最終話
あの悪夢の日から、いったいどれくらい経っただろう?
もう一年くらい経っただろうか? それとも、意外とまだ一週間くらいしか経ってなかったりするのかも? 最近はまともに時間を認識する事さえ、叶わなくなっている。それくらいあの時の出来事は、俺に影響を与えたと言うことだ。
俺が今いるのは、病室のベッドの上。あの日あの後、部屋へと入って来た警察のおかげで、俺は命拾いをして。そしてアリサは、その場で逮捕された。
突入してきた警官は、俺達を見て悲鳴を上げていたっけ。何の心の準備もできないまま、あの惨状を見たのでは無理も無い。
だけど本当に苦しい思いをしたのは俺の方。あの後すぐさま病院に運ばれたけど、当然だけど失った両足は、もう二度と返ってこない。そしてそれは、公子も同じ……。
「公子、すまない……俺が、グルメブログなんてやってたから……」
ベッドの上で上半身を起こしながら、後悔の言葉をつぶやく。
あの事件の後で警察の人から、公子が亡くなった事をもう一度聞かされた。
アリサの言っていた通り、死体は近くの川に捨てられていて。どうやらアリサのやつ、公子をバラバラにした際の血が付いた服のまま、川まで行ったらしい。そのおかげで近所の人に目撃されて、警察に通報され。結果俺は死なずにすんだのだけど、そんなの全然喜べない。俺は、大切な人を失ったんだ……。
グルメブログなんてやっていたせいで、アリサというとんでもない女を呼び寄せてしまった。
もうあのブログは、二度と更新する事は無いだろう。とても新しく書く気にはなれないし、それ以前に俺にはもう、物を食べて喜ぶことができなくなってしまっていた。
何を食べようとしても自らの肉の味を思い出してしいまい、吐き気がする。
だから今は点滴で栄養を取っているのだけれど、もしかしたら一生このままかもしれない。
けど、もうそれでもいいや。どのみち趣味だった料理も食べる事も、二度と楽しめないだろうし、公子だって失ってしまった。死にたくは無いけれど、もう人生なんてもうどうにでもなれって思うよ。
ただ時々考えてしまうのは、アリサのこと。俺が最後に見たのは手錠をかけられながらも、「放して! 私はもっと、久留米さんと一緒に久留米さんを食べるの!」と叫んでいる姿だった。
当然アイツは今、警察の世話になっているだろうけど、きっとと取り調べは大変に違いない。何せ頭がいってしまっているサイコパスだからなあ。
けど、気になっているのは、そんな事ではない。あの日、痛みを感じないよう俺の足の肉を切り分けたアリサ。その時アイツは、こんな事を言っていなかったか?
『私、先生にちゃんと習ったんだもの。筋が良いって褒められたわ』
アリサの言葉を信じるなら、人間を活け造りにする方法を、誰かに習ったと言うこと。あんな非人道的な事を、いったい誰に習ったと言うのだろう? もしかしたらそいつも、アリサと同じように、誰かの肉を食べたりするのだろうか……。
「……バカバカしい。あんなのが何人もいてたまるか。アリサの奴の言うことなんて、信じることねーな」
それは本心からの言葉なのか、それともそう信じたいだけなのか。自分でもよくわからない。
けど、もういいんだ。どの道もう、あんなのと関わる事なんて無いのだから……。
考えるのを止めて、ボーっと窓の外を眺める。すると不意に、病室のドアをノックする音が聞こえてきて、担当医の先生が顔を覗かせてきた。
「お加減はいかがですか?」
「まあ、ぼちぼちです」
軽く会釈をしながら、質問に答える。
歳は四十代後半か、五十歳くらいと言ったところ。人のよさそうな顔をした男の先生で、病院に担ぎ込まれた直後、半狂状態だった俺の怪我を診て、心のケアをしてくれてた恩人だ。
先生はベッドの横まで来ると、さらに質問を重ねてくる。
「食事は、まだとれそうにありませんか?」
「はい、すみません……。食べた方がいいって分かっているんですけど、どうしても……」
「分かっています。あんな事があったんですもの、無理はありませんよ。でも少しずつで良いので、また食べれるようになりましょう。健康な体を作るには、やはり食事は大事ですからねえ」
導くように、優しい言葉をかけてくれる先生。
公子はもういなくて、足も失ってしまったけど、俺は生きていても良いのだろうか? また前みたいに物を食べても、許されるのだろうか?
できるなら、そうありたい……おや?
「どうかしましたか?」
「先生、もしかして手術していました? 何だか血の匂いがするような……」
「ははは、きっと気のせいですよ。さて、私は次の患者さんが待ってるのでこれで。何かあったら、遠慮無しに呼んでください。アナタには健康になってもらいたいですから……
来た時と同じように、ドアを開けて出て行く先生。最後に何かつぶやいたようだったけど、よく聞き取れなかった。
まあいいかと思いながら窓に目を向けて、さっきと同じようにボーっと外を眺める。
……そういえば。手術をしていないなら、先生はどうしてメスを握りしめていたのだろう?
世界で一番美味しい物って、好きな人と一緒に食べる料理ですよね! 無月弟(無月蒼) @mutukitukuyomi
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