第3話 崩壊
由香が学校に行くと言って家を出た。淳之もほっとして会社に出かけた。
3日間そうして朝出かけていって、淳之も妻も安心していた。
しかし金曜日の昼、妻から電話がかかってきた。学校の由香の担任から由香の様子を尋ねる電話があったという。由香は水曜から金曜まで、1度も学校に行っていなかった。
さらに夕刻、また妻から電話があった。由香が補導され警察署にいるという。淳之は早急に仕事を片付けて会社を早退した。
淳之は電車に乗ってその繁華街の警察署に向かった。婦警に案内されると、確かに、娘由香がそこに居た。淳之は軽い貧血を覚えながら、とにかくまずは由香を補導した警察官から話を聞いた。
管轄地域のカラオケボックスから通報があった。部屋で少女と中年男性がみだらな行為に及んでいると。いわゆる援助交際の疑いから警察官2名が駆けつけた。部屋に入るとそこには少女しかいなかった。相手の男性の所在を尋ねると自分は1人で来てずっと1人で歌っていたと言う。室内及び建物、周囲をざっと調べたが少女の相手らしき中年男性は見つからなかった。
ともかくも少女=小杉由香がまだ中学生で学校も休んでいるようなので補導を行った。警官は特に凶悪事件ということでもなく、店に防犯ビデオの提供までは求めなかった。
「それだけですか?」
淳之は怒って警官に言い募った。
「娘を補導して、相手の男は放任で、それだけですか?」
警官は冷たく言った。
「事件に、してほしいですか?」
淳之は苦々しく黙った。
「お嬢さんに学校か家かどちらかに連絡しなければならないと言ったら家を選びました。お嬢さんは補導歴もなく、金銭を受け取った様子もない。今回は初めてということで注意に留めておいた方がお嬢さんの為じゃありませんか? 幸い良い家庭のようですし、お嬢さんとよく話し合ってみるんですね。異存がなければお嬢さんを連れて帰ってけっこうですよ」
淳之は訊いた。
「相手の中年男って、どんな奴だったんです?」
「それがね」
警官もちょっと不愉快そうに眉をひそめて言った。
「顔に大きな傷跡のある、唇のねじれた男だったそうですよ」
淳之は、顔を真っ青にして、危うく後ろに転倒しそうになった。
淳之は由香を連れてタクシーで家に帰った。その車中で
「そいつに、何か言われたのか?」
と訊いたが、由香は外を向いたまま「別に」と言うきりだった。
家に着くと由香はさっさとまた自分の部屋に上がってしまい、淳之はヒステリックに問い詰める妻に辟易させられた。
どうしてこんなことになったのか?
淳之には今や明確にその理由が思い当たる。
問題は、なぜ今頃になって?だが、それはおそらく、今になってからこそ、なのだろう。
ちくしょう…………
頭を抱える淳之の目に、どうしようもなくイライラと、黒い怒りの炎が渦巻いた。
夜、淳之は悪夢にうなされて目を覚ました。あの夢だ。頭がガンガンに痛み吐き気がした。
となりに眠る妻を起こさないようにそっと暗闇の中部屋を出て、頭痛薬を取りに居間に入った。
手探りで電灯の紐を引っ張ると、目の前に娘の黒髪の後ろ頭が現れた。
淳之はワッと後ろに飛びすさった。
「…………………………」
黒髪の頭がゆっくり、こちらを向いた。
「!!!…………………」
由香がニタニタ笑っていた。その鼻と唇に大きな傷跡が走り、肌をひきつらせ、唇が大きくめくれ上がり歯茎が露出していた。
「…………………………」
由香は父親を嘲ってニタニタ笑っている。
淳之は、ガクガクブルブル震え、とうとう目の前が真っ暗になった。
体がぐらりと傾き、慌てて目を開けると淳之は居間に1人で立っていた。
「由香…………」
さっきのあれはなんだったのか?
「由香………」
見回しても娘はいない。
「由香……」
淳之は心配でたまらず、そっと階段を上がっていった。
娘の部屋のドアにそっと聞き耳を立てて様子を伺う。
声が、した。
「おまえの父親はひどい奴だ。善良な一般市民の顔をしやがって。あいつは中学校の時……」
淳之はたまらずドアを勢いよく開けた。
ベッドの上に男の後ろ姿があった。裸でのし掛かるようなかっこうで、その下に、由香が寝ていた。パジャマのズボンを脱ぎ捨て、上着の胸をはだけ。その耳元に囁いていた男が、由香の口に舌を伸ばしていった。
「や…………」
淳之の頭がカッと燃え上がり爆発した。
「やめろおっ!」
淳之は男に躍りかかった。
「このヤロウっ!」
怒りにまかせた剛力で男を娘から引き剥がし床に叩き落とした。「キャアッ」と悲鳴が上がった。
「この……この……、悪魔めっ!」
淳之は男に馬乗りになり、怒りと、憎しみを込めて、男の首を両手でガッチリ押さえて締め付けた。男は手足をバタバタさせて暴れたが、顔は、笑っていた。ニタニタと、傷で歪み、めくれ上がった唇で。
「あなた、由香、なに……、きゃあああああっ!、あなた、やめて、なにしてるの!?」
背中にすがりつく妻を肩で振り払い、ジタバタする男の首を更に強く締め付けた。
「殺してやる、殺してやる、この、悪魔め!………」
「あなたっ!!!」
ガンッ!と頭に強い衝撃を受けて、淳之は視界が動転して倒れた。妻が恐ろしい顔で両手に娘のMDステレオを抱えて立っていた。本当に鬼のような顔をしていた。そいつで、夫の頭を殴りつけたのだ。
「バ、バカ……」
「馬鹿はあなたよっ! あなた、いったいなにやってんのよっ!!」
妻は急に抱えている機械の重さに気付いたように床に置くと夫を蹴りつけるようにとなりに寝ている男にしゃがみ込んだ。
「由香! 由香! しっかりして! 由香っ!!」
由香?………
淳之はもたつく思考で、ズキンと強烈な痛みに顔をしかめてとなりの男を見た。男のはずだった。しかし、
「ゆ…………、由香っ!!!!!」
仰天して起き上がりすり寄った。
「由香、由香、……なんでだよ、どうしておまえが…………」
真っ青な顔でぐったりしていた由香がようやくゲホンと咳をした。
「ああ、由香、由香。ごめん、すまん、父さんまったくなんて間違いを……。あああいつは、あいつは、いいいったいどこに消えやがった……」
うろたえてキョロキョロする夫を妻は恐ろしく冷たい目で睨み付けた。苦しそうに咳き込む娘を両手で抱え上げるようにかばって言った。
「あいつって誰よ? あなたしかいないじゃない!」
由香は胸をはだけ、ズボンをはいていなかった。淳之はカッと怒って言った。
「馬鹿言うな! 俺が由香に、こんな、こんなこと、す、するわけないだろう!」
淳之は我ながら狼狽しきってどこかに隠れているはずの男の姿を捜した。
「じゃあ」
妻の氷のように冷たい声が言う。
「あいつって誰なのよ? あなた、何を隠しているのよ?」
淳之はギクリとして妻を見た。全く想像だにできない鋭い視線に恐れおののきながらやっと言う。
「俺は、何も隠してなんて………」
淳之はフラフラ立ち上がり、尚も男を捜そうとした。妻が言う。
「何をそんなに怯えているのよ」
淳之はベッドの陰を捜した。机の下を捜した。カーテンの裏を捜した。どこだ? あと、どこを捜せばいい?
「あなたおかしいわよ」
どこだ……………
淳之は、立ち尽くした。
ゲホンゲホンと咳き込んでいた由香がようやく涙で濡れた目で父親を見た。
静寂に、淳之は思考を失った顔で娘を見た。
娘は、ニタッと笑った。
「知ってるわよ。お父さんが中学校の時いじめて大怪我をさせた人でしょう? お父さん、クラスメートをいじめて喜んでいた最低の人間だったのよね?」
淳之は足元の床が抜けて奈落へ転落していく感覚を味わった。
淳之の家庭は、家族は、崩壊した。
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