※27


 ボイスレコーダーから雑音が流れ、寂しい披露宴会場に響き渡る。



『――ええっと、この録音データは間違いなく和馬カズトによる実録です。声帯認証とか、好き勝手にやってもらって構いません。――――では、本題に入ります。今はえっと――2010年10月23日、午後21時36分です。これから、氷柱雪カナタという危険人物のすべてを解き明かしたいと思います。刑事課の堂島さん、留守電に伝言を入れておきましたが、もし俺がこの世から消されるようなことがあった場合、すべては氷柱雪カナタという女が犯人です。その際はこのボイスレコーダーを証拠品として使って下さい。アイツを、凶悪な殺人鬼の氷柱雪を……絶対に野放しにしないでください。じゃないと、これからも被害は拡大していくと思います。捕まえて、正当な処分を下して欲しいと心から願っています――――』


『――――――来てくれたか』


『こんなところに呼び出してどうしたの? カズトくんは文化祭の準備しなくてもいいの?』


『それよりも重要なことがあってな。お前……今タツヒロと付き合ってるだろ』


『うん。だから何?』


『頼む。別れてくれ』


『またなの……? どうしてそんなにわたしとタツヒロくんの邪魔ばかりするの!?』


『お前が危険だからだ。アイツにいくら恨まれようと構わねえ。タツヒロに危害を加えるかも知れねえ人間を、ただ側に置いておけねえだけだ』


『どうして……そんなこと言うの?』


『小学生のころウサギ殺したの、お前だろ』


『なんのこと?』


『中学のとき、温海チカが死んだ。あいつの死体は両足を捻ったように折られてたんだ。まるでウサギのときと状況が一緒だよな。これはどうしてだ?』


『そんなの、知らない』


『お前が、殺したからだ』


『そんなことしてないってば!』


『決定的だったのは、館でのことだ。俺たちはあの殺人鬼に追われて、散り散りになった。俺とタツヒロとオニギリは合流できたが、氷柱雪……お前だけは姿を消した。一人で会いに行ったんだろう? 自分の叔父さんに』


『ち、違うよ……! あのときは本当に迷子になって……それにあの館の人が叔父さんだなんて知らなかったの!』


『小部屋でお前は叔父さんと一緒に居ただろう。あのとき、お前らは何かを話してた。とても捕らえられてるようには見えなかったぜ。……何か命令してたんだろう、手駒の殺人鬼にさ』


『手駒……? い、一体何を言ってるのカズトくん。それってどういうこと……?』


『あの小部屋で最初に見たときの印象は、幼い女王様とそれに忠実な変態男って感じだった』


『酷い! そんなの言いがかりだよ!』


『言いがかりでもなんでも良い! とにかくお前は危険だって俺の直感が言ってるんだ! 嫌でもタツヒロとは別れてもらう』


『……………………ふうん。……これでも?』


『なっ……これっ、お、お前……クソがっ!! 正体を表しやがったなこの女!』


『あら酷い。全然そんなことないんだけどな』


『テメェ……そんな写真一枚で俺を揺すったつもりか?』


『オニギリくんの御両親と、仲良いんだよね? ずっと昔から家族ぐるみの仲だって』


『だからなんだよ。今ここで俺がお前を取り押さえでもすれば、それでお終いだぜ』


『いいの? 死んじゃうよ』


『やれるもんならやってみろ』


『……本当に、いいのね?』


『………………っ』


『…………わたしの言うことを聞いてくれるのなら、オニギリくんの御両親は助かるし、あなたも助かるよ? ね、いい話だと思わない?』


『……何をさせようってんだ』


『この学校、燃やそうかと思って』


『は……?』


『やるの? やらないの?』





「――アイツは、脅迫してくる氷柱雪さんから渡された灯油入りポリタンクを学校中に蒔くハメになった」


 赤ネクタイの男がボイスレコーダーを再生しながら、こちらへ近寄ってくる。

 ボイスレコーダーからカズトの啜り泣く声が聞こえてくる。同時に、びちゃびちゃと床を叩く音がずっと流れていた。


「一度は捕まったはずの殺人鬼が夜の学校を徘徊し、その上大火事だなんて、まるで映画のラストシーンだ。恋人との絆をより深いものにするためだけに君は……宿直の先生も含めクラス全員を焼き殺すシナリオを描いた」


 革靴の音が、披露宴会場に響き渡る。



「だけど、君は失敗してしまった」



 ボイスレコーダーから、液体の音が消えた。代わりに、女の声が聞こえてきた。



『ちゃんと隅々まで蒔いた? そしたら、これで火を付けてよ』


『…………お前、こんなことして……何考えてんだ』


『何も? したいから、するだけだけど』


『学校の連中……殺す気かよ』


『そうかもね』


『それでも……人間かよ』


『人間ってなに? どうしてカズトくんの言うことが正しいって言い切れるの?』


『お前は人間じゃねえ』


『だから、人間って何って聞いてるの。わたしが人間で、カズトくんのほうが人間じゃないかもしれないじゃない――』


 マッチ箱の側面が擦られる特有の音。レコーダーの向こうで、カズトが吠えた。


『ちょっと――! 何するのよ!』


『男に……力で勝てると思うなよ』


『わたしにっ……触らないで!』


『なっ……うっ……ああぁぁっ……!』


 カズトが何か致命傷を負わされたような呻き声で、くずおれた。

 突然、音源が騒がしくなる。レコーダーを持ったカズトが、転落したような情景が思い浮かんだ。


『くっ……そ……火が――』


 ぱちぱちと、広範囲に炎が広がっていく。


『ま、でも結果オーライかな』

 冷淡な声で氷柱雪さんが呟く。


『カズトくんはタツヒロくんに嫌われたまま死んでね。わたしに暴力を振るった最低男として』


 そのまま、彼女はボイスレコーダーの中から姿を消す。それからしばらくはカズトの呻き声だけが流れた。


『あいつら……助けねえと。……俺が、やらねえと』


『やべえめっちゃ痛てぇ。身体熱くなってきたぞ』


『ああくそ……画面割れやがった。高かったのにな。まだ使えるか?』


『くそ、ダメだ、これ返事返せねえわ』


『マジで死ぬかもな。でも、物語の主人公らしく好きなヤツを助けて死ぬのも悪くないかもな』


 そんな独り言を言いながら、カズトは乾いた笑い声を上げた。





「愛しの人と二人きりで窮地を脱する感動のラブストーリーが壊された気分はどうだった?」


 赤ネクタイの男が言った。


「何を言ってるのか全然わからないわ」

 氷柱雪さんは、顔色一つ変えずに言い返す。


「息をするように嘘を付く……ね。君は本当にサイコパスそのものなんだな」


 男は無精ひげを撫でながら、真剣な眼差しを氷柱雪さんに向けていた。


「あの放火事件から、君は警察の監視下に入ったはずだ。そこでも空の涙を流して、随分と署内の人間を欺いてくれたそうじゃないか。容姿が良いってだけで人生イージーモードとは良く聞くけど、まさか刑事犯罪においても適用されるなんてね。本当、日本警察の闇だよ」


「なんのことかしら」


「君は……自分が悪いだなんて、本気で一ミリも考えていない。どこまでも被害者で、心からそう思っている。だから録音ボイス程度の証拠品では、社会的に君を捕まえることができない。報道されれば、多くの人が君に同情する。善良な日本国民は君を……天涯孤独な悲劇のヒロインだと信じて疑わない」


 ボイスレコーダーの音が聞こえなくなる。


「でも、アイツの想いは――それを受け継いだ堂島さんは……そんなことじゃ諦めなかった。だから、今こうして……僕がここに居る」


 赤ネクタイの男が唇を歪める。


「今より十六年前――実の両親を強盗殺人に見せかけて殺したのも、君だ。当時小学四年生だった君の残忍な手口を大人は誰も暴くことは出来なかった。そのかいあって、君はとても可哀想な女の子という立ち位置を手に入れることを覚えたんだ」


「違うわ」


「警察の目が離れてから――今まで、何人の人間を殺してきた? あの日助かった連中を、逃亡中の連続殺人犯の叔父に殺させて回ったんだろう? すべての罪を押し付けてね。そして……その仕事が終われば用済みだ。君の実家――あの古ぼけた館で死体になっていたよ、彼は」


「そう」


「結局、クラスで唯一生き残ったのは……僕と、タッツーの二人だけだ」


 拳銃を構え直した男の頬に、つうっと一筋の涙が流れる。



「僕は、君を殺すために今まで生きてきた」



 涙声で男がそう言った。対面の氷柱雪さんがにっこりと微笑む。


「ボイスレコーダー、壊しておけば良かった」


「それは残念だったな。くすねておいてくれた堂島さんに感謝だ」


「あなただけはどうしても殺さなくちゃいけないって、ずっと思っていたの。オニギリくん。でも、まさか刑事になるだなんて」


「ある意味君のおかげだよ、氷柱雪さん」


 オニギリが引き金に指をかけたとき、氷柱雪さんが横たわる俺を乱暴に持ち上げた。


「タツヒロくん! 今すぐあいつを殺して! わたしたちの幸せな生活を壊そうとしている悪魔よ!」


「つ、氷柱雪っ……さんっ……」


「早く! 殺すの!」


 氷柱雪さんは俺を盾にするようにして、懐に隠し持ったナイフを突き付けてきた。愛する夫に向ける花嫁の行動では無かった。


「タッツー! 早くそいつから離れろ!」

 オニギリの罵声が飛んでくる。


 しかし、俺は残ったほうの片腕で氷柱雪さんを庇うようにする。


「待てオニギリ! その銃を下ろせ、氷柱雪さんに向けるな!」


「ふざけるな! まだその女を庇うのか! いい加減目を覚ませ!」


「俺は正気だ! やめるんだオニギリ!」


 そう叫んだ瞬間だった。


 ――――発砲音。


 衝撃波を纏った弾丸は、俺の真横を通り過ぎた。

 後頭部に温かい液体が降りかかる。


 恐る恐る、振り返ってみる。

 オニギリの発砲は――氷柱雪さんの顔に直撃していた。


 オニギリが鬼のような表情で泣き叫ぶ。


「カズトは……既に死んでいた僕の両親を守る為に死んでいったッ!! こんなに、こんなに虚しいことがあるか! お前は人間の心を完全に失った化け物だ! そんな奴がこの世界に生きていて良いはずが無い! 世の中がお前に罰を与えないというのなら、僕が与えてやる! お前は苦しみながら死んでいくんだッ!!」


 氷柱雪さんの美しい顔面がボロボロに崩れ去っていく。当たり所が悪かったのか、頬が吹き飛んで白い歯がむき出しになっている。右顔面のほとんどが消失してしまっていた。


「ぶぁ、つひろくん! だずけて、ぶぁ、つひろくん あいぅをごろしぇ! ばたぢはなじもわるぐないのに! だんでごんなめにあわなぎゃいげないのう゛ぉ!」


 血にまみれた花嫁が、タキシード姿の俺にしがみつく。

 狂乱する氷柱雪さんを前に、俺は呆気に取られて瞬き一つ出来なかった。


 口が吹き飛ばされたことで、彼女が何を言っているのか聞き取るのは難しかった。しかし、どうやら助けを求めているようだった。


 あれほど美しかった氷柱雪さんの顔は、もはや見る影も無かった。まるで墓地から蘇ったゾンビのように思えた。



「美しくない氷柱雪さんなんて、いらない」



 縋ってくる氷柱雪さんの手を払いのけながら、淡々とした言葉使いで告白する。

 顔面を破壊された氷柱雪さんには、もう興味の欠片も無かった。


 その表情を確認する暇も無く、彼女はもう一発の弾丸で――今度は苦痛を味わうことなくこの世を去った。


「お母さん、お父さん……カズト。僕、できたよ。復讐、やっと果たせたんだ……」


 大粒の涙を零しながら、オニギリがその場に崩れる。

 そして、死体となった氷柱雪さんに向かって吐き捨てた。


「…………いつか僕も殺されるかも知れないな、アンタの娘に」


 力ない表情で苦笑いしながら、オニギリは小さく畳まれた二枚の紙を取りだした。

 その紙には、筆跡は違えどそっくりの木のイラストが書かれていた。


 強い筆圧で書かれたギザギザしたライン。根元が切断されていて、地表から少し浮いている。 幹の太さを一定に保てないのか、無理矢理捻られたみたいに左右に揺れ動き、樹冠の天辺が押し潰されていた。


 木から伸びる枝が、地上に横たわる動物たちを串刺しにしている。

 なんとも奇妙なイラストだった。



 ただ、なんとなく氷柱雪さんが好きそうな絵だな、と思った。




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