デッドスペース

中村ハル

第1話

 鼻につく男だった。昔から。

 昔からだ。

 小学校の同級生だった。中学も、高校も一緒だ。大学は危うくギリギリで別になった。向こうが急に進路を変更したおかげだ。でないと学部こそ違えど同じキャンパスに通うところだった。

 別に示し合わせたわけではない。偶々だ。周りは「仲がいいんだねえ」などとしょっぱい微笑みを浮かべながら見守っている。

 そうだ。現在進行形だ。俺たちは今もまだ、見守られている。とどのつまり、あいつと俺は友人である……不本意ながら。

 その鼻につく男が、この度、家を建てた。

 物理的にも心理的にもだ。

 つまり、自分で住む家を自分で設計した。一端の建築家なのだ。悔しいことに、そこは認めざるを得ない。優秀かどうかは置いておいて。


 俺は手土産の袋を見下ろした。

 近所に、洒落たカフェができたとネットで見たのだ。最近あの辺りは熱い。それまでは駅名すらきちんと読まれなかったのに。個人経営の素材や味にこだわったパティスリーや、小さいけれど気の利いたモノが集められた店が次々にできている。まるで雨後の筍だ。

 そこで焼き菓子を幾つか菓子折りにしてもらった。友人の新築祝いだと言ったら、揃いのリネンの制服に身を包んだ店員が互いに顔を見合わせ「仲良しなんですね、羨ましい」とうふふと笑った。羨ましくない。

 焼き菓子は、洋酒漬けの無花果を用いたパウンドケーキやシナモンやハーブをふんだんに使ったクッキーだ。あいつの淹れる珈琲は旨いから、それと一緒に出してくれないだろうか。

 なぜ、そんな気にくわない男にそんな洒落た手土産を持っていくのかといえば、確か、あいつには可愛らしい彼女がいたはずだからだ。付き合っている訳じゃない、と顔をしかめていたが、きっと照れ隠しだ。よく一緒にいるのを見かけたから、もしかしたら、同棲を始めたのかもしれない。だとしたら、気の利いたモノのひとつも持っていってやるのが腐れ縁といえども友人であろう。

 そんなことを思いながら、玄関先に立った。こじんまりとしていながらも、無駄がなく……品が、いい。

 悔しいので、インターホンを続けざまに3回押した。


「で?」

 一通り家の中を見て回り、途中から気になっていた場所へ戻って俺は首を傾げた。二階建てだが中二階を間に挟み、狭い敷地を存分に活用しているいい家だ。無駄な間仕切りもなく、陽もよく入る。開放感があるのに、安心感もある。それなのに。

「なんだってこんないい場所に、こんなデッドスペースが出来ちゃったわけ?」

 家の中の、最も落ち着くと思われる場所。ど真ん中から少し外れた、昼の日差しが陽だまりをつくる辺り。本来ならソファでも置きたい場所に、妙な柱がある。いや、柱と呼ぶには太い。

「たまに聞くけど、もしかして、それ?」

 周りから部屋を配置していったら、トイレを作り忘れていて、慌ててど真ん中にしつらえた、とかそういう話だ。

 あいつはばつの悪そうな顔で頭を掻いて、なにやらごにょごにょと口ごもっている。そりゃあそうだ。意気揚々と自分でマイホームを設計したというのに、家の中で一番いい場所に、壁で仕切られた謎の個室ができてしまったのだ。おかげで完璧なはずの室内は、奇妙な具合に区切られてしまった。

「まあ、そんなところがお前らしいけどね」

 そしてそこが、安心材料でもある。何もかもを完璧に仕上げられでもしたら、こんな風に笑って家を見に来たりはできなかっただろう。わが友に残された、なけなしの愛嬌だ。ちなみに彼女は一緒に住んでいなかった。万歳。

「トイレは向こうだろ?ここは?」

 個室と呼べるほどもない立方体を一周して、俺は壁に手を添える。壁ひとつの横幅は60センチほど。南に向いた壁面に、人が入るには狭すぎる幅の扉が付いていた。

 開けない方がいい、というあいつの声は間に合わなかった。「え?」と振り返りながら、俺は扉を開けた。

 途端に、冷たい風がノブを握った指を、手首を腕を這い上がる。

 咄嗟に扉を離して、俺は後退った。

 扉の隙間から、髪の長い女が覗いていた。

「な、ななななに、なんだよ!今の!」

 あいつは手を伸ばして、閉じかけていた扉をぐっと押し込む。隙間から妙に細長い指が、扉に押されてひしゃげて向こう側へ消えた。

「いたんだよ。ここに。なにをやっても消えなかったから」

 仕方がないじゃないか、とあいつはにっこりと笑って珈琲を淹れるためにキッチンに向かう。俺は、ドアノブの感触を拭い去ろうと、腰の辺りで掌をぐいぐい拭いながら慌ててその後を追った。

「同居でもしてるつもりか」

 ねばつく喉を乾いた笑いで無理に震わせて、俺は友人の奇妙な同居人を頭から追い払おうと、珈琲の香りを胸いっぱいに吸い込む。

 あいつは穏やかな顔で、沸いたばかりの熱い湯を、挽いた豆の入ったフィルターに細く細く零していく。白い湯気と共に上がる、琥珀色の香り。豊潤な湯気に、ようやく俺の身体は緊張を解いた。

「幽霊のための個室があるなんて、まったく、いい家だよ」

 手土産の菓子を開けながら、俺はあいつに笑いかけた。

「部屋? 違うよ、人柱だ」

 く、っと湯を注いでいた手首を返して、あいつが晴れやかに笑った。

 俺はゆっくりと柱を振り返る。出るには狭すぎる扉の向こうの女の顔はげっそりとやつれていたが、どこか見覚えがあった。

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デッドスペース 中村ハル @halnakamura

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