第3話 留年希望Bくんの場合

「先生、これって高校生最後の進路面談だから、記録されているんですよね?」

 今にも泣きだしそうな表情をBくんは浮かべた。このBくんの認識は間違っていて、正確に言えば進路面談はすべて記録されているし、今回は特別に国家監視員からモニタリングされていた。福川は彼に落ち着いてもらうために、ていねいに相槌をうちながら、心配ないよと声をかけていく。

「留年の枠って、ほんとうに人数決まってないんですよね?」

「大丈夫だ。安心して。これだけの決定事項だ。先延ばしすることは決して悪いことではないよ」

 福川の言葉に、Bくんは安堵の表情を見せる。

「オレにはまだ、人生を決める勇気がうまれてこないんです」

「それが普通だよ」と福川は言った。Bくんは、少し黙り込んだあと、申し訳なさそうに言葉を紡いだ。

「オレ、何年経っても決められそうにない。どうしても、先生に決めてもらうわけにはいかないんですか?」

 福川は、ふうと少しため息をついてから答える。

「それは法律で禁止されている。君も知っていることだよね」

 この点も、福川は許せない点だった。政府は、大多数の国民が“人”を辞めることを望んでいる。それは明らかだ。科学技術の進歩により、ありとあらゆることがオートメーション化(自動化)されており、現代社会において“人”の活躍の場が限られているからだ。その“人”を辞める決断は、あくまで子どもたちにさせる。自らの意思で“人”を辞めるのを待っているのだ。これは、世の中を動かしている大人が苦しまないための、大きな施策と福川は考えていた。そう、選ばれし生き残っている大人たちが、苦しまないための――。

「先生、大丈夫?」

 ああ、すまないと福川は答えた。

「そういえば、先生はこの法律の反対論者なんだよね? 佐々木先生が言ってたよ」

「彼はほんとうにぺらぺらとよくしゃべる人だ」

「どうして? どうして反対論者なのに、先生になろうとしたの?」

 福川に、痛みが走る。代案は? と迫る佐々木の表情が福川の脳裏をかすめた。

「反対論者だから、先生になったんだよ」と、福川は答えた。

「意味が分からないよ。高校教員の最も重要な仕事は、進路選択実現に向けた支援なんでしょ。そして、実態は早期に『しあわせ選択法』を適応させたいんでしょ。ほとんどの人間は“人”を遅かれはやかれ辞めるんだ。データがそう示しているんだから。これは常識だし、オレはずっとそう習ってきたよ。だから、オレはほんとうは、多くの先生がそうであるように、福川先生から『しあわせ選択法』適応を促してほしかった。自分で決断する勇気なんて、オレにはないよ……」と彼は言い終わると、前を向くことができなくなっていた。

 福川は、モニタリングしている国家監視員を思った。

 選択権を侵害するなと言うくせに、『しあわせ選択法』を適応させることに関しては、不問とする彼らである。福川は覚悟を決めた。どうせ、最後の仕事なんだからと。

「その考えはやめてほしい。先生は常々言っているよね。生き延びていれば、時代が変わるかもしれない。こんな馬鹿げた法律は、いつかなくなるだろうよ。確かに、先生はこの法律に代わる明確な妙案を持ち合わせてはいない。しかし、この法律が間違っていることくらいはわかる」

「そんな……」とBくんは言った。福川はかまわず続ける。

「先生の教え子にね、一人だけ、たった一人だけ高校卒業と同時に“人”を辞めてしまった生徒がいたんだ。いまでも後悔している。命を捨ててでも、止めればよかったって。“人”を辞めなければ、いつか人生が好転するかもしれないんだよ」

「でも、いま決断しないのは、ただの先延ばしって佐々木先生が」

「それは絶対に違う」

 福川が反論すると、Bくんは突然顔を真っ赤にして睨みだした。それと同時に、彼は戸惑っていた。これ以上を、言うか言わないか悩んでいるようだった。福川の脳裏に過去の教え子たちの姿が重なる。きっと、ここから罵倒が始まるな――。

 福川は、経験上知っていた。

「そりゃ……、そりゃ先生はいいさ。100倍を超す倍率の大学に現役で受かったような人だから、そんな無責任なことが言えるんだよ。ほとんどの留年生は、何年も高校にいて、そして高校を追い出されて浪人生になって、何年も勉強し続けて、それでも受からずお金が尽き、そして絶望の淵に立ってから『しあわせ選択法』を自ら選ぶんだよ。ほとんどの人間がそうなんだ。その人たちの気持ちを、先生は理解しているのかよ」

「だからね、いつか世界が変わる――」

「そんなの無責任だ。そんな、見込みもない未来を信じることなんて……。先生は、オレたちのこと、少しも理解できてないよ!」

 彼は、荷物をわしづかみにして、部屋から出ていった。

 あたりは、しんとしていた。

 福川はため息をつき、椅子に深くもたれかかった。目を瞑る。かつての同僚がこんなことを言っていたことを思い出す。「共感することはね、不可能なんだよ。出来て、ギリギリ理解を示してあげることくらいだ」と。

 どうやら、理解すら示してあげることができないようだと、福川は思った。

 ――高校3年生向けの最後の進路選択――荒れるのは、いつものことだった。生徒たちは取り乱し、感情を露にする。そして、それに対してしてあげられることは、実際のところ何もなかった。

 面談室の入口に目をやり、天井をあおぎ、モニタリングしている国家監視員を思う。

 ここまで反対論者である立場を示せば、面談を中断しにくるかと思ったが、そうではないらしい。そうやら、決定的な場面を欲しているのだろう。

 生徒の決断を覆そうとする、決定的な場面を。そしてその瞬間は近づいていた。

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