第6話 糾弾
………………
声に、淳之は目を開いた。
自分は床に寝転がっている。その同じ床に、男が両手をついて必死に、
「お願いだ、もう許してくれ、この通りだ、この通りだ」
と、自分と同じように額を床にこすりつけて謝っていた。
淳之はぼんやりと視線を動かした。男が謝っている先に……、ワイシャツに学生ズボンをはいた愛田智が立っていた。
淳之はぼんやりする思考の中で、これはどういうことなのだろう? と考えていた。
意識を失う前、愛田智は自分の前に立っていた。
では、背後から自分の首を絞めたのは……、今土下座して愛田智に謝っているのは…………
「…………渡辺……幹雄君……なのか?…………」
その声に渡辺幹雄は顔を半分上げ、淳之を見た。ハッとしたように正面に顔を上げ、愛田智の幽霊を見た。
愛田智は渡辺幹雄に言った。
『君を恨んでなんかいないよ。ありがとう。ごめんね』
「愛田君……」
渡辺幹雄は涙を流し、堪えられずにうつむいてうっうっと嗚咽した。
渡辺幹雄に不器用に笑いかけた愛田智は、淳之を、ものすごい目で睨み付けた。淳之は凍り付いたようにその視線から目が逸らせなかった。愛田智の幽霊は無言で、ただただ憎しみを込めた目で淳之を睨んだまま、すーーっと、消えていった。
「あら、あなた、生きていましたか? あらまあ、お優しいことで」
華やかで意地悪な女の声が言って、紅倉美姫が芙蓉美貴と共にお堂に上がってきた。
紅倉は不思議そうに見上げる渡辺幹雄に言った。
「幹雄さん。教えてあげなさい、この人に。この人は、今の今までなんにも知らなかったのですから」
その言葉を聞いて渡辺幹雄は世にも恐ろしい凶相になり淳之を睨んだ。
「なんだと……、きさま、今の今まで知らなかっただと?…………」
幹雄のあまりに恐ろしい顔に淳之は恐怖した。幹雄は立ち上がってブルブル震えると、淳之を足蹴にした。2度3度、4度5度と。淳之はひたすら耐えた。
「この……腐れ外道め!!!」
言い捨て、幹雄は積年の恨みを込めて思い切り淳之の顔を蹴り飛ばした。唇が破け血が飛び散ったが、そんなもの、渡辺幹雄が顔面に受けた傷の何百分の1にもなるまい。
渡辺幹雄は呪詛を込めて淳之に教えてやった。
「愛田君は死んだよ、自殺したんだ!」
「自殺……。俺のせいで…………」
「そうだ!!!」
渡辺幹雄は喚いた。
「おまえが殺したんだ! おまえが、おまえが、おまえが、愛田智君を殺したんだ!!!」
ハアハアと息をつき、幹雄は泣き出した。
「おまえが殺したんだ……。全部おまえのせいだ……。だが……、
直接愛田君を殺したのは、この、俺だ…………」
泣く幹雄が落ち着くのを淳之はじっと待った。幹雄は話しだした。
「俺がこの傷で入院している時、愛田君がお見舞いに来たんだ。1人で。後から思えば彼はきっとありったけの勇気を振り絞って来てくれたんだと思う。だが、その時の俺は……、この傷のせいで人生観のひっくり返るほどのショックを受けていた。自分のせいでと謝る愛田君に俺は………………、
『そうだ、おまえのせいだ! いったい何度俺はおまえを助けてやった!? それなのにおまえはいつもいつも俺の前からさえコソコソ逃げやがって。おまえみたいな弱虫はこれからの人生とても生きてられないぞ!』
と……、はねつけたんだ。
その夜、愛田君は首をくくって死んだ。
おまえらのイジメと、俺の言葉で、愛田君は死んでしまったんだ!………
…………それから今日この日まで、
俺がどれだけ苦しんできたか!!………………
俺は、おまえも同様に苦しんでいるんだとばかり思っていた。
それが、あの日曜日、家族とニコニコ幸せそうに笑っているおまえは……、なんだっ!?
愛田君のことばかりじゃない、この!顔の!せいで!、俺が今まで学校で、社会で、人生で、どれだけの辛酸を舐めてきたか!!!おまえに分かるかっ!!!???
愛田君は勇気を振り絞って俺に会いに来てくれた。俺は会わなかったがおまえの両親も家に謝りに来たよ。泣きながら何度も何度も頭を下げていた、玄関先で、近所中が聞いている中、俺の親父にさんざん罵倒されながらな!
おまえは、どうせ知らないんだろう? おまえの親は俺に何千万もの慰謝料を払ってるんだ。金なんかいくらもらってもな、この顔じゃあな、ハッ!
てめえ、俺たちの苦しみを、これまでちっとでも考えたことがあるのか、この、バカヤロー!」
幹雄は、もう一度淳之を蹴り倒した。
淳之は、よろよろと起き上がったが、とても、顔を上げられなかった。
紅倉が言った。
「あなたの学生当時も荒れる生徒たちの学内暴力は社会問題視されていました。しかし今よりずっと閉鎖的で、イジメ問題も表面的にタブー視され、未成年者が保護されていた風潮の中、あなたも、学校と社会と親に、守られていたのです。
あなたの学校は、愛田智君のイジメを、全く問題にしなかったのです。
渡辺幹雄さんのケガは、生徒たちが悪ふざけして遊んでいた際の不幸な事故。
愛田智君の自殺は……、彼の家庭は母子家庭でした、その不幸な家庭環境の中で思い悩んでのこと、とされました」
淳之はさすがにつぶやいた。
「そんな…………」
紅倉は冷たく突き放す。
「意外ですか? ではあなた方が愛田君を執拗にいじめていたのは何故です? 彼が父親のいない、母親だけの家庭の子だったからではありませんか?」
「いや……、そんなことは…………」
「思い出しなさい。あなたは、知っていたはずです」
「……はい………。知って……ました………………」
そんなこと意識したことは、ない、はずだ。しかし、それで反論する意気地は、淳之にはもうなくなっていた。
知っていたのだ、確かに、愛田智の弱い立場は…………。
「さて。
というわけで渡辺幹雄さんはずっと愛田智君の死に責任を感じ、苦しんできました。あなたが忘れたいと思い、すっかり忘れ去っていた過去の罪を、幹雄さんはずうっと背負いながら生きてきたのです。幹雄さんにとってこの世に生きることは地獄に生きることと同じだったのです。
その抱える地獄が、幸せそのもののあなたを見て、爆発したのです。
智さんの魂はずっと悔やみ続ける幹雄さんの思いに縛られて成仏できずにいました。
智さんの死霊の力が、幹雄さんの霊体、つまり生き霊を、悪霊化し、あなたに復讐を開始したのです。
わたしが今日ここに来たのはあなたを救うためではありません。智さんの魂を成仏させ、幹雄さんの苦しみを和らげるためです。
ああ、ちなみに。
お嬢さんがあのような痴態を演じたのは幹雄さんのせいばかりではありません。お嬢さんにとって父親のあなたはスーパーヒーローのように尊敬する人でした。そのあなたが、実は過去に許し難い罪を犯していたと知って、裏切られた思いがしたのです。父親への憎悪は、血のつながった娘である自分への嫌悪感に変換され、自分を
お嬢さんは救ってあげなければなりません。
あなたは地獄に落ちました。生涯この地獄は続きます。
今ここで死を選んでも、次なる更なる地獄が待ち受けているだけです。
更なる地獄に落ちたくなかったら、今の地獄を生き通すことです。
お嬢さんに今の自分を全てさらけ出すことですね。自分の父親がどういう人間か、客観的に理解できれば、自分自身を見つめ直して落ち着くことができるでしょう。
この世であなたができるのは、それだけです」
淳之は、考え、言った。
「娘は、妻は……、わたしを受け入れてくれるでしょうか?」
紅倉は不機嫌極まりない声で言った。
「そんなこと、わたしの知ったことですか!」
淳之はじっとうつむいたまま、
気が付くと床が白く、いつの間にかお堂の中に朝日が射し込んでいた。
白い光の中、紅倉と芙蓉の姿はなく、渡辺幹雄の姿もなかった。
そもそも彼はどうしてここを訪れたのだろう?
夢か、幻か。
よろよろとお堂を出た淳之は、もう一度愛田智のお墓に深々頭を垂れ、次は、妻と娘の許しをもらうために歩き始めた。
重い足取りで、茨の道を踏みしめながら。
終わり
2008年9月作品
霊能力者紅倉美姫11 過去から甦った亡霊 岳石祭人 @take-stone
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