第2話 大学進学希望Aさんの場合

「私は、とにかく“人”として生き残りたいんです。厳しい大学入試だって絶対に切り抜けてみせます。そのために、幼稚園の頃から努力してきたんですから。ピアノ、運動、ボランティア、国際協力、語学、プログラミング、職業体験……、人生履歴の記録には自信があります。私、一つも漏らさずポイント稼いできたんですよ。

 将来の夢ですか? 私は科学技術よりも政治に興味があります。そう、例えば法律家なんかもいい。『しあわせ選択法』の成立は、世界に平和をもたらしたじゃないですか。そっか、福川先生は『しあわせ選択法』反対論者でしたね。あれ、なのにどうしてこの法律をスクリーンに映しているんですか? あ、これ義務だったんですね。毎回読み上げる必要がある? だったらはやくしてくださいよ」

 彼女は細い眉を横に寝かせて、福川を不満げに見つめた。大学進学希望のAさんにとって、超高倍率の大学に進学し、限られたポストである高校教諭の職についた彼を卑下することはできない。しかし、その彼女の表情には、明らかな軽蔑が見てとれた。

 福川は、スクリーンに映し出された法律を一瞥してから、目を閉じた。沈黙が訪れる。

「はやくしてくださいよ。これ、記録されているんですよね。守らないと、先生の立場って危ういんじゃないんですか?」

 それでも福川は、口を開こうとはしなかった。

 堰を破った河水のごとく、Aさんはしゃべりだした。

「だから先生のクラスは嫌だったんですよ。法律の条文、先生が読み上げないなら私が読み上げます。『しあわせ選択法』すべての国民は、心身ともに平和で文化的な生活を営む権利を有するため、多様な価値観を認め合い、一人ひとりの選択を尊重し続けなければならない。素晴らしいじゃないですか。何が間違っていますか? 先生、現実を見てください。国民全員が全員、人口知能に、ロボットに、科学技術に勝てると思いますか。うまくこれらを操れると思いますか? 無理に決まってますって。人類は、少数精鋭にならざるを得ないんです。“人”のポストは限られているんですよ。ほら、ことわざにも「船頭多くして船山に上る」ってあるじゃないですか。この100年でずいぶんと人口は減りましたけど、自然減少じゃ追いつかないんですよ」

 福川は、必死な彼女を見て思わず唇をかんだ。同情の目に映っただろう。Aさんは、その姿をみて沸騰する。

「じゃあなんですか。犯罪に溢れ、自殺者の死体がゴロゴロ道に転がっている過去に戻るべきだと言うんですか。機械に一切勝てず鬱になる人、家から出られない大人の引きこもり、一人じゃ何もできない要介護者をすべて“人”として扱い、莫大な社会保障費で身動きが一切取れない世界に戻ったほうがいいと。別に強制しているわけじゃない。好んで、自らの意思で、“人”を辞めていくことの何が悪いんですか!」

 福川は、激高するAさんを目の前に、この面談をモニタリングしている“人”たちを想像する。この法律に賛同することが“人”として生きていく絶対条件だとするならば、もう自分自身は、“人”として生きていくのは難しいかもしれないと、福川は思った。

 ようやく、福川は口を開く。

「悪かった。二者面談を続けよう。いまから、高校教員に課せられた義務として、この法律全文を読み上げるから」と福川は言った。スクリーンなど見なくとも、彼の頭の中にはこの法律のすべてが入っていた。


『しあわせ選択法』 


 すべての国民は、心身ともに平和で文化的な生活を営む権利を有するため、多様な価値観を認め合い、一人ひとりの選択を尊重し続けなければならない


 18歳以降“人”を辞めることを認める。以下の中から、自らの意思で選ぶことができる。なお、この選択権は本人のみ有し、誰からもこの権利を侵害されることはない。その侵害が認められる場合は、侵害者を無期懲役もしくは極刑とする


 一、政府からのベーシック・インカム(最低限所得保障)を受け取り、生活の保護を受ける。「本国従事者」として名前を喪失し、認定番号を受ける。政府からの制限を受けながらも、人類の有する「生きる力」を武器に、自らの意思で持続可能な社会実現するために貢献することができる


 二、自らの意思で致死性の薬物を服用して死に至る行為、または要求に応じて、患者本人の自発的意思に基づいて、他人が患者の延命治療を止めることができる


 三、“人”から“動物”となることができる。種別は問わない。種別変更後、言葉を発することを禁ずる。違反が認められる場合は、その違反者を無期懲役もしくは極刑とする



 福川にとっては、何度も読み上げてきた文章だった。望む望まずに関わらず、簡単にそらんじることができた。

 ――でも、もうこの生活も終わる。これを読み上げるのも、今日できっと最後だ。

 福川は、Aさんに視線を送る。

「君の進路希望を確認させて」

「だから大学進学って言ってるじゃないですか!」

 いまにも襲い掛かってくるようだった。こんなに精神不安定ならば、おそらく“人”として生きていくことは難しいだろう、と福川は思った。この子の行き末を案じながら、「理由を、聞かせてほしいな」と言う。

「理由も何も、私は私のままで生きたい。そう思って、それを願って何が悪いんですか。機械に屈するなんて、絶対に嫌。自分たちが開発したものに扱われるなんて、そんなおかしなことない。多くの人が選ぶ「本国従事者」って、要は雑用でしょ。機械のエラーや誤作動をフォローしたりするだけの仕事で、あとは家でゴロゴロしているだけ。そんな自我を捨てて機械に支配される立場なんて、私は絶対になりたくない。死ぬのだって嫌。どうして、せっかく生まれてきたのに、自ら死を選ばないといけないの。「生まれることは選べなかったけど、死は選ぶことができる」って、私はずっと学校で習ってきたけど、賛同なんてできない。怖い。死を怖いと思って、何がいけないの?」

「では、最後の選択肢は?」と福川はあえて言った。

「論外。“人”として生きていく奴らのペットになるってことでしょ。大昔の売春婦・慰安婦と何が違うの。それなら、死んだ方がマシ」

「なんだ、高校生の頃の先生と一緒じゃないか」

 Aさんは福川に目をやる。歯を食いしばり、膝の上に乗せたこぶしに力がみなぎる。Aさんはこれ以上何も言うことができず、涙を流しはじめた。彼女のすすり泣く音が、部屋中に響いた。

「これのどこが、平和で文化的なんだろうね」と福川はぽつりとつぶやいた。彼女はずっと、下を向いたままだった。

 しばらくして、面談終了をつげるアラームが鳴り響いた。

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