少女と歩く死体と白鼠

ありま氷炎


「ここで待っていて。白鼠を捕まえてくるから」


 少女は腐臭を放ちつつある少年にそう言う。少年はくぐもった声で唸っていたが、頷く仕草を見せ、少女は安心したように微笑むと彼に背を向けた。

 少女の姿が完全に視界から消えてから、彼は唸り声をあげた。とても人の言葉とは思えないものだった。

 少年の瞳孔は開いたまま、その茶色の瞳は灰色に染まり、結膜は黒い血が入り濁っていた。もともとは白かった肌の色はどす黒い茶色に染まっている。

 歩く死体と称される病気に少年がかかったのは数日前、同じく歩く死体から襲われた瞬間に少女を庇い、負った傷によって、彼は感染し、今に至る。

 すでに、人としての意識もおぼろで、ただ少女だけは襲ってはいけない。守らなければ、その強い気持ちだけで、彼は少女の旅に同行していた。

 しかし、意識がとぎれかけた己に気が付き、彼は必死に少女に伝えようとした。

 自分から離れてほしい、置いて行って、君を襲ってしまうかもしれないと。

 けれども彼女は彼と旅を続けた。

 そのうち言葉を失って、彼女を襲いたい、その血肉を啜りたいという願望が生まれ始め、彼は彼女を突き飛ばした。

 言葉を発することができない彼は、必死に唸り声をあげ、彼女が己から離れるように威嚇した。

 少女は驚いた顔をしていたが、それだけだった。

 彼女は微笑み、彼から離れることを告げた。

 けれども、それも彼のため。

 彼女はこの「歩く死体」の病気を治すという白鼠を探すために彼と別れた。

 この場からいなくならないように、彼の足には鎖が繋がれており、柱に括りつけられていた。

 歩く死体はその名の通り、死体とほぼ変わらない。

 食事をすることも、排せつすることもない。

 なので、このように置いて行かれても彼が死ぬことはなかった。




 混濁した意識。

 血肉を得たいという欲求。

 そして白銀の髪と、笑顔。


 少年は他の歩く死体と変わらない状態になっていた。

 もはや思考能力はなく、唸るだけ。

 けれども、あの少女の面影だけは残り、それを求めて歩こうとする。しかし、足に着けられた鎖は頑丈で彼が自由になることはなかった。

 それでも少女を求めるあまり、彼はあがき続ける。

 そのうち、嫌な音がして、彼の腐った足首から下が千切れた。

 一度は体のバランスを崩したが、彼は鎖から自由になると右足を引きずりながら部屋を出て行った。


 感覚が麻痺しているはずなのに、外に出たとたん、彼は足を止め、空を見上げる。

 太陽がまるで地面を焦がそうとするように照らしつけていた。

 彼がいた場所は砂漠の中のオアシス。

 少女の影を求めて、少年は足を引きずりながら砂の道に足を踏み入れた。


 灼熱の太陽は彼の腐食を進めていき、砂漠を抜けた頃には、体のあちらこちらから骨が見える状態になっていた。

 もうこの世界には普通の人間はいないのか。

 いくつもの歩く死体が唸り声をあげながら、荒廃した街を徘徊していた。


 



 少女は少年が待つ小屋へ戻るため、懸命に走っていた。

 その後、歩く死体が追いかける。

 数はすでに百を超えていたが、その歩みは遅い。


 外気にさらされている彼女の顔や手足、服に覆われていない場所はすでにいくつか裂傷ができていた。


(ごめんなさい。私のために、あなたが)


 やっとの思いで得た事実は、至極簡単で、彼女と少年の旅を嘲笑うようなものだった。

 二人は歩く死体と化した家族を救うために、その特効薬ともいえる白鼠を探した。

 その答えは結局……。


(あの砂漠を超えれば、もう大丈夫)


 少年の元を離れ半日で彼女は一人で砂漠を越えた。灼熱の太陽の元、歩く死体の動きは鈍る。


(私は、彼だけを救えればいいの)


 追ってくる歩く死体の中には、目を凝らせば見知った顔もいるような気がした。けれども彼女は立ち止まらなかった。

 

 突如目の前に、新たな歩く死体が現れる。


「ミハル!」

  

 それは小屋に閉じ込めたはずの少年だった。

 ミハルは少女の姿を見ると、笑ったように見えた。

 唸り声をあげながら、彼女へ猛烈な勢いで歩き出す。


「……よかった。これであなたは救われる」


 後方の歩く死体よりも先に彼の元へたどり着かねばと、少女は再び走り出す。


「ミハル!」

   

 彼女は彼の胸に飛び込んだ。

 強烈な匂い、そしてそぎ取られた肉。


「ミハル……。どうして、これじゃ元に戻れない」

   

 もはや完全に少年の意識を失っている歩く死体は彼女の言葉の意味を解すはずもなく、彼女に食らいついた。


「ぐっつ」

    

 少女は悲鳴を必死にこらえ、ただ愛しい少年の顔を見る。


(どうか、あなたが元に戻りますように)


 偶然か、少年の最後の意志か、喉笛を食らわれた彼女が苦しんだのは一瞬だったはずだ。

 少年は少女の血肉を食らい、呑みこむ。


「……はっつ」


 するとその口から唸り声ではない、言葉のようなものが漏れた。

 瞳の色が急速に戻っていく。

 立ちすくんでいる少年にかまわず、追ってきた歩く死体が次々と彼女に迫り、その血肉を食らい始める。

 すると少年同様に、変化が訪れ始めた。


 ――カリメラ歴300年1月25日。

 白鼠を食らった歩く死体は、体の損傷が少ないものは元の人に戻り、酷い傷を負ったものは人として死んだ。

 黒髪の少年は酷く体を損傷しており、骨が見える右足を引きずりながら、白鼠に近づいたという。


「ミハエラ……。ごめんなさい」

 

 彼は肉片と化した彼女の傍まで行き、一言もらすと崩れるように倒れ、そのまま息を引き取ったと言われている。


 生き残った者――白鼠によって人に戻れた者は「歩く死体」の治療方法を自らで証明して見せたが、白鼠を食料のように歩く死体に与えるのではなく、その血を使って治療していく方法を生み出した。

 あの時、少女がその方法を知っているならば、彼女は死ぬこともなかったはずだ。そして少年も。

 

 それから30年後、カリメラ歴330年。

 歩く死体のワクチンも開発され、それから人々は歩く死体に怯えることもなく、生活することができるようになった。

 ワクチンは少女と少年の名をとって、ミハエラ・ミハルと名付けられた。


-FIN-

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