第4話 過去の過ち

 中学校時代淳之はイジメグループのリーダーだった。

 ターゲットはいつもビクビクしている男子生徒。そいつのおどおどした態度がむかついてしょうがなかったが、もう1人、目障りな奴がいた。

 男子生徒をかばっていつも淳之たちに意見してくる優等生がいたのだ。

 渡辺幹雄みきおといった。

 その日も放課後男子生徒を囲っている淳之たちに意見してきた。

「やめろよ」

 と。

 その日淳之はひどく機嫌が悪かった。授業中先生に怒られるか何かしたのだ。

 幹雄は

「弱い者いじめなんてして面白いのか!」

 と言った。

「ああ、そうだよ、おもしれえんだよ」

 淳之は男子生徒の頭をピシャリと叩いた。グループの仲間たちが笑った。

「やめろよ」と幹雄は淳之の腕を掴んだ。淳之は、ひどく怒った。

「じゃあてめえが身代わりになりやがれ!」

 仲間たちに幹雄を押さえつけさせ、自分は教室を物色して、

 ガムテープを持ってきた。

「しっかり押さえとけ」

 仲間たちに命じて、淳之はガムテープをぐるぐる幹雄の顔に巻き付けだした。幹雄は慌てて「やめろ」と暴れた。淳之は押さえさせ、顔中にテープを巻き付けてしまった。

 これはやり過ぎなんじゃないかと心配したが、幹雄は必死に口を動かして隙間から唇をはみ出させ、フウフウ呼吸した。その無様な様子に淳之と仲間たちと大笑いした。

 テープを剥がそうと暴れる幹雄に、

「じゃあ取ってやるよ」

 淳之はテープを掴んで思いっきり教室の端に走った。

 握る手にバリバリバリバリっと、振動が伝わってきた。

 そのガムテープは体育祭の応援パネル製作のための粘着力の強い布素材の頑丈な物だった。

「むぐうううううっ!……」

 と、

 うめきとも悲鳴ともなんとも言えない声が上がり、教室は静まり返った。

 ヤバイ雰囲気に笑いを引っ込めて淳之は振り返った。

 幹雄は両手で顔を覆ってしゃがみ込んでいた。その背後の仲間たちはゆっくり逃げるように後ずさった。

 幹雄の顔を覆った両手から大量の血が溢れて床に滴った。淳之が握ったままぶらぶらしていたガムテープの帯からも血がぽたぽた滴っていた。見る見る床に赤い模様が描かれていく。

 廊下から悲鳴が上がった。仲間たちが「お、おい、やべえよ」と顔を見合わせ、淳之を見た。

「むぐ、むぐぐぐぐぐぐう〜……」

 うめくように言って、幹雄が指の間から憤怒の目を覗かせ淳之を睨んだ。幹雄のワイシャツの襟が真っ赤に染まり胸に広がっていった。ぶらぶらするガムテープには大量の頭髪もくっついていた。

 淳之は次第に大きくなっていく騒ぎの中、なすすべなく立ち尽くしていた。

 幹雄の憤怒の目はいつまでも淳之を睨み、けっして逸らそうとしなかった。

 その目を見て、淳之は笑った。ようやく我に返ったように周りの奴らも馬鹿にするように言い放った。

「けっ、ざまあみろ、正義の味方ぶりやがって!」

 誰一人同調する者はいなかった。


 救急車が呼ばれ、淳之は警察署に連行された。

 厳しい顔の警察官に取り調べを受け、淳之はようやく自分がとんでもないことをしでかしたのに思い至った。

 すべて後の祭り……と思われた。


 しかし淳之はまだ13歳ということで少年院送りは免れた。具体的な処罰は全くなかった。これには自分でもびっくりした。幹雄のケガが、結局大騒ぎしたほど大したものではなかったのだろうと納得した。

 しかしさすがにそのまま学校には通えず、一家は県外に逃げるように引っ越しした。

 新しい中学に通いだした淳之は、しばらくするとどこからかイジメでケガをさせた前科を知られ、あっと言う間に周りから白い目で見られるようになった。

 無視というイジメにさらされ、淳之はやはり、辛かった。時間が経つに連れ、握ったガムテープの感触が生々しく甦ってきて、消えなかった。その先につながった、幹雄の顔と、滴る血と……。その光景を夢に見てうなされるようになった。淳之は自分で思っていたほど剛胆な人間ではなかったのだ。

 馬鹿だったのだ。何も分からず、とんでもなく物を知らない、とんでもない大馬鹿のくそガキだったのだ。

 子どもの心に、人に大けがを負わせたという事実と、感触は、やはりとんでもなく強烈な事件だったのだ。

 その事実にようやく徐々に気付いていき、周りの白い目にさらされ続け、淳之は、辛かった。


 淳之は勉強に打ち込むようになった。他に逃げ込む場所はなかった。おかげで成績優秀で高校は有名な進学校に受かり、東京の国立大学に受かり、卒業後一流企業に就職した。そこで恋をし、結婚し、娘が生まれた。30代で中古ながら都内に一戸建てを購入し、あれ以来ここまでなんと順風満帆な人生を歩んできたことか!

 ……それ以前の過去をすっかりなかったことにして…………。


 ふと淳之は思いだして笑った。そういえば由香の担任の若造、俺の中1の時のあの担任によく似てやがるじゃないか。大学出たての1年生で、熱血漢がまるっきり空回りしてやがった、あの無能な使えないバカ。

 淳之はクックと笑ってやけ酒を煽った。

 淳之の家庭は今や崩壊した。妻も由香を連れて家を出たが、淳之もこうして毎晩遅くまで店を梯子して飲み歩いている。

 あの壊れてしまった家には帰りたくない……。

 改めて渡辺幹雄を思う。

 ちっくしょう、と、怒りがメラメラ燃え上がってくる。

 すまなかったと思う。思うさ。だが、

 卑怯だ! 断じて卑怯だ!

 復讐するなら俺を襲えばいい! 俺の顔を滅茶苦茶に切り刻むがいいさ!

 だが、よりによって由香を、娘を!襲うなど、

 そんな卑怯、許されてなるものか!!!

 ………………

 グラスを傾け意気消沈する。

 やはり、渡辺幹雄は死んだのだろうか?

 あれが、あの顔が、奴なら、

 ……とうてい生きてはおれまい…………。

 あいつは、むかつく優等生で、白いきれいな顔をして女子にけっこうもてていた。

 その顔を、俺は………………

 死んだのだろう。

 生きていても、あいつの人生は俺がズタボロに切り裂いて、奪ってしまったも同じだ。

 やはり、すまなかったと思う。

 娘への卑怯な手口に怒りはある。

 だが、やはり、…………

 すまなかった。

 どうか、どうか、許してほしい……。

 どうか、どうか、この通りだ。


 淳之は酒に酔いながら悔恨の涙をぼろぼろと流していた。


 淳之は渡辺幹雄が本当に死んだのかどうか、確認しようとした。

 娘の身に起きたこと、自分が見たものを考えればあれがとうてい生者のなし得ることとは思えない。しかし一方、日曜日あの雑踏の中に見た姿が死者のそれとも思えなかった。

 あの中学時代の知り合いに訊いてみようと何度も受話器を握ったが、電話をかけることがついにできなかった。手が、ガタガタ震えて、たまらず受話器を叩きつけるように置いた。

 娘のためにも、家族のためにも、過去の過ちを償うためにも、どうしてもやらなければならないことだったが、どうしても、恐くて、できなかった。

 淳之は自分の意気地のなさを呪い、自分の過去の罪のあまりの重さに恐怖した。

 すべて、今さらながら、のことである…………。


 どうしたらいい?

 連日の飲み歩きでさすがに体調が最悪に悪く、久しぶりにまっすぐ帰った空っぽの家で、たまたまつけたテレビでその女を見た。

 未解決の事件や失踪者の行方を追跡する警察番組で、霊能力者とかいう女が行方不明事件を「霊視」していた。真っ白な、人間離れして綺麗な女だった。


『残念ながらお亡くなりになっています。お仕事のことで相当苦しい思いをされたようで、全てを清算するつもりで自殺なさったようです。身許を示す物をいっさい処分して何も持っていなかったため身許不明の遺体として処理されています。亡くなられた場所は、』


 これはあらかじめ収録で、女の霊視によるその場所が取材された。

 そして、霊視通りの場所、状態で、その男性の死は確認され、身許が確定した。


 女の名は、紅倉美姫。


 この人だ!……と淳之は興奮した。

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