※25
警察署に連れてこられた俺たちはたくさんの事情聴取を受けてから、保護者に迎えに来てもらうことになった。
俺の両親は連絡が付かず、とりあえずは親戚の人が迎えに来てくれることになった。そして親が来られないのは氷柱雪さんも同じだった。彼女は天涯孤独の身だから。
待合室のベンチで、俺たちは二人で呆然としていた。今までずっと一緒だった親友がこの世から居なくなったことや、殺人鬼である氷柱雪叔父が未だにこの付近を逃げ回っていることに現実味を感じなかった。そのすべてが夢だと思えてならないのだ。
俺は既に警察から解放されていたが、殺人鬼の叔父を持つ氷柱雪さんは違った。これから長い時間をかけて取り調べを受けることになる。
事情聴取が始まる前に氷柱雪さんは涙を流した。俺の袖を引っ張りながら、少しだけ彼と話がしたいと警察に訴えかけたのである。
今、俺たちは二人きりだった。
「……怖かったっ」
氷柱雪が大粒の涙を零した。
「……行方不明になったらしいね」
叔父さんが、という言葉は伏せておく。
「……全部、わたしが悪いのかな」
氷柱雪さんは今まで見たことが無いくらいに憔悴しきっていた。俺は瞳に涙を溜めたまま、彼女の肩を優しく抱く。
「氷柱雪さんが責任を感じることは無いよ。…………事故、だったんだから」
丁寧に言葉を選びながら、絞り出すように言った。カズトが死んだのも、氷柱雪さんの叔父さんが殺人鬼なのも、学校が全焼したのも、氷柱雪さんのせいじゃない。
それに氷柱雪さんは、これまで残酷な運命を辿ってきた。天から与えられた完璧な容姿と同等以上に傷付いてきたじゃないか。
俯く氷柱雪さんの手を握る。少しでも彼女の気が休まれば良いと思った。
「あのね……わたし、タツヒロくんにずっと嫌われていると思ってたの」
氷柱雪さんが震えた唇でゆっくりと言葉を紡いだ。
「どうして?」
「だって、わたし変な子だもん」
氷柱雪さんが拗ねた様子で言い捨てる。
「氷柱雪さんは変なんかじゃないよ」
彼女の背を摩りながら、優しい声で囁いた。
「嘘。小学校の頃から、ずっと変だって思ってたんでしょう? ウサギの骨を折って楽しんだり、生き埋めにしたことをタツヒロくんは変だと思っているはずだよ」
氷柱雪さんの声には後悔の念が含まれていた。まさか彼女からその話を振ってくるとは思わなかったので、俺は困惑しながらも言葉を探した。
「…………どうしてそんなことを?」
「あの頃のわたしは、生き物と物の区別が良くわかっていなかったの」
氷柱雪さんは思い詰めた表情で呟いた。
「タツヒロくんには言ってなかったんだけどね、わたしの本当のパパとママ、強盗殺人に巻き込まれて死んじゃったの」
「…………そう、だったんだ」
俺は初めて聞いた素振りをすることにした。
「そのときはあまりに衝撃的でね、わたし何が起きたのか良くわからなかったんだ。で、それから生きるとか死ぬってどういうことなんだろうって不思議に思うようになったの」
「……うん」
「お母さんはいつも優しくてお料理が大好きな人だったな。お父さんはぶっきらぼうだったけど、休日になると木材を買ってきて本棚とかテーブルを自作しちゃうような人だった。……今でも覚えてる。とっても平和で幸せな家庭だったのに、どうして……わたしのパパとママが殺されなくちゃいけないの? ……そんなのおかしいよ」
氷柱雪さんは語尾を強めながら、続けた。
「不公平だと思ったの。だから、子供だったわたしは自分よりも弱い生き物を殺してみようって決めた。最初は蟻だったかな。どこからか調達してきた餌を持って巣穴に帰って行く蟻を指で摘まんで、上半身と下半身を引き千切ってみたの。そしたら白い糸みたいなものが伸びて、しばらくは藻掻いてたんだけど、動かなくなって死んだ。今まで普通に生きてきただろうに、わたしのせいで人生終わっちゃったんだなあって哀れに思った。……でもね、同時にこうも思った。こっち側にはなりたくないなあって」
氷柱雪さんの目尻が、涙で濡れている。
「蟻を殺すことがね、わたし面白いって思っちゃったの。圧倒的な力でねじ伏せることに快感を覚えていたんだと思う。でも、そんなの変でしょ? おかしいでしょ? 生き物を殺すことに喜びを感じてたんだよ、わたしは。……普通に考えて怖いでしょ?」
「蟻くらい、俺だって何匹も殺したことがあるよ」
「でも、ウサギは殺さないでしょ?」
氷柱雪さんの言葉に、反論することができなかった。虫は殺せても愛玩動物を殺すことは、きっと俺にはできない。多くの子供たちがそうだろう。
「わたしはね、蟻とウサギの違いが全然わからなかった。みんなみたいに、蟻は死んでも構わないけど、ウサギは愛でるべき存在なんだってことに気が付けなかったの」
「氷柱雪さん、そんなに自分を責めないで。まだ子供だったんだから。それに、氷柱雪さんはずっと辛い経験をしてきた。そのせいで動物に愛着を持ちづらくなっていたんだよ、きっと」
「それだけじゃない……わたしは、絶対におかしいんだよっ!」
氷柱雪さんは、頭皮に爪を立てて声を荒げた。かなり自虐的になってしまっている。俺は彼女を落ち着けるように優しく氷柱雪さんを抱きしめた。黒く小さな頭をそっと撫でる。
やがて落ち着きを取り戻した氷柱雪さんは、俺を覗き見るようにして呟いた。
「あの日のこと、覚えてる……? 夜に、カズトくんの家の前で会ったときのこと」
瞬時に脳裏に記憶が蘇った。
氷柱雪さんが、大柄な男と並んでカズトを指差していたあのときだ。
「言っても引かない……?」
氷柱雪さんはしゃくり泣きながら訊ねてきた。
「引かないよ」と俺は優しい声で告げた。
「わたし……初めて見たときからタツヒロくんのことが気になってたの。多分……一目惚れってやつなのかな。それでね、タツヒロくんが転校したばかりで友達の居ないわたしを仲間に入れてくれたことが凄く嬉しくて、それで……もっと好きになっちゃったの」
「……うん」
「でもね、わたしすぐに気付いちゃったの。わたしがタツヒロくんのことを好きな気持ちと同じように、カズトくんもタツヒロくんのことが好きなんだって」
そんなに早くから氷柱雪さんはカズトの秘密に気付いていたのか。やはり女の子のほうがそういったことには敏感なのだろうか。俺はこの二十五年+αを共に過ごしてもまったく気付けなかったというのに。
「……叔父さんね、精神科医だったの」
殺人鬼としてこの世界の敵と相成った人物を想い描く。
「……お医者さんだっていうのは前に氷柱雪さんの家に行ったとき、叔母さんから聞いたよ」
氷柱雪さんは特別驚いたりはしなかった。家で叔母さんから俺の訪問があったことを聞いたのかもしれない。
「その……えっとね、他に聞いてもらうような人が居なかったから、叔父さんには恋愛相談に乗ってもらってたの。それで、わたしと同じようにタツヒロくんのことを好きな男の子がいるって話をして、男の子同士なのに変だよね? って聞いてみたの。そしたら叔父さんは是非見てみたいって言った。それで夜中に抜けだして、カズトくんの姿を見に行ったの」
「……叔父さんはなんて?」
「怖かったから、あんまり深く聞いてない」
「……そうだったんだ」
氷柱雪さんが何故ウサギたちに暴力を振るっていたのか。そしてどうしてあの日カズトを指差していたのかがわかった。彼女は、猟奇的な殺人鬼に良いように使われていただけだ。
「本当にびっくりしたの。あんなこと……してたなんて」
氷柱雪叔父は少なくとも近隣住民を十人以上は殺しているという話だった。
「何度でも言うよ、氷柱雪さんのせいじゃない」
俺は、氷柱雪さんの少し変わった部分にさえ愛着を感じ始めていた。動物を深く愛せなかった幼少時代も、俺との恋路の為に他人の敷地内に侵入してしまうのも、たった一人の叔父に淡い思いを告白してしまうところも。そのすべてが愛しいと思える。
そして、同時に何故だか、ほっとした自分がいた。
氷柱雪さんだって一人の人間だ。他者に理解されない部分があって当然だ。今まで彼女のことを触れてはならない高嶺の花だと思って生きてきた。でも、違ったんだ。氷柱雪さんは俺と何も変わらない、普通の人間なんだ。
人はそれぞれ妙な性癖の一つや二つ、持っている。女性にどこまでもルックスを求めるような俺の恋愛観だって、他人には理解されがたいものがあると思う。
氷柱雪さんは――か弱くて、ミステリアスで、美人。それでいて普通の女の子だ。
不安の種が、ようやく取り除かれた。
くすりと彼女に微笑みかけると、氷柱雪さんもにっこりと笑みを返してくれた。
天使にも似たその笑顔を見つめながら、俺は披露宴会場のことを考えた。
新郎新婦はもちろん俺と氷柱雪さん。純白の花嫁衣装に身を包む氷柱雪さんは他に例えようがないくらいに綺麗で、美しかった。
歓迎ムードで囲ってくれるのは、親友のカズトやオニギリ、温海さんもいるはずだ。
みんながみんな、俺たち二人の新たな人生への門出を祝福してくれる。
俺と氷柱雪さんは二人手を取り合って、いつまでも末永く幸せに生きていくのだ。
次に瞬きをした瞬間――、俺は再び披露宴会場に戻ってきていた。
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