黄色い嵐の吹く町にオオスズメバチはどう生きるか

斎藤ロベール

第1話 黄色い嵐の吹く町にオオスズメバチはどう生きるか

九月の青空は、秋の気配を澄んだ色に現し始めていた。林からまだセミの声が響いている。町も、真昼の喧騒に明るい夏の名残を留めていた。一九八〇年代半ばのことである。

鮮やかな黄色い宝石が空間を素早く切り裂き、民家の屋根へと流れて消えた。キイロスズメバチだった。

「お帰り、メイホア。獲物は見つからなかったの?」

「まさか。ハエが山ほどいるよ。いつだって捕まえられる。ジュースを沢山みつけて飲んできたから、場所を教えようと思って。」

「どんな味?」

尋ねられたメイホアは、口移しでリンファンにジュースを飲ませた。

「新しい味!」

「でしょう? ゴミ捨て場にまだ瓶の半分も残ってる。」

「そう言えばね、メイホア、久しぶりにミツバチの巣を見に行ってみたら、オオスズメバチが来ていたよ。」

「へえ。珍しい。」

「止せばいいのに。すぐ人間に見つかって殺されてた。じきに巣まで見つけられて、奴らの城はおしまいだね。」

「いつまでも古臭い生き方してるから。奴らの時代は終わったのよ。あたし達の一族の勝利よ。」

リンファンは、メイホアを残し、人家の屋根裏で巨大になりつつある球形の城から、市街地へ向け飛び立っていった。

スズメバチの世界は、ますます変わりつつあった。かつて無敵を誇っていたオオスズメバチは、住処である森林の減少と共に山奥へ追われ、人間による駆除活動の隆盛も追い風となって、見かけることがめっきり少なくなった。セミを好んで狩るモンスズメバチや、アシナガバチを専ら餌とするヒメスズメバチも、似たようなものだった。

ところが、敢えて人間の土地に踏み込んだキイロスズメバチとコガタスズメバチは、かつて無い大繁栄を謳歌し始めていたのである。

確かに、町においては一層、人間による駆除の圧が著しかった。けれども、外敵の少なさ、営巣箇所の見つけやすさ、冬眠の安全性、そして何より餌の確保の容易さに於いて、人間界は山野などより余程生きやすかった。

オオスズメバチの脅威のない世界では、日本のスズメバチ属のうち最大のコロニーを築くキイロスズメバチに、恐るべき昆虫はいない。

メイホアとリンファンの女王たる今上の「王母」の母、つまり先代の女王フェイフェイは、オオスズメバチに帝国を滅ぼされた時、まだ蛹だった。

壊滅した直後の城で羽化した彼女は、辺りを見て茫然とした。姉のワーカーたちは死に絶えている。いくらか残っている幼虫の妹たちも衰弱し、多くの死骸が巣の下に落ちていた。

オスバチが一匹、フェイフェイの前に姿を現した。羽は片方しかなく、右の中脚と左の後脚がもげていた。彼は、最後まで戦いを目にし、辛うじて生き残ったフェイフェイの兄だった。兄は言った。

「もう誰もいない。我らの城は、オオスズメバチに滅ぼされた。」

オスバチは、まだ体の柔らかいフェイフェイに寄り添ってくれた。

荒廃した城跡で、茫然と二匹は時を過ごした。しかし、やがてフェイフェイの体がしっかりしたのを見ると、オスバチは言った。

「フェイフェイ、我らの血統を絶やしてはならない。お前は生きるんだ! だから」

「お兄さん!」

兄が妹を抱きしめた。抵抗する隙を兄は妹に与えなかった。止むなく交尾をした彼女に、妊娠した実感があった。

そして兄も死んでしまった。

「生きなければ!」

巣を出たフェイフェイは、オオスズメバチの気配のない方向へ向かった。そこは人間の土地である。未知の世界へ向かう、命を懸けた背水の陣だった。

途中、体力の限界を感じた彼女は、ジュースの飲み残しに口を付けたのだが、それは思いのほか美味だった。フェイフェイは満腹するまで飲んだ。

あとは眠るばかりである。

木造住宅の朽ちた横木に潜ってみたら、そこには同族であるキイロスズメバチの新女王が二匹、コガタスズメバチの新女王三匹が所狭しと並んでいた。

「なぜ王母になる者同士が一緒にいるの? しかもあなた達は種族も違う。」

フェイフェイの驚きに、コガタスズメバチの一匹が静かに答えた。

「今この場で争う意味がどこにある? 私達は生き延びて、人間の土地へ着実に根を下ろすべきよ。ここはスズメバチ属の新天地だ。」

キイロスズメバチが加えて

「その通り。ここで戦えば体力も失うわ。まず、あなたも休みなさい。」

フェイフェイは眠った。

 長い眠りを終え、春が来ると、新女王たちは皆すっかり衰弱してしまっていたが、互いの無事を喜び合った。共に冬を越した彼女たちは、城を競合させない約束をして、町の各地へそれぞれ散っていった。

もう、森へは戻らない。これはフェイフェイの決意だった。

フェイフェイの娘たちは、兄の子でもある。娘たちの遺伝子組成は、だからフェイフェイと同じだった。そしてフェイフェイの記憶も娘たちに引き継がれることになった。フェイフェイの娘の新女王たちの名も全てフェイフェイと言った。

 今はその二代目フェイフェイたちの時代である。

オオスズメバチの襲撃による城の滅亡、新たな生き方と新天地での繁栄、これらはフェイフェイたちの城の歴史として、語られている。


オオスズメバチのゲルトルードは、順調に拡大していく自分の領地に喜びながら、ここまでの数奇な運命に思いを馳せていた。

昨年の秋の終わり、無事に交尾を終えたゲルトルードは、巣を離れた先で人間の網に捕まえられ、訳もわからぬまま、狭い容器に閉じ込められた。寒さに体も動かぬ彼女は、我が身の不運を呪いつつ、半ば冬眠に入りかけたが、暗黒の中、酷い揺れが長く続いて眠れなかった。

揺れが収まり、突如として辺りが明るくなった時、ゲルトルードは再び間近に人間の姿を見た。彼女は別な容器に移し替えられた。暖かい空間に人間はいて、ゲルトルードを見下ろしていた。

「羽で体温を上げれば動ける。逃げられるだろうか。でも、力がないわ。」

ところがどういう訳か、人間は、動き出したゲルトルードに、すぐ食事を与えたのだった。蜂蜜だった。充分な栄養を取らずに捕獲されたゲルトルードは貪り食べた。蜜は食べきれない程あった。予想外に満腹になったゲルトルードは、拍子抜けして、逃げる気も失せてしまった。

 その後、容器は暗く寒い所へ移され、ゲルトルードは再び眠気に襲われた。人間の足音を微かに耳にしながら、夢うつつのうちに、時間は過ぎていった。

次に目を覚ました時、ゲルトルードが見たのは、春の景色だった。しかし自分は薄暗い空間にいる。

「捕まったままだったのね。」

 春の緑は透明な壁を覆う薄布を通して見えていた。そして、自分を人間が見下ろしている。ここは人間の家屋なのだとゲルトルードは知った。

空腹のゲルトルードは、早速、人間から食事を与えられた。

「くれるの?」

母フレイヤの言葉は何だったのか。強く生き延び、圧倒的な領土を持つ城を築き上げよ。ただし人間の土地には行くな。人間こそ最大の殺戮者である。

目の前の人間からゲルトルードは毫も敵意を感じなかった。半年近く、この人間のにおいを嗅いでいたゲルトルードには、この人間が仲間のようにさえ思われるのだった。

二日過ぎ、三日が過ぎた。とうとう、目を覚ましてから一週間が経過した。薄暗い部屋を歩いたり飛んだりしては籠に戻る。それだけの生活だった。

外の世界のことを何もかも忘れかけたある日の朝、人間が部屋のカーテンを大きく開けた。まばゆい朝日が差し込むと共に、何かがゲルトルードの中で、弾けるように目を覚ました。

「一族の繁栄! 建国と領土の拡充!」

 思わず窓に向かいゲルトルードが飛び立つと、人間は窓を開けて、飛び去るに任せた。これにも彼女は驚いたのだったが

「さよなら! 世話になったわ。」

ゲルトルードは、家屋の上空をふた回りしてから、遙か彼方に見える緑の丘陵へ向けて羽ばたいた。空から見て明らかになったのは、まるで知らない土地に彼女がいるということだった。

しかし、すぐに彼女は思い直した。私はどこへ行こうとしているのだろう。あの人間の所に何の不満があるというのか。わざわざ危険な見知らぬ森林へ行くのは無謀というものだ。しかも、人間の土地数キロ範囲に渡り、競合すべき同族のにおいは全くしない。

こうしてゲルトルードは人間のもとへ引き返した。庭木の根本に彼女は小穴を見つけ、大きさを確かめると、ここを巣作りの拠点に定めた。

帰ってきたゲルトルードを認めた人間は、たちまち庭に餌場を作ってくれた。


キイロスズメバチのワーカーの寿命は約二週間。彼女たちは濃密な時間を生きる。

メイホアもリンファンも外役の仕事は妹たちに任せる時期に入っていた。

「城は千を超えるワーカーがいる。そして、妹たち幼虫はまだ増えていく。それなのに、獲物が足りない。」

メイホアは、言いながらも、幼虫から甘露を受け取った。リンファンは

「朝から晩までみな狩りに出ているのに。」

「急に獲物がいなくなったの。ジュースなんかはあるけどね。みんな、所属の違うワーカーたちによく会うそうよ。」

先ほど帰ってきて、肉団子を幼虫に与えていた、二匹より日齢の若いミンミンが呟いた。続けて

「山のほうが食べ物が見つかりやすいくらい。町には城が沢山できていて、ハエもイモムシもクモもなかなか見つからない。郊外のミツバチは、みんなが狙っていて、効率が悪い。」

リンファンが

「目立って人間に駆除された国も増えてきているそうね。」

メイホアは

「どこかが駆除されれば、残った国の存続する可能性が高くなる。皮肉なものだわ。山の中と変わらないじゃないの。」

ミンミンが

「ただ、人間を除くと大した危険はないでしょう。でも、新手を見かけたっていう話があった。」

「新手って? コガタスズメバチ?」

とリンファン。ミンミンは

「いいえ、チャイロスズメバチ。」

メイホアが

「お伽話の生き物じゃないの? 人の城を乗っ取る鉄(くろがね)の侵略者なんて。」

ミンミンは

「あたしも見たことない。でも、あたし達が安全な町に出てきたら、奴らにとっても好都合な筈よね。」

リンファンは

「ねえ、ジュース以外にも人間の食べ残しは幾らでもある。妹が食べられそうな肉だって例外じゃない。そろそろ食べる物も考え直したほうがいいのかもね。まあ、もうそれも妹たち、次の世代の問題だけれど。」

「姉さん、またちょっと行ってくる。安心して。ハンバーガーなんか持ってこないから。」

ミンミンは笑って飛び立っていった。

しかし、獲物はそうそう見つかるものではなかった。畑にも、庭木にも、公園にも、獲物は見当たらない。ハエすら取り尽くした感があった。実際、町は「清潔」になっていた。アリならどこでも見かけたが、腹の足しにはならない。

ふと、ミンミンは異臭を察知した。ときどき人間の庭からも感じる危険な悪臭だった。同族のにおいもする。

それは、町を流れる川に架かった橋の下だった。川の両岸はコンクリートで固められているため、草も生えない。それでも、水を求めてくる昆虫は狩りの対象として、キイロスズメバチには人気のある場所ではあった。

その一帯を領地としていた城が、人間の攻撃を受けていた。真っ白い服を着た二人の人間が、これも白い霧を城に噴きかけている。かなりの大きさのコロニーから、数多くのワーカーたちが飛び掛かっているが、刺すことも摑むこともできないらしい。

黒い色には誰でも警戒してきたが、白い相手に襲われるのは想定外だとミンミンは思った。

三十センチはあろう巣はもぎ取られて網に入れられた。白い霧を浴びたワーカーたちは次々と落下していく。

話に聞いたオオスズメバチと人間とでは、どちらが本当に力を持つのだろうとミンミンは考えてみた。

「ハンバーガーを食べたらあんなに強くなるのかしら。」

肉に入った毒々しい薬品の味を思い出しながら、ミンミンはその場を離れた。


ゲルトルードの娘には、ウルフィラと名付けられたワーカーがいた。気が強く、好戦的で、狩りの手腕も第一と見なされている。

小動物にも平気で向かっていくそのウルフィラが、「王母」から厳しく言いつけられていたのは、人間を決して襲うなという事だった。反対に、人間が恐ろしい生き物だと言われたことは一度もない。

確かに、この城のワーカーたちは食事に事欠いたことが一日たりともなかった。人間が、甘い飲み物を近くに用意してくれるからだった。

しかし、成虫とは異なり、幼虫が育つには肉が必要である。それで、ウルフィラたちは狩りを欠かしたことが決してなかった。人間の用意してくれる肉は、とても受け取る気になれなかったのである。

「クロスズメバチじゃないんだから。」

獣や魚の生肉など、臭くて食べられたものではないとウルフィラは思った。

今やゲルトルードの城は、地下にありながら巨大なものになっていた。これ程の繁栄は、先代の王母、フレイヤの代にも見られなかったという。

 当然のことながら、幼虫の餌は不足することになった。

「ミツバチの巣は遠すぎるけれど、町の反対側にはある。それよりね、キイロスズメバチの奴らが町に蔓延ってるよ。」

遠くまで出かけて帰りに運良くアシダカグモを狩ったイーダがウルフィラにそう言った。

「巣はどんな所にあるの?」

「どこにでも。軒下、倉庫の壁のあいだ、捨てられたタイヤ、使ってない物置。大したもんだ。」

「規模は?」

「どれも馬鹿でかいよ。一つ落とせば妹たちの食糧は賄える。こちらも数は充分だ。必ず落とせる。」

ウルフィラは

「なら、ミツバチはずっと楽に落とせる。こちらも消耗しない。」

「でも、バックには人間がいる。あとが面倒だわ。王母の教えにも背くしね。」

「恩があるのはここの人間だけ。ミツバチの事で向こうの人間から、ここの人間に尻を持ち込まれたら、その時はあたし達が守ってやればいい。」

イーダはウルフィラの喧嘩好きな性格に溜め息をつき

「人間は、一人一人が一つの城のように違っていて、ばらばらに動いているみたいだけれど、見たところ、それが繋がってもいるらしいよ。家同士、協力して、大国を築いている。それが町だよ。あたし達が割って入ったら、ここの人間どころか、あたし達も危ないだろうよ。」

「要するに、キイロスズメバチをやるしか無いわけね。別にいいけれど。」

「明日の早朝、人間の少ない所から攻めよう。」

「分かったわ。みんなも、いいわね?」

異議を唱えるものはいなかった。


橋の下ばかりでなく、人家の軒下、庭木など、広い空間に作られた巣がことごとく人間に撤去されつつあるという話が、フェイフェイの城に伝わってきた。

ミンミンは

「駆除している人間は、どうも同じ奴らみたい。あたしも見た白い奴らだ。」

メイホアは

「でも人間は格好を変えるよ。とにかく、これからは黒じゃなくて白に気をつけろってことかしら。」

リンファンは

「今度出てきたら、先手を打って、全員で攻撃できないのかい?」

ミンミンが

「それができればね。でも、警戒しすぎて、人間を見たら襲いかかるようなことは良くない。それをするとこちらが目を付けられて、必ず滅ぼされる。見つからないのが一番いいのよ。領地も増やせる。」

メイホアは

「我らが王母はその点、お目が利く方でいらっしゃる。こんな天井裏に気付く者はない。」

その天井裏が音を立てて揺れた。ミンミンは

「風が強いね。」

リンファンが

「あたしが子供の頃にも一度こんな風が吹いた。」

北国に台風が近づいていた。頻繁に来ることはないが、荒れる時は荒れる。野外の巣にとっては、その場合、致命的な被害を受けることになる。


「調子狂っちゃうね。出撃は延期。」

ウルフィラが巣門から外を覗き、激しくなった雨に文句を言うような口振りで言った。隣にいたイーダは

「いつまで続くのかしら。妹たちがお腹を空かせて騒いでいるわ。人間が何か良いものでもくれればいいんだけど。」

「そうなったら出撃しなくて済むわね。」

イーダと同い年のハンナが割り込んだ。ウルフィラは呆れて

「あなた達、人間に頼るなんて、それでも誇り高きオオスズメバチなの?」

しかしイーダは

「ウルフィラ、真面目な話、城を維持するには食糧が足りないわ。じきに妹たちの肉で妹たちを養う羽目になる。人間がくれる肉をあたし達が食べれば問題は無くなるのよ。」

「それはそうだけれど。」

ハンナが

「晴れたら出撃。今はそれだけ考えることにする。」


この晩、町では、ある事件が起こっていた。一つの建物が、大風の影響により半壊したのである。そこに人間は常駐してはいなかった。

この建物の中では、営利を目的とした実験が行われていた。捕獲したキイロスズメバチの巣を限界までの大きさに融合させ、展示し、いずれは広告用もしくは商品として量産しようという企画である。

人工的に接着されたいくつもの巣は、多雌巣として実際、機能していた。女王たちも、異なる城のワーカー達も、互いに殺しあうことなく共存を始めていたのだった。文字通りの独立国家共同体である。一万を超えるワーカーたちがそこにはいた。

成功の原因には、捕獲された巣にフェイフェイの血統が多く含まれていた偶然のせいもあったかもしれない。再会した姉妹の女王たちは驚き、喜びもしたのだった。

彼女たちは、捕獲した人間によって食糧を与えられてはいたが、不自由な環境で暮らすことを余儀なくされ、人間を憎んでもいた。

建物の屋根は一日のうち昼間だけ開放される。それが、台風前から閉じられたまま、食糧も補給されていないのだった。

 この背景には、蜂たちの与り知らぬ出来事があった。建物のオーナーが急遽入院したのである。オーナーは、訪花していたミツバチに、運悪く手の甲を刺され、アナフィラキシーショックを起こした。それまでも、キイロスズメバチに何度か刺されながら事無きを得ていたオーナーは、自身の体力を誇らしく思っていたのだから、ミツバチに一度刺されて倒れてしまったというのは、全く皮肉なことだった。

 スズメバチとアシナガバチの毒は似ていても、ミツバチは違うということをオーナーは知らなかった。どちらの毒にアレルギー反応を示すかは、毒の強さではなく、刺された人の体質次第なのである。


台風一過。白光を放つ太陽が輝かに姿を現した。

建物の空間内に長い時間閉じ込められた挙句、飢えもピークに達していたキイロスズメバチは、羽音高く、町中へと一斉に繰り出していった。


 食糧不足の対策として、人間の食べ残しが大量にある場所を探し確保することに、ミンミンの城は方針を固めた。町に住む彼女たちにとって、このほかには、ミツバチ狩りか、山のある郊外へ行くしか方法はないのだが、後者のどちらにもリスクがある。

「焼き魚はたくさん見つかるわね。何とか食べられそう。」

ミンミンの妹のチュンイエンが、ごみ箱から頭を出していたサンマの味見をしてそう言った。ミンミンは

「あたしはハンバーガーが食べたくなってきた。案外、見つからないものね。」

その時、二匹の触角は、上空に大勢の同族のワーカーを認知した。異様な殺気があった。

「取られるかな。」

気にするチュンイエンをよそに、ワーカー達は飛び去っていった。

「この時期に引越しでもあるまいし、何かしら。」

ミンミンが上昇した。チュンイエンも従った。

どうやら、ワーカー達はミツバチの巣がある方向へ向かうらしい。しかし、町中へと散っていく者たちも多かった。

「何をしているの?」

急に声を掛けられた。ミンミンより少し年配といった日齢の、よそのワーカーだった。

「もちろん食糧探しよ。」

ミンミンが答えると

「こんな所で狩りができるの? あなた、どこの城の所属?」

「フェイフェイ。」

「どこのフェイフェイ?」

ミンミンもチュンイエンも質問の意味が分からなかった。ワーカーは

「私はシャオフェイの娘。知らないの? 王母フェイフェイには姉妹が千二百あった。百は下らない数が冬を生き延びた筈よ。」

「親族の城が百あるっていうこと?」

ミンミンは何となく嬉しい気がした。先代が近親交配をしたフェイフェイたちの遺伝子組成は全員同じである。だから、その娘であるこのワーカーとミンミンとは、一般的な巣における姉妹関係同様の近縁さなのだった。仮にフェイフェイ全員を一匹の個体のように捉えるなら、日本のスズメバチ史上、その一族は最大級の規模となるだろう。

突然、人間の悲鳴が聞こえた。

「やってるわね。」

ワーカーが言った。チュンイエンが返して

「何を?」

「人間狩り。城の五十メートル内に入った人間は必ず襲うのよ。そうでなくても、気に触る奴は刺す。」

ミンミンは

「それは・・・返り討ちに遭うわ。」

「やらない訳にも行かないのよ。やつらは手を出し過ぎた。じゃ、まだ私の知らない『王母』によろしく。」

ワーカーは去っていった。人間の悲鳴はなお収まることがなかった。


「態勢を立て直す!」

強烈なキイロスズメバチのにおいに引かれて、その出所を訪ね当てたウルフィラとハンナは、信じられない光景に唖然とした。

目視しただけでも、高さ四メートル、幅二メートルはある大木に似た巣が、壊れた人間の建物から覗いている。数えきれないワーカー達がその周囲を飛び回っていた。

「近寄れもしない! 数で一斉に襲わないと。」

ウルフィラとハンナは急いで帰途に着いた。

地上では、人間の造った特別広い灰色の道に、けたたましい音を立てて光る、白い鉄の箱が数台、走っていく。あれは、自分たちの城の領地にいる人間もよく使う「車」という奴だとウルフィラは思った。倒れた人間を同じ車に運び入れている場面も見えた。

「便利な入れ物だこと。」

 ウルフィラが呟くと

「刺したね。」

ハンナが言った。ウルフィラは

「一体、何が起きたの?」

「さあ。キイロスズメバチ、ご乱心。あの木みたいな巣を攻略するのに何匹必要だと思う?」

ウルフィラが適当に

「百五十、いえ、二百。」

 ハンナは返して

「そんなに居たかしら。」

「今ならもっと居るはずよ。全員は出せないけれど。」

「少しずつ落とされるのは癪だから、初めから全員で行こう。」

先程、巣の近所でフェロモンを出さなかったのは正解だった。応援が来る前に、感知した敵のワーカーに囲まれてしまったら、逃げ切れる数ではない。

ハンナは笑って

「あの『大木』を陥落させたら、もう狩りの必要、無いわね。妹たち、太り過ぎて、全員が新女王になっちゃうかもよ。」

「その世話は誰がするのよ。」

ウルフィラは溜め息を吐いた。


「人間の土地で暮らすには、新しい事に慣れていかなくてはなりません。私はブドウのジュースが気に入りましたよ。」

王母フェイフェイは、ミンミンの報告を受けたとき、落ち着いた威厳のある声で、しかし、冗談ぽく言った。

「私の姉妹たちの行動は仕方のないことです。人間も私たちのことを知らなければなりません。今後、ますます私たちは、人間の土地を席巻するのです。そして、やがてはコガタスズメバチを追い払い、キイロスズメバチこそが昆虫の頂点に立つのです。」

ミンミンは

「はい。でも、あの大木のような巨大な城は、我々の未来にどう影響するでしょうか。」

「成り行きを見守りましょう。人間がどのような手段に出てくるか、知って次世代に伝えるのです。」

フェイフェイは、御付きたちと共に巣房を移っていった。


「あたし、今度あのハムって言うの、食べてみる。」

ゲルトルードの城では、出撃の準備が進められていた。イーダが

「食べるのはお前じゃなくて、妹よ。お前はもう固いものは食べられないの。お前、今日死ぬかもしれないんだよ。覚悟はあるの?」

「ない。残ってたらだめ?」

このワーカーは名をロッテと言った。最近羽化した若い娘だった。

「お前なんかねえ、よその城だったらとっくに淘汰されてたよ。ネジレバネに寄生されて、頭が弱くなってるんじゃないだろうね。」

「違うもん。」

「あたし達はね、戦士でもあるんだ。お前は戦いを知っておきな。そうすれば、そのとぼけた性格も治るさ。」

ウルフィラはいらいらしていた。

出撃まであと数分。巣内には珍しく高揚した気分が満ちていた。


ミンミンは、焼き魚を求めて行く途中、遠巻きに「大木」を眺めた。あれが刺傷事件の原因だということに人間は気付いていないのだろうかと、ミンミンは訝った。

 その時、ふとミンミンは、背後から蜂の近づく気配を察知した。

「ふふふ。面白いねえ。」

同族かと思って振り向いたミンミンの複眼に、見たことのないスズメバチが映り込んだ。

赤茶色と黒の異様な風貌で、どのスズメバチにも似ていない。

「何?!」

ミンミンは、牙を剥き、脚を広げて威嚇の姿勢を取った。

「やるの? あんた、死ぬよ。まあ、いま殺す価値も無いんだけどね。」

「なめるな!」

本能的に危険を感じたミンミンは、先手を打つべく、相手に噛みつき、毒針を突き立てた。しかし、針は刺さらなかった。関節の隙間を巧みに相手が避けたせいでもあったが、何よ

り肌の硬さが際立っていた。

「まさか、鉄の侵略者!?」

「私はチャイロスズメバチのスギョン。あんた達の繁栄は私たちの繁栄でもある。来年が楽しみだ。あれが全部、私たちの城に変わるんだと思っときな。あんたは今、死ぬんだけどね。」

スギョンがミンミンに飛びかかろうとして高度を上げた瞬間、重低音を響かせる巨大な影が二匹を覆った。

「どけ!」

「あ!?」

 チャイロスズメバチは呆気なく跳ね飛ばされた。

 ミンミンの全身から血の気が引いた。自分の倍以上あるオレンジ色のスズメバチが、数えきれないほど迫っていたのである。

「オオスズメバチ! まさか! こんな所に?」

チャイロスズメバチの姿はもはや見えなかった。咄嗟にミンミンは急降下して難を逃れた。

攻撃フェロモンを散布したオオスズメバチたちは、既に殺気に満ちた戦闘集団へと変貌していた。

「突撃だ! 一匹も生かすな! 命を燃やし尽くせ!」

ウルフィラの号令だった。

オオスズメバチ二百騎対キイロスズメバチ三十万騎の死闘が始まった。

「ああ!」

人間を怯えさせたワーカーたちが、次々と噛み砕かれていく。潔いほどの残忍さ。これがオオスズメバチなのだとミンミンはおののいた。

「大木」は、みるみるうちに占拠されていった。根本には、ワーカーたちの鮮やかに黄色い死骸が、花のように折り重なっている。

町に散っていたキイロスズメバチも、フェロモンに気が付いて飛来し、参戦してきたが、ウルフィラたちは圧倒的な強さで、立ち向かう者を殺していった。

そもそも、キイロスズメバチの人工的多雌巣には秩序が欠けていた。いざ危機が迫ると、一丸となってオオスズメバチに対抗する態勢を保つことができなかった。

十二時間の死闘ののち、「大木」は活動を停止し、幼虫たちはオオスズメバチに引き抜かれては連れ去られていった。

「なんて強さ・・・なんて不思議・・・」

ミンミンは、同族を駆逐される悲しみよりも、世界の未知なる豊かさに、我を忘れる思いだった。あたかも、今まさに襲いくる津波の迫力に感動するようなものだった。

「ねえ。」

「はっ?!」

我に帰ったミンミンの背筋が凍りついた。いつのまにか、オオスズメバチの一匹が背後にいたのである。

「それ、美味しいの?」

ミンミンの体は硬直して動けなかった。この間合いでは、向き直る暇もなく、噛み潰されるだろう。

 けれども、オオスズメバチは進み出て焼き魚にかぶりついた。それからミンミンの方を向いて

「あなた達が食べるなら、あたし達にも食べられるよね。」

ミンミンは、死を覚悟して言い放った。

「図体のでかい田舎者が、そうそう町に来られると思っているの? あたしは、王母フェイフェイの城の者! かつてオオスズメバチに国を滅ぼされた恨みは、あたしが死んでも、いずれ思い知ることになるわ。キイロスズメバチの眷属は限りなく人間界で繁栄する! あんた達が山でぼうっとしてるうちにね!」

しかしオオスズメバチは答えて

「あたしは戦うことに興味ないんだ。さっきの戦いにも加わらなかった。あなたもでしょ? でもね、掟がある。」

「掟?」

「人間を攻撃するなって。世話になってるのよ。」

「世話に? 分からないわ。」

「まあ、いい。あなた、人間の食べ物で、何がお勧め?」

「・・・グレープジュースとハンバーガー。」

「ジュースは知ってる。あなたの名前は?」

「ミンミン。」

 焼き魚の肉を噛んで丸めながら、オオスズメバチは

「それじゃあね、ミンミン。あたしはロッテ。また会えたらいいね。」

重低音の羽音と共に、脅威は去っていった。

ミンミンは、事の次第を王母に伝えなければと思いつつ、オオスズメバチと対等に渡り合えたことが嬉しかった。残った焼き魚が、妹たちへの最高の贈り物のように思われた。


 その日の地方紙の朝刊第一面には「オオスズメバチ、人助け?」という見出しが載せられた。


 三日後のことである。

「一通り、妹たちに餌は賄えたけれど、『大木』は人間に片付けられてしまった。次の目標が必要だわ。これからは、新女王を育てなければならない。」

ウルフィラとイーダは、巣でそんな話をしていた。

外から煙のにおいが漂ってきた。煙はスズメバチには危険なことがある。

ところが、二匹の側をロッテが駆け抜けていった。

「焼き魚のにおい! たくさんちょうだい!」

窓に張り付いたロッテの姿を見た人間は、魚を持って表に現れた。

城の明るい未来。ロッテは、誇り高いオオスズメバチのワーカーである。城の繁栄にとって何が良いのか、それに自分は命を賭けるつもりだ。そこは何としても譲れない。その未来が、人間のもとにはあると、ロッテは確信していた。


エピローグ


ミンミンは、既に老齢となっているメイホアとリンファンに、口移しで肉汁を与えた。

「これは何?」

「照り焼きバーガー。」

二匹は笑って

「味が濃いけど、悪くはないわ。人間の食べ物は変わってる。あたし達より雑食だね。」

「幼虫の食べ物になるのか成虫の食べ物になるのか分からないものも多いわね。」

ミンミンは

「今後、眷属が町で増えていったら、狩りに固執している国はきっと飢えてしまうわ。でも、生き方を変えていけば大丈夫。」

それからミンミンは、王母の元へと向かった。

今、城は最大のワーカー個体数を抱えていた。オスバチも羽化してくるだろう。幼虫の中には、新女王の候補がたくさん育っている。王母の産卵の量は減ってきていた。次世代の準備に入るべき時を城は迎えつつあるのだった。

「あなたのお蔭で国の方針を固めていけそうです。チャイロスズメバチのこと、人間の我々への警戒度が上がったこと、そしてオオスズメバチのこと、どれも未来への大きな不安要素です。」

ミンミンが王母に口移しで照り焼きバーガーを差し出すと、やはり王母も笑った。

「栄養がありそうな食べ物ですね。そう、食糧のことも考えておかないと。」

ミンミンは

「ロッテというオオスズメバチと話しました。」

王母は驚いた表情を見せた。

「オオスズメバチと話したの? 相手が獲物を見逃したということ? いえ、そんな事はあり得ない。」

フェイフェイの脳裏に、伝承された記憶が蘇った。先代の兄の顔だった。

「人間に世話になっていて、戦いには興味がないと言っていました。私には意味が分かりませんでした。」

「世話? ミツバチのように人間と手を結ぼうと言うの? それは我々に脅威だろうか。」

「『大木』は奴らに滅ぼされました。ロッテは加わらなかったそうです。」

王母は

「ふん。新たな世代が向こうにも現れるのかも知れませんね。しかし、かつて城が滅ぼされた時、兄は、我が母である自分の妹と交わってでも血を残そうとしました。オオスズメバチがどう出て来ようが、私たちは、生き延びるのです。この人間の土地で。」

王母は去っていった。

ミンミンは思った。キイロスズメバチに襲われた人間は、これから駆除圧をますます掛けてくるに違いない。しかし、この城は見つからないだろう。つまりそれは、来年のフェイフェイ達の繁栄を保証するようなものなのだ。


 それから三十年。二千年代に入った現在、キイロスズメバチは人間の居住区で最も普通のスズメバチになっている。それは、親類であるケブカスズメバチの領土、北海道でも同様だった。フェイフェイたちの望みは果たされたのだ。ただし、コガタスズメバチとの競合は相変わらず続いていた。

 翻って、オオスズメバチの一族は、未だ山野で暮らしているにも関わらず、人間から一層の駆除圧を掛けられている。一体、彼女らの未来に希望はあるのだろうか。

 だが、きっとどこかで、ロッテ達の子孫は、心ある人間と暮らしながら、いつか訪れる進出の機会を、平和に待っているに違いない。

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黄色い嵐の吹く町にオオスズメバチはどう生きるか 斎藤ロベール @robertsaito

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