エピローグ


 将来の夢 氷柱雪カナタ


 ――わたしには、すごく気になっている人がいます。一応相手は同じクラスの男子ですが、そうは言ってもきっとそれは恋だとか愛では無いと思います。どういうわけか、わたしにはそういった感情が一切わかないことが、ここ最近になってわかりました。そして、それをおかしなことだとは思いません。むしろ、周りと違う自分がほこらしくさえ思えます。こうして作文に残しておけるくらい、これはジマンできることなんです。


 じゃあどうして気になっているのか? それは彼の手のひらがとても美しくて、どうしても自分の物にしたいと思ったからです。さわったり、なめたり、かんだりしてみたい。


 だから、わたしに将来の夢なんてものは存在しません。その場限りの人生を楽しむことに価値を見つけたい。わたしだけの楽しい毎日が過ごせれば、それでいいです。


 そして、Tくんには毎日毎日素敵な手のひらを見せて欲しいです。

 ああ、なるほど。将来の夢が思いつきました。Tくんのお嫁さんになることです。

 それが、将来のわたしの夢です。



「とんでもないフェチだったんだな。氷柱雪さん」



 左腕に、ズキンと稲妻のような痛みが走る。あの事件から、半年ほどの時間が経っていた。


 切断された俺の左腕は、驚くほど綺麗な切断面をしていた為、神経や毛細血管を接合することができた。多少の後遺症は残るようだが、あと一年もすれば日常生活に支障が無いレベルになるらしい。


「バッサリやってくれたのが良かったのかな」

 自虐的にそんなことを独りごちる。


 よほど俺の腕を綺麗な状態で欲しかったのだろう。人間の腕はそう簡単に切断することはできないと聞いたことがあったけど、きっと氷柱雪さんは天性の肉斬りスキルを有していたんだ。なんたって人体収集するくらいなんだから。


 警察署に自首する前のオニギリと、少しだけ話をする時間をもらった。そのとき譲り受けたものが、小学生時代に氷柱雪さんが秘密基地で秘匿していた作文だった。何故あのとき見せてくれなかったのか、今ではわかる。こんなものを人に見せてしまえば、間違いなく好奇の視線を浴びることになる。それが嫌だったのか、たんに俺に本性を晒したくなかったのか、今ではもうわからないけれど。


 でも、だったらどうしてこんな作文を書いたのだろう。適当に普通の文章を書いていれば良かったんじゃないか? イマイチ彼女のしたいことがわからなかった。

 自慢するくらいだったら、見せてくれても良かったのに。少なくとも彼女のおかしな性癖の一つや二つで、俺は氷柱雪さんのことを嫌いになったりはしない。

 それは今にして思えば、っていう意味だけど。





 氷柱雪カナタは、典型的なサイコパスだった。

 入院中に読んでいた本から得た情報だが、サイコパスもとい反社会性パーソナリティ障害という存在は、二十五人に一人はいると言われているらしい。程度の差こそあれど、約四パーセントの人々が人間の心を――良心を持たない人なのだと。


 日本の人口が約一億人だとすると、サイコパスは四百万人もいる計算になってしまう。本当かよ。氷柱雪さんが四百万人いたとしたらそれはそれで魅力的だけど、色々収集付かなくなるんじゃないのか。


 まあそれはさておき、調べていく度にサイコパスという存在が、俺たち標準的な人間とかけ離れたものなのだということを改めて認識していった。

 サイコパスの人々は他人に興味を抱くことが無い。愛や道徳というもの知ることができない。常に自己中心的な考え方な上、人と絆を結べない。そのくせ他人の真似事や、社会に紛れることが抜群的に上手いのだという。


 一見魅力的でカリスマ性を感じても、それは嘘で塗り固められた仮初めの仮面に過ぎない。

 彼等は常にスリルを好み、退屈を何よりも嫌う。己の目的の為なら他人を蹴落としたり、邪魔者を排除したり、空の涙を流すのをなんの引っかかりもなく実行に移せる人間なのだ。


 人間……? いやもしかしたら違うかも知れない。人間の皮を被った化け物。きっとこれくらい過剰な表現のほうが似合っている。

 サイコパスの考えていることを、俺たちのような一般人が推し量ることはほぼ不可能に近い。 だから氷柱雪さんの冷たい氷のような瞳には、俺は椅子やテーブルのような無機物に映っていたのだろう。


 タイムリープを繰り返した末、俺は望み通り氷柱雪さんと結婚した。籍を入れてからの結婚式だったらしい。

 まあその妻自体もうこの世には存在しないけど、俺はまだ美しい姿のままの氷柱雪さんを忘れることができずにいる。


 あれほどの美人を、今後この目に収めることはもう二度と無いだろう。

 亡き彼女のことを想いながら、俺は苗字を氷柱雪へと改名した。氷柱雪タツヒロだ。まったく似合わないが、じきに慣れていくと思う。





「……ここか」


 オニギリから聞いた児童養護施設へやって来ていた。とある人物に会うためだ。

 事前にアポは取っていた。受付で氷柱雪と書かれた身分証明を提示する。すると職員たちは心底明るい表情を見せ、子供たちが遊び回る広場に案内してくれた。

 少年少女たちが楽しげな声を上げながら忙しなく走り回っていた。


 その中で一際可愛らしい天の使いのような少女が、大きな瞳でこちらを見つめてきた。真っ黒なロングヘアがさらりと揺れる。


「こんにちは」


 少しでも警戒心を薄くさせるため、にっこりと微笑みながら言ってみる。

 初めは困惑している少女だったが、やがて俺の行動を真似るように笑ってくれた。


 戸籍上、この子は俺の娘ということになる。


 目の前の愛らしい天使は、氷柱雪さんと殺人鬼の叔父との間に生まれた子供だという話だった。外見的に叔父のほうの面影はまったく残っていない。やはり、美人というのは天より授かるものなのだろうか。それとも、氷柱雪さんの影響力のせいか。


 まるで高級車のような漆黒の黒髪。真っ白でつついたらふわりと包んでくれそうな柔肌。くりくりと大きく見開かれた瞳。小さく可愛らしい唇は、これから女性的なものになっていくのだろう。

 それらのどれもが、氷柱雪さんの顔のパーツと瓜二つで、とにもかくにも美しく、愛らしく思えた。


 オニギリから受け取った精神病質チェックリストを思い返す。それによると、この子はギリギリサイコパスには該当しないらしい。やけに難しいことを話していたので、その辺のことを俺は良く理解していなかった。



 目の前の子供が――怪物なのか、人間なのか、俺にはわからない。



 サイコパスが生まれる原因は未だはっきりと解明されているわけではない。

 生物学的な遺伝と、環境要因が混合した結果であるという見解が現代における答えらしい。


 サイコパスと人間。姿形がまったく同じなのに、どうしてこんなにも中身が違ってしまうのだろう。世間はサイコパスを悪とし、大多数の人間を正義としていると思う。


 でも、別に人間だって誇らしげに良い種族だとは言えないと思う。

 高校時代、一人のクラスメイトが責められていたことを思い出す。

 人間は、自らに害を成す存在を見つけたとき、迫害し隔離しようとする。だから今だって戦争が止められない。人間はいくらだって同じ過ちを犯すのだ。



 サイコパスと人間は、絶対にわかりあえない。

 この地球はそのほとんどを人間に浸食されている。だから少数派のサイコパスには少し窮屈な世界かもしれない。だけど、きっと彼等はそんな小さなことを気にしたりしないのだ。


 自由気ままに、自分のしたいことをして生きていくだけだ。そう聞くと、人間よりよっぽど素敵な生き方ができている気がする。その生き方に、俺は憧れさえ持ってしまった。


 生き物を無感情に殺すことが信じられないと批判する人間もいるだろうが、ではより良い服や上質な食事を楽しむためだけに生き物を狩り続ける人間はそれに該当しないのか? きっとそれを日々の仕事にしている人たちは、次第にその生き物たちが物のように見えてくるだろう。

 これでは、人間たちが認識するサイコパスと何も変わらない。



 結局――どっちが良いとか、悪いとかそんな問題では無いことに俺は気が付いた。



 俺は、別にサイコパスだからといって差別や隔離なんてことは考えない。だからもし氷柱雪さんの娘が性格最悪で悪魔の申し子だったとしても、俺は構わない。本当に、全然構わない。


 例え良心が欠如した天性のサイコパスなのだったのだとしても。

 例え俺自身が彼女に殺される未来が存在するのだとしても。


 俺は、一向に構わない。


 ――ねえ、氷柱雪さん。

 そんな風に思ってしまう俺は、少しおかしいんだろうか?

 死の世界へ逝ってしまった最愛の人に尋ねる。


 ふと、彼女の言葉が蘇る。


 ――でもね、タツヒロくん。

 ――これだけは言わせて。

 ――わたしは――あなたともっと仲良しでいたいよ。

 ――自分の立場をわかってて言ってるんだから、性格悪いかも知れない。

 ――でもタツヒロくんは……こっちに来てからの初めてのお友達だから。

 ――ずっと友達で居たい……本当にコレだけは……心からの言葉。


 ――それだけは信じて。


 あの言葉は、嘘だったのだろうか。本当だったのだろうか。


 今となってはわからない。

 たとえ氷柱雪さんが生きていたとしても、明らかにはならないだろう。


 だけど、別にもう構わない。

 俺たちは、同じ土台に立つことすらできない別の存在だ。わかりあうことはできない。


 サイコパスは、人間ではないのだから。


 過去(カナタ)は捨てて、俺は未来(ミライ)を見つめることにした。


 天使のような微笑みが、再び視界に入ってきたとき。

 改めて思った。




※ただし、美人に限る。

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※ただし、美人に限る。 織星伊吹 @oriboshiibuki

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