第7話

 謎の粘体に拘束されたアルマは、そのままズルズルと池の中へと引き摺られていく。抵抗する素振りもなく、彼女は特に表情を変えず、されるがままに水中へと消えていった。


「だ、大丈夫なんですの?」


 トプン、と音を立てた水面は、やがて静かになった。女性一人を飲み込んだとは思えないほどに穏やかなそれは、先程の光景が夢か幻であったようにも思える。

 だが、そんなことはないとここにいる皆は知っている。そして、まだ事情を飲み込めていないアナスタシアは他の面々と違い心配そうに池を覗き込んでいた。


「はい。アルマのことならば心配いりません。なので、アナスタシアさんまで引きずり込まれないように気を付けてくださいね」

「……分かりましたわ」


 カサンドラに言われ、彼女は池から距離を取る。獲物を一人捕まえたからなのか、追撃の粘体がくることはなさそうであった。

 そうして射程外に移動した彼女達は、さてどうするかと考える。とりあえず向こうの報告待ちなのは確定だが、それまでに何もしないというのもそれはそれで違う気がする、というわけだ。

 そんな一行の中で、ただ一人、違うことを悩んでいる少女がいた。


「カサンドラ様」

「はい?」

「……もう一度だけ、お尋ねしても?」

「何でしょうか?」

「自身のメイドを捨て駒にした。そういうわけではない、のですわよね?」

「まあ、ある意味捨て駒かもしれませんが」


 さらりとそんなことを述べたことで、アナスタシアの表情が厳しくなる。目の前の公爵令嬢を見る目が、味方からそうでないものへと変化していく。

 カサンドラ・アイレンベルク。『魔物令嬢』。噂が真実だとするならば、今の美しい少女の姿は擬態であり、正体は恐ろしい姿をした魔物。その気になれば、自分など即座に肉塊に変えられてしまう。

 だとしても、アナスタシアは自分を曲げない。曲げることなど出来はしない。自分の正しいと思ったことを、進まずにはいられない。それが、彼女の、アナスタシア・イヴォンヌ・アルム――


「はいはいすとーっぷ」

「……エミリーさん」


 す、と二人の間に割り込みが入る。その割り込んだ相手、エミリーはアナスタシアの方を見ると、謎のドヤ顔を浮かべた。やはりドラ様のことは自分の方が分かっているな、と胸を張り、何だか分からない勝利宣言をぶち上げる。


「……では、教えてくださらない? 一体わたくしは何を分かっていないのか」

「おうともよ。――ドラ様は心優しい聖女のようなお方!」

「はぇ!?」

「初っ端からぶっ飛んでますね。流石エミリーさん」

「聖女が聖女認定してる……」


 唐突なそれにカサンドラから変な声が出る。慣れているジゼルはともかく、クラウディアはアナスタシアとそう変わりがないのでリアクションも相応だ。苦労人気質が若干勝ったのでツッコミに留まったに過ぎない。


「……最初の時点で当の本人が戸惑っていますが」

「仲間を大切にしない? そんなことありえるはずがない!」

「聞いていませんわね」

「アナスタシアさん、あれはエミリーさん特有の発作なのでスルスルと聞き流してしまって結構です」

「はぁ……」


 顔を手で覆って俯きプルプルしているカサンドラを一瞥し、本当にいいのだろうかと少しだけ思う。が、まともに聞いてもしょうがなさそうなのでジゼルの言う通り聞き流すことにした。クラウディアの目は遠くを見ている。

 ジゼルは肘でそんなクラウディアを突く。は、と我に返った彼女に、まともな説明をお願いしますと促した。


「ま、まともな?」

「ジゼルが説明してもいいですが、多分妹君であり友人のクラウディアさんの方が説得力としてはパーフェクトだと思うのですよ」

「あ、うん」


 ちらりと向こうを見る。そういうのもういいですから、と物理的にエミリーを静かにさせている姉を見たクラウディアは、見なかったことにして視線をアナスタシアに向け直した。


「まあ、でも。さっきエミリーさんが言ってたのも間違いじゃないんだ」

「と、いうと?」

「姉さまは、仲間を見捨てるような人じゃない。……家族を、大切な人を、やっと手に入れたそれを、手放さない」

「……では、先程の発言は」

「まあ、一番の理由は、アルマを信じているから、かな? きっと大丈夫だって」


 もう一つの理由はとりあえず仕舞っておいた。死んでも再生成すれば復活するなどという説明をして、果たして納得するだろうか。情報収集を多方面からしている以上その可能性も十分あるが、しかし。

 この間のエミリーとした会話を思い出す。自分の正体を彼女に伝える、それをするのは、今かもしれない。


「はぁ……分かりましたわ」

「え?」

「恐らく何かまだ隠し玉があるのでしょうが、それは聞かないでおきます。秘密は、隠しておくことで効果を増しますもの」

「あ、でも、わたし」


 タイミングを逃してしまう。そんな思いからか尚も口を開こうとしたクラウディアであったが、アナスタシアはそんな彼女の口元に指を添えた。ニコリと笑って、それを遮った。


「クラウディアさんのそれは、おそらくわたくしの家名と似たようなものでしょう。ですから、もう少しだけ秘密で、どうかしら?」

「……」


 そんなに軽いものではない。そう言いかけた口を閉じる。自身の正体は、魔物であるということは、既に重さはほぼ無くなっている。帝国の最上位貴族、それでいて口にしない家名、その重さはひょっとしたら。


「ありがとう、アナスタシアさん」

「お礼を言われるようなことは何もしていませんが。どういたしまして、と言っておきますわ」


 クラウディアのそれに笑顔で返したアナスタシアは、そのままカサンドラへと向き直る。不躾な態度をとって申し訳ありませんでしたと頭を下げた。


「え? いやその、わたしがそもそも誤解されるようなことを言ったのが問題ですし。アルマったら最近クリス様に近付き過ぎていたし少しくらい死んでもいいかなとか頭をよぎったのが」

「……は?」

「最近ジゼルは思うのです。カサンドラさんも恋愛系パッパラパーなのではないかと」

「……うん、そうだね……」


 さっきまでの葛藤何だったんだろう。クラウディアはそんなことを思い再度どこか遠くを見た。






 ふむ、とアルマは周囲を見渡す。拘束されているので探索は出来ないが、恐らくどこかの研究室といったところだろう。池の中へと引き摺り込まれた結果がこれならば、怪談とやらの正体が人為的なものである可能性を増してくる。

 主との距離を繋がりから予測する限り、自身の今いる位置は池の真下ではない。それほど移動した覚えはないが、もしそうだとすると《移動魔法陣》を使用した可能性も浮上する。


「……いえ、そうではないですね」


 既に人の中では失われて久しいそれは、現状魔物の技術といっても過言ではない。が、ここには魔物の気配は感じ取れない。あくまで人の技術のみで用意されたものであろう、アルマはそう判断した。

 すなわち、《移動魔法陣》を使うことなく移動距離を縮めている。


「情報が足りませんね。どうしましょうか……」


 視界で確認出来る範囲には人の気配はない。だからといって監視されていないという可能性は低いだろう。拘束を抜け出してどうこうするには尚早だ。

 仕方ない。向こうから何か仕掛けてくるのを暫し待つとしよう。そう結論付け、アルマは拘束されたまま時を過ごす。出来ることならば焦れる前に来て欲しい。そんなことをぼんやりと思った。

 カツカツと足音が鳴る。どこからだと視線を動かすと、視界の右端の扉がゆっくりと開くところであった。やってきた人影は、拘束されているアルマを見て怪訝な表情を浮かべる。


「学院の生徒ではないな……生徒の誰かの従者か」


 ううむと暫し考え込んでいた人影は、隣に立っている人物に視線を向ける。どうするのだねとその人影に問い掛けた。


「我々の『勧誘』対象ではないだろう?」

「ええ、そうですね」


 その問い掛けに首を縦に振った人影、学院の教師の証たる紋章を付けたその男は、ご心配なくともう一人の貴族らしき人影に述べる。勧誘対象ではなくとも、使い道はあると続ける。


「従者の一人や二人、貴方様ならばいくらでも誤魔化せるのでは?」

「まったく、人使いの荒い奴め」


 教師の言葉に人影は薄く笑い肩を竦める。あからさまなそのやり取りを、アルマは白けた表情を浮かべ眺めていた。

 男性教師が視線を貴族から彼女に向ける。その顔を見ると、思わず目を見開いた。


「……『魔物令嬢』!?」

「何? このメイドが……? 確かに、よく似ているが」

「……ああ、いえ、すいません。随分と似ていますが、違いますね」


 ううむとアルマを観察していた男性教師は、ひょっとしたらと呟く。彼女が、『魔物令嬢』が擬態するモデルにされた人物なのでは。そんなことを言いながら貴族へと向き直った。

 もしそうならば、これはまたとない武器になる。言葉を続けながら、男性教師は口元を歪ませた。あの化け物を蹴落とす一手になると笑った。


「まあ待て。そうと決まったわけではあるまい。……さて、そこの従者よ。こちらの質問に答えてもらおうか」


 興奮する男性教師を押し止めると、貴族はアルマを見る。余裕ぶった態度が気に入らないが、現在の彼女の仕事は情報収集。暴れるのはまだ早い。


「そうだな……。お前は、カサンドラ・アイレンベルク公爵令嬢を知っているかね?」

「ええ。よーく、存じております」

「ほう……」


 貴族の表情が変わる。男性教師に視線を移し、先程の考えと自分の出した答えは違いそうだと彼に告げた。

 どういうことでしょうかと男性教師は貴族に問うが、貴族はまあ待てと手で制す。再度視線をアルマの方に向け、目を細めると口を開いた。


「お前は、ここの生徒の従者かな?」

「お答えする必要性を感じません」

「成程。この状況でそう答えるということは、命が惜しくないと」

「どう答えたところで、無事に帰すつもりはないでしょうに。白々しいですね」


 はぁ、と呆れたような溜息を吐くアルマを見て、男性教師はあからさまに不快な表情を浮かべた。たかが従者が、と口にし、そのまま隣にいる貴族が一体誰なのかを言いかける。身分の力でひれ伏せさせようとしたそれを、貴族の男は持っていた杖を眼前に突き付けることで妨害した。軽率だと目を細めた。


「も、申し訳ありません……」

「いや、いい。君が私を慕ってくれている証拠だ。しかし……困ったな。主が分からないのでは、返却することが出来そうにない」


 口ではそう言いつつ、微塵も困っていない表情で貴族は述べる。大げさな身振り手振りで、まるで演劇でもしているかのように。穏便に済ませたかったが仕方がないと言葉を紡いだ。

 男性教師を呼ぶ。ここで名前を呼ぶようなヘマをしていないことから、どうやらこの貴族はこういうことにある程度慣れているらしい。男性教師は貴族の言葉に返事をすると、その指示を聞いて成程と笑みを浮かべた。


「では、実験体の核に」

「それが妥当だろう」


 話がまとまったのか、貴族はそこで踵を返す。振り向くことなく、安心したまえとアルマに告げた。後の処理は、滞りなく行っておく。そうとだけ続け、部屋を去っていった。


「処理、ですか」

「主人が心配しないようにだ。生徒には出来るだけ平穏な生活を送って欲しいのでな」

「教師としては真っ当なことを言っているような気がしないでもないですが……」


 行動がこれでは何の意味もないな。男性教師が何かの準備をするのを横目に、アルマは小さく溜息を吐いた。そろそろ脱出時だろうか、それとも実験体とやらを確認してからだろうか。どう選択しようか一人悩み、結局彼女は後者を選んだ。


「それで、実験体とは一体何なんですか?」

「見て分からんのかね? これだ」


 こんこん、と男性教師は自身の横に鎮座する鎧を叩く。普通の人間が着込むようなサイズではないそれは、しかし確かな存在感を持って立っていた。


「これまでは一体型の核には動物を使っていたが、人を使えば次の段階に進むことが出来る」

「……人、ですか」

「勧誘対象は同志、実験台に出来るはずがない。が、お前のような者は別だ」


 鎧が一歩一歩近付いてくる。拘束されているので、普通のメイドならば逃げ出すことも出来ず恐怖に支配されるであろう光景だ。

 が、生憎とアルマは《シャドウ・サーヴァント》。この程度で恐怖などするはずもないし、そもそも拘束もわざとされているにすぎない。情報収集もとりあえず済んだことだし、そろそろ逃げ出すか程度である。


「よし、実験体よ。そこのメイドを新規の一体型へと――」

「申し訳ありませんが」


 ドロリとアルマの四肢が溶けた。黒い粘体となったことで拘束から抜け出すと、自身を掴もうとしていた動く鎧の横を通り過ぎる。は、と呆けた表情の男性教師も通り過ぎ、彼女はそのまま貴族が出ていった扉へと足を進めた。


「そろそろお暇させていただきます」

「な、な……!?」


 目の前の光景に理解が追いつかないのか、固まったままの男性教師へと振り向いたアルマは、一礼をすると扉を開ける。わざわざ説明をする必要も義理もない。精々錯乱でもしていてくれ。そんなことを思いながら彼女は部屋の外へ。


「に、逃がすなっ! 貴様、魔物だな!」


 動く鎧が一足飛びで扉に迫る。拘束どころか殺害せんばかりのその一撃を躱したアルマは、目の血走った男性教師を見てやれやれと肩を竦めた。


「生憎ですが、わたしは魔物ではありません」

「嘘をつけ! 先程の動き、魔物でなければなんだというのだ!」

「……無知な人間に説明するのは面倒なので、一言だけ」


 誤魔化す、というのも一瞬考えたが、ここまでくるといっそぶちまけたほうがいいだろう。そう判断したアルマは、スカートの端を摘むと軽くカーテシーを行う。

 そうして、笑顔のままのたまった。


「アイレンベルク公爵令嬢専属メイド、アルマと申します。即座に忘れてくれて結構ですよ」

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