第5話 エピローグ
すべての面談を終えて、福川は職員室に戻った。そこには、同僚の佐々木の姿があった。
「最後のお勤め、ご苦労さん」
福川はそれを無視して、自分の机に向かい帰り支度を進める。その後ろ姿に佐々木は言葉をぶつけていく。
「さすがにこれは一発で逮捕、極刑だね。さっきまで、国家監視員の方と一緒にモニタリングさせてもらったよ。やけくそって、こういうこというんだね」
それでも黙っている福川のことが気に入らないのか、佐々木は福川を後ろからつかみ、顔を向けさせ、そしてタブレットを見せつけた。
「冥途の土産にさ、これを見せてあげよう」
そこには“人”に奉仕する、“ねこ”の姿があった。
“ねこ”は、“人”である男の太い右足の指を、一本いっぽん、ていねいに舐めていく。小指、薬指、中指、人差し指、親指。“ねこ”はときどき甘い鳴き声をあげながら、次は左足を、そして、睾丸を、竿を、丁寧に舐めていく。いい子だと、男のざらついた声が響いた。
その“ねこ”には、見覚えがあった。ありすぎた。卒業以来の、佐々木美奈子の姉の姿だった。
福川は、頭の中がぐらぐらした。
「いい趣味をしているね。それでもほんとうに父親かい」
「ははははははああああははっ! ははは!」
佐々木は、手をたたいて笑い出した。シンバルを持ったサルのおもちゃのように。
「いやあ、傑作だわ。最高。ここまで完全に引っ掛かってくれると、騙す方も騙しがいがあるわ」
あっけにとられた福川を無視して、佐々木は言葉を続ける。
「ウソに決まってるだろ。君が最後に面談した佐々木美奈子さんも、この動画の名前なんだっけね? 佐々木なにがしさんも、俺の娘なわけないだろ。俺は独身だよ。誰がこのご時世、好んで子どもを作るんだよ。未来はね、絶望なんだよ絶望!」
泣きそうなくらいに笑っている同僚を見ていると、怒りでぐらついていた世界が、静止して、そして色彩感を失い、モノクロの世界に移り変わっていった。福川の心の中で沸騰する怒りは静まり、変わりに悲しみがあふれてきた。
「意味がわからないよ」と福川は彼に言った。
「まだわからないのかよ。死が待っているから、まあ仕方がないか。俺がこの姉妹を買収して、娘の代わりをしてもらって、お前をはめようとしたんだよ。苦節数年間、そして大成功ってわけだ。お前は、教え子が“ねこ”になることを容認した過去に囚われて悩み続けて、そして最後には小娘の演技にコロっと騙されて“ねこ”になることを止めちゃった。そして、ジ・エンドだ。俺はね、お前みたいな心の弱いやつが大嫌いなんだよ」
「意味がわからないと言ったのは、そこじゃないよ」
「なんだって?」
「君は、ほんとうに悲しい人だね」
「おお、同情か。最後の捨て台詞が同情とは、いやはや、やっぱりお前は気持ちの悪い男だな」
福川は荷物を鞄にまとめて、職員室を見渡した。この光景を見るのは、今日で最後だろう。佐々木は、途中から平然としだした福川が相当気に入らないらしく、まだ何やら、叫んでいた。福川はそれを無視して、職員室の扉を強く開いた。
目の前には、国家監視員が封筒を持って立っていた。
校門の外に出て、封筒を握りながら学校を見上げた。空は、雲一つない晴天だった。
しばらく立っていると、同僚の佐々木がやってきた。
「このまま死なれても気持ちが悪い。何の意味が分からないのか、ちゃんと言ってから死んでくれ」
福川は、笑ってしまった。手で口を押えて、ふふと、笑い声が漏れる。佐々木の表情は、先ほどとは違った。馬鹿にするような表情は息をひそめていた。佐々木が言った。
「お前、いま何を考えているんだ」
「何って、いやあ、やられたなあって」と福川が言った。
「俺は、死ぬのが怖い。怖いから、政府に逆らう気持ちなんて、微塵もわいてこない」
長く同僚として働いてきた、佐々木の初めての本音だった。福川がふうと息を吐いてから、真正面に佐々木の顔を見た。
「怖いさ。怖いから、とつぜん、生にしがみつきたくなってきたよ」
「でも、もう遅いだろ」と佐々木は握られた封筒を見ながらそう言った。
「そんなことはない。極刑になるまえに、『しあわせ選択法』を適応すればいいかなって」
「何を言っているんだ?」
「たったいま、閃いたんだ。“人”をやめて、“ねこ”になってみようと思ってね」
佐々木は、戸惑っているようだった。
「“ねこ”といっても、誰にも支配されない、自由猫、野良猫さ」
福川の言葉に佐々木は驚くしかなかった。政府に殺されるだけだぞ、と佐々木は声を振り絞った。福川は、さよならの手をあげて、佐々木に別れを告げた。佐々木は、呆然と福川を見送った。
――生き延びていれば、時代が変わるかもしれない。
安全なところから、そんなことを言っても生徒に響くわけがなかったと、福川は卒業した生徒たちを思い浮かべた。佐々木美奈子は、今日という日を踏まえて、どんな人生を歩むのだろうか。
生徒に伝えた言葉を胸に、彼は確かな一歩を踏み出した。
《了》
進路選択にて 川和真之 @kawawamasayuki
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