親は呼ばないって。なんかひどいんでしょ? そっちの両親。私は別に会っても会わなくても良いし。親族は少ないんだけど、集まりもあるっちゃあるからなー。——ああ、私は後から出るから、先に帰りな」


 背中を押されて、トイレの入り口に押しやられる。

 肩越しに振り返ると、さっさと行けと言わんばかりに、しっしと手を払われている。

 一応軽く頭を下げると、何故だか苦笑された。

 嵐のような人だったな。でもその取り留めのない話の流れは嫌な覚えがある。

 まぁ、表立って、悪意はなさそうだったから良いんだけさ。



 パパとママの家で暮らすようになって、一番変わったことと言えば、当然のように毎日与えられる褒め言葉と、レディファーストのおかげで、私が「私」と言えるようになったことだ。

 多分、いずれ散々な目にあってこの家を出ることになるのだろうけれど、それでも私はこの家で暮らしたことを、懐かしく思い出すだろう。

 女であることは嫌なことばかりだと思っていたけれども、そう捨てたもんでもないかもしれないと、思えたおかげで、女として生まれた自分を少し受け入れられるようになった。

 少なくとも今は、楽しい毎日を送っているわけだ。

 いずれくるその日まで、思う存分人生を謳歌してやる。 

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大掛かりな詐欺を仕掛けられたので騙されたふりをして悪人として生きようと思います。 安曇唯 @YuuiA

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