わからナイ

ゆゆゆ

第1話 短く短く

 しまった。またやってしまった。いや、シャレではない。チャックが、閉まったとか、それでぼくのジミーを噛んでしまい苦しみ悶えているとか、そういうわけではない。そんなことは、わかっている。

 ぼくは、逃げだしたのである。何に? というなかれ。とにかく逃げだしたのである。ともかく、何かから退散してしまったのである。

 何かって、なんなのやねんと、つっこむぼくのなかのピクシィさん。そいつと、うふふ、あははとか言いつついちゃいちゃしながらなんとなく、考えていた。それはぼくにとって、とても大切なものであったことには間違いなかったのだ。

 そうだよ、これだけは失うまい、もう二度と離さないぞこいつめ、こいつめと手厚くいたわりつくせりしてきていたのではなかったのかい。こうなんていうのか、アイスクリ―ムを倒れないようにうまく舐め平らかにしていく、あのような建設的努力をもちいて行ってきた、ぼくの情念を注ぎ浸しさらに干し乾かしてきた、それらの結晶ともいうべきものを、ものからを、逃げだしてしまったと、いうのだろうか。どうだろう、よくわからない。何? よくわからない、だって。え、ちょっとマ、っ「あ、そうか」。

「ヨクワカンナイ」。そうであった、思いだした。はは、ははぼくは思いだしたぞ! とガッツポ―ズをしてみたくなったので実際にやってみる。 が、ぐきりという骨の鳴る鳴るてをりうむ。

 うん。しばらくうなだれて自分の運動不足に自己嫌悪すること5分後。思いだしたのだった。

 メメ随分思いだすのが早いではないかとも言うけれども、便宜上やむを得ないのである。ここではそういうことになっているのである。ヒヒ―ン!

 ――そう、ぼくは実は、馬なのであった。うん、そうあれ、あの走ったりしてお金かけたりオレンジ色の根ッコをすごい歯むき出しにブォリブォリとむしり食らうやつ。そうだよ、馬だということは、うん、ぼくもなんとなく、わかっていたよ。そう、うん。サラブレッドってやつかって? いやいやいや、そんなかっこいい身分じゃなくて。よくある民家の、ほんのしがない飼い馬、ってとこ。嘘じゃないよ。ちなみになんとなく勘のいい人ならもうわかるかもしれないけど、ぼくはその民家から逃げてきたんだ。そう、涙を流しながら、鼻水も、風と木枯らしに飛び消えていって。

そしてその理由を、ぼくはさっきの言葉でようやく思いだしたのだった。


「ヨクワカンナイ」。そう、それはぼくの名前だった。ひどいやろ。ほんま、ひどくない? なんなのその名前。なんか台湾とかタイとか、そういう人の名前っぽいけど、「ヨク ワンネイ」とか、多分そういう。違う? 違うよね、ごめんなんか調子のってた。馬だけに、調子に乗る、みたいな。違うよね。

 寒い。寒いって? そう、そうさ、こんなこと言うのも、冬の厳しい時期に家出してきたからなんだ。ひざがガクガク言ってる。もうだめだ、そんな気分。もうこのまま寝てしまおうって、ぼくはそう思った。はは大切なものなんて、本当はなかったんだ。なんだよ、ヨクワカンナイって。ふざけんなって、そう思った。

 それでもぼくは、この名前を飼い主に付けてもらったとき、自分に特別な価値を与えられた気がした、のかもしれない。その名を嬉しく思っていたこともあった、のかもしれない。だけどぼくはその名のせいで、他の馬や村人に、馬鹿にされた。……馬だけに? やっぱりそういうオチです!? ちょッふっざ! なんて。。

 ぼくはもうなにもかもがいやになって、どうでもよくなって、極寒の雪上のなかにボスンと倒れてしまった。粉雪が目の前を舞い、降りしきる雪とともにぼくの身体をおおっていった。

 そのとき、しゃりしゃりと音がした。あの足音からするに、他の村の馬かなんかだろう。もう別の部族が住む村のほうまで来てしまった。走り疲れていた。

「おれはいったい、本当は、何から逃げているんだろうな」と、薄れゆく意識のなかで、まだ残っていた雫が瞳からこぼれて、粉雪の中に消えていった。


 ふと目覚めたとき、ぼくはあたたかい暖炉の前にいた。ここはどこだろう。天国にでも来たのかしら、と目をパチパチした。

「気付いたようだネ」そう言われてぼくは後ろをさっと振り向いた。そこには、鹿がいた。

バカバカ! やっぱりそういうオチ! ああ、ぼくは死んでしまったほうがよかったとそのときおもった。こんなふうに恥をかかされるくらいなら、あのとき倒れておけばよかったんじゃないかって。そうおもった。

「人手が足りなくて困ってたんダ。もう体はあったまったかイ。へへ、オレがみつけてなかったら今ごろ氷のはくせいになってるゼ、オメ―ヨ」

そう言われてぼくはぶるると顔を振り足踏みした。うるせいてめ―のせいでおれは生き恥さらされとんのやと怒鳴りたかった。

「これこれ、やめんか」と言いながらひげのおっさんが歩いてきて、ぼくの首になんかを付けた。

「これからもうひと仕事あるんだ」おっさんはぼくにむかって言った。

もう少し休んだら、これを届けにいくんだ、手伝ってくれないか」

きらきらと光るたくさんの袋がおっさんの後ろにあった。

「名前は、なんていうのかな」と言ってしゃがむとおっさんはぼくのひづめをみた。

「ほお、ヨクワカンナイ」そう言われたときぼくは耳をふさぎたくなった。

「「夢を運ぶ」。いい名前じゃないの」

ぼくは耳を疑った。なんて言ったんだろうこの人。

「なんだ、もしかして意味を知らなかったの? この村の言葉で、カンナイは夢、ヨクワは運ぶ、っていう意味ってこと」

ぼくは声が出なかった。それくらい、なんかよくわかんない気持ちだった。

「この時期にぴったりの名だ。これは縁起がいいぞ! ぜひ、手伝ってもらいたいね、今日も荷物がいっぱいあるんだ」

ぼくは、目をははまたパチパチさせた。涙ももう出てない。ぼくは、嬉しそうにしてるおっさんをみて、そしてついでに鹿をみた。

「おお、よかったナ、オメ―。しっかり手伝えよナ―」

そのあと、おっさんはあたたかいス―プを持ってきてくれた。うまかった。体の芯まで、あったまるような気持ちだった。また、涙がこぼれた。でも、悪い気はしなかった。

もうちょっと、頑張ってみてもいいのかな。


隣でいっしょにス―プを飲んでいた鹿が言う「ちなみに勘違いすんなよな。おれはトナカイだから」

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わからナイ ゆゆゆ @yun3562

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