第4話 『しあわせ選択法』適応希望Cさんの場合
「私のお姉ちゃんのことを知っていますよね?」とCさんは開口一番そう言った。不意打ちをつかれた福川は応戦しようとしたが、第二手もCさん――佐々木美奈子から放たれた。
「私のお姉ちゃん、先生の元教え子ですよ。福川先生の教え子の中で唯一、高3のときに『しあわせ選択法』を選んだ生徒だから、忘れるわけないですよね?」
福川は、ああ、としか言うことができない。
「私もやっぱり希望します! お姉ちゃんと同じ『三』ね。“人”から“動物”となることができるってやつ。お姉ちゃんと同じく、“人”から“ねこ”になるってずっと前から決めていたんだから!」
「……おかしいな。高校1年生の頃から君の担任をしているけど、ずっと大学進学希望だったはずだ」
「あれ? もしかして、私の決断を覆そうとしている? それって、先生としてやばいんじゃない? これ記録されているんでしょ?」
福川の心拍数は、明らかに高まっていた。彼女が言おうとしていることはもちろん理解できた。高校教員が進路選択の場において、本人の決断を覆そうとする行為は人生の選択権を侵害しているとみなされるのだ。すなわち、待つのは極刑である。
――この生徒のために、命を捨てるのか。
福川は、すでに決心が揺らぎ始めていた。当時、佐々木美奈子の姉を止めることができなかった。自らの命が惜しかったから。あの日以降、目の前の生徒の“人”を辞めていく決断を止めなかった後悔から、悩み続けた人生だった。こんな状態で生き延びるならば、死んだ方がましだと、思ったことは一度や二度ではなかったはずだ。
それなのに、福川は口を開くことができない。
「ははーん。ひょっとして、先生悩んでる?」と彼女は言った。
ほんとうに、親譲りの嫌な奴だと、福川は思った。この姉妹は、同僚の佐々木の娘たちなのだ。彼女は話を続けた。
「お父さんの言う通り、やっぱり福川先生は偽善者なんだよ。ずうっとホームルームのたび、「生き延びていれば、時代が変わるかもしれないぞ~」とか言って生徒を惑わせてきたけどさ、単に、自分が傷つきたくないだけなんだよ。自分の教え子が、目の前で“人”を辞めたら、確かに責任感じちゃうかもね。でもさ、結局いつか、ほとんどの人間は“人”を辞めるわけ。それが現実。先生は、それを見たくないだけなんだよ。あーやだやだ、よっぽどお父さんの方が潔いと思うけどね」
福川が黙っているのをいいことに、彼女は言葉を続ける。
「他の大人と一緒じゃん。先生は頭がいいから、コンピュータをうまく操れる立場になれる一握りの“人”になれてさ、心を痛めるふりをしながら、結局は私たちを馬鹿にしているんだよ。私たちの卒業後はどうなっても構わない、卒業のときまでは、希望を失わずに“人”でい続けろーってね。ばっかみたい」
「そんなことはない」
「そんなことあるって」
「ほんとうに、そんなことないんだ」
「絶対にうそ」
「いや、佐々木さんには『しあわせ選択法』を選んでほしくない。君の頭ならば、大学に進学できるはずだ。いま確信した」
「……、本気で言ってるの?」
「ああ、本気だ」
「やばいじゃん」
「何が、やばいんだ」
「先生、死んじゃうじゃん」
「そうだね」
「ちょっと、私を人殺しにしないでよ!」
佐々木美奈子は、明らかに動揺していた。福川は、どこか吹っ切れた様子だった。
「いま、話していて、いや、参ったな。佐々木さんの言う通りだ。先生は、ほんとうに愚か者だよ。泣けてくるよ。認めるほかない。目の前で、生徒が“人”を辞めていくのを、見たくなかっただけだったんだ。卒業後、いずれ“人”を辞めてしまうんだろうな、と確かに思っていた。その時の苦しみを分かち合ってあげようだなんて、考えていなかった。確かに教師失格だよ」
「いやだから、ちょっとやめてよ」
「佐々木さんは、先生の目を覚ましてくれたんだね。感謝するよ」
「ちょっとずるい。勝手にまとめないでよ。あのね、それも逃げてるって分からないわけ? もう、生きていくのが辛くなっちゃっただけじゃん。死にたいって思ったからだって。先生、楽になりたいって思ってるだけなの、え? わかってないの」
「なるほど、確かにそうかもしれないな……」
福川がそういうと、彼女は文字通り頭を抱えた。
福川は、そんな彼女に声をかける。
「なあ、こんなこと言うのは無責任かな。君は相当頭がいい。君なら、明るい未来を描くことができるかもしれない。大学進学、やっぱり目指してみないか。君なら、世界を変えることができるかもしれないんだ」
面談室に、面談終了を告げるアラームが鳴り響いた。
本来の時間より、かなり早いタイミングでのアラーム音だった。
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