ビーガンは誰も傷つけない【現代童話】

堀元 見

ビーガンは誰も傷つけない【現代童話】

ここに、一人のなまけもの大学生がいます。

彼の名前は、ダラダくん。ダラダくんはいつも部屋の中でダラダラしていました。

ろくに大学にも行かず、いつも昼まで眠って、ゲームをしたり友だちとお酒を飲んだりしてばかりです。

食生活もめちゃくちゃで、食べるものといえばカップラーメンやコンビニ弁当、あとは近くにある牛丼屋の牛丼ばかりでした。


一人暮らしを始める前、お父さんとお母さんと暮らしていた時には、お母さんがちゃんとしたご飯を作ってくれていましたから、彼はとても健康でした。

でも、一人暮らしを始めてからというもの、彼はろくなものを食べていません。なんだかちょっと太った気がするし、目覚めも悪いです。お腹を壊していることも多くなりました。

「このままじゃよくないかなぁ……」

ダラダくんはぼんやりそんな風に思っていましたが、面倒なので自力で改善しようとは思いませんでした。

そんなある日、ダラダくんは一人の友だちと出会うのです。


「僕に任せて。健康になれるよ」

そう言ったのは、大学の同級生のビガオくんです。ビガオくんは、ダラダくんのめちゃくちゃな食生活を見て、アドバイスをしてくれるというのです。

「え、本当にそんなに健康になれるのかい?」

ダラダくんはちょっと疑いました。正直、ビガオくんはそれほど元気という感じではなく、草みたいなおとなしい感じの人だったからです。

「そうだよ。食生活を変えてから、僕も昔よりずっと健康になったんだ」

「うーん、でもなあ……」

「まあまあ、よくないと思ったらすぐやめてもいいからさ。とりあえずやってみようよ。ね?」

ビガオくんの押しに負ける形で、ダラダくんは食生活を変えてみることにしました。


「そうと決まれば、今晩は一緒にご飯を作ろう!まず材料をスーパーに買い行こうか」

ビガオくんはそう言いました。ダラダくんはとりあえずビガオくんについていきます。

すると、不思議なことが起こります。ビガオくんはいくつもスーパーを素通りするのです。

「ねえビガオくん、スーパーならそこにあるよ?」

ダラダくんは不思議に思って聞いてみるのですが、ビガオくんは少しも取り合いません。

「そんなところじゃダメだよ。完全無農薬のオーガニックスーパーじゃないと」

ダラダくんにはその意味が全く分かりませんでした。なんで買い物ひとつするのにそんなに遠くに行かないといけないのかなあ。


ふたりは40分以上も歩いて、ようやく小さなスーパーに到着しました。ダラダくんはもうヘトヘトです。やっと買い物が始められる……と安心したのもつかの間、彼はお店に入ってから更に疲れることになるのです。

「高い!!トマトがひとつ200円!!」

ダラダくんは小さなスーパーで売っている商品を見てビックリしました。どれもこれも普通のスーパーの3倍以上の値段なのです。

「うん。このお店は完全無農薬の有機栽培野菜だけを扱っているこだわりの店だからさ、ちょっと高くてもしょうがないよ。身体に良いものを摂るために我慢だよ!」

ビガオくんはまたワケの分からないことを言います。わざわざ遠くに歩いてきて、高い野菜を買うなんて、ダラダくんにはさっぱり意味が分かりません。


「トマトと、キャベツと、ナスと、パプリカも買っておこう」

ダラダくんの意見は全く聞き入れられず、ビガオくんは次々に野菜をカゴに放り込んでいきます。

ダラダくんはその様子を見て、あることが気になってきました。

「ねえ、野菜ばかり買ってるけど、お肉とかお魚はどうするの?」

すると、ビガオくんはすぐに答えます。

「え、食べないよ?野菜だけ食べているのが一番良いんだよ。健康にもいいし、その方が地球のためだよ!」

今まで我慢していたダラダくんも、これにはさすがに反論します。

「でも僕は、肉や魚も食べたいよ」

しかし、ビガオくんは一歩も引きません。すごい剣幕で怒鳴り返してきました。

「君が軽い気持ちで食べている牛肉は、牛を殺して作っているんだぞ!君は殺された牛の気持ちを考えたことがあるかい?君が牛だとしたら、人間に殺されたいと思うかい?牛を食べることは、人殺しと一緒だぞ!」

ダラダくんは、ビガオくんの言っていることがさっぱり分かりません。なぜお肉を食べたいと言っただけで人殺し呼ばわりされないといけないのでしょうか。

それでも、ビガオくんのあまりにも鋭い剣幕に反論できず、しかたなくその場は黙ることにしました。ダラダくんが諦めた様子を見て、ビガオくんは続けます。

「分かってくれてよかった。地球のことを考えたら肉や魚は食べたらダメなんだよ。そういう人をビーガンって呼ぶんだけどね。ビーガンは誰も傷つけない最先端のライフスタイルなんだ」

ビガオくんはそういって満足げでした。ダラダくんは全然納得できません。


「ふう!美味しかったね!」

ふたりはビガオくんの家で食事を終えました。料理は全部ビガオくんがしてくれました。

ビガオくんは美味しかったと言いますが、正直ダラダくんは物足りません。やっぱり肉や魚も食べたかったのです。それに、ビガオくんの料理はなんだかどれも味が薄いような気がしました。

「じゃあ、材料費はワリカンね。2000円ちょうだい」

ビガオくんは言いました。ダラダくんは全然納得できません。なぜこんな大して美味しくないものを高いお金で食べないといけないのでしょうか。2000円もあれば、駅前の美味しいラーメン屋さんでラーメンが3回食べられます。

「ねえ、ビガオくん、僕やっぱり食生活は元のままに……」

ダラダくんがそう言いかけたとき、ドアホンが鳴りました。

「おや、誰だろう」

ビガオくんは慣れた様子で廊下をすり抜けて、玄関のドアを開けました。


「やあ!君がダラダくん?はじめまして!」

やってきた3人のお客さんは、親しげにダラダくんの名前を呼びました。誰かと思ってとまどっていると、ビガオくんが説明してくれました。

「僕のビーガン仲間たちさ。今日からビーガンになったダラダくんのことを教えたら、ぜひ挨拶したいって!」

ビガオくんはたくさんの知らない人と話すのはあんまり得意じゃありません。オロオロしている内に、やってきた3人は次々に口を開きます。


「ダラダくんは、その若さでビーガンになることを決心して偉いね!」

「ビーガンは地球にやさしい最先端のライフスタイルなんだ。それを見つけるなんて、ダラダくんはとてもセンスがあるね!」

「これからもよろしくね!明日の昼はビーガン仲間のランチイベントがあるから一緒に行こうね!」

3人の勢いに飲まれて、ダラダくんは否定するタイミングを失ってしまいました。すっかり仲間にされています。

「ダラダくんのような優秀な若者が仲間に加わってくれて嬉しいな!今夜は語り明かそう!」

でも、この3人はひっきりなしにダラダくんを褒めてくれます。こんなにちやほやされたのはいつ以来でしょうか。もしかしたら人生で初めてかもしれません。

「お肉を食べられない生活は嫌だけど、この人たちは悪い人じゃないだろうなあ。まあ、明日のランチ会くらいは行ってもいいか」

ダラダくんはそう思い、とりあえず今日はビガオくんの家に泊まることにしました。もちろん3人のお客も一緒です。3人は一晩中ダラダくんのことを褒めながら、ビーガンの素晴らしさについて語りました。ダラダくんは眠い頭で、「そうか。ビーガンってそんなに良いものなのか」と考え始めていました。


***


「うーん、このパンもお弁当も、みんなダメだ」

ダラダくんは昼休みの売店で頭を抱えていました。友だちがそれを見て質問します。

「ダラダくん、どうしたの?君の好きなとんかつ弁当も、鮭弁当もまだあるじゃないか」

すると、ダラダくんは笑いました。

「ハハッ!そんなものを食べていたのは一ヶ月以上前の話だよ。僕はビーガンになったんだ」

「ビーガン?何だいそれは?」

「肉も魚も一切食べない、最先端のライフスタイルだよ。地球に優しくて誰も傷つけない素晴らしい生き方さ。君もビーガンにならない?」

「う、うん……まあ考えておこうかな」

友だちは、困った様子ではぐらかしました。そして、話を逸らします。

「あ、じゃあこの春雨スープはどう?身体にいいらしいし、肉も魚も入ってないだろ?」

友だちのその発言も、ダラダくんは不機嫌そうな顔で見ています。

「このスープは、ダシをとるのにかつお節を使ってるんだ。裏の原材料表示を見てごらん。これだって飲めないよ」

そんなことを言うダラダくんを見て、友だちはめんどうくさくなってしまいました。

「そうなんだ。ところで僕は次の授業があるからもう行くね」

そそくさとその場を離れようとする友だちを、ダラダくんは引き止めます。

「あ、そうだ!今晩、ビーガンの仲間で集まって食事会をするんだけど、君もこないかい?」

友だちは、すごく迷惑そうにしながら言います。

「いや、今晩は用事があるから無理だなあ」

しかし、ダラダくんは諦めません。食い下がって言いました。

「じゃあ来週は?水曜日はいつもビーガン食事会があるから、来週こそ来なよ!」

遠回しに断っているとダメだと思った友だちは、はっきりと言います。

「いや、でも僕は肉も魚も好きだから食べ続けるしさ。行かないよ」

すると、ダラダくんはすごい剣幕で怒り出しました。

「君が軽い気持ちで食べている牛肉は、牛を殺して作っているんだぞ!君は殺された牛の気持ちを考えたことがあるかい?君が牛だとしたら、人間に殺されたいと思うかい?牛を食べることは、人殺しと一緒だぞ!」

友だちは、すっかり呆れた顔で、ダラダくんとの会話を諦めました。

「とにかく、授業に遅れちゃうからもう行くね」

一方的に会話を切り上げて、友だちは向こうに歩いていきました。ダラダくんは彼の背中に叫びます。

「ビーガンは誰も傷つけない最先端のライフスタイルなんだぞ!!君もそれを取り入れるべきだ!!」


***


ダラダくんがビーガンになってから半年が経ちました。彼は最近、とてもイライラしていました。

その大きな理由が、周囲の人の理解のなさです。みんな、彼がどんなにビーガンの良さを説いても、ビーガンになろうとしないのです。

肉や魚を食べることが、動物を殺すことだと彼らは分からない。なんて愚かなヤツらなんだろう、無理やりにでも分からせてやろうか、そんな風にいつもイライラしています。


大学が早めに終わったある日、天気も良かったので、ダラダくんは少し散歩してから帰ることにしました。彼の通う地方国立大学は広大な面積を誇っていて、大学内なのに自然豊かで楽しいのです。

しばらく歩いていると、農学部が使っている農場に出ました。奥の方に、つなぎを着た農学部の学生たちがたくさん集まっています。どうやら実習をしているようです。

歩きながら横目で実習の様子を見ると、ダラダくんにとって衝撃の光景が広がっていました。

大きなナタを持った先生が、鶏の首を切り落としていたのです。畜産実習の一環のようです。

ダラダくんはめまいがしました。なんて残酷なヤツなんだ。鶏の命を奪って平然としているなんて、狂ってる。

更に、先生は全体に向かって言います。「では、今の手順で皆もやってみなさい」と。指令を受けた学生たちは戸惑いながらも鶏を捕まえようとし始めました。もっと多くの鶏が、今にも殺されようとしています。


こうなったらダラダくんは黙っていられません。思わず実習に突っ込んでいきます。

「おい!!やめろお前ら!!鶏の気持ちになったことがあるのか!」

突然の乱入に、学生も先生も、皆ギョッとしました。

「なんだキミは!部外者は出て行け!」

先生は大声でダラダくんに注意します。しかし、ダラダくんは一歩も引きません。

「先生は鶏の気持ちになったことがあるんですか?自分が鶏だったら、殺されたいと思うんですか?こんなの人殺しと一緒ですよ!」

ダラダくんの迫真の主張に、先生は怒りながら対応します。

「そんな無茶な理屈があるか!大体、鶏を殺す人がいなくなったら肉が食べられなくなるだろうが!」

ダラダくんもすごい勢いで反論します。

「それでいいんですよ!みんなが肉を食べなくなれば殺す人がいなくなるでしょう!ビーガンは誰も傷つけない最先端のライフスタイルなんです!」

「でもオレは肉が食べたいんだよ!いいからお前は引っ込んでろ!実習のジャマだ!」

先生はそう言って、ダラダくんを突き飛ばしました。それから、彼を無視して実習を続けるように、学生みんなに伝えました。


学生たちは鶏を捕まえようとまた動き始めました。それを見たダラダくんはすっかり頭に血が上ります。

「ふざけるな!!お前みたいなヤツがいるから、世界は優しくなれないんだ!!」

ダラダくんはすごい勢いで、先生に突進しました。先生はたまらず尻もちをつきます。先生の手から、持っていた大きなナタがこぼれました。

落ちたナタが目に入ったダラダくんは、無我夢中でナタを手に取ります。

「この人殺しめ!!」

そう言いながら、ダラダくんは先生の首めがけてナタを振り下ろしました。鈍い音と共に真っ赤な血が吹き出し、ダラダくんはたっぷりの返り血が浴びました。


突然のことに、学生たちは大パニック。大騒ぎしながら逃げまどいます。

ゆっくり立ち上がり、そんな学生たちを眺めるダラダくん。返り血で真っ赤になった顔が笑顔に変わっていきます。歪んだ唇から覗く歯は真っ白でした。

逃げる学生たちに向かって、ダラダくんは言いました。


「ビーガンは、誰も傷つけない最先端のライフスタイルなんだ!」




****あとがき****


「ビーガン」という言葉が一般的になって久しいです。

僕の周りにもビーガンが何名かいます。

そして、ビーガンの人と接する度に思うのが、「尊敬できる人もいれば、尊敬できない人もいる」というごく当たり前のことです。これはビーガンに限らず、どんな集団でも同じですね。


尊敬できるビーガンの一人に、かつてシェアハウスで一緒に住んでいたヨガの先生がいます。彼女はビーガンでしたが、少しも押し付けがましくなかったのです。

リビングで僕が肉を食べていても嫌な顔ひとつせず会話してくれましたし、「ビーガンになった方が良い」なんて主張も一度も聞いたことがありません。

一貫して「私はこれが合ってるからこうやって生きている」という姿勢でした。彼女の姿勢はカッコいいと思います。


一方、尊敬できないビーガンは、すぐに誰かを攻撃する人です。

猟師さんがSNSで獲物を撮った写真を上げると、すぐに「かわいそうだ!」「鹿の気持ちになったことがあるのか!」というたくさんの攻撃にさらされます。「お前が死ね!」とさえ言っている人もいます。

僕自身、以前「豚の丸焼きパーティ」というイベントをやった際に、「かわいそうだからやめろ」とたくさんの批判コメントをつけられたことがあります。

とても残念ですが、攻撃的なビーガンの皆様もたくさんいらっしゃるようです。


ビーガンの方々が好んで使う表現に「優しい」というものがあります。地球に優しいライフスタイルだ、とかね。

だけど少なくとも僕は、人の職業や楽しみや食文化をボロクソ言う人のことを到底「優しい」とは思えません。

淡々と自分の仕事をやっている猟師さんや、休日の楽しみにBBQをする人たちと、それをボロクソに言う人たちの、果たしてどちらの方が「優しい」でしょうか。どちらの方が暴力的でしょうか。


「地獄への道は善意で舗装されている」というヨーロッパのことわざがあります。

自分が「善だ」と確信している人はとても厄介です。悪人よりも厄介だと思います。

彼らは自分が正義の味方だと確信しているから、どんな押し付けでも人権侵害でも暴力でも平気でやってしまうものです。魔女狩りはそうやって行われました。人間の歴史を紐解けば、惨劇はいつも自称「正義の味方」によって行われてきたのです。


本作「ビーガンは誰も傷つけない」はそんな狂った「正義の味方」が誕生する様子を、とても大げさに描いてみました。

最初「僕は肉を食べたい」と言っていたダラダくんは、一ヶ月後には同じことを言う同級生に怒るようになります。冗談みたいな話ですが、人を180度変えてしまうくらい、「正義の味方」は甘美です。正義の味方になって正義のギロチンを執行するのは快感なのです。正義の御旗のもとでなんだってできるし、相手に反論を許しませんからね。

猟師さんに「お前が死ね」とまで言えるビーガンの方は、完全にこの狂った正義の味方だと言えるでしょう。


我々は、自分が狂った正義の味方になっていないか、いつも考える必要があります。押し付けがましいビーガンも、炎上した高校生の住所を特定して晒そうとするネット民も、芸能人の不倫を叩きまくる週刊誌も、狂った正義の味方です。狂った正義のギロチンが、いつも誰かを処刑しています。

そんな狂った世界を、僕は望みません。僕らはいつだって正義の味方などではないのです。一人の個人として考えを持ちながら戦っているのだと意識し続けるべきです。

僕らは一人の個人であるからこそ、正義のギロチンは執行できません。代わりに「説得」や「議論」、そして無理なら「その人から離れる」という技が使えます。

ぜひ、ギロチンを振り回すのではなく、これらの健全な技を使っていきましょう。

それこそが、「優しい」世界であり、「誰も傷つけない最先端のライフスタイル」なのですから。

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