第8話

 アルマは帰ってこなかった。案外手こずっているのか、あるいはやられたのか。主であるカサンドラしかそれを知る由はないが、とりあえず慌てている様子もないので無事ではあるのだろう。少なくともアナスタシアはそう思うことにした。


「あの……」

「はい? どうしました?」


 そんなやり取りをした翌日の話である。すっかり作戦会議の場と化した庭園の端テラスにて、カサンドラが皆に紅茶を振る舞っていた。公爵令嬢が手ずからである。アナスタシアでなくとも一言物申したくなる。

 が、当のカサンドラは何かおかしいのだろうかと首を傾げていた。アルマがいないので、そういうことを頼める従者はいない。ならば自分でやるしかない。そういう単純な発想である。


「あの、貴女様は公爵令嬢なのでは?」

「家では自分で紅茶を淹れることも多々ありましたし。父さまや母さまに振る舞ってもいたんですよ」

「……わたくしが言いたいのはそういうことではないのですが」

「立場の話ですか? アナスタシアさんは協力者と言ってもゲストですし」

「いや、その」


 エミリーとジゼルとクラウディアを見る。何で皆平然としているのか。この面々の奇行には慣れたつもりであったが、流石に今回ばかりは落ち着けなかった。

 が、カサンドラはそんな彼女を見て首を傾げる。


「確かにクラウディアが一番立場的には下ですけど、この子そこまで紅茶を淹れるのは上手くないので」

「は、はぁ……」

「あれ? ひょっとしてジゼルさんとエミリーの方でした? 執政官と聖女ですし、王太子の婚約者といっても立場が上なんて言えませんよ」

「ま、まあ確かにそう言われてみれば…………え? 聖女?」


 ぐるん、と首を回し視線をエミリーで固定させた。ジゼルが執政官なのは知っている。その辺りのことは初対面時に話もした。

 が、もう一人の方は違う。まったくもって初耳であり、そして欠片もそんな予想を立てていなかった。確かに何か隠しているとは思っていたが、ベクトルが違い過ぎる。


「……気付かれてなかったかぁ……」

「残念でしたね。何が残念なのかジゼルには理解できないので形だけの慰めですけれど」

「それは追い打ちっていうんだよぉ!」


 がぁ、と机を叩きながら立ち上がる。紅茶が溢れる、というジゼルの言葉に慌ててカップを見、大丈夫なので息を吐いた。そこを気に出来るということは、言うほどでもなかったのかな、とクラウディアはエミリーを見ながらそんなことを思う。


「あ、あれ? ひょっとしてわたし何かやっちゃいました?」

「大丈夫です。エミリーさんが謎プライドを発揮してカッコつけたバレバレになりたいと言い張っていただけなので」

「言い方ぁ! あ。でも待てよ。これはある意味おいしい流れでは……?」


 自分で名乗るのではなく、誰かに言われて身バレする。考えてみれば理想的なバレムーブといえるかもしれない。そう思い直したエミリーは、むふーと鼻息も荒くしながらアナスタシアに向き直る。さあ驚け、と言わんばかりのドヤ顔である。台無しだ。


「……わたくし、剣の聖女はもっと高潔な方だと思っていましたわ」

「ボロクソ!?」

「ああいえ、エミリーさんが悪いとか下賤だとか言っているわけではないのです」

「言ってる言ってる! めっちゃ言ってる!」

「でも確かに言われてみれば……市井の噂に合致する人物像ではありますわね」


 思った以上に気さくで思った以上に分け隔てなかっただけである。聖女としての一線が引かれていなかっただけである。

 否、とアナスタシアは思う。無意識に、こちらが線を引いていたのだ。そうあるものだと、思い込んでいたのだ。


「申し訳ありませんでしたわ聖女様。わたくし、貴方様に随分と無礼な態度を」

「畏まらないで!? いや聖女としてドヤ顔はしたいけど、そういう態度取られるのは嫌なの!」

「めんどくさいわがままの塊ですね。間違いなく教国では聖女認定されないレベルのダメダメさです」

「まあ、それがエミリーですから」

「……うん、まあ。わたしも初対面の時似たようなことやったけど」


 他の面々の態度がこれなので、アナスタシアも一呼吸して呼び方を元に戻す。そうしながら、成程と今一度彼女の行動を思い返した。


「ではあの噂も、本当なのですね」

「あの噂?」

「『魔物令嬢』を救った、という話ですわ。カサンドラ様とのやり取りを見れば一目瞭然でしょう」

「あははぁ……。あ、そだアナスタシアさん、ドラ様のその呼び方だけど」

「そうですわね。申し訳ありま――」

「わたしは気にしないので、別にいいですよ。いいじゃないですか、『魔物令嬢』」

「――は?」


 ぺかー、とも言えそうなほどのほほんとした顔でカサンドラがのたまった。頭を下げかけたアナスタシアが、思わず目を丸くして彼女を見るほどである。

 そんな彼女を見て微笑んだカサンドラは、元々隠す必要もなし、ならばいっそ堂々と名乗ってしまえばいいと言葉を続けた。噂、としか認識していなかったアナスタシアの前で、そう言い放った。


「カサンドラ様。それは噂を肯定するということで、よろしいのですか?」

「あれ? ひょっとしてアナスタシアさん半信半疑でした?」

「……昨日のやり取りで、九割方真実だと確信はしていましたが」


 はぁ、と息を吐く。そうしながら、彼女は目の前に驚異が座っていることを認識し、そして。

 思った以上に何も感じないことに自分で驚いた。


「どうやら、驚きの連続で感覚が麻痺してしまったようですわね……」


 当初の、公爵令嬢がお茶を淹れているということがいかにどうでもいいことか。そんなことを再確認しながら、アナスタシアはカップに口を付けた。






 気を取り直し、話の続きを。そんなことを思った矢先、ジゼルがピクリと反応をした。変わらずのポーカーフェイスではあるが、皆を見渡すと会話中止と言わんばかりに手をひらひらさせる。


「ん? どしたんジゼ」

「お客のようですよ」


 カサンドラもアナスタシアも、そのお客とやらに視線を向ける。先日彼女らに絡んできた男性教師が、数人の生徒を伴ってこちらにやってくるところであった。

 生徒達の顔にはエミリーとクラウディアも覚えがある。件の、『戻ってきた』連中だ。


「おやおや、今日もこちらにいらしたのですか、『魔物令嬢』様」

「ええ。少し学院に用事があったもので。明日も、多分いると思います」

「そう軽々しく立ち入ってはもらいたくないものですが」

「ご心配なく。わたしもここの卒業生ですから、その辺りはわきまえています」

「人ですらない化け物が、本当に分かっているのだか……」

「学院の教師ともあろうお方が、そのような発言をなさるとは。王国の程度が知れますわね」


 吐き捨てるように呟いた男性教師の言葉をしっかりと聞いていたアナスタシアがそんなことをのたまう。それを聞いてクラウディアは安堵の溜息を吐いた。それをしなければ、危うくエミリーが斬りかかるところだったからだ。個人の感想である。エミリー本人は人を何だと思ってんだとジト目で彼女を見ていた。


「あなたは確か帝国の……。成程、どうやらこちらの情勢に疎いと見える。成り上がり貴族の多い場所ですからな」

「……こいつ何で教師やれてんの?」

「この手の場所は研究機関を兼ねていたりもするのでしょう。だからこういう致命的にスカスカな性格でも教師認定されるのだと思いますよ」

「あー。お飾りか」


 エミリーとジゼルのひそひそ話は男性教師に届いていないようで、彼は目の前のアナスタシアとカサンドラの二人に集中しているようであった。だからクラウディアがそれを耳にして思わず吹き出してしまったのも、当然気付いていない。


「それで? わたくし達のお茶会を邪魔してまで言いたかったことは帝国の侮辱ですか?」

「まさか。そもそも私は侮辱など何もしていませんよ。少し苦言を呈しただけです」

「そうですか。では用件を。こちらも暇ではありませんので」


 平然とそう言い放つアナスタシアに、男性教師の表情が歪む。のんびりとしているようにしか見えませんがね、と吐き捨てると、視線を再度カサンドラへと向けた。


「話というのは他でもない。『魔物令嬢』が学院で好き勝手に動いているという件です」

「はぁ」


 何かあっただろうか、と視線を他の面々に向けるが、皆揃って首を傾げる。そうですよね、と頷いたカサンドラは、どういうことでしょうかと話の続きを促した。

 対する男性教師は侮蔑の視線を隠しもせずに言葉を紡ぐ。先程のわきまえている発言といい、救いようがないと頭を振った。


「学院の立ち入り禁止区域、そちらに侵入していると報告がありました」

「立入禁止区域、ですか? わたしは行った覚えがありませんが」

「とぼけても無駄ですぞ。あなたの従者がそこにいたという報告を受けているのですから」

「……従者、ですか」


 分からない、と首を傾げるカサンドラであるが、その視線は何かを見据えているように男性教師から動かない。同じくアナスタシアも、その言葉を聞いて彼をまじまじと眺めていた。

 ジゼルはそれとは逆。周りにいる生徒の様子を観察している。今の報告を聞いてもなんら動揺していないということは、その辺りの情報を共有しているのだろうか。そんな予想を立て、そしてそれが馬鹿らしいことだと結論付けた。結論付けながら、その意見を破棄しなかった。


「馬鹿の集まりですか。どこもかしこもワラワラいやがりますね」

「どったの?」


 カサンドラ達と男性教師がまだ何やら話しているが、今述べた話を引き伸ばしている程度だろうと判断したジゼルがエミリーへと向き直る。彼女と、そしてクラウディアに、今自分が立てた予想を向こうに聞こえないよう耳打ちした。


「……それ、ちょっと違うかも」

「どういうことです?」


 何かよくある無能な敵だなぁ、とぼやいているエミリーとは逆に、クラウディアは少し考え込む仕草を取った。そうしながら、向こうの学生達をちらりと視界に入れる。


「教師と生徒って感じじゃなくて、何ていうか、隊長と部下っていうか」

「情報共有をしていても問題ない関係ですか」

「そうそう。大体、わざわざ一緒についてきて立ってるだけって……気味が悪いよ」

「あー、この手のお約束ってああいうのが野次飛ばしたりするしね」


 あるある、とエミリーが頷き、そして二人と同じように生徒の様子を見た。何かしらの魔法で洗脳されているような感じではなさそうだが、しかしその統率のされ方は確かに不気味ではある。


「あ、待った。確かあいつらって」

「行方不明になって、帰還した人でしたね。ふむ」


 エミリーの言いたいことを察したのか、ジゼルも口元に手を当て少し考える。二人の予想が正しければ、あの生徒達はつまり。


「試すか。ちょい、そこの人」


 立ち上がったエミリーは、クラウディアが止める暇もなく生徒の一人へと近付いていく。鬱陶しそうに彼女を見たその生徒は、一体何の用だと問い掛けた。


「ああ、いやー、あまりにも無反応で突っ立ってるだけだったから。ホントに生きてるのかなって」

「馬鹿にしているのか?」

「んにゃ。むしろよく我慢して立ってられるなぁって」

「何の話だ?」

「え? 嫌いなんでしょ? 『魔物令嬢』」


 生徒の目が見開かれる。次いで、排除すべき敵でも見るかのような表情を浮かべると彼女へ突っかかった。他の生徒達はそれに少しだけ驚いていたが、しかし意見としては一緒なのか止めることはしない。


「当然だろう。王国に化け物がいるだなんて醜聞、見過ごせるはずがない。だというのに、多くの貴族はそれを容認している。このままでは王国は衰退の一途を辿るしかない、だから」

「なるほどなるほど。それは素晴らしい意見ですね」

「お? ジゼルさん」


 いつの間にかエミリーの隣に来ていたジゼルがふむふむと頷きながら会話に割り込む。男性教師はどうやらこちらの方に不穏な空気を感じ取ったらしく、二人との会話を打ち切ろうとしているのが見えた。

 が、そんなことは気にしない。ジゼルは生徒に言い放つ。表情を変えることなく、言葉を紡ぐ。


「ところでそれは誰の受け売りですか?」

「な!?」

「おや、違いましたか。巷の『魔物令嬢』排斥派とこれっぽちも違うところが存在しなかったので、ジゼルはてっきり」

「あ、当たり前だろう。同じ志を持つ者が同じ意見なのは何もおかしくはない」

「ええ、そうですね。同志とかそーゆーのは当然そうであるように統一されていますし。ですからジゼルは聞いたのですよ。――それは誰の受け売りですか、と」

「……違う。僕は自分から、そう考えて」


 そうでないのならば、はっきり言えばいい。だが、その宣言が出来ない。確かに自分の中から湧いてきたことだったかもしれない。自分の考えだったかもしれない。

 だが、そのきっかけは、紛れもなく他人の言葉だったからだ。誰かの言っていた言葉を聞いて、そうだその通りだと共感し、それを自分の中で生まれたものにしていたからだ。

 だから言えない。全面的に同意するだけで、自分の考えを、何一つ加えていなかったから。


「では、他の人達はどうですか? 誰の受け売りか、ジゼルに教えてくれると助かります」


 ポーカーフェイスの彼女がぐるりと視線を動かす。それだけで、謎の威圧が生まれた。腐っても現最年少執政官、そういうやり方には慣れているのだろう。そしてその手のものにまだ慣れていない生徒達は、その程度でも揺らいでしまう。


「行方不明の間に魔法使わずガッツリ洗脳、ってわけじゃない、か」

「この様子では、訓練……教育程度ですね」


 それでも意志を統一させるには十分。そのことを踏まえると、どうやら今回の怪談騒ぎの背景が段々と見えてくるような気がした。

 その辺りで、男性教師が二人の前に立つ。私の大事な生徒をあまりいじめないでももらいたい。そう言いながら生徒達を下がらせた彼は、忌々しげな表情を浮かべつつ失礼すると告げ去っていった。

 一体何だったんだろう、というクラウディアの呟きに、皆一様にその通りだと頷いた。

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