月の光と月光と

くろかわ

月の光と月光と

 ──極論、それは同じものだ。可視光線。それだけ。それだけなのに、どうしてこんなにも──


「どうでした?」

 玉のような肌にうっすらと汗を輝かせ、彼女は笑って振り向いた。原形が美しく残っている、しかし古典音楽クラシックとして採点したら零点間違いなしのアレンジを奏でた彼女。

 湖面にたゆたう月をイメージさせる名曲は、まるで雲のない嵐の海に沈んだ満月に変貌していた。だから、

「彩度が高い……」

「なんですかそれ」

「いや、あのね、変だよこれ。あと、さっきと違うし」

「そりゃあ、変えてますから」

 変えてますからじゃないんだよな。

「いやいや、まずは楽譜通りに弾こう!?」

 私が手をぶんぶんと振って応じると、彼女は足をぶらぶらとさせて応える。

「だってー。それじゃつまらないでしょ?」

 これだ。だから、とても彩度が高い。


 彼女との付き合いは人生の半分以上になる。というかこの前なった。

 七歳の頃に出た音楽コンクールが初対面だった。初対面と言っても私が彼女を認識したのが初めてだっただけで、彼女はどうだったろうか。などと考えるのは自意識過剰かもしれない。方々のコンクールに出ていたから、もしかしたら、と思ったことは幾度もある。けれど、はっきりさせる理由が思いつかなくて聞かずじまいのままになっている。

 直接会話したのは更に二年後。九歳の時だ。これははっきり覚えている。その時も彼女は破天荒な譜面を、しかしとても美しい音色で奏でて、審査員から総スカンを喰らっていた。

 彼女の帰り際、私はトロフィーを親に押し付けて彼女に詰め寄った。技術はあるのに、私より上手いのにどうして譜面通りに弾かないの、と。

 そうしたら、さっきと同じ答えが返ってきた。

「だってー。それじゃ、つまらないでしょ?」

 それを、よく覚えている。


「折角綺麗なんだから……こう、評価されるやつ弾こうよ。勿体無いよー」

 彼女は振り返ったままにこりと太陽のような笑顔で、

「うーん。中学最後くらい真面目にやろうかなって思ってたけど、もういいです。普段通り好きに弾いて、最低評価貰います」

「なんでー!」

 冗談半分、本気半分で憤慨してみせる私。私のことなんて、どうでもいいのだろうか。きらきらと長い髪に暮れかけの太陽が透けている。

 踊るように椅子を立ちあがり、長身を見せつける彼女。動きに似合わず真面目な顔。切れ長の瞳。整った眉。それがするりと近付いて、

「今、欲しい評価はもらいましたから」

 これだ。


「どう……かな?」

 真っ白な肌にうっすらと汗を滑らせ、彼女は不安げに振り向いた。原基そのままの、完璧な古典音楽クラシック。採点したら百点間違いなしのノーアレンジを奏でた彼女。

 真冬の月をイメージさせる名曲は、まるで天体望遠鏡で覗いた月光そのもので、それはもはや月ではなく、人の中にしかない月光のイデア。だから、

「輝度が高い、で」

「なんだよそれー」

「んふふー。真似してみました。綺麗です。とても」

「うん、この曲好き。綺麗だからねー」

 そういうことではないのですけれど。

「ま、それでいいです。おっけーです」

 あたしがちょっとふくれ顔をしてそっぽを向くと、彼女は慌てて手を振る。

「えっ。なんかおかしかった? ミスってた?」

 これだ。だから、とても輝度が高い。


 彼女との付き合いは人生のほとんどになる。

 三歳の頃に出た音楽コンクールが初対面だった。初対面と言ってもあたしが彼女に捕らえられたのが初めてだっただけで、彼女はどうだったろうか。その後も方々のコンクールに出ていたから、もしかしたら、あちらはずっと気にしていたのかもしれない。しれないけれど、はっきりさせる意味が思いつかなくて聞かずじまいのままにしている。

 直接会話したのは更に六年後。九歳の時だ。これもはっきり覚えている。その時も彼女は生真面目に譜面を、そしてとても美しい音色で奏でて、審査員から大絶賛を拐っていた。

 彼女の帰り際、あたしは彼女に詰め寄られた。技術はあるのに、どうして譜面通りに弾かないの、と。

 何故って。それでは絶対にあなたに勝てない。だから、悔し紛れにこう応えた。

「だってー。それじゃ、つまらないでしょ?」

 それを、よく覚えている。


「折角上手いんだから、もっと自由にやってもいいと思うんです」

 彼女はぐったりしたまま、ぼんやりと空を……実際には天井を見上げて、

「それなー。でもさぁ、うち親がうるさくて。型通りにやんないと金取ろうがなんだろうがめっちゃくちゃに怒られるんだよねー」

「なるほど」

 冗談半分、本気半分で落胆してみせるあたし。あたしの気持ちよりも、両親の言葉が重いのだろう。揺れる短い髪の合間を星々が飛翔している。

 ゆっくりと椅子から立ち上がり、小さな体を伸ばす彼女。動きに似合わず弛緩した顔。丸く大きな瞳。下がり眉。それがへにゃりと笑顔に変わり、

「そう言ってくれんの、あなただけだよー。ありがとね」

 これだ。

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