第5話 肝試し
話を聞いてもらえることになりホテルでの面会となった。
テレビ局の番組宛に手紙を出し、思いがけず早い返事だった。
アシスタントの芙蓉美貴という美人に案内され、紅倉美姫の待つテーブルに向かい合ってついた。実物を見ると改めて浮き世離れした美人だが、バラの香水があまりにきつすぎた。これだけ大量に振りまけばどんな高級な香りも悪臭になる。
そんな淳之の思考を読んだかのように紅倉は非常に不機嫌そうな声で言った。
「あなたはダメですね。救いようがありません。手遅れです」
まるで死刑宣告のように無慈悲だった。紅倉は更に不機嫌に言った。
「ですがこのままではお嬢さんがかわいそうです。あなたに全てを掛ける覚悟があるなら、助けてやらないでもありません」
淳之は、ふと、実はこの女は新興宗教の教祖様で、馬鹿げた高額の壺でも売りつけられるのではないかと怪しんだ。
紅倉はツンとして言った。
「わたし、お金には不自由していません」
やはり、この女は人の考えが読めるのだ。
「全て、とは、ズバリ、あなたの命です」
ギクリとする淳之に紅倉は意地悪く微笑んで言った。
「あなたが命を投げ出しても、あなたは救われません。あなたはもう、絶対に救われることはないのです。それでもなお、お嬢さんのために命を懸ける覚悟がありますか?」
淳之はうなずいた。
「本当にい〜?」
紅倉は疑わしそうに言った。まるで子どもの意地悪だ。
「本当です。娘のためなら、喜んで命を差し出しますよ」
「あら立派。じゃ、美貴ちゃん」
芙蓉美貴がパソコンからプリントアウトした市街地図を淳之の前に差し出した。1カ所赤い丸で囲んである。
「……青綾霊園…………」
「はい、もう1枚」
もう1枚差し出されたのは、霊園の区画地図だった。そこにも1つの赤丸が……。
淳之は地図から顔を上げて紅倉を見た。
紅倉はニンマリ笑って言った。
「深夜2時、そのお墓にお参りしてその墓に眠る人に心からお詫びしなさい。その後丘の上のお堂に入って、朝までそこに居なさい」
淳之はその指令内容を反芻してまた気の遠くなるのを感じた。
やはり、渡辺幹雄はもうこの世の人ではないのだ。
なるほど、自分はもう決して救われることはないのだ………………。
翌日。
淳之は会社を出ると東京駅から新幹線に乗り、子ども時代を過ごした街の駅に降り立った。もう20年来来たことのない、一生戻ってくることはないだろうと思っていた街だ。
ネオンのまぶしい駅前の風景はすっかり様子が変わっていたが、それでもそこかしこに記憶を甦らせる建物やら通りやらがあった。
居並ぶタクシーに乗り、地図の住所を告げた。ここからまだだいぶある。中心地近郊の墓所を確保するのも難しいし、きっと、渡辺幹雄の両親の出身地なのだろう。
町中を抜け、徐々に海岸線に沿って走り、40分を過ぎて、海に面するその広い墓地に着いた。周囲に明かりの灯る建物はほとんど無く、いぶかしがる運転手を帰して、淳之はそこに立った。
ザアザアと真っ黒な海から波の音が響いてくる。時刻は0時になろうとしているところだった。
紅倉に言われた時間は午前2時だ。淳之は持参した懐中電灯で入り口にある区画を示す大きなパネルを照らし、墓地を眺めてあの辺りかと見当をつけた。
それから2時間、淳之は砂浜に下りて真っ黒な波が寄せては返す海を眺めて過ごした。寄せる波とは別に時折沖の方からドオーーン……という音が響いてきた。
長々と重い時間を過ごしてようやく淳之は墓地に入った。
500ほども区画のある広い霊園だ。月もなく雲に覆われた空は暗い灰色をしている。ぼんやり灰色の石柱の広がる中、淳之は懐中電灯で道を照らしながら歩んでいった。位置を確認しながら奥へ進む。なだらかな丘の上に、公園の東屋程度のお堂の影が見える。だいぶ丘のふもとに近づいたところで、地図に赤丸で囲まれたその墓はあった。
ゴクリとつばを飲み込みながら意を決して墓碑を照らした。
先祖代々の墓、とある。
淳之は頭を下げて裏に回り、再び照らした。
「愛田智 昭和5×年没」
「愛田?……」
渡辺幹雄の名を想像していた淳之は首を傾げた。
墓を間違えたかとナンバーを刻んだプレートを確認した。では紅倉が間違えた墓を指示したのかと隣、周囲の墓を見て回ったが、いずれも渡辺家の墓ではなかった。
元の墓に戻ってきて淳之は考え込んだ。周りを見て分かったのだが墓には側面に建立者の名前が刻まれているが、実際にお骨の納められている人の名前が刻まれているものはなかった。いずれは建立者自身がここに入るということなのだろうが。この墓だけは、はっきり「没」と、死者の名前が刻まれている。
「誰だ? 愛田……愛田……愛田……智…………」
…。
「…………………あああああああああああ………」
淳之は口を半開きにし、老人が絞め殺されるようなかすれた声を発した。
「ああああああ…あいだ……さ……と……る…………」
今度はううううと歯を食いしばり、首の筋を痙攣させた。
「あああああ、うわああああああ………」
忘れていた。
これこそまさに、20年、まったく忘れ去っていた!!!
「愛田……智………」
後ろによろめき、尻餅をついた。まさに、淳之はそこに過去から甦った亡霊を見ていた。
な、なんということだ…………
淳之はガバッとひれ伏し、地面に額をこすりつけた。
「すまない! 知らなかった! 知らなかったんだ! ききき、君が! 君が亡くなっていたなんて、まったく、知らなかったんだ!……」
淳之はガリガリ額をこすりつけ、すみませんすみませんと謝り続けた。
愛田智。
それは、淳之たちイジメグループがいつもいじめていた相手だった。
昭和5×年と言えばたしかに淳之が中1の時だ。その年のうちに愛田智は亡くなっていたのだ。
何故……、と言えば、紅倉のあの口調、あなたは救われないと言う言葉から察するに、
自殺。
きっと自分たちのイジメを苦に自ら命を絶ったのだろう。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。……」
淳之は額に血を滲ませて涙を流して謝り続けた。
しかし紅倉美姫が淳之に科した本当の罰はこれからだ。
さんざん謝り続け精根尽き果てたていの淳之は、フラフラと自身幽鬼のように階段を上がり、丘の上のお堂に向かった。
格子窓の扉にカギはかかっておらず、開くと、八角形の床の奥に祭壇があった。その上の壁に何か大きな絵が掛けてあって、懐中電灯で照らすと極彩色の曼陀羅だった。
淳之は懐中電灯を消すと床にあぐらをかき、祭壇に向かい合った。
闇の中の曼陀羅に輪廻転生を思う。
これからこの闇の中で、自分の身に何が起こるのか?
命を懸けろと言う。
自分は死んだら何者かに生まれ変われるのだろうか?
もしこの次に生を受けたならば、もう絶対に、このような過ちは犯すまいと思った。
黒く、重い、冷たい空気がひしひしと身に浸みる。
静寂の中、次第に自分の呼吸が大きく荒くなっているのが分かる。肩がこわばり、重い。震えがどうしても身体からわき上がってくる。
淳之は死刑囚として泣き喚きたい重度の緊張の中、死刑執行人の訪れを待った。
背中に冷たい空気の一団が感じられた。
手が、淳之の顔の両脇に伸びてきた。
『ごめんなさい。ごめんなさい。許してください』
淳之は念じて硬く目をつむった。
手は、淳之の顔を触った。冷たく冷え切った手だった。
淳之の顔を撫で回し、引っ掻くように爪を立て、頭に移動すると髪の毛の中に指を突っ込み、グシャグシャとかき回した。
手は離れていき、
首に回ると、ぐうーっと、締め付けてきた。
『南阿弥陀仏。南阿弥陀仏。南阿弥陀仏。……』
顔を鬱血して膨らませながら淳之は必死に念仏を唱え続けた。
声が、耳元ではっきり言った。
「何度も思ってたんだ、こんな奴、殺してやるって!……」
淳之はふと妙に感じたが、恐ろしさに心の中でただ詫び続け、念仏を唱え続けた。
グエッと、とうとう口を開き、目を開けた。熱い涙がほとばしった。
目の前に、
愛田智が立っていた。
淳之は謝りつつ、意識が遠くなっていった。
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