第6話
「それで」
カリカリと書類を処理しながら、クリストハルトはトルデリーゼに問い掛けた。例の救援要請はどうする気だ。そう言って書類から彼女へと視線を移動させる。
対するトルデリーゼは、どうするもこうするもと肩を竦めた。今行っている仕事がまさにそれではないかと煽るような口調で述べた。
「そんな事は分かっている」
「なら聞く必要もないでしょう?」
「もう少し、具体的にどうするのかが知りたいんだ。……俺は、考えなしだからな」
「……失礼いたしましたわ、殿下。とは、言っても」
現場にいる二人に加えてこちらも出向く、それ以外の案は纏まっていないのが現状だ。そのための手続きがこの書類であり、早い話が大義名分を作成中というわけである。
「私の一存で動いても、殿下は納得しないのではなくて?」
「納得は、まあ、確かにしないかもしれん。が、納得するしないで事態を悪化させるのは論外だ」
「素直な方ですね、殿下は。脳筋と言い換えてもいいわね」
「何でそこで罵倒し始めるんだお前は」
「ふふっ、ごめんなさい。でも、仕方ないでしょう?」
視線を巡らせる。現在この執務室にはクリストハルトとトルデリーゼの二人しかいない。聖女チームも大半が出払っているため、普段の賑やかさが鳴りを潜めていた。
そうして視線を再度クリストハルトに戻した彼女は、笑みを浮かべたまま言葉を紡ぐ。
「カサンドラが先行したからって、無理矢理にでも向かおうとした色狂いには、一言二言ぶつけてもお釣りが来る。そうは思わないかしら?」
「…………」
非常にいい笑顔で言われた。勿論図星であり反論の余地もないので、クリストハルトとしては黙るしかない。あるいは素直に謝るしかない。
再度書類に視線を戻したトルデリーゼを眺めていた彼は、盛大に溜息を吐いて同じように書類に目を向ける。そうしながら、しかし、と一人呟いた。
「カサンドラだけを向かわせるのは問題だったのではないのか?」
「『魔物令嬢』のことならば、今回の件にはどうあがいてもついて回るわ。変に意識するよりも、気にしない方が楽でしょう」
「そういうものか」
「ええ。だから、殿下がおらずともカサンドラは大丈夫ですわ」
「……そういう意味で言ったわけでは」
「違ったかしら?」
押し黙った。そういう意味だったからだ。今更物言いを付けても遅いにも拘らずグダグダと言っている時点で割と見苦しいが、その辺りはいつものことなのでトルデリーゼは気にしない。むしろそんな彼の方が楽しいので彼女としては好ましいくらいだ。
勿論度が過ぎるのは別である。一週間に一回は度が過ぎる。エミリーとセットだと三日に一回だ。
「さあ、下らないことを言ってないで手早く片付けてしまいましょうか」
「……分かっている」
非常に苦々しい顔であったが、一応分かってはいるらしい。それを確認し、トルデリーゼは満足そうに笑みを浮かべた。
さて、一方のカサンドラである。妹が学院にいるということで、二人よりも手早く手続きを済ませた彼女は、一年ぶりの学び舎を暫し散策していた。あまり変わっていない、と一人で微笑みながら授業終わりに合わせ合流しようとしていた彼女は、そこで学生らしき貴族達に声を掛けられた。なぜこんな場所に、という問い掛けに表向きの事情を話し、そうして自身の名を名乗る。アイレンベルクの公爵令嬢だと知ると、そこにいた一部を除いた生徒は王太子の婚約者であるカサンドラに興味津々で挨拶を述べた。
「あはは……」
流石は学生、勢いが凄い。そんなことを思いながら、やんわりと質問に答えつつ人と出会う約束をしているのでと生徒達に述べる。相手は公爵令嬢で王太子の婚約者、当然ながら度を越した態度を取ることなど出来はしない。そうでしたか、と生徒達はカサンドラを解放しまた機会があったらと名残惜しそうに言っていた。
ひらひらと手を振りながら、ではこれで、と告げようとしたその時である。
「おや、そこにいるのは『魔物令嬢』ではありませんか?」
ざわ、と生徒達が息を呑むのが分かった。一部で彼女がそう呼ばれていることは周知の事実といえる程度には広まっている。が、それを面と向かって言うような者はまずいない。それが蔑称に近いことは知っている、その上で心無いことを言えるような心持ちでも相手の身分を考えれば自殺に等しい行為だからだ。
それでもそんなことが出来てしまうとすれば、考えなしの馬鹿か、あるいは。
「……はい。そうですけれど、何か御用ですか?」
声の方へと振り向き、言葉を紡ぐ。先程までの笑顔は鳴りを潜め、極々普通の、他人を相手取る表情へと変わったカサンドラを見て、先程まで彼女と話していた生徒達は思わず後ろに下がった。これから起きることを想定し、避難したのだ。
が、そんな生徒達の予想とは裏腹に、カサンドラはそれだけであった。態度こそ事務的なものに変わったが、それはある意味当たり前のこと。激高することも気分を害するような態度も見せず、ただ相手の出方を伺っている。
「否定しないのですね」
「そう呼ばれているのは事実ですから」
『魔物令嬢』と彼女を呼んだその相手は、どうやら学院の教師らしい。男性教師と共にいる生徒以外の、先程までカサンドラと話していた生徒達は、そんな彼を見て嫌そうな顔を浮かべる。どうやらあまり好かれるタイプではなさそうであった。
それはともかく、男性教師はそんな彼女の態度に怪訝な表情を浮かべていた。思ったよりも取り繕いが上手いのだろうか。そんなことが頭をもたげる。
別段そんなことはない。ただ単に、今言葉にしたように最初から知っていた上そもそも魔物なのは本当なので気にしていないだけである。
「それで。御用はなんでしょうか?」
「……それがこちらの用事でしてね。たとえ『魔物令嬢』、おっと、公爵令嬢といえども学院にとっては部外者。敷地内に勝手に踏み入ってもらっては」
「許可なら貰っていますよ」
はい、と正式に学院への立ち入りを許可する印のついた札を取り出す。そうしながら、一応ある程度の地位の人には伝達すると学院側が言っていたんですけれどと首を傾げた。
それを聞いたカサンドラ側にいた生徒が思わず吹き出す。彼女の言葉の意味することは、すなわち目の前の男性教師は学院側にとって伝達するに値しない程度の存在だということに他ならないからだ。当の本人はそんなことなど微塵も考えておらず、まだ全員に伝わっていなかったのだろう程度にしか思っていない。
「随分な物言いですね。流石は『魔物令嬢』といったところですか。……魔物だという噂も、真実味を帯びてくる」
「そうですか」
真実味もなにも真実なのでカサンドラは揺らがない。既に身バレしていることを前提に生活しているので驚くことすらない。それが男性教師にとっては、真意を見せない不気味さに映った。
ギリ、と歯噛みした。もし魔物だとしたら、人の姿に擬態しているだけのおぞましい化け物だったとしたら。そんなものが我が物顔で王太子の婚約者をしているなどと、許されるはずがない。それを許容している人間も、同等だ。
「……えっと。そろそろ行ってもいいでしょうか?」
カサンドラはそんな男性教師を見て少しだけ眉を顰めた。この雰囲気は覚えがある。あの時、聖騎士をけしかけた神官長と同じものだ。正確には似て非なるものであるが、魔物である自分に敵意を持っていることには変わらない。そんなことを思いつつ、どのみちこれ以上関わる気はないと彼女は言葉を紡ぐ。
「どこへ行く気です? あなたのような存在を、魔物を、学院に野放しになど」
「いえあの、待ち合わせがあるのでそこへ行くだけなんですけど……」
「待ち合わせ? 一体魔物が学院の何と――」
「あら?」
人だかりはそこそこ目立つ。だからだろうか、通り掛かった一人の女生徒が、一体何事だとそれを覗き込み。
そして、カサンドラを見て声を上げた。何かを言おうとしていた男性教師を尻目に、女生徒はカサンドラの方へと歩みを進めてくる。
「そこにいらっしゃるのはカサンドラ・アイレンベルク公爵令嬢様では?」
「え? あ、はい」
突如現れたその女生徒は、完全に敵意をぶつけている男性教師をいないものとして扱っている。思わず視線を周囲の生徒達に向けたが、まあ別にいいのでは、という謎の雰囲気を醸し出しているので諦めた。
ともあれ、その女生徒はカサンドラへと淑女の礼を取る。そうした後、自身の見事なストロベリーブロンドの縦ロールをブォンと靡かせ自身の名を名乗った。
「お初にお目にかかりますわ。わたくし、アナスタシアと申します。クラウディアさんとは、お互いに己を高め合うライバルの仲ですの」
「え? クラウディアのお友達?」
「はい。親しくさせていただいておりますわ」
あまりそういうことを話してくれない妹の友人とひょんなことからエンカウント。これは中々幸先いいのでは。そんなことを思いながらよろしくと笑顔を見せたカサンドラは、そのまま少し妹のことでも聞こうかとアナスタシアへ言葉を紡ごうとし。
「先に話していたのはこちらだろう。何を蔑ろにしているのですかな?」
「あ」
そういえばいたな、と思い出した。思い出したが、別段こちらとしては話をしていた覚えはない。向こうが一方的に絡んできただけである。ついでにいうとそれすら打ち切って去る途中であった。
アナスタシアはそんな男性教師を一瞥し、一体何を言っているのかと鼻で笑った。先程のやり取りを見る限り、既に終わっていただろうと言い切った。
「それとも、公爵令嬢にしつこく絡むのが教師のお仕事なのでしょうか?」
「違う。私はただ、そこの『魔物令嬢』がこの学院で何をするかを危惧して」
「それでしたら、このわたくしが彼女に同行しましょう。文句があるとは……言いませんでしょう?」
「ぐっ……」
「え? わたし置いてきぼり?」
いつの間にかアナスタシアと共に行動することになっている。この場を収めてくれるのはありがたいが、自身のこれからの行動としてはいささか問題がないでもない。そんなことを思ったカサンドラであったが、あれよあれよという間に話を打ち切ったアナスタシアがでは行きましょうと彼女を連れ出してしまった。
背後からは射殺さんばかりの視線が突き刺さっている。振り向いてもしょうがないのでそれは無視したものの、隣を歩くアナスタシアを無視することは出来ない。おずおずと、カサンドラは声を掛けた。あの、と自身より年下の少女に声を掛けた。
「どうなさいましたか、アイレンベルク公爵令嬢様」
「いやあの、とりあえずその前に堅苦しいその呼び方を改めてもらえますか?」
「よろしいのですか?」
「クラウディアのお友達なんですよね? だったらわたしも名前でいいですよ」
「承知いたしましたわ。では、カサンドラ様。どうされたのです?」
何かグイグイくる感じが誰かさんに似ている気がする。そんなことを少しだけ思いながら、カサンドラは改めて問い掛ける。一体全体何故こんなことに、と。
対するアナスタシア、何だそんなことかと笑みを浮かべた。
「あの教師は『魔物令嬢』排斥派、当の本人であるカサンドラ様が何を言ったところで納得しないでしょう。ですから、少々強引な手を使わせてもらいましたわ」
「何となくそんな気はしていましたけど。そうですか、ありがとうございます」
ペコリと頭を下げたカサンドラを見て、アナスタシアは目をパチクリとさせる。姉妹でそっくりだなどと思いつつ、公爵令嬢がそう簡単に頭を下げては駄目でしょうと苦笑した。
それはそれとして、とカサンドラは顔を上げる。これから待ち合わせがあるので、出来れば一人にさせて欲しいと彼女に述べた。
「どうしてですの?」
「どうしてと言われても……」
「待ち合わせならば同じ場所でしょう? わざわざ分かれる必要性を感じませんわ」
「……はい?」
今度はカサンドラが目をパチクリとさせる番であった。
「よし、殺そう」
「待って!」
集合場所で事の次第を聞いたエミリーの第一声がこれである。コキコキと指を鳴らしながら、いい感じにぶち殺せる聖剣のチョイスを脳内で始めていた。勿論必死で止めるのはクラウディアである。
「大丈夫よクラウディア。エミリーのそれは冗談だもの」
「いや絶対本気だよ!? 目が据わってるもん! 姉さまの敵は皆殺しって顔してるもの!」
「まあ実際学院には必要なさそうなアレですね。ジゼルとしてもスパッとやってオールオーケーだと思います」
「ノットオーケーだよ! 煽らないで!? エミリーさん本気で殺しに行っちゃうからぁ!」
腰に抱きついて動きを止める。当然ながら強烈な山脈が勢いよく押し付けられ、男であれば即死ダメージものだ。残念ながらエミリーは聖女であり、転生前の英美里も性別は女。即死ダメージは見込めない。
が、それでも彼女の意識を別の方向へ誘導させることに成功する程度には強力であった。なにこれ、と真顔になるくらいには大ボリュームであった。
「ふう……あたしは正気に戻った!」
「嘘の匂いがプンプンするので、まだ頭はグルグルでしょう」
「まあ、エミリーはそれが普通ですし」
「そこ妥協しないで姉さま!?」
喧々諤々。とりあえず話は全く進まないのを確信したアナスタシアは、完全なる傍観者を貫いている一人のメイドを見やる。カサンドラによく似た顔立ちをしているものの、何かが決定的に違う若いメイドの女性は、その視線に気付くと彼女へと向き直った。
「一つ、質問をしても?」
「よろしくてよ」
「いつもあんな感じなのでしょうか」
「そうですわね。彼女達が来てからは、いつもあんな感じですわ」
「成程。……調査が進まないわけですね」
理由の一端はこれにあるのではないだろうか。そんなことを一瞬考えたアルマであったが、しかしいや違うかと首を振る。この程度で支障が出るのだったら、あの時自分は死んでいない。こんなでもどうにかなるのだから、エミリーは剣の聖女であり、彼女達は聖女チームなのだ。
「さ、お喋りはこの辺りにして、本題に入りますわよ」
「はーい」
「はーい……」
「はい」
パンパン、と手を叩いて三人を纏める。そうした後、アナスタシアは追加戦力だというカサンドラとアルマにバトンタッチした。
「……アナスタシアさんがリーダーなんですか?」
「いいえ? わたくしはあくまで部外者、サポート役ですわ」
「その割には堂々とした動きでしたね。お嬢様とは大違い」
「アルマ」
「おお怖い」
こほんと咳払いを一つ。改めて、と席に着いた一行は、これまでの成果を口頭で再度説明した。それをうんうんと聞いていたカサンドラは、それでどうするかという箇所まで来た時に言葉に詰まってしまう。現状追加戦力という名目ではあるものの、頭脳担当のトルデリーゼが不在な以上やることは力押しでしかない。
「お嬢様」
「はい? どうしたのアルマ」
「どうなるかを探れればいいのでしょう?」
ふ、とアルマが笑う。とりあえず、現状分かっている引きずり込まれる二箇所のどちらか。そこへ、犠牲者になった場合どうなるのかを知ることが出来れば、一歩進むことが出来る。
「そういうことです」
「本気ですか?」
「勿論。まあ、当然ながら」
そう簡単に死ぬつもりもないですが。そう言ってアルマは、カサンドラの《シャドウ・サーヴァント》は猫を思わせる笑みを浮かべた。
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