最終章

※26


 拳銃を構えながら、私は目の前の男が死んでいることを確認した。


 角膜が濁り果て、死後硬直の緩解が始まっていた。手足を切断されたまま椅子に座らされていて、先の無い手首をワイヤーで強く縛り付けられている。

 一体どんな殺され方をしたら、こんな顔が出来るのだろう。男は絶頂中の絶頂だと言わんばかりにほころんだ表情を顔面に貼り付けていた。


 数十年に渡ってこの男はたくさんの人間を殺してきた。そして、その被害者の中には私の知人も数多く居る。ここで復讐を果たせなかったのは残念だったが、私には別の目的もある。


 古く寂れた館を見渡す。

 館の内装はあの頃のまま時間が停止しているようで、何も変わっていなかった。昼時の今、窓からは強い日差しが差し込んでいる。

 大きな暖炉を挟んで左右に伸びる階段には、馬鹿の一つ覚えのように調度品が積み上げられて固定してあった。


 靴裏が汚れるのを承知で二階へと上がっていく。天井には半壊したシャンデリア。子供たちが死闘を繰り広げていたのが容易に浮かび上がってきて、私は硬い表情を少しの間緩めることができた。ほんの昨日の出来事のようだった。

 この館は現在立ち入りが禁止されている。だけど、先輩は黙認してくれるだろう。


 さて――。


 粗方見通してから、館に背を向ける。

 もうここに来ることは二度と無い。


 私は、ジャケットの胸ポケットから結婚式の招待状を取りだした。


 * * *


 隣には、綺麗な花嫁が座っていた。


 まるで童話の中から飛び出したお姫様のようだった。透き通った白い肌とウエディングドレスが奇跡のコラボレーションを果たしている。


 自然と胸が高鳴っていくのを感じながら、生涯の伴侶に言葉をかけることにした。


「……氷柱雪さん?」


「なあに? タツヒロくん。そんな昔みたいな呼び方をして」


 タイムリープは――成功したんだ。俺は内心で確信した。過去を改変したことで、俺は愛しの氷柱雪さんの夫となることができたのだ。


「あ、ああ……そうだったね。ごめんよ、カナタ」


「うふふ、おかしな人」


 カナタは口元を隠しながら控えめに笑った。

 まさか彼女のことを名前呼びする日がやってくるなんて。苗字は俺と同じになっているんだろうか。栗ヶ山カナタか。ふむ、なかなか良いじゃないか。


 まあ強いて言うなら、彼女と結婚するまでの人生がショートカットされてしまっていることに不満を感じずには居られないが、彼女と結婚できるならこのさえなんだって良い。これからはずっとカナタと一緒にいられるのだから。

 幸せな気分いっぱいで、披露宴会場を見渡す。




 だだっ広い披露宴会場には、――――――誰もいなかった。




 参列者も、会場のスタッフも。だれ一人。

 席から立ち上がる。椅子がガタンと乱暴に倒れた。


「…………え?」


 困惑した表情で、カナタに視線を向ける。彼女は微笑を浮かべていた。


「二人っきり、だね」


 ますますわけがわからなくなっていく。あれだけ来ていた同級生の面々は、こぞって何処へ消えてしまったのだろう。


「ねえ、タツヒロくん。今更なんだけど、お互いの好きな部分を言っていかない?」


 突然カナタがそんなことを言い出した。


「え? いや、今はそんなことよりも――」


 慌てていると、彼女が告白した。


「わたしはね、あなたの身体が好きなの」


 彼女の瞳は、きらきらと光る氷のようだった。

 凍てつくような視線は、そのまま俺の手のひらに注がれた。



「特に、その綺麗な手のひらが大好き」



 一瞬だった。左手から先が無くなってしまったのは。


「うわああああああ!!」


 止めどなく溢れ出る鮮血。

 泣き叫びながら、俺はその場に倒れ込んだ。


「ああ、綺麗な手」


 純白のドレスを真っ赤に染め上げながら、カナタが嗤った。俺から切断した左手をうっとりと眺めている。俺は激しい痛みに耐えながらそれを見上げることしかできなかった。


「タツヒロくん、ありがとう」


 感謝された意味がわからなかった。いや、それ以上に自分がどんな目に遭っているかさえ把握できていない。これは夢なのか?

 同時にタイムリープを繰り返していく中で積もり積もった彼女への疑念――。一度は晴れたはずの暗雲が再び俺の思考を覆い尽くしていた。



 ――タツヒロ……俺のこと、信じてくれよな。

 カズトの約束が、思い浮かぶ。



 ――すべての犯行は、氷柱雪カナタによるものだった。


 * * *


 披露宴会場への道なりには、数人の死体が転がっていた。それぞれナイフで心臓を一突きされている。即死だろう。かなりの手練れであることは間違いない。


 ――自分にやれるだろうか。


 会場への扉を前に、私は大きく溜息をついた。

 小さな拳銃に祈るようにすべてを込める。

 大きな扉を力強く開いた。


 豪華絢爛な披露宴会場。その中心には、二人の男女がいた。


「久しぶりだな」


 拳銃を構えた。血で汚れた花嫁に向かって。


「アイツからのご祝儀だよ」


 私は胸ポケットから焼け焦げたボイスレコーダーを取りだして、再生ボタンを押した。


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